今日(月曜日)の午前中は、義母と約束していたスマホ講座を行った。
毎年恒例で年末になると年賀状を自分で作る義母なのだが、デザインをパソコンで作成して、はがきサイズにして印刷するところまでを全て出来るかというとそういうわけではない。ただ、その年にメインで教えたこと(一緒に探り探りやったこと)は、翌年まで残っていて、同じことを2回聞いてくるということはほとんどない。
例年パソコンの操作についての質問になることが多いのだが、今回は年賀状をスマホをつかって作成・印刷したいとのことで、同じアプリをインストールして操作法を探り探り解明していった。
とはいえ、冨田もだいぶオジさんなので、危ういところがいっぱいある(笑)
Microsoftをミクロソフト、wifiをウィーフィーと読んだり、インスタのことに興味を持ったりと、可愛いところや学ぶ意欲にあふれている姿を目の当たりにすると、冨田の先生心をくすぐって、「それならあれも、これも」と欲張って伝えようとしてしまう。
とはいえ遠く離れた場所に住んでいるので、もっぱら電話やビデオ電話を使用。直接にくらべれば当然効率はよくないのだが、お互い根気強く楽しく行っている。
勿論こちら側からも、人生の先輩に対して相談なんかもして、お互いが得られるものをしっかりと得ている。
冨田の30年後も、義母の様に好きな事ややりたい事を見つけて活動的にいられるのだろうか…はなはだ怪しい。
ひるがえって生徒たちの事。
小学生が良く発する言葉に「やり方わすれた」ってのがある。
これめちゃくちゃ要注意。
「えっ?やったことがあるものに対して、またそれが登場して、『なんだっけ~』っていう感じで言ったんじゃないの?」
勿論そうなんだけど、それってその問や聞かれ方に対して『やり方』を丸々覚え込んでいるってことでもある。
大人側が「ちょっと忘れちゃっただけか~」なんて安易に考えていたら、実は全く分かっていない、意味は理解できていないなんてことは往々にしてある。またそれの厄介な所は、「忘れた」と言っている本人は特別丸暗記することを悪いことだと思っていない。
だから「やり方わすれた」と言っている生徒は、少しハードルの高いものがあると「覚えればいい」「暗記をすればいい」なんてことをすぐに口にする。シチュエーションとしては、模擬試験の問題を解き直し出来ているか確認するために改めて解くときや、同じ問題で再テストをするとき何かが分かりやすいのではなかろうか。
「答え覚えれば良いんじゃね!」と堂々と恥ずかしげもなく言い放つ。
彼ら彼女らにとっては、それがなぜ宜しくないことなのかなんて考えたこともないのだから。
そんな時、大人はそれがどれだけ宜しくないことか、意味のないことなのかを伝えてあげる義務がある。
ただ悪意のないものに対してだから、声を荒げてはいけない。
それでも繰り返しそういう状態が続いた時には、集団の力がモノを言う。
「やり方忘れた」「覚えればいい」なんて発言しようもんなら、「ほら出た!また言ってるよ」そんな風に仲間たちの視線が降り注いでくる。そういう体験を繰り返しながら「学習する事」「学習の仕方」を修正しながら、大人になっていく。
大人になってまで、「意味わからないけど、やり方おぼえちゃえ~」は目も当てられない。
こども社会以上に、大人の社会はそういう人に対して冷たい。
それすらも温かく見守ってくれるような集団は、ありがたいどころか人をダメにするし、そもそも存在するのに価値のない場所なのかもしれない。
ちょっと言い方はよろしくなかったのかもしれないが、ウィルはそういう事に対して厳しい場所だし、そういう場所であり続けなければいけないとも思う。
そんな場所であり続けるためにも、生徒だけでなく講師にも教育をしなければいけない。
変に打算的でコスパ重視の教えは、教育ではないのだから。
是非、冨田の義母を見習って頂きたい。
では
小5@算数 授業前から借りていく本をキープするレディースたち
