本人の意志が(ほとんど)ない志望校を掲げさせ続けても、マイナスしか生まれないという話です。


もう何年も前の話ですが、中1、中2もほぼオール3の生徒がいました。


突然やる気を出して頑張ってみては、あっという間にやる気がなくなる…そんな幼さを残す男の子です。


ウィルでは、中3になる4月〜5月にかけて、志望校をどこにしてこの1年を頑張るのか、1時間ほどかけてじっくり保護者の方と生徒、そして我々とで話し合う三者面談があります。


彼は中2の終わりから「所沢高校を目標にする!そしてMARCHの大学生になるんだ」とほぼ毎日自習に来るようになっていまして、そうすると当たり前ですができることが日々増えていきます。となれば、我々講師らも「このペースでやれば十分に合格できるよ!」と声かけができるようになる。そう言われると彼もさらにやる気が出る。という好循環の真っ最中。志望校決めの面談は、彼のすばらしいところをたくさん伝えられる理想的なものになる…はずでした。


面談が始まり、どこを目標にやっていこうか?と本人に聞くと、うつむき気味の彼はチラッと母親の方を見て、こう呟きました「◯◯高校…」。


その高校は県内最高峰の一つです。


いや、ちょっと待て。確かに入試本番で点数が取れれば中1、中2の内申点なんて挽回できるけれども、さすがに今からそこはめちゃくちゃ大変だぞ。しかも、その高校の名前もキミの口から初めて聞いたし。いったいどういうことだい?


いくら問いかけても「◯◯高校を目標にします」としか言いません。


わかった。では、そこを目指してカリキュラムを組みますね。受かるためには当然だけれど◯◯高校を目標にしている生徒らとまったく同じカリキュラムをこなしてもらうことになる。やると決めたのだから頑張れよ。オレらも全力で応援するから。


そう伝えて、◯◯高校に合格するカリキュラムを手渡しました。


で、どうなったかと言うと、まったくできません。やってもきません。やってきてもテキトーなやっつけ仕事です。


すると、「これでは受からないよ」「やると言ったのは自分だろう?」「なぜなんにもやってこない?君のために特別指導の枠を設けたのに意味がないじゃないか?」と親からも講師たちからも叱られる回数が増えていきます。するとどんどん彼のやる気も失われていきます。面談前のプラスのスパイラルとはまったく逆の、マイナスのスパイラルです。


完全に表情が曇ってしまって、止まってしまった彼に、僕はそっと呼び寄せ話を聞いてみます。


もう一度聞くけど、なぜ◯◯高校なんだい?


すると彼の口から出たのが、


「志望校には大抵届かないものなのだから、とりあえず高めのところにしなさい。◯◯高校なんていいんじゃない?ってお母さんが言うから…」


これ、悪手ですよ。本人からすれば、納得できない理由で叱られ続けるわけです。そりゃあやる気は奪われていきます。


本人は◯◯高校に行きたいなんて1ミリも思ってないんだそうです。それで「◯◯高校に行きたいって言ったのになぜやらないの?」って言われ続けるんです。本人からしたら答えられないですし、求められる質も量も納得できないのでイライラしか溜まらない。


志望校はただ上げればいい、なんてことはないです。確かに上げることで余裕が生まれるという話はありますが、それはこういうケースの時です。


県内最高峰、東京大学合格者数において全国トップクラスの浦和高校に進学した生徒。


浦和高校を目指してやってきて、合格はしたものの、さて大学はどんなところがあるのだろう?となったそうです。


国立大学って難しいって聞くな。早稲田とか慶應って人気みたいだな。医学部ってのも興味なくはないな。くらいでイメージがぼやーっとしていたようです。そこで担任に相談したところ、


まだ入学したばかり。これから色々なことを見て、聞いて、感じることも増えていく。だから具体的に決めず、今はとりあえず東京大学を目指して頑張っていればいい。東京大学を目指して頑張っていれば、行きたい道がどこになろうと行けるのだから。


東京大学にはさすがに無理だろうと思いつつも、この話には納得したそうで、とりあえず東京大学に向けて勉強し続けていたら、東京大学に受かったという話です(笑)


この2人の話、違いはどこにあると思いますか?




ちなみに、◯◯高校に行きたいと、たとえ本人が自らの意志で言ったとしても、やっていく中で、「やってみたらこれは無理だ。こんなにやらないといけないのなら行きたくない」と思っているかもしれません。もしすでに心が折れているのなら、周りが「自分で決めたことに責任を待て!」と引っ張るのもまた悪手です。それがたとえハッパをかけるためだったとしてもです。


大切なのは、本人の意志。


意志あるところにのみ道は拓ける。意志のない者に道を示しても選びません。本人の意志だと本人が思わなくては、周りがいくら笛を吹こうとも、どんなに素晴らしい音色を奏でようとも、踊ってはくれないのです。


とくに男の子は笑い泣き


一流の指導者、一流のチームリーダーって、説明が上手いとか、話が楽しいとか、気遣いが巧みだとか、何か人を惹きつける魅力のあるいろいろなタイプの人がいますけれど、唯一の共通点となるとやっぱり「自分の意志だと思わせる力」と「その意志を増幅させる力」がある人だと思います。


高校入試であろうと大学入試であろうと、「教科書にあることをどれだけ読み込んで自分のものにしたか」と、その知識を手に入れる過程で「どれだけ疑問に思い、調べて確認し、理解したか」の2つで十分にお釣りがきます。

 

そして仮にその総量を数字に置き換えて3000とし、この3000にどこまで近づけられたかが合否だとしましょう。

 

たとえば県内最高峰の浦和高校や大宮高校、川越高校なら2800とか2500あれば合格、所沢北高校なら2200とか、所沢高校なら2000とかで合格!みたいに考えてみます。

 

やるべきことの総量が数値化されれば、後はそれを入試までの日数で割れば1日の勉強量がおおよそ見えてきますよね。

 

きっと誰もが行きたいところに合格できる気がしてくると思います。

 

たとえば、めちゃくちゃ具体的な例として、社会科で考えてみましょうか。

 

教科書は、中1も中2も中3もそれぞれおよそ250ページです。教科書の中にあることからしか出題されませんので、750ページを3年間で仕上げれば100点が取れます。

 

1年は365日ですが、正月やお盆もありますし、病気もすれば、疲れすぎてできない日もあるでしょう。かなり余裕をもって教科書のページ数と同じの、1年を250日として教科書のページ数を割れば、1日1ページ。1ページって見開きの片方だけです。もし中1の始めからコツコツやれば、これを入試までに読み込めばいいんです。それで100点を取れちゃうんです。


どうです?めちゃくちゃ簡単なことに思えますよね?

 

でも、実際には人間一度やっただけですべてを自分のものにできません。忘れます。残念ながら人間とはそういうように作られているんですから仕方がありません。

 

スーパー才能がある奴でも2周は必要でしょうから、そうすると1日の勉強量は2倍の1日2ページ。それでも見開き両面に過ぎません。

 

まあでもそんなスーパー天才はそういませんよね。普通は3回、4回くらいはかかるものです。

 

すると、1日の勉強量は3倍、4倍と、忘れた分だけ増えていってしまうわけですが、何が言いたいかというと、要はそれを入試までの日数で割った量をこなせるなら受かる、こなせないなら受からない。それだけなんだということです。

 

所沢高校に受かりたいなら、総量は2000×忘れた回数。そして残りの日数は○○日。そして、1日にできる量を超えたときに志望校を下げざるを得なくなる。

 

あなたがどれだけ才能があろうとも、どれだけ気合を入れようとも、死ぬ気でやろうとも、人の2倍はできないし、1日を50時間に増やすこともできません。

 

そして同じように、行きたい高校への合格に必要な総量も変わらないし、受験日までの日数も増やせないのです。

 

まずは物事を難しく考えないで、単純化して考える。そして、当たり前のことを受け入れる。すると一瞬ですがヤル気が湧いてくるはずです。もし湧いてこないのなら、その高校は行きたい高校ではありません。目標ではなく妄想です。広瀬すずと結婚したいとか、そういう類いの妄想に周りを付き合わせないでください。

 

ヤル気が湧いてきたら、その一瞬を逃さずに、今すぐに教科書を開くこと、テキストを解くこと、やるべきことをすること。時間は何分でも構いません。10分でもいい。とにかく14日間続けてみる。

 

あなたの人生は、ここから変わります。

 

「○○高校に受かった人は、めちゃくちゃ勉強してるみたいだよ。」

 

だから、○○高校に行きたいなら、めちゃくちゃたくさん勉強しないといけない。というロジックでのアドバイスは危険です。

 

「うまくいかないのは自分の頑張りが足りなかったから(勉強時間が足りなかったから)理論」で考えるようになってしまったら、成長はさらに鈍感してしまうからです。

 

まったく時間をかけていないなら別ですが、ある程度の時間をかけているのにうまくいかないなら、原因は時間ではないところの方が大きいと考えるべきです。

 

そこを考えずに闇雲に時間や量を増やしていくやり方では、どこかで限界が来ます。なぜならツラいから。

 

朝起きて学校に行き、部活をやって帰ってきたらもう18時とか19時です。寝るのを23時としたら、家での時間は5時間くらいなものです。

 

その時間の中で、ご飯を食べて、お風呂に入り、歯を磨いて、トイレに行く。2時間で収まるでしょうか?

 

収めたとして、残りの時間は3時間ほど。

 

その中で仮に2時間も勉強していたなら十分過ぎませんか?

 

家族と話す時間や、ソファに寝転んでテレビやゲーム、マンガやYouTubeなどに費やす自分の時間も必要でしょう。ぼーっと空想に耽る時間だって決して不必要なものじゃない。

 

時間は有限。限られているものだからこそ、何かに使えば何かができなくなる。以前もトレードオフについて書いていますが、時間もお金と同様にトレードオフなものです。

 

勉強時間を増やすこと、それはイコール、自分の時間を減らすことです。なのに成果を上げる方法がさらに時間を増やすことしかないという呪いをかけられたら、そりゃあツラくなりますよ。

 

勉強は時間や量に比例はしません。人間はそんな単純にできていません。

何をどれだけやったかも大切ですが、それよりも、何ができるようになって、何が残っているのかの方がはるかに大切です。

 

わからないのは、できないのは、大抵の場合、前がわかっていないからです。

なぜ前がわかっていないのかといえば、それは忘れているからです。まずは忘れないようにする工夫が先です。

 

「忘れたらまたやることになる。

それはつまり自分の余暇を削ることになる。

そんなに勉強時間を増やしたいのかい?(笑)」

 

一番大事なことは、入れることではなく、残すことです。