スポーツの試合は必ず敵味方がわかるように、ユニフォームの色を違えて対戦します。アメフトも例外ではありません。ルールではホームチームが色のついたジャージを着用し、ビジターチームが白いジャージを着用すること、となっています。本場アメリカですと、1部の大学には収容人員が10万人規模の専用グランドがありますので、そこで行われる試合では、ビジターが白ジャージ着用とはっきりわかります。
関東学生の場合は、大学グランドが観客席もない、ラグビーやサッカー、陸上などと共有のグランドを使用する上、一会場で2~3試合を行うため、基本的に前の年の順位で上位チームがカラー着用になっています。ですから、自分の学校のグランドでの試合でも白いジャージを着用する場合があるのです。

今回のお話しは、おそらく関東学生連盟でも過去に例がない試合のユニフォームに関するものです。
私達の頃は今のような1~エリアという分け方のリーグではなく、東京7大学、関東7大学、さつき、首都7大学、ローズの5つの並列リーグ方式でリーグ戦を行っていました。東京7大学は野球の東京6大学に下高井戸の不死鳥大学が加わった7校、関東7大学は八王子のアライグマ大学や深沢の体育専門大学、横須賀の士官学校などで構成され、我が雉達大学のリーグ加盟1年前に横浜の番犬大学が加わって関東8大学になっていました。3番目のさつきリーグが私達の所属するリーグで、綱島の稲妻大学、町田の三爪王冠大学、戸塚の聖者大学、目白の将軍大学、吉祥寺の元首相出身大学、O田急線の橙光線大学、M原団地の緑の怪物大学の7校に我が雉達大学が加わった8校でした。
チームカラーは稲妻、緑の怪物、雉達の3校が緑でしたので、先に紹介した運用に基づいて試合のセッティングをするのですが、ある勘違いからそれは起こりました。
当時のリーグ内での実力は稲妻大学が長らくリーグを制覇し続けており、新加入の雉達大学は前の年の最終戦で1勝を挙げただけ。その年の試合会場が稲妻大学グランドとなれば、誰がどう考えても相手がカラー、うちが白です。通常はそれぞれの学校の学生委員が連絡を取り合ってユニフォームの色などを事前に確認するのですが、その時にはお互いがそれを怠っていました。

試合当日、着替えを済ませ、グランドに出た両チームと審判は呆気に取られました。そう、両チームとも緑のジャージを着用していたのです。すぐに審判が両チームの学生委員を呼びました。
「お前らルールわかってるのか?」審判に問われ稲妻大学は「うちはホームで前年度順位も上ですから」と答えました。対する我が方は「稲妻さんのカラージャージを見たことがなかったんで確認しないでカラーにしました」といささか苦しい答弁でした。

幸い稲妻は黄緑に近い緑、我が方はダークグリーン、ヘルメットは稲妻が白で我が方が緑という違いがあったので、そのまま試合は行われました。
試合後、キャプテンから「もっときちんと連絡を取って審判に迷惑かけないようにしろ」とその学生委員が叱られたのは当然のことでした。

すでに皆さんお察しの通り、その学生委員とは私なのでありました(笑)

あなたの偽善者度はこんな感じ!

腹の黒さ  100%
知的偽善度  40%
勇気ある行動  72%
天使の光  100%

あなたの偽善者度は120%ぐらいで【真の偽善者級】です。

あなたは心の底からというよりも、腹の底から本気で腹黒くて、やること、なすこと、行動言動のすべてが偽善の塊のようです。
あなたと関わるあらゆる物事に裏の側面が隠されているでしょう。
ニコニコとした笑顔の裏にひそむ、ありとあらゆる陰謀。
しかし、その力も極めれば世界を制することができるかも知れません。笑顔は人間関係の潤滑油。
残念ながら、もう戻れないところにいるので、このまま偽善者道を極めてください。

あなたの偽善度アップアイテム

キラキラと白い歯の光る満面の笑顔


所詮人間なんてみんな偽善者ですよね(自爆)

しかし120%って・・・・・100%超えてるし・・・・

これを参考に偽善道を極めていくようにしましょう

今は昔の話しです。私達は筋力トレーニングを兼ねてオフシーズンにはお歳暮、お中元の配送センターで、仕分けのアルバイトをしていました。年末のお歳暮はまだ学校で授業がある11月下旬から忙しくなるため、アルバイトの合間に授業に出るという生活をしていました。
ある日の昼休みに休講の確認をしに配送センターから歩いて20分ほどの学校に行くと、正門の辺りに人だかりがしています。中には正門の内側に向かって怒鳴っている人の姿も見えます。元々ヤジ馬根性のかたまりのような私ですから、正門に走って行きました。クラスメイトも何人かいます。「なんかあった?」クラスメイトに聞くと「授業に出ようと思ってきたら、門が閉まってて中に入れないんだ」とのこと。確かに正門は閉ざされ、そこにはベニヤ板に殴り書きした立て看板が張り付けられていました。
立て看板には「学費値上げ断固反対!学長は団交に応じ、学費値上げを撤回せよ!我々はバリケードストライキを貫徹するぞ!!」という文字が踊っていました。怒鳴っていたのは体連執行部の先輩でした。「お前らは何の権利があってこういう違法行為をしているんだ。即刻門を開けろ」これに対して門の内側からは白いヘルメットにタオルで顔を隠した学生が「大学の不当な学費値上げに抗議した行動だ。諸君らも共に行動を起こそう」とアジっています。
1970年代の後半は過激な学生運動が終わりを告げようとしていた時期で、日大、早稲田、法政などの学生運動の中心になっていた学校では、このような直接行動は見られなくなっていました。流行に乗り切れないのが得意な我が雉達大学ですが、学生運動でも流行遅れでした。それも在学生には直接影響がない来年度入学生からが対象になる学費値上げが、このバリケード封鎖の理由でした。

その瞬間に私の脳裏に浮かんだのは、学生運動が華やかりし頃、学校が封鎖されて期末試験ができなくなった東大や早稲田の事でした。(これで封鎖が長引けば試験はレポートで済むかも)というお気楽な考えです。
もちろん体育会は体制側ですから、こういう不当で身勝手な行動に対する怒りもありました。先程門を挟んで怒鳴っていた体育会連合会の先輩が、近くにいた体育会系クラブのメンバーに声をかけました。「緊急体連会議をやるから、主将か副将に集まるように連絡してくれ」
携帯電話などまだない時代です。幸いアメフトの主将は私と同じ配送センターでアルバイトしていました。公衆電話を見つけ、配送センターの主将に連絡しました。ところが彼はアルバイト先の責任者でもあったため、抜けられないとのこと。揚げ句に当時主務をしていた私に代わりにその会議に出ろという指示までして電話を切りました。

会議は通常は教室でやるのですが、構内に入れないため、近くの喫茶店が会場になりました。体連委員長から今回の経緯が説明され、今後の対応策を話しているときに各部の意見を聞かれた私は、こう発言しました。

「うちの連中に防具つけさせて突撃させてもいいっすよ」

私自身はマジだったのですが、他の連中は冗談ととったようで、笑いが起きました。この日はしばらく様子を見るということで散会になりましたが、私自身は突撃にヤル気満々でした。

このバリケード封鎖は約1ヶ月後に機動隊の出動を見るまでもなく、解除され、翌年の期末試験は予定通り実施、学費値上げも滞りなく実行されました。何をやるにも中途半端な我が大学は、やはり中途半端な学校であったと再認識しました。

「ルージュの伝言」合宿の1週間ほど後に、私達にとって初めての後輩となる新入生を迎えました。
我が雉達大学は当時全学でも3000人程度、うち半分が女子という小規模な学校でした。つまり、新入生の男子は体育会系クラブにとっては一人でも多く確保したいところだったのです。
新入生勧誘のために、文系クラブにガリ板を借りに行かされたのは私でした。実はこのことが、私の就職に大きな影響を与えることになるのですが、それはまた後日お話ししましょう。

ビラを作り、勧誘用の教室を借り、学校正門に近いところにテーブルを設置して入学式にやってくる新入生に片っ端から声をかけていきます。
この年は最初の1週間で10人以上の新入生が仮入部してくれました。中には1浪して入学してきた高校の同級生もいました。
キャプテンは昨年からバックスのIさんが勤めていました。この先輩は高校時代はサッカー部でフォワードをやっていたバリバリの体育会系の人です。アメフトは基礎体力がついていないと、大怪我をしてしまうスポーツなので、基礎体力のトレーニングは重要です。ところがこのトレーニングは一番退屈で一番キツイものなのです。

例年のことですが、基礎トレーニングの最初の1ヶ月で一人抜け、二人辞めて春のシーズンが終わる頃には10数人いた新人が4人にまで減っていました。
いくら去る者は追わずと言ってもアメフトは人数勝負の部分があることは事実です。これ以上1年生を辞めさせてはならない、と新2年生の私達は思っていたのですが、夏の練習開始の日に残る4人のうち1人が自宅のある東北から東京に戻らず、そして、その時がやってきました。

夏の練習も最初は体力トレーニングから始まります。しかし、初日にやってきた1年生3人のうち、1人は着替えもせず、練習をベンチで見ていました。

練習が終わり、倉庫兼部室にマネージャーも含めた全員が集まりました。「Mが辞めたいと言っている」。キャプテンのIさんが伝えました。彼は関西の出身で、音信不通になったもう一人のように夏休みの間、自宅にいれば、自然消滅できたのでしょうが、スジを通すためにわざわざ練習初日に出てきたのでした。
「なんで辞めたいんだ?」と言う一番答えづらい質問に、彼はこう答えました。


「僕、いやですぅ」と。

この話しには後日談があります。彼は1年後に戻ってきました。事情を聞くと、体育会系が服を着て歩いているような先輩についていけなかった、そしてその先輩が卒業したので戻ってきた、とのことでした。

彼は4年の時にはキャプテンまで勤めました。卒業後、たまにOB会に顔を出しますが、例の代の先輩達とはいまだに話しづらそうにしています。

 19日、秋田連続児童殺害事件で殺人と死体遺棄の罪に問われている畠山鈴香被告(35)の判決公判が行なわれた。

 初公判の時には傍聴席を求めて2500人以上の人々が集まったこの事件。今回は判決ということで3000人近くもの人々が集まり、事件への高い関心を抱いているという印象を抱かせる。

 だが、並んでいる人々が純粋に関心を持って傍聴席を求めていたかというと少々疑わしい。

 「今回は初公判以上にメディアに雇われたアルバイトの人間が来ていましたね。100人くらいの人間を雇って席を確保しているところもあって、流石に今回は気合いが入っているなと思いました」と話すのは某新聞社にアルバイトとして雇われた男性。

 「初公判の時には純粋に裁判を傍聴したいと来ていた人たちも結構いましたけど、今回集まった人間のほとんどはアルバイトじゃないかな。傍聴席の抽選が終わるなり、どこのメディアもアルバイトの人間を集めて『当選した人は手を挙げて下さい』って声を掛けたら大体の人がどこかに集まっているんですよ。初公判の時にはひっそりとやっていたものですが、今回はかなり堂々とアルバイトを集めていましたね。どんなに少なく見積もっても並んでいた半分以上はアルバイトだったと思います」。

 どこかのテレビ局のリポーターが裁判傍聴のために集まった人数について「人々の高い関心が~」と現場で述べていたそうだが、その半数以上が自分たちが用意した人たちだと言うのだから言葉がない。

 ちなみに、被告が控訴したためまだまだアルバイトの需要はある模様。


ある意味当事者でしたので、あまり多くは語れないのですが、今回の鈴香裁判は人数の多少はありましたが、毎回こういう状況で推移していました。

上の記事では「100人くらい・・・」と報じていますが、100人は少ない方でしたよ。ある民放は、ニュースの報道用に100数十人並んだほかに、ワイドショーで同じくらい、別の番組でも同じくらい並んでいたとの話もありました。国営放送さんに至ってはその民放さんの合計と同じくらいの人数だったとの噂も・・・・・


その行列をカメラで映して放送したり紙面を飾るわけですから、まさしくマスターベーションの世界でしょうねww


最終行にある「控訴したため・・・」については、高裁での審議というのは地裁での審議を確認しながら進みますので、公判の間隔も開いたり、証人が出廷する機会が少ないため、これまでのように何百人も行列を作るということはないと思います。