2月20日に日付が変わって1時間半くらいしてクレアは逝ってしまい、それから主人が帰ってくるまでの時間がどれだけ長く感じたでしょう。
結局主人が帰宅したのは4時。
それからクレアとの無言のお別れをしてお風呂にはいってもらい、ごはんを食べ終わったのが5時。
どうしても11時に取材がはいっていてクレアのお葬式にでれないといわれました。
自分の都合でお葬式を延ばすためにクレアを冷蔵庫に保管してもらうのは嫌だというので、ひとりでお寺さんにいくことにしました。
ちょっとだけみんなで一緒に寝ようとクレアをお棺ごと寝室に連れて行きました。
この時ばかりはおバカちゃん兄弟もわかったようで、悪戯することなくお別れをして一緒に寝ました。
ほんの数時間しか眠れませんでしたが、亡くなった日はこうしてみんな一緒に寝ることにしています。
お寺さんに電話で確認すると12時に予約がとれたので、お棺にいれるためのお花を買いにいって、11時半くらいに着くようにクレアとの最後のドライブに行きました。
お寺さんに行くときの通り道にお世話になった動物病院があったので、助手席で永遠の眠りについているクレアに”クレア病院だよ、先生にありがとうございましたっていいなさい”と話かけました。
お寺に着くと、びっくりするくらい猫さんを連れてきている人が多くて。。。。
19日は新月だったから、猫の神様がたくさんの猫さんを連れていかれたのかな。。。
お寺さんはメルモの時工事していたところが完成されて、素晴らしい設備のところでクレアはお坊さんが読経してくれている中荼毘にふされました。
その間45分くらいは待合室でひとり待っていました。
虹の橋という絵本があって、実物を手にするのは初めてでした。
天国に行く前に虹の橋というところにいって、元気な体をもらって仲間と一緒に暮らすそうです。
やがて逝く私たちを待っていてくれるのです。
私たちと出会ったら一緒に天国にいくらしいです。
そう思うと気持ちが穏やかになります。
係りの人に呼ばれて、お骨を拾うところにいくと
”生前可愛がっていた子なので、いつも撫ぜていたように素手でお骨を骨壺にいれてあげてください”
といわれました。
ちょっと初めての素手だったのでびっくりしましたが、素手でいれてあげました。
しっかりした立派な骨でした。
頭蓋骨をいれてのど仏を最後にいれると
”頭蓋骨を撫ぜてあげてください”
といわれ撫ぜてあげました。
ふたが閉められて、渡されたとき涙があふれてきました。
ずっとしっかりしなくちゃと思っていたせいか、とめどなく涙がでてきました。
泣きながらまたお坊さんに読経してもらってからお骨になったクレアを助手席に乗せて帰ってきました。
クレアは本当に優等生でした。
19日で鎮痛鎮静剤の注射も点滴も手元にあるのは最後でした。
20日に麻薬パッチの交換もしなくちゃいけなかったので、病院にいくはずでした。
激痛がでるのは絶対可哀想だったので麻薬パッチを貼るべきか悩んでいる私の気持ちを察したのか、2月22日の私の誕生日には逝けないと思ったのか、苦しみのない最期でした。
あの時顔をあげて見つめてくれた顔は本当に可愛かったです。
大きな真ん丸の目で”ママ逝くね”といってくれたんだと思います。
私は今心は穏やかで後悔とか悲しいとかそういう感情はありません。
でも奥深いところで、亡くなったという事実に自律神経が故障して、クレアのことをいわれると涙が溢れてきます。
21日主人と一緒に動物病院に今までのお礼をしにいつもの駐車場にとめて車からでたとき、なんと表現していいかわからない感情に襲われて嗚咽してしまいました。
深呼吸をして気持ちを整えてから病院にはいったのですが、いつも病院で待っている間にお話を聞いてくれていた猫の保護活動をされている方に会って話をするとまた涙がでてきてしまいました。
一緒に涙してくれました。
院長先生に直接お礼と最期の話をしました。
緩和的手術をしたこと、自宅での点滴、麻薬パッチこれらがあったからクレアはいい最期を迎えられたと伝えました。
2月22日の誕生日に食事に行く予定でしたが、気持ちがまだ完全に戻ってないのでやめることにしました。
それで病院にお礼をしたあと、タルトを連れて横浜に行って気分転換してきました。
夜の横浜は素敵です。
春節だったから中華街もいい雰囲気でした。
タルトを店内に連れていけるお店があるので、そこで簡単な中華セットをとって普通に食事して帰ってきました。
気持ちが少しずつ穏やかになっていく気がします。
これからクレアと同じように闘病している方やこれからわが子に起こるかもしれない方に少しでも役にたてればと思い、クレアがしてきた治療や費用などを書いていくつもりです。
みなさんありがとうございました。