「ルージュの伝言」合宿の1週間ほど後に、私達にとって初めての後輩となる新入生を迎えました。
我が雉達大学は当時全学でも3000人程度、うち半分が女子という小規模な学校でした。つまり、新入生の男子は体育会系クラブにとっては一人でも多く確保したいところだったのです。
新入生勧誘のために、文系クラブにガリ板を借りに行かされたのは私でした。実はこのことが、私の就職に大きな影響を与えることになるのですが、それはまた後日お話ししましょう。

ビラを作り、勧誘用の教室を借り、学校正門に近いところにテーブルを設置して入学式にやってくる新入生に片っ端から声をかけていきます。
この年は最初の1週間で10人以上の新入生が仮入部してくれました。中には1浪して入学してきた高校の同級生もいました。
キャプテンは昨年からバックスのIさんが勤めていました。この先輩は高校時代はサッカー部でフォワードをやっていたバリバリの体育会系の人です。アメフトは基礎体力がついていないと、大怪我をしてしまうスポーツなので、基礎体力のトレーニングは重要です。ところがこのトレーニングは一番退屈で一番キツイものなのです。

例年のことですが、基礎トレーニングの最初の1ヶ月で一人抜け、二人辞めて春のシーズンが終わる頃には10数人いた新人が4人にまで減っていました。
いくら去る者は追わずと言ってもアメフトは人数勝負の部分があることは事実です。これ以上1年生を辞めさせてはならない、と新2年生の私達は思っていたのですが、夏の練習開始の日に残る4人のうち1人が自宅のある東北から東京に戻らず、そして、その時がやってきました。

夏の練習も最初は体力トレーニングから始まります。しかし、初日にやってきた1年生3人のうち、1人は着替えもせず、練習をベンチで見ていました。

練習が終わり、倉庫兼部室にマネージャーも含めた全員が集まりました。「Mが辞めたいと言っている」。キャプテンのIさんが伝えました。彼は関西の出身で、音信不通になったもう一人のように夏休みの間、自宅にいれば、自然消滅できたのでしょうが、スジを通すためにわざわざ練習初日に出てきたのでした。
「なんで辞めたいんだ?」と言う一番答えづらい質問に、彼はこう答えました。


「僕、いやですぅ」と。

この話しには後日談があります。彼は1年後に戻ってきました。事情を聞くと、体育会系が服を着て歩いているような先輩についていけなかった、そしてその先輩が卒業したので戻ってきた、とのことでした。

彼は4年の時にはキャプテンまで勤めました。卒業後、たまにOB会に顔を出しますが、例の代の先輩達とはいまだに話しづらそうにしています。