「ネズミの装置」の実験をご存じでしょうか。
ある装置の付いた箱にネズミを入れて、学習する様子を観察するというものです。
中学1年生の国語の教材にも出てくるので、読んだことのある人もいるかもしれません。
この箱の中では、ブザー音が鳴ったときにレバーが押されるとエサが出てくる仕組みになっています。
ここにネズミが入れられて、ブザー音が鳴るとネズミはパニック状態になって箱の中を走り回ります。
その時に、偶然にもそのレバーを踏むとエサがボロボロっと出てくる。
ネズミからすれば、人間の作ったレバーが何物なのか、何のためのものなのかなんてわかりません。
ですから、この偶然から得たエサの出現をまた体験したいと走り回るわけです。
ただ「ブザーが鳴る」と「レバーを押す」という2つの事柄が合わさらないと、エサは出てきません。
何度も何度も、色々なことをする中で、この2つの事柄とエサの出現の因果関係に気づくわけです。
これはネズミのお話ですが、誰にでも当てはまることでもあります。
「要は何度もトライして、失敗は成功の基的なことが言いたいんでしょ?」
なんて思っていませんか。
違いますよ。
一直線に成功(正解)をすることは、良いことばかりではないということです。
なぜなら、そのルートしか知らないまま進んでしまうから。
どんな理由があって、その方法を使うのか。
ほかにも方法はあるのだけど、あえてその方法を使う理由はなにか。
僕たち塾屋は毎年毎年、受験を戦っていきます。
そのとき、去年まで上手く運んでいた授業や指導が、今年にもそのまま100%活きてくるかと言ったら、そんなことはありません。
今年の生徒はどんな生徒たちで、どんな価値観をもっていて、どんなご家庭で、、、
色々な要素を加味しながら、一番うまく運べたと思う年度に近づけ追い越すような作戦を立てるんです。
ウィルが「伝統」って言葉を大事にするのもこのためです。
僕たち講師からできることだけでは、頭打ちになってしまうタイミングもあります。
そんな時、生徒たちを、踏ん張れるひとりの挑戦者にするための一つの要素が「伝統」にあると考えているのです。
上手くいった時こそ、「何がうまくいったのか?」「何は実は要らなかったのか?」そんなことを考えねばいけないのです。
最短ルートで成功や成果を上げることに比重の置かれるこの昨今。
子供たちにまで、それを求めてはいけないのは、なぜか。
今までの話しでわかりますよね。
キングコングの西野と梶原が出ているCMで、
「俺たちはやってみたから、わかったんだもんな!」
小さい事がらなら、多少の遠回りはするべきです。
では~![]()