こんばんは、菓子(かこ)です。


きょうはパートナーと、長谷川町子美術館へいってきました。

すごくサザエさんばかりで、とても素敵だなあと思うとともに、

「どんど」という作品がすばらしかったです。

日本画家の方の作品だったとおもうんですが、

迫力といい、まあ何がすごいかって、

音がきこえてくるんですよね。

おと。

ぱちぱちという火の粉の舞うおとだったり、

わあわあというひとびとの歓声だったり、

きゃきゃというこどもの声だったり、

ほんとうに色々のおとがしました。

美しかったです。


絵画は音を、

文字は音と風景を、

音楽は風景を、

それぞれあらわすことができれば、

きっとすばらしいものなんでしょうね。

こう考えると、どうやら文字のちからは強そうです。


よく、こどもじみていると人から言われます。

それは、残酷だからだそうです。

飽きたらぽいと捨てるんでしょうとかたまに言われますが、

自分ではあまり実感がありません。

要は執着心のなさだということをさいきん、気づかされました。

固執しないらしいですが・・・


固執も執着も、それぞれヒトにすることなのかどうか、わかりません。

ヒトはそれぞれべつべつの人間なのですから、

そのひとの自由意思で決めるべきなのです。

むずかしいですね、なさすぎてもおかしく思われるし、

あり過ぎればいやだといわれる。

別にいやなことがあったとかではないのですが、

どうにもこうにも。

江國香織さんの「すみれの花の砂糖づけ」をよんで、

なんとなしに言われたなあと思ったから、書いただけなのですけれど。


ひとづきあいって、むずかしいですね。


今日はいちにち、たのしかったです。

旅行にいくことも決まって、たのしみです。



くもの巣のかたすみで、

菓子でした。

よく、おもちゃみたいに、捨てるんでしょう、と、
あなたは言うよね、

飽きたら、ぽいと、捨てるんでしょう、と、

わたしがおもちゃだってこと、知らないふりして

おはようございます、菓子(かこ)です。


他愛のないはなしが好きです。

なので、そんな話をしようとおもいましたが、だめですね、思いつかない。

こういうとき、エッセイストの方はすごいな、とおもいます。


日常の、ひとつを切りとって、きちんと自分なりに飲みこんで、

それで文章をかくというのですから、やはりすごい。

わたしも、へたながらに、そうやって毎日感じたことを書きたいな…


きのうは、すごい雨と風でしたね。

小さいころ、雨と風には意志があって、おとぎ話そのままですが、

そうやって地面にふりそそいだり、びゅおびゅお吹いているものだと思っていました。

いまでもその感覚は、なんとなしに、ぬぐえずにいるのですが、

よくメルヘン脳といって笑われます。


北風と太陽、なんておはなしもありますが、

寓話とはおもえずに、てっきりそうなんだと思ったり、

小さいころは誰しも、そんなふうに考えていたのじゃないかと思います。

だから、理科とかそういう教科は、頭でわかっていても、

いまだに感覚的にはよく分かっていないのじゃないかな。


お日さまとお月さまは、わたしにとってすごく神秘的な存在です。

だって空にぽかりと浮かんで、逃げても逃げてもおいかけてくるし、

ぴかぴかきらきらぎらぎら光っているのです、

そう思ってあたりまえですよね。

それに、神話にはたくさん太陽の神、月の神がでてきます。

なかでもギリシア神話のちからが相当つよいです、わたしにとっては。


そんなわたしが、

そら月は太陽の光を反射している、だの

そら宇宙のなんたらこうたらだの、

理解できるはずがないんですよね。残念ですが。


でも、理系のひとたちとお話をすると、

ああそうか、と思うことが多いです。

まったくちがう視点でものごとを見ているひとと話すのは、

とてもおもしろく興味深いものですから。

なのでヒト自体にけっこう、興味があります。


このひとは、どうしてこんなことを言ったのだろう、

どうしてこんなことをしたのだろう、

そう思ってそのひとを見ていくと、

そのひとなりの何かルールがあったり、

嫌われているらしいひとでも、

そんなことないんじゃないのかしらと思ったり。


ヒトっておもしろいですよね。

あれれ、話がずれてしまったー


というわけで、これから出かけてきます。

こんなにお天気もいいので、そうですね、

スケートリンクとか都心にできていますし、

ほかにもたくさんすてきなところがありますから。


それでは、行ってきます。

クモの巣のかたすみで、

菓子でした。