『ブレッドウィナー』観ました。
旧作につき、ネタバレ含みます。
タリバン支配下のアフガニスタンの首都カブールに暮らす少女パヴァーナ。
女性の活動を著しく制限するタリバンの教義のもと、
女児に本を読ませた罪で、父がタリバンに逮捕されてしまいます。
女性が外出するときは男家族の付き添いが必ず必要なため、
母と姉と幼い弟と暮らすパヴァーナの家族は買い出しすらできなくなり、生活が困窮。
パヴァーナは家族を支えるために髪を切り少年になりすまして、外へ出ます...。
『ブレンダンとケルズの秘密』のノラ・トゥーミー監督の美しいアニメ映画です。
しかし、内容が過酷だった・・・
直接的な暴力シーンがあるわけではないですが、
これはほんまにキツイ・・・
改めて、いかなる差別にも反対していく気持ちしか沸かないです。
他の人の文化や宗教を悪く言いたくないですが、
この世界では女性は家畜ですからね。
人権侵害はけっして許されん。
てか、なんの得があるのかわからん。
女性って人口の半分もいるのに、
その人たちの行動をここまで制限したら、GDPも下がって、
人権問題だけでなく、経済面でも、国が豊かになることから遠ざかるだけなのに。
でも、結局そこまでの思考能力がそもそもない。
なぜって学力がないから。
そこそこの仕事をしている男性陣も読み書きができなかったりする。
女性だけで道を歩くなと取り締まってるクソ野郎が登場しますが、
奴はおそらくコーランだって読めないだろうと思われる。
そして、国民を愚かにしておくことが、一部の為政者にとっては都合がいい。
自分の言うことだけ聞いていればいいようにする。
本を読んで、なにか考えたりしたら、口答えしだしちゃうかもしれないから。
だからこういうのを観て、たくさんの人が考えてほしいんですよね、
愚かでいることがどれだけ危険か。
歴史を知らないとかでバラエティ番組で笑いをとったりしてる場合じゃないんだよ。
いろんな考え方の人がいてもいい、それが多様性ってもんですが、
しかし差別や人権侵害は“いろんな考え”に含まれるものじゃないんですよ。
なぜならそれは、自分についての考えではないから。
たとえば、雨に備えて、常に鞄に折り畳み傘を入れる人がいるとする。
それはその人自身の考え方で、それを実践するのは自分。
だからどんな考えでそれを実行しても別に問題はないし、
その行動について、誰かからとやかく言われることはない。
でも、その人が、傘を持ち歩かない別の人に「必ず折り畳み傘を鞄に入れるように」と強制したら、
それは傘を持たない他者の考え方を否定することになるのでNGなのです。
黒人差別をする人も、自分は白人とかなんとかで、
他者について行動の制限を唱えているのでNG。
LGBT差別をする人も、自分はヘテロ・シス人間で、
他者の性生活について強制しようとしているのでNG。
男性コメディアンが「女性は結婚したら男性の苗字を名乗りたいもの」とかテレビで言っちゃうのも、
自分は女性ではないのに女性の思考を決めつけようとしているのでNGなのです。
差別や優生思想、歴史修正やワクチン陰謀説について、
そういう考え方の人もいるから多様性の社会なんだし許されるんじゃないのかということを言う人がいますが、
なんでNGなのかはそういうわけです。
人権侵害は多様性という概念の真逆。
自分の考え方を強制することで他者の考え方を否定している、それは多様性の否定になる。
他人の権利を守れないなら、自分の権利も守ってもらえなくなるの、あたりまえでしょ?
そんなことも説明しなけりゃいけないとはほんとにやばい社会なんだなあと、
差別発言で炎上した自称メンタリスト(名乗るな。ジェーンに謝れ)の発言や周辺の人の発言を見て思いましたね。
学問は大事だな。
テストのための暗記授業じゃなくて、ほんとうの学問がさ。
そうでないと、先進国じゃないんだよ・・・
この映画では、物語の力を信じて、前に進もうとする少女の様子が描かれてますが、
でもほんとうは彼女の気の持ちようでなんとかするのではなく、
男性陣が考えを変える必要があるのだということが伝わったらもっとよかったかなと思いました。
女性が苦労させられて、それでも耐えて前を向くという展開の映画はよくあるけど、
根本解決にはなってないからさ・・・
しんどいことが多いですが、
こういう映画をつくって啓発しようとする人たちもいることについて、
前向きに評価したいとは思いました。
へっぽこハンターコトワでした。
(`・ω・´)ゞ