ブログネタ:プライスレスな海外旅行の思い出 参加中

春のシーズンと秋のシーズンの間には楽しいバカンスシーズンがあります。ひと夏の経験は誰もが憧れることなのは、今も昔も変わりません。だからといって外国に渡航するようなヒマも金も学生にはありません。
「海外」とはいっても海の外、南の島での雉達のお話しです。

6月最終日曜日にOB戦を終えると、8月頭の練習開始まで夏の合宿費用やバカンスの費用を稼ぐため約1ヶ月アルバイトに勤しみます。その間に南の島のバカンスをプランニング。その年は沖縄に飛んで、そこから与論島に渡ることになりました。
私と1つ下のOは初参加、残りの5人は前の年に続いてのバカンスでした。前の年には同期でキャプテンのTが旅行中に「卒業」したというエピソード付きの旅行でもありました。
関東地方の梅雨が明けたある日が出発日でした。実は私はそれまで飛行機に乗ったことがなく、「鉄の塊が空を飛ぶ」ことを信じていませんでした。
機内は完全にリゾート気分に満ちていました。男も女もこれから起こるかもしれないアバンチュールへの期待でみなワクワクした雰囲気でした。
そんな中で、私は一人だけシートベルトをしっかり付け、ひじ掛けを両手でにぎりしめ離陸に備えていたのでした。初体験となる離陸の浮揚感にチビりそうになり、両手はじっとりと汗ばんでいました。
禁煙ランプとシートベルトランプが消え、ほっと一息ついた時に、それは起こりました。

中学から柔道一筋、大学入学時にも坊主頭だったマジメが服を着て歩いているようなキャプテンのTが、おもむろに席を立ちました。ジャンボ機の狭い通路を183㎝の大きな身体で行ったりきたりしています。(なにやってんだろう?)と思っていたら、あるところで立ち止まりました。

「ヘイ彼女ぉ」

そうです。目的地に到着する前に、ナンパを開始したのでした。前の年に女性に目覚めたTのそれまでの彼からは想像もできない姿でした。Tに触発されたように、例のSや後輩のMも活動を開始、機内はナンパ天国と化していきました。
え?私ですか?信じられないでしょうが、私は初対面の女性とは、満足に会話ができない人見知りな面があるのです(自爆)

結局その旅行では、一緒に行った7人のうち、予約した民宿に全員が宿泊した日は一日もなく、毎夜誰かが違う宿で泊まっていました。SとMに至っては与論島に向かうフェリーでナンパした2人組の宿泊先であるホテルでずっと過ごしていました。

楽しくもほろ苦い学生時代の「海外」旅行の思い出です。
体育会系のクラブにはシーズン前に合宿してそのシーズンに備えるという慣習があります。
我が雉達チームは、春にも学校から離れて合宿をしていました。私達にとって初体験となる合宿は九十九里でした。
1年生の最終戦で膝の靭帯を断裂、リハビリ中だった私は半分マネージャーのような立場で参加していました。

我がチームの第1期生である4年は留年した先輩以外以外が抜け、1年は入学前ということで、総勢で15人くらいです。観光会社に就職した先輩が入社前だというのにバスの手配をしてくれ、合宿地に向かいました。BGM用のラジカセを持参したのは、例のSでした。
当時流行っていた曲をいろいろ録音したテープを合宿中の楽しみに持ってきた、とのことでした。これを練習の始まる前に1年部屋で流し、きつい練習開始の合図になりました。

そのカセットの先頭に入っていたのが、「ルージュの伝言」でした。朝の起床時間である午前6時半、午前・午後の練習開始30分前の一日3回「明日の朝ママから電話で叱ってもらうわ、マイダーリン」を聞きながら活動を開始したのでした。

4泊か5泊の短い合宿でしたが、さすがに少人数だとキツイ内容だったので、合宿が終わり、学校に戻る帰りのバスの中では、みんなかなりハイになっていて、全員が大声で「ルージュの伝言」を合唱しました(笑)

合宿のテーマ音楽は、この後も「ロッキーのテーマ」、「傘がない」など私達の代がつねに提供していましたが、やはり強烈な印象が残っているせいか、今でもこの曲を聞くと九十九里の合宿を思い出します。
ブログネタ:卒業式の思い出、教えて! 参加中
一緒に同じスポーツをやってきた先輩達が卒業するのは、悲しい別れの時ですよね。不幸なことに、卒業単位を取得できなかった先輩を除けば、毎日「ちわっす」と挨拶していた人とたまにしか会えなくなるわけですから。
どこのクラブでも、卒業生を送る「追い出しコンパ」は新入生歓迎コンパと並ぶ重要な行事になっています。
私達の代と一番長くお付き合いいただいた1つ上の先輩達の追い出しコンパで、それは起こりました。
先に登場いただいたセンターのKさん、身体の柔らかさでは歴代トップだったOさん、東京の中心で貸しビル業をしているUさん、試合中ディフェンスの時には「止めてぇ」といつも絶叫していたマネージャーのMさんの4人です。
金のない学生のコンパですから、近くの居酒屋で開催し、最後は恒例の胴上げを私達以外誰もいなくなった大学構内でやることになりました。
みんな酔っ払っています。キャプテンから順に胴上げし、3回上げた後は誰かが支えつつ地面に落とすという乱暴な送別の儀式でした。
最後のマネージャーのMさんの番になりました。おなじように3回上げ、誰かが支えるものと思いながら、手を離したのですが、そこには誰の手もありませんでした。
胴上げしていた場所も少しずつ移動しており、悪いことは重なるもので、そこは石畳の上でした

「ゴツンッ」

鈍い音とともに、Mさんは石畳に落下しました。あわてて駆け寄る後輩達。「痛ぁい」と言う声とともに、泣き顔で立ち上がるMさん。一気に醒めていく酔い。

幸い大事には至りませんでしたが、翌年の私達の追い出しコンパでは、胴上げはありませんでした。
私達の「雉達」大学は目白の「将軍」大学と吉祥寺の前首相出身大学、それにO田急沿線の「橙光線」大学とともに旧制の私立高校として、昔から仲のいい学校です。アメフトの創部は私のところが一番後でしたので、関東学連に加盟申請をする際には他の3校から推薦をいただきました。
同時に申請していたのが、今年から1部に昇格した「青い潮」大学でした。連盟から、正式加盟前に対戦せよ、との指示があり、駒沢補助グランドで対戦することになりました。
秋晴れの土曜日、試合が行われました。展開としては我が「雉達」が前半だけで22点を入れ、ハーフタイムには当時1年生だった私達にも「後半は出すぞ」との嬉しいお言葉が先輩から出されるほどでした。

後半開始直後の「青い潮」の攻撃を抑え、うちの攻撃になった時に、それは起きました。

敵陣に入り、いい調子で攻めていた第3ダウン、ロングパスが投げられ、レシーバーはディフェンスと競り合いながらグランドに落ちました。アメフトの場合、同時キャッチはオフェンスボールというルールがあり、パスは成功だったのですが、キャッチした近くに反則発生を表すイエローフラッグが落ちていたのです。

こういう時に考えられる反則は、パスをキャッチする時の妨害行為です。もし、攻撃側の反則なら、今のパス成功は取り消されてしまいます。フラッグを出した審判が主審に反則の内容を告げているのをベンチは固唾を飲んで見ていました。

その時です。「雉達」チームの初代監督に就任いただいた駿河台の「鳥神」大学出身のT田さんが「おい、なんであいつがあんなところにいるんだ」と反則地点付近を指差しました。ベンチの全員がそちらを見ると、背番号54をつけた2年生のセンターがパス成功地点にいるではありませんか。

アメフトでは一回の攻撃で一回だけ前パスができるのですが、攻撃側の50から79までの背番号をつけた「ラインメン」はパスが投げられるまではその攻撃が始まった時にボールが置かれていたところより前に出られないというルールがあるのです。これを犯すと、そのプレイは取り消された上、次の攻撃地点を後退させられてしまいます。

主審の反則コールは予想通りその反則でした。パスは取り消し、攻撃地点は下げられて、「雉達」チームは得点チャンスを逃しました。

これで攻撃の歯車が狂ったのか、後半は相手の得点こそ許さなかったものの、我が方も得点できないまま試合は終わりました。

勝った試合なのに試合後4年生の先輩は「うちの負け」と言ってました。もちろん我々1年生の出番はお預け。きっかけを作った2年生の先輩は、4年生の先輩の言葉を聞きながら、試合に呼んでいた彼女を探していました。

初めて酒を飲んだのは高校2年の時でした。親父が下戸で自宅で晩酌という習慣がなかったせいで、ほとんど酒には縁のない生活を大学に入るまで続けていました。

「今日から俺も大学生、大人の仲間入り」と気持ちも新たに学校の門をくぐった瞬間に、高校の2級上の先輩に捕まってアメフト入部が入学式より先に決まったのです。





最初の筋力トレーニングでへたっていた頃に、新入生歓迎コンパが開催されました。


このお話は、そのコンパの後に起こった、世にも不思議な物語です。





コンパでは、1年生が上級生のところに行って、おちょこで日本酒を「駆けつけ3杯」をいただくという儀式がありました。最初に書いた通り、私はまともに酒が飲めない状態で先輩のところに行きました。よりによって当時の4年は10数人おり、彼らのところを回ってすでに私のアルコール濃度は目いっぱいになっていました。3年が4人、2年が4人と人数は少なかったのですが、全部回り終えたところで、私の目は回りまくっておりました。私が最後だったので、新入生歓迎コンパは1次会がそこでお開き。飲み足りない先輩方は2次会の飲み屋に繰り出し、私達は、同じ方向に帰る先輩と酔いを醒ますために近くの喫茶店に行きました。





天地がぐるぐる回っていました。次に来るものは、皆さんよくご存知のリバースです。


喫茶店の床を思いっきり汚して、出すものがなくなっても、まだえずいておりました。


しばらくして、多少落ち着いたのでS武線のE古田駅から下りの電車に乗り、帰途についたのでした。体操着などが入った小さな手提げバッグが異様に重くなっていました。酔眼で中を見るとなぜかビールの大ジョッキが2つ入っていました。2つめの駅で先輩が下りのホームのベンチに反対方向に帰ったはずの2年生の先輩を発見、同じ電車に収容しました。私の記憶があるのはここまでです。



気がつくとすずめのチュンチュン言う鳴き声に目が覚めました。見知らぬ和室に布団が敷いてあり、隣には逆方向に帰ってしまった先輩がいびきをかいています。


布団の中でごそごそしてると4年の先輩がふすまを開けて「おはよう」と入ってきました。「先輩、ここどこっすか?」「俺の家だよ。お前相当酔っ払ってたから、俺んちに泊めた」「すんません、どうやって先輩のお宅に来たのか覚えてません」などと会話をかわし、最悪の夜は終了しました。



翌年から新入生歓迎コンパでの「かけつけ3杯」は禁止になりました。なにか芸をさせるということになったのですが、そのまた翌年、入ってきた1年生に芸を命じると「自分はなにもできないので、一気飲みをやります」と言って、1升瓶に半分ほど残っていた日本酒を一気飲みしたのにはあきれました。