【クリスマス企画第一弾】サンタさんに、何をもらいたい? ブログネタ:【クリスマス企画第一弾】サンタさんに、何をもらいたい? 参加中
口コミ番付で前頭に昇進したとの通知がアメブロからありました。各昇進時にはご褒美がいただけるのですが、今度はいつになるのやら・・・・

今回のネタは関西でアメフトのTV解説をしてらっしゃるH田さんネタです。

クリスマスといえば高校生の日本一を決めるクリスマスボウルですよね。私は高校時代はナンパな学生でしたし、我が稲穂高校にはアメフトがありませんでしたから、TV観戦専門でした。

関東、関西の審判には高校時代からアメフトをやっていた部員がいて、彼らは飲み会などで高校時代の思い出話を楽しそうにしていることがあります。

2000年を挟んで仙台に在住していた時に、やはり関東審判部所属の一角獣OBがいました。彼は一角獣高校の時にクリスマスボウルでH田がキャプテンだった元気者高校と対戦していたそうです。試合は一角獣高校が勝ったのですが、当時のH田はQBをしていました。彼をご存知の方なら「えっ?」と思われるでしょうね。かなりスリムで足も速く、元気者高校ではポイントゲッターとして注目されていました。
卒業後はもちろん元気者大学に進学、専門誌でも注目されてました。

1年からスタメンでしたが、ポジションはQBではなく、RBでした。その後ディフェンスにポジションが変わり、大学卒業時にはR(ローバー)だったと記憶しています。

ポジションが体型を変えさせるのはアメフトにはよくあることで、キムタク弟とこのH田がその典型かもしれません。

秋田に赴任した私も歩かなくなったおかげで高校2年から変化のなかったウエストサイズと体重が増加、カミさんには「おっぱいがある」などと蔑まれています。サンタさんにお願いして願いが叶うなら、せめてウエストサイズと体重を元に戻して欲しい、と言うでしょうね。
奇跡って信じる?
ブログネタ:奇跡って信じる?
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木枯らしが吹く季節になると、思い出すのが駒沢公園です。アメフトの聖地としてではなく、ほろ苦い思い出の場所として、私の記憶の中に駒沢公園があったのです。




稲穂の頃ですからもう35年以上前のことです。当時付き合っていた彼女の自宅は世田谷でした。私の自宅は東京都下のH谷市。デート(といってもお茶するくらいしかありませんでしたけど)は都内で、一応紳士ぶって彼女を送っていくということがままありました。わたしにとっては生まれて初めて付き合った彼女でしたが、当時の私には付き合い方やかけひきなんかはまったくわからず、今思えば勝手なことばかり言ったりしたりしていたのでしょう。それでも彼女はそんな私と腕を組んで歩いてくれたりしてくれてました。




その日も渋谷のカレーを食わす喫茶店でお茶をした後、彼女の家まで送ろうと渋谷からバスに乗ったのでした。後日、聖地駒沢に公共交通機関で通うために数え切れないほど乗ることになる路線バスだったのですが、当時の私にははじめて乗る路線でした。30分ほどバスに揺られていると、彼女が「降りよう」と言い出しました。「ちょっと散歩しようよ」と言われて降りたのが駒沢公園だったのでした。




彼女は一つ下でお嬢さん学校に通う、まさにお嬢様。私はどちらかというとハイソ(死後ですね 笑)でもなければ、かっこいいわけでもない都内の私立の学生。月とすっぽんのような関係でしたが、私にとっては(自分がモテてる)と勘違いさせるようなカップルでした。バスを降り、人影などほとんどない駒沢公園の外周を歩きました。口ずさんでいたのは郷ひろみや西城秀樹の歌だったでしょうか。二人で口ずさみながら、ただただ歩いていました。




その彼女とは、その後もつかず離れずの関係がなんとなく大学2年くらいまで続いたのでしたが、結局自然消滅。私の記憶の中からもそのときの歌や木枯らしは遠い記憶になっていたのでした。が、最近になって、あるプチメをもらいました。

遠い昔を思い出させるプチメでした。それを受け取った瞬間に私の記憶は一気に35年をさかのぼり、「君の涙は見たくない 僕のまつげが濡れるから レインコートを脱ぐように 軽い気持ちでわかれよう でも僕たちはいつでも友達さ 悲しいときは飛び込んでおいでよ」という郷ひろみの歌があの日の情景と一緒に浮かんできたのでした。




すれ違いざまに声をかけた目白の道。幼いセーラー服を着た彼女。会う度に渡されていた手紙。「これはキスの代わりです」と書かれた文末の○印。




こんな奇跡を起こしてくれたアメブロに感謝しています。

今年の反省 ブログネタ:今年の反省 参加中

社会人になって30年が経過しました。つまりアメフト審判としても同じ年数が過ぎたことになります。初任地福岡ではただがむしゃらに、東京に戻ってやっとシステム的にルールを理解しました。関西審判部に所属した時には、中四国エリアでも笛を吹き、最初の東北勤務と現在の2回目勤務では、偉そうにさせてもらっています。

年末になる度というより、シーズンが終わる度に思うのは、「今年もアツくなっていたなあ」という反省ばかりです。

今回の見出しにある通り、アメフトに限らずスポーツの審判の基本はルールに精通することと、StayCool(「常に冷静に」)なのです。
実はこれが難しいのです。審判だって人の子ですから、試合中に文句を言われてムカっとすることもありますし、反則の施行で混乱することもあります。私の1学年下で今や日本審判協会の重鎮となっているI藤君などは、試合前のミーティングで私に「アツくならないで下さいね」と釘を刺しておいて、試合が始まると真っ先にアツくなるという特技があったりします。


先日の北海道と東北の社会人王座決定戦では、北海道側にいらしたKAYAKSの監督さんから「北海道のチームが東北の審判はキビキビしている」と評価されていた、とお聞きしました。こういう評価って聞こえてこないものなのですよね。すごく励みになります。


具体的にあの試合でとかこの試合で、というものではないのですが、私が最近心がけているのは「試合を楽しむ」という点です。もちろんおちゃらけているわけではありません。試合を楽しむぐらいの気持ちでリラックスして臨むことが重要ということを言いたいのです。「オレがこの試合を裁くんだ」とか「オレのフラッグが絶対だ」なんて気負いはまったく必要ありませんし、逆に「経験不足で不安だ」とか「難しい反則が発生したらどうしよう」なんてビビることもないのです。


リラックスして試合に臨むことで、試合の流れに乗った自然なオフィシエイティングができたら、それが最高だと思ってはいるのですが、なかなかそういう試合ができていないのも残念ながら事実ですね。来年こそこれができるように、と今年の反省も含めて思う年の瀬なのでした。

白と黒、どっちが好き? ブログネタ:白と黒、どっちが好き? 参加中

前回に引き続き、甲子園ボウルネタです。2度目に甲子園のグランドに立ったのは、岡山に赴任した後、関西審判部に所属してからでした。フィールドに入れたわけではなく、チェーンクルーとしてでした。関東は初出場となる生田の緑の機械でした。関西は青でした。下馬評では青の圧勝で、私のポジションである緑の機械側は試合開始早々から展開する青の多彩な攻撃に、なすすべなしといった雰囲気でした。

前半を終えて緑の機械は無得点。後半が始まっても最初の緑の攻撃は、自陣奥深いところからで、青の守備に封じ込められていました。それは緑の第3ダウンの攻撃で起きました。距離を稼ぐために緑の攻撃はパス。青の素早いカバーでQBが投げたパスはレシーバーに届かず、失敗となりました。
しかし、次の瞬間、関東から派遣されていた審判から反則を表す黄色いフラッグが投げられたのです。彼のポジションはアンパイアという位置で、主に攻撃側のホールディング(相手を掴む反則)を見るところです。それが彼の位置から20ヤードくらい離れた場所の守備側のパスキャッチ妨害の反則をコールしたのです。

この反則で緑は息を吹き返します。関東を制覇したRBの力強いランを中心に青のゴールを目指し、得点をあげました。

最終スコアは25-20で青の勝利でしたが、あの後半開始直後の1回の反則が、それまで一方的だった試合内容を一変させてしまったのでした。

ブログネタでは「白と黒、どちらが好き?」でしたが、色の対比からすると、やはり甲子園ボウルでは赤と青ですよね。かなり厳しいコジツケですが、それにひっかけてネタにしてみました。

なくなったら困る家電 ブログネタ:なくなったら困る家電 参加中

時期が前後して申し訳ないのですが、私が生まれて初めて最初に甲子園ボウルのグランドに立った時のお話です。

ゼブラになる前なので、厳密に言えば「愉快な日々」なのでしょうが、学連執行部として最後の年に甲子園ボウルを視察することになりました。現地で委員長の欅のH川と合流、関西学連の諸君に挨拶をしたのですが、試合中にはグランドに降りないでくれ、という注意をもらいました。せっかく特権で甲子園まで来られたのに、グランドに降りられないというのは、泡のお風呂に行って、お姉さんとお話だけして帰るようなものです(笑)。なんとか手はないか、とスタンドを見渡したところ、関東審判部のお歴々がスタンドで観戦しているのを発見しました。私とH川は「これが使える」とカオを見合わせました。そう、審判専用のジャンパーをそのお歴々は着用されていたのです。

事情を話し、ジャンパーをお借りして、「審判です」と当番の学生に声をかけ、いよいよグランドに降りました。カードは青と赤。それまで青は甲子園で4連勝していました。当然私たちは赤のサイドラインのチームエリアの外側に回りました。試合はすでに始まっており、赤が苦戦しています。そして、赤のサイドラインの後ろにはドラム缶を半分に切ったものを使った簡易ストーブが設置され、たき火がされているのでした。もちろん一番暖かいところに鎮座ましましていたのはS竹御大でした。赤の苦戦に苦虫を噛み潰したような顔でグランドを睨みつけておられました。


プレイが赤サイドへのパスでサイドラインを割った時のことです。赤のコーチがタックルしながらサイドラインを割った青のDBに向かって「こいつ、こいつ、こいつを狙え」と叫びました。S竹御大は微動だにせず、それを見守っておられました。


試合は大差で青が勝ち、史上初の甲子園5連覇を達成するのですが、真冬と言ってもいいような季節の甲子園ボウル、第4Qには陽も落ちて気温もぐっと下がります。今のように温風が出る大きなファンなどない時代でしたから、ドラム缶のたき火は甲子園必需品だったのでしょうね。


「なくなったら困る家電」にひっかけた、暖房具ネタでした。

ちなみに、この翌年、赤は再び甲子園に出場、青を相手に史上最多の得点差をつけて快勝しました。今年は残念ながら青は最終戦で破れ、エンジが出場、関東は斧と赤が今週末に出場をかけて戦います。どちらが勝っても関東は白ジャージで出場することになりそうです。