ブログネタ:ビールに合うつまみは? 参加中

前にも書きましたが、S武線のE古田駅は学生街です。高級な飲食店はないリーズナブルでごみごみした所です。

学生最後のシーズンが終わり、就職活動も期末試験も終えた私達は、卒業式を待つばかりでした。
E古田駅前の餃子専門店のマスターが、私たちの送別会をやってくれると申し出てくれたのは、卒業式を間近に控えた、まだ春とは名ばかりの3月初旬のことでした。私の同期はみな175cm以上あり、当然大食漢。そんな奴らに食べ放題でもてなしてくれるというありがたい申し出でした。前回主役だったAはすでに就職のために実家の岐阜に戻っており、一番練習が好きだったKは留年が決定ということで、この食べ放題に参加したのは、1年はTE、2年はQB、2年の秋からはGとDEとなっていたSD、キャプテンに指名されて、プレッシャーのあまり、N暮里の駅でリバースして学校に来られなかったT、私のブログの一番のネタになっているSと私の4人でした。
お店は私たちのために貸し切り。飲み物はビールだけ。つまみはひたすら餃子。午後6時過ぎに始まった食べ放題は、ビールのジョッキを片手に焼きたての餃子が次々にテーブルに並びます。酒の弱い私は、ビールをちびちびやりながら山盛りの餃子を消化していきました。
まだ卒業していないのに話題は1年の時から最後のシーズンまでの試合の話しや練習中の話しばかり。自分も含めて本当にフットボール馬鹿だなあと感じた一晩でした。

結局私が50個くらい、大食漢のSDは一人で150個近く食べ、他の2人が100個ほどを胃の中に入れました。
5年程前に、現役が2部昇格を果たした試合の写真を校友会報に載せてくれるというので、学生課まで持参した際、25年ぶりにE古田に行きました。駅前も町並みも変わってしまい、遠くなってしまった昭和に思いを馳せたのでした。
ブログネタ:はずかし~い話聞かせて! 参加中
八幡山にグランドがある鳥神大学出身の監督が就任して2度目の夏合宿は、お互いに人数の少ない鳥神大学と合同で行いました。場所はI城県のH立にある、元H立のグランド付きの宿泊施設でした。

1週間前に現地入りしていた鳥神チームは、やはり実力の点で我々とは段違い。集中の仕方も凄いものがありました。ある日の午後の練習開始前、我々は時間ぎりぎりまでキャッチボールをしたり、マネージャーと話したりしていたのですが、鳥神の連中は、なにもせずにダミーに腰を下ろして雑談しています。ただ1年生と思しき一人がグランドの入口付近で通路を見ていました。しばらくすると彼が「おやじです」と雑談している連中に報告、途端にやたらハードなビフォーの練習が始まりました。そう、あのN御大がグランドに来るのを1年生に見張らせていたのです。その後の彼らの動きのテキパキしていたこと、切り替えの凄さに感心したものです。今回のお題「恥ずかしい話」は、私が当事者ではないのですが、そんな合同合宿で起こりました。

当時の鳥神には女子マネージャーはおらず、男所帯。対する雉達には3人の女子マネージャーが合宿に帯同していました。元々H立の鉱山の寄宿舎だった施設なので、風呂場はやたら大きなもので、練習後の開放感から、みなフルチ○で出てきます。洗濯物を回収すべく、風呂場の前の管理人室で待機している雉達マネージャーは目のやり場に困っていました。2~3日で慣れてしまったのですが(笑)これがお題ではありません。

宿泊の部屋は、我々プレイヤーには個室が割り当てられていました。マネージャー達は8畳ほどの和室が与えられ、ケガの治療や消灯までの雑談部屋になっていました。朝夕が涼しいとはいえ、日中は30度近い気温です。当然ムレる部分はムレてきます。男の場合には余計なものをぶら下げている回りがイン○ンという状態になって、非常な痒みを伴います。先輩などは練習後に「日光消毒」と称して患部を直接陽に当てていました。同期のAは、この年ひどいイン○ンに悩まされていました。彼はヘルニアを患っていましたが、「逆療法」だと言ってひたすら練習を積み、完治させてしまった剛の者でした。ただこちらの痒みにはどう対処しようもなく、早く治したい彼は究極の方法を考え出したのです。

今は使われなくなった傷の治療薬に「ヨーチン」という塗り薬があります。赤チンに比べて傷の完治が早く、擦り傷、切り傷がしょっちゅう発生するアメフトにはなくてはならない常備薬でした。ただし、オキシフルの何倍も傷口にしみるものでもありました。

Aはヨーチンの即効性に着目、傷が治るならイン○ンにもきくと考えたようです。場所は薬が置いてあるマネージャー室。雑談していた最中に、おもむろにズボンを下ろし、患部にヨーチンを塗り始めたのです。部屋にいたのは我々の同期数人と後輩が2人。赤くなっている患部がヨーチンの茶色に染まっていきます。当然しみます。物凄い形相になったAは、後輩のYに向かって股を開き、叫びました。

「吹け、吹け~」

先輩の指示に逆らえるはずもなく、YはAの股倉に顔を突っ込んで「フーフー」とひたすら患部を乾燥させるべく吹き続けたのでした。これには目を背けていたマネージャーも大爆笑、Aは苦悶の表情を浮かべ、Yは顔を真っ赤にして吹き続けていました。
ブログネタ:アルバイト恋愛したことありますか?
参加中







学生時代のアルバイトといえば、4年間お中元とお歳暮の時期にE古田駅とH長崎駅の間にあったS武デバートの配送センターでの仕分けしか経験がありません。オフの時期にも重い荷物を持ち運びすることで、ウエイトトレーニングの代わりになるという発想だったのでしょうか。今回のお題「アルバイト恋愛」らしきものは、この配送センターで起こりました。




その年は例年になく配送センターでのアルバイト希望が少ない年でした。その頃には私はバイト先の現場責任者として、人繰りなどを任されていたのですが、なかなかうまく集まらず、3つ下の妹も臨時に動員するなどして人をやりくりしていたのですが、ついに人材が払底してしまいました。お歳暮のシーズンでしたので、学校は授業をまだやっていました。昼休みに学校に行き、友人にバイトしたい人を募集していることを伝えると、いるものですねえ。一人、しかも女性が応募してくれました。履歴書なんかは必要としない、私の一存で即採用。翌日から現地にきてもらう約束で契約成立です。




ところが、この女性、先に書いた「突撃してもいいっすよ」で学費値上げ反対を訴えて学校をバリケード封鎖した女性闘士だったのです。言ってみれば呉越同舟。バリケードを挟んで内と外にいた人間が同じベルトコンベアの上を流れてくるお歳暮群を見つめて、自分のエリアの荷物をピックアップするわけです。高校時代に新聞部にいて、割合左がかった思想にも理解がある私でしたが、当時はコテコテの体育会です。(採用しなければよかった)などと後悔しながらバイトを続けていました。最初のうちは必要最低限の会話しか交わさずに。


それでも朝9時から夕方5時まで顔を付き合わせているわけですから、徐々にではありますが、世間話などもするようになりました。話しているうちに、(なんだ、普通の女の子じゃないか)と思うようななり、それがほのかな恋心になっていきました。

まさに「昨日の敵は今日の友」ってやつでした。

結局この恋は実ることなく終わりを告げ、1学年上の彼女とは学校で会っても言葉を交わすことはありませんでした。まあ、大学入学以降彼女のいなかった私にとっては、焦ってる気持ちが身近な女性に恋心を抱かせたんだと、負け惜しみをして自分を納得させています。
ブログネタ:飲み会のお店選びのコツは?
参加中




体育会の飲み会は、決しておしゃれなものじゃありません。要するに酒が飲めればいい訳で、20人前後が収容できて、多少騒いでも怒られないところが条件になります。我が雉達のホームタウンS武池袋線のE古田駅前は、雉達大学のほかに不死鳥大学の芸術学部、M蔵野音大があり、それぞれ少人数の学校ですが、飲み屋さんはいくらでもあります。もちろん、ハイソ(死語かな?)なM蔵野音大は、居酒屋なんぞで見かけたことはありません。駅の南口が雉達、北口が不死鳥芸術と一応のテリトリーが分かれていました。




先にご紹介した私達の代は6人。私以外はみな175cm以上ある大型で、私だけが平均身長を下げる役目を担っていました。当然酒の量もみな大量。下戸の私はいつもニコニコ笑いながら割り勘でお付き合いをしていました。

そんな私でも、夏の練習の後はビールが飲みたくてしょうがないものでした。練習が終わると誰が言うでもなく、「行くか?」ということになって、連れ立って駅前に繰り出します。もう70歳を過ぎているであろうオバちゃんが一人でやっている6畳くらいの小さな焼き豚(やきとん)屋さんが行きつけでした


「おばちゃん、500円通しね」

お金のない学生にとって、こういうお店はありがたいものでした。大ナマ1杯と串焼きが3本。所要時間は10分くらいのものですが、話しに花が咲いて長っ尻になります。頃合いを見計らってオバちゃんの声が飛びます。「500円分、終わったよ」・・・今夜のミーティングの終了を告げる天の声で、みな家路につくのでした。

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ブログネタ:桜を見るならどこで見たい? 参加中

神戸で生まれて、名古屋、横浜経由で東京都下で大学卒業まで暮らし、会社に入ってからは、福岡、横浜、岡山、仙台、埼玉、秋田と転居を繰り返してきました。
それぞれに桜の名所がありますね。順を追ってご紹介してみましょう。

神戸では須磨浦公園かな?神戸の花の名所100選にも選ばれているそうです。私自身は、1歳ちょっとまでしか暮らしておりません。母方の親戚はみな神戸在住ですので、昔は夏休みになるとよく遊びに行っていました。近くに須磨の水族館があって、小学校2年生の時に書いた「須磨の水族館」という夏休みの作文が名古屋のラジオ局でなんとか賞をいただきました。

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次に住んだのが名古屋でした。最初は瑞穂競技場の近く。しばらくして今の名東区の虹ヶ丘というできたばかりの団地に引越しました。ここは山崎川沿いの石川橋から新瑞橋までの約2.8kmの間に600本の桜があるそうです。私は行った事がありません。

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小学校4年の2学期に横浜の港北区、綱島に転出。12月末までの短い期間でしたが、PTA会長の息子がクラスの中で権力を笠に威張っているのが気にいらなくて運動会の予行演習の時に殴り合いのケンカをして、会長贔屓の担任に私だけが怒られたという、あまりいい思い出のない場所です。ここは桜というよりは四季を通じてみんなが訪れる「三渓園」がお勧めでしょう。マッカーサーが厚木に降りて最初に泊まったホテルとして有名な「ホテル・ニュー・グランド」の創設者である原三渓の自宅であったところで、うちの娘も1歳になるやならずのときにひなたぼっこを兼ねて軽いハイキングにでかけたものでした。

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東京、埼玉はみなさんよくご存知でしょうから省きます。

生まれて初めて一人暮らしをした福岡は、私の第二のふるさとです。とても住みやすいところで、もう一度希望先に転勤させてもらえるなら迷わず福岡を指名します。ここのお勧めは西公園。博多湾に突き出た丘陵地にある公園です。大濠公園の名称の方が地元にはおなじみでしょう。NHKの福岡放送局がこちらにあります。社会人1年生の私にとってはロマンスとは無縁の土地でした。

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最初の3年間を単身赴任、家族を呼び寄せてからあと2年を過ごした岡山も忘れられない土地ですね。下の娘が小学校に入学するタイミングで家族を呼び寄せたのですが、その下の娘は近所の友達と30分も遊んでいたらしっかり岡山弁でしゃべってました(笑)。上の娘は4年に進級する年で、抵抗もあったのでしょうか、岡山の2年間で岡山弁はついに話しませんでした。
ここは桜の名所だらけです。足利尊氏に都を追われて隠岐に配流された後醍醐天皇が日本海に抜ける途中で愛でたという「醍醐桜」を筆頭に、わがルーツの一族が藩主であった県北にある津山城の鶴山公園、岡山市内だけでも後楽園、岡山城、半田山植物園などなど。その中でも一番思い出深いのは旭川の河川敷です。夜はまだ寒いくらいの中を焚き火しながら会社の花見をしたり、休みの日に会社の連中とバーベキューをしたのも、岡山県庁から徒歩3分の旭川河川敷でした。


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桜の名所案内、東北はまだ開花にも至りませんので、別の機会に「秋田春景色」としてご紹介しましょう