ブログネタ:好きなテレビ番組は?
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鉄腕アトムや鉄人28号を白黒テレビで見て育った私達が、ウルトラマンシリーズを経て、ワクワクしながら見ていたのが「宇宙戦艦ヤマト」でした。私の現役時代に始まったヤマトは、雉達のほとんどが見ていました。月曜日は基本的に練習が休みなので火曜日の練習前には「地球滅亡まであと○○日」のエンディングとともに日曜日の夜の感想をみなてんでに話してから練習に臨んだものでした。今回のお題「好きなテレビ番組」は、このヤマトに関したお話です。




アメフトの練習は、まず10ydsダッシュから始まります。ついでダミーを使ったブロックの練習、one on one や マシンガンドリルなどがあって、終盤にオフェンス、ディフェンスに分かれてスクリメージと呼ばれる実践練習があります。みな本気でぶつかりますので、気合も入りますし、ケガをすることもあります。ただ、実践練習はしておかないと本番の試合の間隔が養えませんので、この練習は欠かせません。試合と同じようにハドルを組み、自分のチームのプレーをQBがコールしてディフェンスと対戦するわけです。




みな真剣にQBのコールを聞き、ハドルを解こうとしたそのときでした。RBの1年上のU先輩が一言言いました。




「波動砲っ」




何のことかとみな首を傾げましたが、そのままプレーに移りました。プレーはそのU先輩がボールをもって走るランニングプレイでした。ハンドオフをQBから受けたその瞬間、U先輩の後方で「ブっ」っという音が発生しました。そうです、波動砲というのは落語でいう転失気(てんしき)、要するにおならでした。U先輩は転失気の威力でぐんぐん加速していきました。緊張した練習の中に、爆笑が起こりました。こういう練習もありですよね?忙中閑ありな練習風景でした。




もう一つ、当時みんなの話題を独り占めしていたのが「俺たちの旅」でした。中村雅俊、田中健、秋野太作のトリオが井の頭公園や吉祥寺で繰り広げる青春ドラマでなぜか大学の体育館は目白の将軍大学の体育館を使ってました。このエンディング曲「ただ、お前がいい」には、別の思い出があるのですが、それはまた次の機会にお披露目します。
ブログネタ:カレーには福神漬け? ラッキョウ? 参加中
アメフトのプレイヤーってのは、やたら大食漢というイメージがありますよね。まさにその通りです。高校時代は新聞部とブラスバンドの経験しかない私にとって、しんどい練習もさることながら、合宿での食事は驚異でした。最初にそれを実感した1年の夏合宿の出来事です。

合宿場所はG馬のK津温泉の近くでした。総勢30人を越える大所帯での合宿は、1年だけでも10人。一番大きな部屋に雑魚寝で、もちろん万年床です。練習前には用具を揃え、先輩達より先にグランドへ行き、練習が終わればボール磨きや後片付けで一番最後にグランドから出るのが1年の義務です。朝から晩までアメフト浸け、最初の2~3日は筋肉痛で少食になりますが、身体が慣れてきたころ、それは起こりました。

高校時代はバトミントン部で、おそらく雉達チーム歴代No.1の女好きだろうと思われるSDが丼飯を早々と平らげました。

「おかわりっ」

一杯の丼飯ですら辟易していた他の1年を尻目に、SDは2杯目もあっという間に平らげました。結局その日の晩飯は5杯の飯が彼の胃袋におさまりました。

合宿最終日、午前中でグランドでの練習は終わり、午後の出発を待つ前の最後の昼食はカレーでした。さすがに大食いのSDでも、カレーのルーが無ければおかわりはしないだろうと想像した私達は、その直後に我が目を疑うことになりました。3杯程おかわりをして、ルーがなくなったカレー皿にSDはなおも飯をよそっていたのです。そして自分の席に着くと、大きな椀に入っていた福神漬けをこれでもかというくらい飯の上にのせ、4杯目のおかわりを平らげたのでした。マネージャーも含めれば30人以上いた食堂はシーンと静まり返り、SDのスプーンと皿がたてるカチャカチャいう音だけが響いていました。
ブログネタ:どうしても取り戻したい落し物ある?
参加中




ついに「雉達」シリーズが20回目を迎えました。「私の59秒の真実」や未完の「テキサス道中記」に比べると、ショートショート的なものなので、書きやすいってことと、現役時代のエピソード紹介なので記憶のあるうちに書いてる感じですね。最近はブログネタに無理やり合わせて私小説仕立てにしちゃってるところもあるんですが。まあ、シーズン始まるまでのつなぎ程度に考えて、軽くお読みくださいませ。今回のお題「どうしても取り戻したい」は、決して「愉快な」話しではありません。私とアメフトの付き合いをこれほどまでに長くしてくれた忌まわしい出来事です。




生来身体が硬くて、前屈なんかはまともにつま先に手が届かないくらいの硬さだったのですが、入学式で高校の先輩に出会ったのが運のつき、あっという間に雉達の仲間入りをさせられ、秋のシーズンの最終戦で迎えた新人戦での出来事でした。この年は関東学生連盟に準加盟という扱いで、1部に行った青波、宗教系の青獅子、日吉の一角獣とオープン戦を行い、11月に駒沢第二Grで目白の将軍と新人戦を行うことになりました。4年が抜けて1年が初スタメンとなる最初の試合です。私は左のCBでした。




将軍には中高の同窓生がおり、高校時代からプライベートで経験があった彼はすでにリーグ戦デビューも果たしていました。私は高校まで文化系のクラブ経験しかなく、それまではキックオフのチャージで何度かグランドに立った程度。緊張もしていたのですが、その瞬間はあっという間に訪れました。




第1Qの終盤、チビの私でしたが相手のパスにはきっちりマークができて、私サイドでのパスの成功はなく、オープンへの上がりもそこそこでロングゲインも許していなかったのですが、そのプレイの時には、プルアウトしてきたガードがノーマークで私に向かってきました。ボールキャリアが見えていたせいもあるのですが、思いっきりオープンサイドに上がった私を待っていたのは、そのプルアウトガードのひざへのブロックだったのです。




「ブチッ」




っといやな音が自分のひざからしたのを今でも覚えています。続いて感じたとてつもない痛み。私は転げまわってかろうじて自分のベンチ側のアウトオブバウンズに出ました。マネージャーがあわてて近寄ってきてひざを冷やしてくれるのですが、痛みは去りません。立ち上がろうとしたら、ひざが内側に曲がる感じで、立つことができませんでした。そう、アメフトでは一番ありがちなひざの靭帯の断裂でした。




土曜日だったこともあり、自宅までSの車で送ってもらい、日曜日は一日自宅で寝ていたのですが、月曜日の朝には、私の左ひざ付近は丸太棒のように腫れ上がっていました。診察を受けた病院では、浣腸をするような大きな注射に1本以上の血がひざから抜かれ、そのまま入院。そのとき以降、半分マネージャー、半分プレイヤーの学生生活を送ることになるのです。




それがきっかけで、私はルールを覚え、プレイヤーに復帰するまではオープン戦の審判などをして、3年の時には学連の執行部へ。場内放送や試合の設営をするうちに審判のみなさんとも知り合うことになり、卒業後の審判部入りが自動的に決定されてしまいました。




私がどうしても取り戻したい落し物。それは1年の秋に、駒沢第二グランドで断裂してしまった自分の靭帯なのです。
 民主党は7日夜、日銀総裁人事で白川方明副総裁を総裁に昇格させ、副総裁に渡辺博史一橋大教授(前財務官)を起用する政府案の提示を受け、党本部で小沢一郎代表や鳩山由紀夫幹事長ら主要幹部が対応を協議したが、結論は先送りした。白川、渡辺両氏に対する8日の所信聴取を踏まえ、直ちに同意人事検討小委員会と国会役員会を開き、対応を正式に決める方針だ。
 幹部会では、「白川総裁」については議論にならず、同意する見通しだ。渡辺副総裁案に関しては、幹部会後、鳩山氏が記者団に「党内の意見も参考にしながら、最終的に小沢代表を中心に決める。(同意は)簡単ではないという雰囲気はある」と語った。

国会を混乱させている一方の当事者、民主党内がまとまりません。2度目の日銀総裁候補を自民党が出す前に、鳩山幹事長は「財務省出身でも財務官経験者は国際金融にも精通しており、総裁候補として認められる」とTVで発言していました。今回の渡辺副総裁候補についても「私は天下りだとは思わない」と発言、小沢代表との意見の違いが見え始めています。そもそも民主党は右から左までの寄せ集め政党で、お山の大将になりたい連中がたくさんいます。ただ、岡田、前原でミソをつけた手前、強力なリーダーシップの小沢さんでないとまとめ切れないところがあるのです。

暫定税率の廃止にしても、訳のわからない対案を出していますが、年間2兆6千億の歳入欠損をどう穴埋めするのか、全く具体案が提示できずにいます。

ここで民主党に内部分裂が起きると、一気に政界再編に進む可能性もあります。ただ、声を大にして言いたいのは、どの政党も「国民のため」などと大義名分ばかり振りかざして、実際やっていることはくだらない政争だということです。有権者だってバカじゃありませんよ。本当の意味で国民の生活を考えないと、次の選挙で痛いしっぺ返しをされることになるでしょうね。
 人気テレビドラマ「月光仮面」の原作者で、「おふくろさん」などの歌謡曲の作詞、映画の脚本、監督、政治評論と、多彩な活動で知られた作家の川内康範(かわうち・こうはん)さんが6日、死去した。88歳だった。北海道函館市出身。葬儀の日程、喪主などは未定。
 映画のシナリオライターを目指して上京、1938年に日活に入り、東宝に移った。小説の執筆も始め、「生きる葦」「骨まで愛して」などを発表。自作ドラマの主題歌の作詞も手掛け、60年の「誰よりも君を愛す」は大ヒットし、日本レコード大賞を受賞した。
 作詞家としての代表作に「君こそわが命」「伊勢佐木町ブルース」など。映画脚本には「南国土佐を後にして」「東京流れ者」などがある。また「月光仮面」「愛の戦士レインボーマン」といった特撮テレビドラマに原作を提供したほか、アニメ「まんが日本昔ばなし」の監修も担当した。
 海外引き揚げ者の支援や戦没者の遺骨収集など、政治、社会的な活動でも知られ、84年の「グリコ・森永事件」では週刊誌で犯人に私財の提供と引き換えに事件から手を引くよう呼び掛けた。2007年には、自作の「おふくろさん」の歌詞を歌手の森進一さんが勝手に加筆・改変したとして、森さんが歌うことを認めないと発言し、話題となった。

月光仮面の原作だったとは知りませんでした。といっても若い人は知りませんよね。我々の世代が幼い頃にあった特撮モノの草分け的ドラマでした。「おふくろさん」の騒動は恰好のワイドショーネタで、最後まで森進一さんは許してもらえませんでしたね。ご遺族がどう判断されるのか、しばらくワイドショーはうるさそうです