義母はガーデンセンターによく行っていた。
私も義母と最後に出かけたのがガーデンセンターであった。
最後に行った際、小さなツリーを買った義母。
そこでツリーと犬のベッド、ガーデンセンター内にある肉屋でラム肉を買った義母。

レジで義母が支払いをした際、レジの方から「ポイントが貯まってるので、使いますか?」と聞かれたが、義母は「いいの。それはロックダウンが開けたいつか、義理の娘とランチに来るまで取っておくの」と言った。
レジの方が「そうですね~。楽しみは取っておきたいですよね~」と言い、義母はポイントを使わないでいた。
その際、私はレジの方に「いくらポイントがありますか?」と聞いた。
「7000円ほどです」と教えてもらった。
義母は「ランチとケーキも食べれるわね」と笑った。
あれが最後の訪問となった。

一昨日の夜、リビングで眠る義母の犬のベッドを見ながら、そのベッドの底がペタンとしている事に気が付いた。
もう何度も何度も洗い、綿が端に寄ってしまっているせいもあり、そう見えたのかも知れない。
ふと義母のポイントの事を思い出し、翌日私はガーデンセンターで犬のベッドを買う事にした。
それが義母が喜ぶポイントの使い道であると思った。

レストランは閉鎖され電気も消されているから、ガーデンセンターは何とも不気味な感じに見えた。
人もほとんどおらず、おかげでゆっくり犬のベッドを探す事が出来た。
犬のベッドの相場は分からんが、私なりに犬に心地良さげなものを選び、セールで6000円弱で買えた。
後は義母が時々犬に与えていたソーセージを2キロ買い、レジで私が数百円を足してポイントはゼロとなった。

もう年会費を更新される事のないポイントカード。
しかしながら、何となく今は捨てられないカードである。
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義母の家の表倉庫にある8段式冷凍庫から手を付けてみる事にした。
倉庫奥には手つかずの段ボールが積み重なっているが、やりたくないので後回し。
冷凍庫の1段目から鶏の丸ごとの冷凍が出て来た。
12月頭か、11月中ごろに肉屋に連れて行った時に買ったものだと記憶している。
この他、鶏モモ2キロが出て来た。

思った程冷凍庫の中には食べ物が無かった。
ロックダウンでパンパンに詰まっていた冷凍食品をちょっとずつ食べていたのかも知れない。
鶏が大量に出て来たので、来週は鶏料理メインで使って行こうと思う。

次にキッチン内の食品戸棚を整理しようと開けた。
中から奥が見えないほどの保存食品がつまっていたが、その半分は去年前半で期限が切れており、中身を出して瓶や缶は洗ってリサイクルに出す作業に2時間近くかかった。
期限が今年の夏までのドレッシングが4本、それと「マンゴーチャツネ」が6本それぞれメーカーの違うものが出て来た。
義母は料理をしない人であったが、このマンゴーチャツネをどうしていたのでろうか・・・同居していた1年間で食べているのを見た事が無い。
インド料理を出前で取る事も義父が亡くなってからは無かったし、夫も「マンゴーチャツネが好きやんたんやろか・・」と笑った。

この「チャツネ」、イギリスに来るまで全く馴染みのない食べ物であった。
未だ使い方がよく分からず、長年イギリスに住んでいる日本人のお友達に「どないして食べるんですか、アレ?」と聞いた事があり、その方が「スコーンに乗せて食べても美味しいんやで」と、その方の家でチーズスコーンを御馳走になった際にチャツネを出して下さった。
相性が抜群であった。
チャツネの種類は無限にあり、お友達から「自分が好みのチャツネを探しのも楽しいで」と教えてもらったものの、未だチャツネはよう分からん域にある。

結局今回もマンゴーチャツネと言えばカレー味に合う・・・というレベルの知識量であるから、この大量のマンゴーチャツネをカレーか、カレー味でサンドイッチの具に使う鶏肉に合えるかである。

後は11袋のチョコレートレーズン、レーズン&ナッツ入り板チョコ(1枚200g)10数枚が入っていた。
何に使うか分からん「プロ仕様の岩塩」、未開封のスパイスも大量にあった。
いずれも期限が切れておらず、しかし去年の3月以降私か夫が頼まれて買った物ではないとすると、義母はいつの段階でこの岩塩とスパイスを買っていたのだろうか・・
目的は何かあったのだろうか・・・
手に取る度に不思議に笑いが止まらず、使わへんやん!!と思わず言うてしまう。

1日中を整理で過ごしたくないから、数時間で切り上げているが、まだまだ戸棚には食品がぎっちり詰まっている。
ちなみに義母が心臓手術をする為別の病院に移動する際に持って行ったカバンの中からも、クリームを挟んだビスケットが1パック出て来た。
変異型コロナに感染しつつも、あの時はまだ症状が全く出ていなかった義母・・心臓手術を受けた後に食べようと思って持って行ったのだろうかと思うと、ちょっと笑ってしまった。
悲しみながら、楽しみながら。
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4日に呼吸困難で救急搬送された義母の家を消毒しに行かねばならない事から生活は再スタートを切る。
行政が来て消毒するのかと甘く考えていたが、そんな事はあるはずもなく、自分達で買った市販スプレーで拭くしかない。

義母の家のダイニングテーブルには、呼吸困難を起こすまでの様子がそのまま残っていた。
セロテープとクリスマス用の包装紙がそのままになっていた。
誰かのプレゼントを包んでいたのだろうと思う。

食器やカップなどは食洗器に入ったまま、寝室のベッドのシーツも乱れ1つ無くホテル並みに完璧になっていた。
髪の毛1本落ちていない事を見ると、運ばれた日の朝も下痢と熱がありながら掃除をしたのではないかと思う。

キッチンには私からのクリスマスプレゼントが開けられた状態で置いてあった。
退院してきた日、夫に持って行ってもらったのであるが、その夜に開けたと思われる。
しかしながら、友人らから送られて来たプレゼントは全て未開封のままであった。
きっと明日にでも開けようと思っていたのだろう。

昨日、病院から電話があり、義母が残して行った着替えや時計、宝石などを取りに来てくださいとの事だった。
看取ってくれた看護師さんからだった。
「宝石ですか?」と夫は尋ねた。
「お母さんは指に指輪を3つされた状態で入院されてたんですが、そのうちの1つを亡くなる3時間前に抜き取り私に託されました。それはお嫁さんに置いて行くから衣類の間に一緒に入れておいて。私が逝った後に取りに来て知らずに洗ったりしないように」と言ったという。

夫が私に「お父さんから貰った大事な指輪は3つとも誰にも渡さず棺桶に持って行く」と言っていたうちの1つを最後に抜き取ったのは何故やろか・・」という話になった。
孫娘にも託さなかった指輪を抜いた。
やっぱり自分の生きた証を私から孫娘へ残したかったのではないだろうか、忘れられてしまうのではないかという恐怖が襲ったのではないだろうか・・
月曜日、夫が取りに行く事になった。

これからこの家に通い、義母のものを処分していくのは辛くもある。
この家そのものも私が41件の中からやっと義母を納得させて購入に落ち着いた家であるし、亡き夫がいない家など意味が無いと最後まで好きにはなれなかった家ではあるが、しかし1人暮らしの老女が暮らすには最高の条件の立地を選んだ自分はホンマにようやった嫁やったと褒めてしまう今がある。

豪州に住む夫の真ん中の兄は義母の現金の遺産相続は放棄した。
私達夫婦が葬儀から片付け、家の売却までするに費用も時間もかかるうえ、10歳の老犬を飼うには今後病院費用など膨大にかかるかもしれないので、家を売却した時のお金だけ貰えれば良いと言って来た。
しかし、一番上の兄は「自分は母さんから口約束で遺産相続から別に200万をもらうという約束をしていた」と主張し始めた。
遺言状には書かれていないが、「そう約束した」と言う。
まあ想定内である。

昨日、義母の死亡診断書が届いた。
来週からこれを持って、夫は仕事の合間に銀行やら役所に走り回らねばならない。
悲しみの中でせねばならない死後の諸事、父親が亡くなった時も夫は経験しているから、どれほど時間を取られるか知っている。
それだけに真ん中の兄は「何も出来ずに申し訳ない」と言って来た。
一番上の兄は「夏頃までに家を売れるよう片付けなど急いでくれ。売った家具は合計いくらになったか知りたい。多額なら半額欲しいが、その手伝いはロックダウン中なので出来ない」と言って来た。

月末、義母の葬儀がやっと出来る。
29日に遺体安置所から出せる予定であると連絡があった。
葬儀当日、最も嘆き悲しむであろう長男が、「長男の俺が一番母親と生きた年数が長かったから」という理由で弔辞を読みたいと申し出た。
やりたいならやればエエ。
義父の時もそうだった。

葬儀は親族のみ全員で11人参加、同居する者同士が席を共にし、別世帯は2メートル以上離れて座る事になる。
葬儀の後の会食もハグも当然無し、葬儀が終わればそのまま互いに手を振り帰宅がルールである。

うちの親もいつも言う。
「何もして来なかった人間が葬式で一番泣くねんで」と。
本当にそうだと義父を亡くした時に知った。
親の言う事は当たっていると、この歳になって効いて来る。
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義母が亡くなったその日の朝から、これまで見続けてきたコロナ関連を含む朝のBBCニュースを見なくなった。
それまで、いかに死者の数字が上がろうとも、結局あくまで数字であり他人事だったからだと思う。

今朝ユーチューブで娘の地理についてを調べようとTVを付けると、これが出て来た。
冒頭、コロナで亡くなった方の遺体が保管される場面が出て、思わず食い入るように立ち止まり見てしまった。
義母も未だこの方々と同じ場所にいるのだと思うと、亡くなった義母よりも、この作業を繰り返し行わねばならない医療従事者は限界を超えているのだと、画像を通して理解しようとする自分がいる。

自分を含みイギリスに住んでいる人は、もうこの映像が日常的過ぎて無の気持ちにも近い感覚で見ているかもしれない。
関わって初めて痛みが伴う、少なくとも私はそうである。

深い悲しみと虚無感、痛みを伴う経験をして初めて体で理解できたとでも言うのだろうか・・義母を無くす前にニュースで見ていた恐怖感とは全く違ったものが今自分の中に宿っている気がする。

1日の死者が遂に1600人を超えたとニュースでやっている。
ロックダウンに入って3週間以上が経過しようとしているが、ロックダウン以上に何が出来るというのだろうかと考える。
異様な緊張状態にある病院内に入った者だけが、その危機感を実感し、それ以外の人間は実は連日のニュースを見ても他人事であり、しかしそれを傷みを伴って理解するというのは体験していない限り本当の理解というのは難しいと思う。

義母が亡くなる前日の夕方、担当医から夫に「最後のお別れに来られますか?」という電話が入った。
その際、夫は「兄も同行できますか?」と聞いた。
医師は「この方の実子なら何人でも良いですよ」と答えて下さった。

夫はすぐにカーライルから車で1時間離れた場所に住んでいる兄に連絡。
しかし兄は「俺は行きたくない。理由は2つ、機械を付けられた母親が最後の残像になるのが嫌な事と、そんなリスクのある場所に行きたくない」という理由だった。

考え方はそれぞれである。
葬儀は月末に決まった。
早く冷たい死体安置所から出してやりたいと思っていたから良かった。


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夫は淡々と葬儀社への連絡や友人知人への連絡などを1日やっている。
キッチンに7年半前、つまり義父が亡くなる半年前に一緒にテネリフェ島に行った時に撮った写真を飾る事にしたのであるが、その頃の義母は既に腕や足など全身に原因不明の青あざが大量に発生し始めた頃で、プールサイドで「これも白血病から来るもんじゃないかと医師が言うけど、原因は分からない。水着になるのが嫌だ」と私に語った事を思い出す。

あの時も大量の薬を持って行かねばならなかった。
夫が涙一つ見せずに連絡事を処理するのも、この苦しみを7年間訴えられ続けてきた解放感から来るのだろうかと考える。

義母が亡くなって3日後の土曜日の事、私はふと夫に「今日は電話が鳴らないね」と言った。
夫は「土曜日に電話をかけて来ていたのはお母さんだけやから。電話かけて来る人がいなくなったら、こんなに電話が鳴らんもんやな」と言った。
そう思うと、いかに義母が息子の休みに電話をかけ続けていたか、自分の家に呼んでいたかが分かる。
土曜日とは、こんなに静かな日であった事を初めて知った気がする。

私は子供達のオンライン授業で午後3時まで取られてしまう。
その間にママ友から学校に対する不満と教師に対する怒りのメールが来て、それを読みながら思わず笑ってしまったり、返信するのに頭が一杯で、そうしながら義母が亡くなってしまった事を偲ぶ時間も無いが、それで良い。
そうやって日常に戻るのだと思う。

豪州に暮らす義母の次男も「葬儀には行かない」と言って来た。
義母が残した遺産はどっちにせよキッチリ三分の一にして現金化し、送金するのだから来る必要もない。
義母が持っていた貴金属の最も値段の高い物は7年前、既にうちの娘に「唯一の孫娘であるから」という理由で譲りうけているし、車は私が義母の送り迎えようにほぼほぼ使っていたので私が譲りうけるように遺言書に書かれてある。
それに豪州に住む次男も嫁も、今は働かなくとも4つの家を他人に貸し、家賃収入で優雅に暮らしているし、嫁が乗っている車だって新車のBMWとアウディであるし、付けている時計もロレックスであるし、義母の持っていた物より値段で言えば高いから、嫁は義母から欲しいものなど無いと思う。

あの人が身に着けていたから頂きたい・・のではなく、それが世界でどれほど知名度のあるブランドか否か、それが今雑誌でよく見かける物なのか否かでしか判断しない女にとって、義母の何をも興味はないであろう。
ティファニーだって「ティファニー」という名だけでパリで買って来たが、嫁は「ティファニーといえばパリ、パリと言えばティファニー」と喜んでいた。
豚の真珠とはこの事だと思った。
「ティファニーはパリ生まれではなく、アメリカですよ」と教えてやったが、恥ずかしかったのかノーコメントであった。

義母に感謝すべきは、最も警戒レベルが高いこの時期に亡くなった事で、豪州から嫁が葬儀に来ない事である。
義母も「来て欲しくなどない」と生前言っていたが、その通りになったと思うと、義母の最大の抵抗であり、「死にたいが自分で死ねない」と言っていた義母の思い通りになったような気もする。

これで良かった・・ですよね?と義母に問いかける日々である。
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義母の長男の嫁が偽善なポエムと写真をフェイスブックに掲載したのを、義母の妹と義母の姪っ子(50歳前)が見た。
2人とも義母の死を悲しみ、その日はワインを深酒していた。
「嘘ばかり書きやがって」と悲しみが怒りに変わり、姪っ子は嫁に電話をかけた。
「嘘を書くな。ストレスばっかり与え続けてきやがったくせに、何が親友で最愛なると、よく書けたもんやな。22年間も世話になってきて、一度たりともプレゼントを買った事もなければ、金を借りたい時だけ電話をしてくる奴が、悲しみに打ちひしがれるわけがない。だったら、まだ電話で会話出来ていた入院中、一度でも携帯に電話して励ましたか?友達は騙せても、身内は騙されへん。今すぐ削除しろ」と電話で言った。

義母の妹が「昨夜こんな事があってん・・・」と電話をかけて来た。
それを聞いた夫は爆笑した。
義母の妹も爆笑した。
「せやけど間違いやないからな、よう言うた」と従妹を褒めて笑った夫。
義母の妹も「あれから嫁がうちの娘に謝罪を求めてきたらしいけど、謝るもんか!正論じゃ」と笑った。

私はその話を後で聞き、義母が我が姪っ子にそうさせたんちゃうかと笑ってしまった。
写真の中の義母は、やけにほくそ笑んだ顔に見えた。
49日間、あの世に行くまで義母は絶対に親族をかき回すつもりでいると確信・・
義母のリベンジである。
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義母が亡くなった日、義母の長男の嫁(今2人は別居中)と豪州に住む次男の嫁が自身のフェイスブックに、どこからか見つけて来たポエムを掲載。
長男の嫁は「最愛なる人であり、美し過ぎる母であり、永遠の親友だった義母」と題し、満面の笑みを浮かべた自分と引きつった顔で写る義母が2ショットで写っている結婚したばかりの頃に撮影した写真を数枚掲載。
次男の嫁は「私の心の森は深い闇に包まれている。歩いても歩いても光は無く、無限に暗闇から抜けられそうにない傷を負った私は蝶。羽を全てもぎ取られた蝶である」と自分で考えたわけでも無いネットで探して来たポエムを掲載。
友人らからは「あなたは何て可哀想なの」とコメントが寄せられていた。

母の日に電話1つかけても来なかった、義母の誕生日にもクリスマスにもプレゼント1つ送って来なかった2人の豪州人嫁を、義母は吐き気がするほど嫌っていた。
義母が亡くなり羽をもぎ取られた思いならば、義母が退院してきた日にでも電話できたはずである。
2人の嫁が義母に電話したのは、一昨年のクリスマスが最後である。

何とでも書ける。
何もして来なかった人間は、達成感から来る虚無感に打ちひしがれない分、ネット検索して友達を感動させるポエムを検索する余裕も見せ場も作るのであろう。
こんな身内にさえも、義母が持っていた貴金属を平等に分けねばならない。
思い出も無いから悲しみも無い。
何もやって来なかったから、送り出した誇りも無い。
そんな2人も同じ「嫁」である。

羽をもぎ取られた蝶は、義母が亡くなった同日、自分の長男にとって2人目となる子供が生まれた。
生んだ母親はヤク中、生まれて4日後に養子縁組に出される事も決定している。
それなのに、「祖母になる喜び」と書いたポエムを添えて孫の写真をフェイスブックに絶賛掲載中。
4日後には血の繋がらない愛情と常識のある家族に引き取られて行く孫を哀れに思わないものかと思う。

義母も嫁からの心あるポエムを見て、中指を立てている事であろう。
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義母が亡くなる前の日の夕方、「もう今日明日中だと思います」という電話をかけて来て下さったのは医師だった。
「生きる見込みは多分、ほぼ無いけれども、僕としては白血球の異常な数がこれを促進しているのであれば、今から輸血を始めて望みをかけようと思います」と言った。

しかしながら、結局その日に輸血が必要な人は2日待ちであった事と、生きる望みが確実な患者に血液を回そうという判断となり、義母は輸血を受けなかった。
それでも最後まで可能性を探ってくれた医師には心から感謝しかなく、亡くなった後に電話をくれた看護師から「輸血を受けさせてあげられませんでした」と謝罪があった。

夫は「生きる望みが確実な患者さんが優先されるべきは当然で、結局は8時間後に亡くなりましたから、仮に輸血を4時間かけて受けたとしても、それは無駄になっていたのは確実でした。その気持ちだけでも有難いです」と答えた。

義母が亡くなるまで、私自身も医療崩壊と現場のひっ迫、医療スタッフの叫びをニュースで何度も何度も見て来たはずなのに、その悲惨さと悲痛さを実感して来なかった薄情な人間だと思う。
家族がお世話になり、初めてそれが実感として湧いたのは恥ずかしいが事実である。

多くのコメントにも書いて下さっていたが、これが今のイギリスの医療現場の状況であるという事が伝わればと思う。
去年の3月、まさかこんな事が起こり続けるとは思わなかったし、義母を亡くすまで日々の死者数が1000人を超え続け、それに恐怖は抱いても、本当にそんなに亡くなっている人がいるのだろうかと実感がわかないまま来た。
義母が亡くなった翌日もまた、新たに1280人が亡くなっている。

どなたかが書かれていたように、自分が感染しない事で医療現場に負担をかけない。
これしか無いと本当にそう思う。
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夫が義母に最期の面会に行く際、医師から「面会に来た方は同居人共々、病院を訪れた後に自宅隔離を10日する事を約束してもらわねば許可できませんので、それを約束して下さい」と言われた。
夫は医師から自分の母親が今日明日に逝くと告げられた後、すぐに上司に連絡。
10日間仕事に行けない事を告げ、もし迷惑なら面会は諦めると告げた。
しかしながら幸運にも上司からは許可が出た。
上司も1度目のロックダウン時に自分の父親をコロナで亡くしており、その悔しさが分かるだけに「悔いの無いよう会っておいで」と言ってくれた。

10日間、私も買い物に行けないので冷凍庫の中の物と買い置きで工面し、牛乳だけは近所に住む友人に頼み、3リットルほどお願いして玄関に届けてもらった。
義母が今日明日かも知れないと聞き、すぐに買い物に行く事も出来たが、とてもそんな気にはなれなかった。

義母を看取ってくれた看護師さんから電話があった際、夫は看護師さんに最後はどうだったかを聞いた。
「最後は安らかでしたよ」と答えてくれた。
「最後の最後に入る前、最善を尽くすために私達は大きな呼吸器に付け替えようとしましたが、お母さんは手を少し挙げ『もう要らない』というような素振りを見せました。多分、もう呼吸器を着けたくなかったんじゃないかと思います。頑張られました」と言ってくれた。

電話を切る際、看護師さんは「死亡診断書が出来次第、お母さんの荷物と一緒に取りに来てもらう連絡をこちらからしますので、それまでお待ちください。それと、看取れなかった悔しさは、遺族にとっては死を消化しにくいものです。何度でもお母さんの最後がどうだったのかを聞いて下さい。迷惑では決してありませんから、何度でも私に電話を下さって構いません。何度も何度も聞いて、お母さんが安らかに逝けた事を飲み込む事で、時に遺族は悔いなく見送れますから」と言ってくれた。
その会話をスピーカーで聞いていた私は、何と心ある看護をして下さったのだろうと涙が溢れた。
この日、義母だけが亡くなったのではない。
なのに激務の中、義母の遺族に寄り添ってくれる看護師さんに、夫は「もう言葉もありません。本当に最善を尽くして下さった事に感謝しかありません。疲れているのに電話を下さり有難うございます。どうか今後も気を付けて下さい」と電話を切った。

この日、イギリスでは1248人が亡くなった。
自分達と同じ思いをしている人が毎日これほどにいるかと思うと、今まで聞いていたニュースの死亡者数が、今は心に痛すぎて聞けない。
現場の医療スタッフがこのような連絡をする事も相当に負担だと思う。
泣きながら電話を受ける人もいると思う。
淡々と報告して下さる中にも寄り添う言葉がちゃんとある。

夫は言った。
「今自分の学校にも集中治療室で働く看護師のお母さんの子供が通っている。
今回改めて、その保護者たちが背負っているリスクとストレス、そしてその子供達が差別される事なく全力で守るという事が学校の使命であるということ、今回それを医療スタッフの方たちから学んだ」と言った。
「お母さんの寝ている病棟に入った瞬間、各部屋が患者で溢れ、その緊迫感と切迫感が怖いくらいだった。あの電子音がひたすら流れる大量の患者が寝かされている空間で、平常心を保ちながらプロとしていられる事は本当に可能なのだろうかと考えさせられた。なのにホットチョコレートを『良かったらどうぞ』と持って来てくれた看護師さん。ただただ感謝と尊敬を持った」と夫は私に言った。

亡くなる8時間前、息子が言った冗談を笑えるほどに落ち着いていた義母に会わせてくださった病院の対応に、ただただ感謝である。
そうして今日、私の元に子宮がんではなかった事、向こう3年は子宮がん検診が不要である事を告げる手紙が届いた。
検診を受けたあの日、義母は病院の二階に心筋梗塞の為に入院しており、私は同じ病院の地下で検査を受けた。
検査後、義母の使用済み衣類を看護師さんから受け取り、義母から「ありがとう」と電話をもらった。
あの日、電話で義母は私の子宮がん疑いを酷く心配していた。
「病院と喧嘩してでも納得行くまで検査してもらいなさいよ。イギリスの病院は言ったモン勝ちやからね」と言った義母。
今日は心の中で「大丈夫でしたよ」と報告した。
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14日の朝、義母が亡くなったと病院から連絡があった。
13日の夜遅くに医師から連絡があり、もう覚悟の時が来ましたと告げられた。
「今日明日中に逝くと思いますので、意識がまだあるうちに最後のお別れを言いに来ても良いですよ」と言われ、夫が会いに行った。

看護師に教えてもらった通りに防護服を身に着け、最も深刻な患者が並ぶ棟へと案内された。
看護師から「納得行くまで何時間でもいてくれて構いませんからね」と言われたそう。
義母は意識もハッキリしており、45分間の中の談笑では笑う場面も何度かあったと言う。
義母から「もう帰りなさいね」と言われた夫はその場を去った。
とても今日明日中に逝くような様子ではなかったと夫は言うが、もう何度も何度もコロナ患者を看取って来たスタッフから「数時間後だと思います」と断言され、本当にその通りだった。

亡くなったと連絡をくれた看取って下さった看護師さんから「お母さんは最後に食べたお嫁さんのローストハムが最後の食事で良かった」と笑って言っておられましたと告げられた。
心臓の手術をして家に戻った大晦日の日、義母は食欲もあり中華を食べたいと行った。
翌日はクリスマスに一緒に食べるはずだった3キロのハムを私が焼き、義母宅へと夫が持って行った。

その翌日から酷い下痢が始まった。
医師によると、この酷い下痢症状は変異型の特徴であると聞かされた。
2日間の酷い下痢の後、呼吸困難を訴え救急搬送、それから病院で食べたのはトースト半分程度だったという。
この頃はまだ話す事も出来ており、担当看護師に「私はもう家に戻る事は無いと思う。でもこの世の最後で食べたご飯は娘が作ってくれたローストハムで良かった。その味が最後なら、何の心残りも無く逝ける」と談笑したという。

夫が会いに行った時、点滴でモルヒネと安定剤も投与されており、義母に「痛みや苦しみはあるか?」と聞いた時、義母は「何もない」と答えた。
看護師から「今からは、安らかに逝けるように努めています」と説明があった。
夫はその場にいながら、医療スタッフ達が全力でかつ、患者にもそれを見守る家族にも寄り添ってくれている事が本当に嬉しかったと語った。
朝8時、義母は安らかに逝ったそうである。

7年前に夫を亡くして以来、悲しさと寂しさ、孤独、そして白血病から来る体の痛みと足の腫れに苦しんできた。
秋から体内の血液を入れ替える輸血と、飲めば吐き気とめまいと頭痛がするほどに強い痛み止めを飲まねば椅子に座る事も苦痛になっていた義母にとって、これからも生き続ける事は相当に苦しかったし、それを毎日聞く事もキツかったと夫は話してくれた。
「もう痛みからも解放され、夜に襲って来る孤独と寂しさと悲しみからも解放されて安らぎを手に入れたのなら、今ここで例えコロナが原因で逝ったとしても、お母さんにとっては良かったのだと思う」と、全てをやりきった夫は言った。

たった15年弱の義母と娘の関係だったけれど、私の初出産を股のど真ん中で見守った義母との関係は、これからも私の中に残り続けて行く事だと思う。
いつか私が人生を終えた時は、多分義母があの世で待っていて「ちょっとカフェまで乗せて行って。美容液が切れたんやけど・・」と再び言って来るのではないかと思う。
その日まで、私は義母の大事な大事な息子と孫達を命をかけて守るのみ。

義母は夫に「犬残してしまうけどゴメン」と言ったという。
義母の飼い犬はうちが引き取るしかしょうがない事になった。
犬の臭いが苦手な私に義母が預けた最後の仕事が犬の世話である。
やってくれたな義母さん・・犬残しやがって・・
最後まで世話のかかる人だったから、義母の悪口さえ笑える今の私は幸せである。
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