全然、更新できてないですね。

 

多くの人からせっつかれてまして、お恥ずかしいかぎりです。

 

こんなブログですが、せっつかれているうちが華。がんばって書いていこうと思います。

 

というとで、まずは24期生の9月北辰テストの結果を書いていきましょう。 

 

国語 ss 56.7

数学 ss 59.2

英語 ss 58.7 

3科 ss 58.6

5科 ss 59.2

 

また、分布はこうです。

 

県内上位3%より上、川越・浦和レベルにいることを表すss70以上は3名(2名)。 

県内上位7%より上、所沢北レベルにいることをを表すss65~69は5名(5名)。 

県内上位16%より上、所沢レベルにいることを表すss60~64は4名(8名)。 

県内上位30%より上、所沢西レベルにいることを表すss55~59は11名(8名)。 

そして残念ながら県内上位30%、ss55に達することができなかった生徒は7名(7名)。

※ ( )内は5科の数値

 

昨年、一昨年と続いている、ここ東所沢教室だけの傾向としては、

 

1つ目が、国語が足を引っ張ること。

 

そして2つ目が、僕が指揮する英語において、全生徒に県内およそ上位20%だけが課す『学校選択問題』、これを攻略するためには先へ先へ進まざるをえないために、指示どおりにやってくれているグループとやってくれないグループとの間で成績に乖離が出てしまうこと。

 

この2点が浮き彫りです。

 

たとえば、選抜クラスの英語がss64.5に対して、普通クラスの英語はss52.9と、なんと10以上の差がついてしまっています。

授業内容、進度、課題とすべてがまったく同じなのにです。 ※ウィルの選抜クラス、普通クラスには授業内容に差をつけていません。

 

かつて学校選択問題が無かった頃、つまりすべての県立高校が同じ問題だった頃は、週に一回の授業で、しかも宿題もほぼ出さずして、半分の生徒が90点以上、苦手な生徒でも60点くらいは取らせていたものです。

 

それが今では、宿題を出さないと(もちろんやってくれないと)数字が取らせられない状況が続いています。

 

どうにか宿題なしで取らせられないかと、2,3年は模索しましたが、よくよく考えたら『週1回90分の授業で、宿題もほぼ無し。それでも半数近くが9割取れる』レベルの入試にしていた日本のレベルがそもそも問題だったんじゃないかと考え直して、ここ3年ほどは宿題を出すようにしています。

 

でも、そしたら「やる人」と「やらない人」で差がえげつないの。

 

語学だからそういうものでしょ。って、みんな言いますけど、そこをなんとかしたいわけです。そこをなんとかできたら神の手じゃないですか。神の手、目指したいじゃないですか。

 

1000個近くある教科書の英単語の中から、これは!というもの200個に絞りに絞ったり、

 

3年間の教科書、そして過去20年間の県立入試過去問や北辰テストの中からこれは!という英文を200文に絞ったり、

 

長文も何十冊とあるテキストの中から選びに選び抜いて、いかに最小の努力で効果が出るようにと、頭をひねりにひねっても、結局やってくれなきゃ効果は出ない。

 

かつての入試だと今の半分でよかったですからね。だから授業内で対応できました。みんなも授業内ならやってくれましたが、今の『学校選択問題』だとどうしたってその倍はいりますから、授業内だけではとても完結できません。

 

前にも書きましたけど、この量、中3から頑張ろう!じゃあ間に合いませんよ。その前からある程度はやってなきゃ。

 

ぶっちゃけ、かつてのように定期テストで300点くらいの生徒が、たった1年で偏差値70に!なんて逆転、出にくいです。

いや、訂正。北辰だけでいいのなら偏差値70はいけるかもしれないですが、偏差値70の高校に合格できるくらいの英語力(学校選択問題で80点以上取れる英語力)は、とてもじゃないですが難しい。

 

まあ・・・でもこれが健全な外国語学習の姿なんでしょうけれど。

 

語学なんて、単純にやった量に比例する、もっとも能力に差が出ない科目なんだけどな。

 

語彙をやらないでも、早く読めて、内容もつかめる方法・・・そんなのあるのだろうか。いや、あるはずがない。

 

じゃあやってもらうしかないのだけれど、かといって、本人の意思に関係なく他者が圧力をもってやらせると、押さえつけられる年代の時ならまだしも、高校進学した後(手が離れた後)の反動はもの凄い。

 

そんなの教育じゃない。教育の目的は人間的成長であって、知識の量は目的じゃない。あくまでも知識の量は、本人の人間的成長の成果、本人の意思によるものであるべきだから。

 

じゃあどうするか。どうすべきか。

 

親とは違う距離から、視点から、そして1000人以上の中学生を見てきた経験から、いろいろな表現を用いて粘り強く伝えていく。きっと無駄じゃない。ほんのわずかでもきっと生徒の心に残っていく、積もっていくはず。