
東電の計画停電が連日実施されている。計画停電とは、大地震により福島原発が機能停止に陥ってしまい、都心への電力供給能力が著しく低下したため、23区を除く関東エリアを5グループに分割し、時間帯で停電が意図的に行われるものだ。僕の家はまだ停電は実施されていないが、最近は街中が暗い。駅、スーパー、コンビニ、レストランが普段の半分くらいの照明にして営業している。遠くから見ると営業していないような感じもするが、逆にそもそもこれくらいで十分だったのではと思うようになってきた。元々、夜は暗いものであって、電気をいっぱい使って昼みたいに明るくすること自体が不自然なことだったのかもしれない。
今回の大地震は東北地方に住む人の命をたくさん奪い、企業の生産拠点を崩壊させ、日本人は精神的にも経済的にもダメージを相当与えられた。ただ、この地震をきっかけに、日本人はこれまでに忘れてしまっていた大切な精神に気づかされたような気がしている。日本は明治維新から経済力をひたすら追求し、米国に続く経済大国になったわけだが、その代償としてモノを浪費することを美徳とする資本主義の強欲心を蔓延させてしまった。眩しすぎる照明も、棚に入りきらない商品も、世の中全てがオーバーフローしていることが当たり前になってしまい、それらが脆弱なバランスのもとで成り立っているということを忘れてしまっていた。書店にはジャストインタイム生産システムだのPOSシステムだの、もっともっらしいビジネス本が並んでいるが、そんなものは決して人間生活を豊かにしているのではなく、ただ皆を忙しくさせているだけなんだと思う。そんなに素晴らしいシステムなんだったら、何で今、幼児のために500mlペットボトル1本が中々手に入らなくなってしまうのか、誰かちゃんと説明できる人がいるだろうか?
最近、途中で読むのが止まってしまったが、司馬遼太郎の「翔ぶが如く」の西郷隆盛を考えてしまう。明治維新によってサムライ時代から商売人時代に変化してしまったことを受け入れることができず、征韓論とともに敗れていくわけだが、彼が最も伝えたかったことは、征韓論を実現することが目的ではなく、古くから武士道を通じて受け継いできた古き良き日本人としての精神が、近代国家へ移行する過程で消え去っていくことを憂いでいたということだと思う。
なんで世の中はここまで商売根性が台頭するのだろう?サブプライム問題も新興国バブルも資源価格高騰も全部金余りの腐った商売根性の産物に過ぎない。そんな腐ったマネーが地道に物を作っている人の生活を平気で潰していく。ヘッジファンドみたいなくだらないマネーが経済を無駄にフル回転させ、エネルギー需要を不必要に増長させ、それが原発建設に繋がり、結局災害によって、真面目に農作物を作っている人の上に放射能を浴びせている。
関東大震災発生のすぐ後に内務大臣として入閣した後藤新平は、「復旧ではなく復興だ」といって震災後の復興に努めたらしいが、今回の日本国の復興は、エネルギー需要や物流ネットワークを元に戻すことではなく、西郷隆盛が伝えたかった日本人が明治維新によって失ってしまった精神を取り戻すことが「復興」になるのかもしれない。