無位無官 wildfire
2011.7.2
2011.7.2
南相馬市のHPになかなか復興計画に関する情報が出てこないと思っていたが、ようやく7/1付広報の号外でその策定についての発表があった。
http://www.city.minamisoma.lg.jp/mpsdata/web/4610/gogai07.pdf
「12月上旬を目標に策定します」との文章を見て、落胆すると共に、やっぱりそうかという気持ちが半分以上を占めていた。「すぐにやります課」の名称がブラックジョークにも見えてしまったのは私だけであろうか。
市民参加型復興計画という方向性の持つ意味
一見素晴らしい行政対応とも受け止めることができそうなこの方向、実は落とし穴以外の何物でもないのではないかと感じた。
南相馬市の人口は約7万、現時点での市内在住人口がその半分、というのが現状であることを考えると、広く市民の意見を取り入れるということ自体が有名無実となる可能性は高い。一部の市民のガス抜き、という側面においてのみ有用な手段であると考えることもできる。端的に言えば、この非常時になに悠長なことをやっているのだ、ということだ。
避難している市民も、市内に残留している市民も、被災時から現在までの間、少なからぬ期間で情報難民となっていたことは疑いなく、現在も後からその分のたくさんの情報を一気に入手することで、その対応、処理に戸惑っているのが現実ではないか、と思われる。避難所にテレビやインターネット設備が配置されたのも、被災後一ヵ月以上を経過してからであった。
平時に市民の意見を広く集め、その積み重ねをした上で行政活動に活かし、市民との感覚のズレを最小に保つという行政態度は非常に立派であり理解できるものである。しかし今が平時だとは誰一人として思っている者はいないであろうし、こんな時に市民の声すら解らないのか、という疑問さえ生じてしまう。今まさに溺れているものに向かって、どういう助けが必要ですか、ご意見を頂戴します、と言っているのとどこが違うのであろうか。。
穿った見方をすることを許してもらえるならば、次の理由が考えられる。行政側の責任放棄(回避)、国や県に助けてもらうことしか考えていない、という2点である。
行政の立場から考えると、市民の意見を募集することによって、策定された復興計画に対しての批判を回避できるという魅力がある。議会からも厳しく追及されずに済むかもしれない。市当局が勝手に策定したのではなく、市民の意見を反映しながら作り上げたのだといって印籠を振りかざすことが出来るからである。しかしここに大きな落とし穴が存在していることに気がつかなければならない。行政機能が本当に機能していません、と公言するのと同じことになるからである。現在の市当局には、今の状態から将来の南相馬市の絵図を描く能力がないことを認めてしまうことになる。これはすなわち、復興計画案が策定されたとしても、その実行能力に問題が生ずるという懸念を現実のものにしてしまう恐れを生じさせてしまう。加えて、復興計画の策定に今から4ヶ月以上を費やすことを宣言したことで、3/11から7/1までの期間、復興に関する道筋を何一つ構築できていなかったことをも露見させてしまった。目の前に与えられた仕事については着手するが、自ら考えて先を見据えて仕事をする能力に問題があることを暴露してしまったようなものでもある。そこを隠すために市民参加をお題目として唱えて批判を回避しようとしているのではないか、厳しく言えばそう受け止めざるを得ない。市民の、現在のみならず、将来にも責任をもつべき行政の立場は、例え一緒に溺れていたとしても悠長にさてどうしましょうか、等という姿勢を見せてはならないと考える。市民からの意見を問うならば、少なくともあらかじめ、今現在の市当局としてはどのような南相馬市を目指しているのか、具体的にどういう施策が考えられているのか、という骨子を明らかにした上でなければならず、それは12月上旬であってはならない、そう考えてはいけないだろうか。表面を取り繕った市民参加を謳うことでで行政の責任放棄を隠そうとしてはならない。
次の点、国や県へのおんぶに抱っこ。
12月上旬の復興計画策定を目指す、という文言、12月上旬とはどういうタイミングであろうか。国の復興構想会議の提言が6/25に出され、8月末の国会の会期切れまでには複数の具体的な法案等が制定される見通しがつく。順調にいけば国の具体的な政策が見えている時期でもあり、ある程度の財政的な措置についても見通しが立っているであろうことも推測できる。他方県は、復興ビジョン検討会議によって方向性が示され、県としての具体的な施策の検討に入ろうとしている。秋には県の施策が見えているであろうし、具体的に実施されているものもあるかもしれない。すわなち、国と県の方向性と施策がはっきりしてからの、南相馬市復興計画策定という時系列を踏むことになる。その時になって、いったい市として何ができるのか。国と県の施策に乗っかった、焼き直しバージョン復興計画が出来上がるだけではないのか。しかも国や県の施策から洩れてしまった部分があったとしても、その後に対応を求めることは現実的であるのだろうか。大筋が決まってからこちらの筋を決め、もし大筋に遺漏があった場合には後追いで陳情攻勢をみせる。南相馬市はそういう姿勢で復興に臨んでいる、と考えるしかないのではないか。
今回の震災復興には巨額の財政が投じられることは予想するまでもなく明らかなことであり、必要充分のギリギリの(もしかすると不足の)状態で国や県の予算措置が行われることもまた同程度に明らかであろう。一度決まった枠を、それを後から追加要求したところで、そうやすやすと認められるとでも考えているのだろうか。一生懸命に陳情する姿を市民に見せて、市はこれだけ頑張ってます、とアピールするつもりなのだろうか。市として独自の復興計画案が早期に策定できないという事実、これは県や国の側からすれば理想的な地方行政の姿とは見えないであろうし、同時に市民の立場からも頼りがいのある行政の姿には見えないといえよう。
本当に、南相馬市には単独で独自に復興計画案を早期に策定する能力がないのか。そう考えたくはないのだが、どうしてもネガティブに捉えてしまう。今まで何をやっていたのだ。市は何をやっていたのだ。議会は何をやっていたのだ。厳しい指摘であることは承知しているが、そう問わずにはいられない。市民は時間の経過と共に疲弊していく。先が見えない時間が長いほど、希望を失っていく。12月上旬に明るい希望が見えてくるのか、とてもそうとは考えられない自分がいる。
白紙の復興計画における緊急提言
もし仮に、本当に今現在「白紙」の状態であるとするならば、早急に進めていただきたいことが幾つかある。
行政組織の再編成
復興計画の策定、実行には、それを行政機関として機能させるだけの人員が少なからず必要である。一日も早く、市復興推進本部の元に実働部隊の人員を確保しておかなければならない。本部にある程度の人員を確保し、政策の実行時には本部の職員が中心となって実働部隊と共に動き出せるのが理想ではある。しかし本部は大所帯にはできないであろうから、本部と政策実行との連携をとるべく実働部隊をあらかじめ各部署で決定しておき、そのうえで復興計画策定の現場にも通じておく必要がある。
計画が決まっても、現場との意思疎通が欠けてしまうと何を意図しての誰のための施策であるのかが曖昧になり、現場での作業効率が下がることにつながる恐れがある。
今現在の組織のままで対応すると、非常時という認識を欠き単に指示によって動いているだけの現場職員を生み出してしまう懸念がある。今回の震災復興は、上からの指示に基づき処理をするという通常時の案件と同様に考えてもらっては、結果として市民に負担をかけることになる。現在既に非常時体制になっているのかもしれないが、更に一段進んだ非常時システムを作り上げなければならない。
平時と同じ発想ではうまくいかないことも出てくるだろうが、非常時という認識と復興計画の持つ意味とを行政組織の中で共有するためにも、行政組織の再編成は必須であると考える。いざ実行という段になってのもたつきは、致命的となる。
復興会議と復興推進本部との融合
これまでに経過した時間の長さを考えると、復興会議は単に理念的、観念的に復興計画を策定すれば足りるという段階ではあるまい。具体的な施策にまで踏み込んで、現実的な復興計画を骨子以上の状態で策定しなければならないと考える。そのためには、いわゆる有識者会議ともいえる復興会議のみではそこまで踏み込むことは困難である。従って復興推進本部が復興会議と両輪となって現実的な政策を同時進行で打ち立てなければならない。市長を本部長とする復興推進本部は、復興会議に対する助言や資料提供等、一般的な有識者会議に対するような態度で臨んでは、まったくもって不足であると考えるべきである。復興計画の策定が、すなわち復興事業の着手にならなければならず、計画策定の後に具体的事業計画を講ずるような更に時間を要するような愚策は採るべきではない。時間を浪費することで結果として市民を犠牲にするような、無恥な行政態度は間違っても採るべきではない。
議会の有効な活用
議会は行政のチェック機能を果たすのが務めだといわれているが、それは役割の一つに過ぎない。行政機関と独立対等にある議会は、自治体の基本事項を議決する団体意思の決定機能を果たさなければならない。策定された復興計画については議会においての審議も必要であろうが、いちいち計画内容についての説明を求めるような愚問によって時間を浪費することなく、議会開催時には最低限、復興計画の趣旨、内容について熟知した状態で審議することが求められる。そのためには、場合によっては復興会議に参加することも考え得るし、それがかなわない場合にはオブザーバーとして常に復興会議に出席するなど市の将来に対する責任を果たしていくことが求められる。
あるいは、復興計画の実行の際に必要な案件について、議会において議決することが求められるものであるならばそれを条例で定めるなど、震災からの復興に対しての役割を議員個々の責任において自覚して行動するべきであろう。不勉強な議員の存在は、震災にかかる第2の人災であると肝に銘じておかなければならない。市政を糾弾しさえすれば良い、という程度の低い議会態度は結果として市民を苦しめることになる。
市民の活用
市職員の疲弊も、極限にまできているのが現実であると推測される。ところが、現在の業務実態および内容についての検証は、未だなされていない。法令等により、または業務の性質、内容等により正規市職員が対応しなければならないものを除いて、臨時に市民の登用を行うべきである。形式的には臨時職員でも、嘱託職員であっても良いが、震災によって当面失業を余儀なくされている市民も少なくないことから、その中から職務に堪え得る市民を積極的に登用し人材を有効に活用していくことが求められる。場合によっては議会の協力も求めながら、臨時職員の定員(があるならば)を時限的に条例で増員するなど、打てる手立ては全て打つべきであろう。震災からの復興が長期戦になることは明らかであるから、その意味でも市職員の疲弊を可能な限り防ぎ、復興のための政策の実施に支障をきたすことがないようにしておく必要がある。
復興行政監視委員会の設置
行政への監視機能としては、第一に議会が挙げられるが、同時に議会も被災からの復興に関しては当事者であるといえよう。また、市監査委員についても同様である。当事者が監視するということの弊害は、いうまでもない。
新たに独立の復興行政監視委員会を設置し、復興に関する行政手続き、執行等に関してチェック機能を持たせる必要がある。被災地という混乱の中では、必ずしも正当とはいえない手続きや執行内容等が発生する可能性は否定できない。まして巨額の財政が投じられることが当初から明らかになっていることからも、あらゆる不正の介在は極力排除されなければならない。
法務、財務、行政実務等に見識のある複数の外部有識者を復興行政監視委員として任命し、定期的に(可能ならば常に)監査を行い、年度毎または半期毎に報告書を市および議会に提出および公表する。監査の対象は、復興事業にかかる市行政全般および議会とし、議会に対しては事実の指摘にとどめ、他方、市に対しては事実の指摘に加えて是正勧告も明記する。
市の監査委員とは別個の独立機関として設置し、設置に関して条例等の制定が必要であれば、速やかに議会において制定する。
終