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私的 3.11 考

南相馬市復興計画(策定予定)の発表に関連して および緊急提言

無位無官 wildfire
2011.7.2


 南相馬市のHPになかなか復興計画に関する情報が出てこないと思っていたが、ようやく7/1付広報の号外でその策定についての発表があった。
http://www.city.minamisoma.lg.jp/mpsdata/web/4610/gogai07.pdf
 「12月上旬を目標に策定します」との文章を見て、落胆すると共に、やっぱりそうかという気持ちが半分以上を占めていた。「すぐにやります課」の名称がブラックジョークにも見えてしまったのは私だけであろうか。

 市民参加型復興計画という方向性の持つ意味
 一見素晴らしい行政対応とも受け止めることができそうなこの方向、実は落とし穴以外の何物でもないのではないかと感じた。
 南相馬市の人口は約7万、現時点での市内在住人口がその半分、というのが現状であることを考えると、広く市民の意見を取り入れるということ自体が有名無実となる可能性は高い。一部の市民のガス抜き、という側面においてのみ有用な手段であると考えることもできる。端的に言えば、この非常時になに悠長なことをやっているのだ、ということだ。
 避難している市民も、市内に残留している市民も、被災時から現在までの間、少なからぬ期間で情報難民となっていたことは疑いなく、現在も後からその分のたくさんの情報を一気に入手することで、その対応、処理に戸惑っているのが現実ではないか、と思われる。避難所にテレビやインターネット設備が配置されたのも、被災後一ヵ月以上を経過してからであった。
 平時に市民の意見を広く集め、その積み重ねをした上で行政活動に活かし、市民との感覚のズレを最小に保つという行政態度は非常に立派であり理解できるものである。しかし今が平時だとは誰一人として思っている者はいないであろうし、こんな時に市民の声すら解らないのか、という疑問さえ生じてしまう。今まさに溺れているものに向かって、どういう助けが必要ですか、ご意見を頂戴します、と言っているのとどこが違うのであろうか。。
 穿った見方をすることを許してもらえるならば、次の理由が考えられる。行政側の責任放棄(回避)、国や県に助けてもらうことしか考えていない、という2点である。

行政の立場から考えると、市民の意見を募集することによって、策定された復興計画に対しての批判を回避できるという魅力がある。議会からも厳しく追及されずに済むかもしれない。市当局が勝手に策定したのではなく、市民の意見を反映しながら作り上げたのだといって印籠を振りかざすことが出来るからである。しかしここに大きな落とし穴が存在していることに気がつかなければならない。行政機能が本当に機能していません、と公言するのと同じことになるからである。現在の市当局には、今の状態から将来の南相馬市の絵図を描く能力がないことを認めてしまうことになる。これはすなわち、復興計画案が策定されたとしても、その実行能力に問題が生ずるという懸念を現実のものにしてしまう恐れを生じさせてしまう。加えて、復興計画の策定に今から4ヶ月以上を費やすことを宣言したことで、3/11から7/1までの期間、復興に関する道筋を何一つ構築できていなかったことをも露見させてしまった。目の前に与えられた仕事については着手するが、自ら考えて先を見据えて仕事をする能力に問題があることを暴露してしまったようなものでもある。そこを隠すために市民参加をお題目として唱えて批判を回避しようとしているのではないか、厳しく言えばそう受け止めざるを得ない。市民の、現在のみならず、将来にも責任をもつべき行政の立場は、例え一緒に溺れていたとしても悠長にさてどうしましょうか、等という姿勢を見せてはならないと考える。市民からの意見を問うならば、少なくともあらかじめ、今現在の市当局としてはどのような南相馬市を目指しているのか、具体的にどういう施策が考えられているのか、という骨子を明らかにした上でなければならず、それは12月上旬であってはならない、そう考えてはいけないだろうか。表面を取り繕った市民参加を謳うことでで行政の責任放棄を隠そうとしてはならない。

次の点、国や県へのおんぶに抱っこ。
12月上旬の復興計画策定を目指す、という文言、12月上旬とはどういうタイミングであろうか。国の復興構想会議の提言が6/25に出され、8月末の国会の会期切れまでには複数の具体的な法案等が制定される見通しがつく。順調にいけば国の具体的な政策が見えている時期でもあり、ある程度の財政的な措置についても見通しが立っているであろうことも推測できる。他方県は、復興ビジョン検討会議によって方向性が示され、県としての具体的な施策の検討に入ろうとしている。秋には県の施策が見えているであろうし、具体的に実施されているものもあるかもしれない。すわなち、国と県の方向性と施策がはっきりしてからの、南相馬市復興計画策定という時系列を踏むことになる。その時になって、いったい市として何ができるのか。国と県の施策に乗っかった、焼き直しバージョン復興計画が出来上がるだけではないのか。しかも国や県の施策から洩れてしまった部分があったとしても、その後に対応を求めることは現実的であるのだろうか。大筋が決まってからこちらの筋を決め、もし大筋に遺漏があった場合には後追いで陳情攻勢をみせる。南相馬市はそういう姿勢で復興に臨んでいる、と考えるしかないのではないか。
今回の震災復興には巨額の財政が投じられることは予想するまでもなく明らかなことであり、必要充分のギリギリの(もしかすると不足の)状態で国や県の予算措置が行われることもまた同程度に明らかであろう。一度決まった枠を、それを後から追加要求したところで、そうやすやすと認められるとでも考えているのだろうか。一生懸命に陳情する姿を市民に見せて、市はこれだけ頑張ってます、とアピールするつもりなのだろうか。市として独自の復興計画案が早期に策定できないという事実、これは県や国の側からすれば理想的な地方行政の姿とは見えないであろうし、同時に市民の立場からも頼りがいのある行政の姿には見えないといえよう。
本当に、南相馬市には単独で独自に復興計画案を早期に策定する能力がないのか。そう考えたくはないのだが、どうしてもネガティブに捉えてしまう。今まで何をやっていたのだ。市は何をやっていたのだ。議会は何をやっていたのだ。厳しい指摘であることは承知しているが、そう問わずにはいられない。市民は時間の経過と共に疲弊していく。先が見えない時間が長いほど、希望を失っていく。12月上旬に明るい希望が見えてくるのか、とてもそうとは考えられない自分がいる。
白紙の復興計画における緊急提言


 もし仮に、本当に今現在「白紙」の状態であるとするならば、早急に進めていただきたいことが幾つかある。

 行政組織の再編成

 復興計画の策定、実行には、それを行政機関として機能させるだけの人員が少なからず必要である。一日も早く、市復興推進本部の元に実働部隊の人員を確保しておかなければならない。本部にある程度の人員を確保し、政策の実行時には本部の職員が中心となって実働部隊と共に動き出せるのが理想ではある。しかし本部は大所帯にはできないであろうから、本部と政策実行との連携をとるべく実働部隊をあらかじめ各部署で決定しておき、そのうえで復興計画策定の現場にも通じておく必要がある。
 計画が決まっても、現場との意思疎通が欠けてしまうと何を意図しての誰のための施策であるのかが曖昧になり、現場での作業効率が下がることにつながる恐れがある。
 今現在の組織のままで対応すると、非常時という認識を欠き単に指示によって動いているだけの現場職員を生み出してしまう懸念がある。今回の震災復興は、上からの指示に基づき処理をするという通常時の案件と同様に考えてもらっては、結果として市民に負担をかけることになる。現在既に非常時体制になっているのかもしれないが、更に一段進んだ非常時システムを作り上げなければならない。
 平時と同じ発想ではうまくいかないことも出てくるだろうが、非常時という認識と復興計画の持つ意味とを行政組織の中で共有するためにも、行政組織の再編成は必須であると考える。いざ実行という段になってのもたつきは、致命的となる。

 復興会議と復興推進本部との融合

 これまでに経過した時間の長さを考えると、復興会議は単に理念的、観念的に復興計画を策定すれば足りるという段階ではあるまい。具体的な施策にまで踏み込んで、現実的な復興計画を骨子以上の状態で策定しなければならないと考える。そのためには、いわゆる有識者会議ともいえる復興会議のみではそこまで踏み込むことは困難である。従って復興推進本部が復興会議と両輪となって現実的な政策を同時進行で打ち立てなければならない。市長を本部長とする復興推進本部は、復興会議に対する助言や資料提供等、一般的な有識者会議に対するような態度で臨んでは、まったくもって不足であると考えるべきである。復興計画の策定が、すなわち復興事業の着手にならなければならず、計画策定の後に具体的事業計画を講ずるような更に時間を要するような愚策は採るべきではない。時間を浪費することで結果として市民を犠牲にするような、無恥な行政態度は間違っても採るべきではない。

 議会の有効な活用

 議会は行政のチェック機能を果たすのが務めだといわれているが、それは役割の一つに過ぎない。行政機関と独立対等にある議会は、自治体の基本事項を議決する団体意思の決定機能を果たさなければならない。策定された復興計画については議会においての審議も必要であろうが、いちいち計画内容についての説明を求めるような愚問によって時間を浪費することなく、議会開催時には最低限、復興計画の趣旨、内容について熟知した状態で審議することが求められる。そのためには、場合によっては復興会議に参加することも考え得るし、それがかなわない場合にはオブザーバーとして常に復興会議に出席するなど市の将来に対する責任を果たしていくことが求められる。
 あるいは、復興計画の実行の際に必要な案件について、議会において議決することが求められるものであるならばそれを条例で定めるなど、震災からの復興に対しての役割を議員個々の責任において自覚して行動するべきであろう。不勉強な議員の存在は、震災にかかる第2の人災であると肝に銘じておかなければならない。市政を糾弾しさえすれば良い、という程度の低い議会態度は結果として市民を苦しめることになる。

 市民の活用

 市職員の疲弊も、極限にまできているのが現実であると推測される。ところが、現在の業務実態および内容についての検証は、未だなされていない。法令等により、または業務の性質、内容等により正規市職員が対応しなければならないものを除いて、臨時に市民の登用を行うべきである。形式的には臨時職員でも、嘱託職員であっても良いが、震災によって当面失業を余儀なくされている市民も少なくないことから、その中から職務に堪え得る市民を積極的に登用し人材を有効に活用していくことが求められる。場合によっては議会の協力も求めながら、臨時職員の定員(があるならば)を時限的に条例で増員するなど、打てる手立ては全て打つべきであろう。震災からの復興が長期戦になることは明らかであるから、その意味でも市職員の疲弊を可能な限り防ぎ、復興のための政策の実施に支障をきたすことがないようにしておく必要がある。

 復興行政監視委員会の設置

 行政への監視機能としては、第一に議会が挙げられるが、同時に議会も被災からの復興に関しては当事者であるといえよう。また、市監査委員についても同様である。当事者が監視するということの弊害は、いうまでもない。
 新たに独立の復興行政監視委員会を設置し、復興に関する行政手続き、執行等に関してチェック機能を持たせる必要がある。被災地という混乱の中では、必ずしも正当とはいえない手続きや執行内容等が発生する可能性は否定できない。まして巨額の財政が投じられることが当初から明らかになっていることからも、あらゆる不正の介在は極力排除されなければならない。
 法務、財務、行政実務等に見識のある複数の外部有識者を復興行政監視委員として任命し、定期的に(可能ならば常に)監査を行い、年度毎または半期毎に報告書を市および議会に提出および公表する。監査の対象は、復興事業にかかる市行政全般および議会とし、議会に対しては事実の指摘にとどめ、他方、市に対しては事実の指摘に加えて是正勧告も明記する。
 市の監査委員とは別個の独立機関として設置し、設置に関して条例等の制定が必要であれば、速やかに議会において制定する。
終

政府の基本的な考え方について愚考

2011.6.29
無位無官 wildfire


 細野原発事故担当相が、着任早々に政府としての考え方をにじませる発言をした。7/17の段階で、水素爆発の危険性がないと判断できた場合には、警戒区域と計画的避難区域を縮小する方針であるという。
 基本的にはこの考え方に賛同するが、問題はその方法である。

 文科省によって東電原発を中心とした現在よりもより詳細な被曝線量調査が実施され、その結果に基づいて改めて線引きをするという方向であろうと推測する。
 しかし文科省の調査は、最小で2kmメッシュである。人々の暮らしを考えたとき、これではザルの目が粗すぎる。まして集中的に線量値の高い地区、場所等の積極的な発見作業が行われる保障が今現在ないため、住民の被曝をどのようにして小さくしていくのかという明確な方針は示されていない。

 5/28に南相馬市で行った説明会に使用された資料によれば、1年間の積算線量推定マップに示された等値線の最小値が10mSv/yearであった。どの年間推定量を基準にして、警戒区域(20km圏内)、計画的避難区域(南相馬市の一部、飯舘村など)に住民を戻そうと考えているのであろうか。

 20mSv/yearにするのか(福島県内の小学校の校庭と同基準)。
 10mSv/yearにするのか(何となく半分にしてみた)。
 5mSv/yearにするのか(放射線管理区域の設定基準値を僅かに下回る)。
 1mSv/yearにするのか(事故以前の法令による基準値)。

それによってこの国が国民を守りたいのか被曝させたいのか、見極められるかもしれない。

本当ならば1mSv/yearであるべきところであるが、当該区域内にそのような場所はほとんど無い。せめて5mSv/yearであって欲しい、と思いながらも、20mSv/yearになりそうな予感はしているし、政治的に10mSv/yearとすることも考えられる。
 住民を戻した後(戻す前でも)の地域の除線に関しても、どこまで国として関わっていくのかという点も注視したい。当該地域には、放射能に汚染された瓦礫が多数そのままの状態で残されており、仮に表土をはぐとすれば膨大な量の土砂を相手にしなければならなくなる。そして瓦礫やその処分先はどこにどうやって設置するのか。単に線を引きなおしてオシマイ、という事態になることだけは避けて欲しい。
終
農水産物の現在の出荷制限について小考

無位無官 wildfire
2011.6.28


 国による現在の暫定基準値による農水産物の出荷制限についての疑問と、私案の提言理由について改めて記してみる。

6.21提言「多少現実的な提案」に、F.A.R.の設定を盛り込んだ。私自身は、これでもまだ不足なのではないかという気持ちが働いているところである。放射線による健康被害の実態解明は、全く持って不十分であると考えられるのがその理由である。
南相馬市で5月28日に、原子力災害対策本部によって説明会が開催された。その資料によれば、緊急時避難準備区域における生活上の留意点として以下の点を挙げている(抜粋)。
「気になるようであればマスクをし、長袖を着用してください」
「家庭菜園で作られた葉菜類を食べる場合は、十分に水で洗ってください」
「市場に出回っている食品は、摂取制限がなければ、飲食して問題ありません」
「ネット社会のデマも惑わされない」
(どちらがデマだろうか、と感じるのは気のせいだろうか)
とある。
 また、「積算線量20mSvの予測の考え方」として、核種の半減期の影響や雨等による放射性物質の流出等の放射能の減少については考慮していませんとしている。すなわち雨風等による集積についても同様に考慮されていないのであろう。

 基本としているのは、「100mSv/year以下では健康への影響はない」との立場である。ならば、20mSv/yearと決めた(現在も変更はないが)県内の小学校の校庭の基準値について、あれほどの反応を見せる必要はなかったのではないか。行政的時間感覚で言えば速やかに、「1mSv/yearを目指して」云々という曖昧な文言を発表したが、肝心なその根拠が存在しない。根拠のない口からでまかせに等しい、と言われても仕方のない対応であったといわざるを得ない。それで本気で1mSv/yearを「目指して」いると、住民が信じ込むとでも考えているのであろうか。単なる口約束の努力目標であり、きわめてずさんな対応であると指摘しておく。

 この100mSv/year、20mSv/yearという立場は、明らかに健康への影響を意図的に過小評価しており、市民の将来の安全を守るという視点に立った時、決して是認することはできないものである。10カ年間の間に50mSv余を積算で浴び、慢性骨髄性白血病に罹患し死に至った原発作業員の例もあり、これは労災認定された事案であるからその意味でも100mSv/yearという基準は合理的とはいえない。国として過小評価したい気持ちは理解できるが、その過小評価の積み重ねの結果として今回の事故を招くに至ったという点を、それこそ過小評価してはならない。
 平常時の1mSv/yearという基準が、緊急時に100mSv/year、20mSv/yearと引き上げられても安全であるという根拠は全くない。緊急時に人間の耐性が突然長期間上がり安全である、という事実の証明でもあれば別だが、間違いなく被曝の危険にさらされ、そのことを強制する仕組み以外の何物でもない、と解するより他にない。安全であるとするならば、平時から100mSv/yearを基準としていれば良いのである。エアコンの温度設定を、平時は23℃であったものを、緊急時だから26℃にまで上げる、というものとは全く異なった性質の問題であることは間違いない。


 農水産物等の出荷制限について

 フクシマを含め、その近県場合によっては関東に至までの範囲で、農水産物等について網羅的かつ定期的に線量測定を実施する必要がある。少なくとも原発付近の住民は多かれ少なかれ既に被曝しており、それ以上の被曝の積算を極力小さくしてこれからを過ごさなければならない。被曝の危険が小さい地方であっても、放射能含有飲食物の摂取は当然のことながらより小さくする必要がある。少なくとも、事故以前に常食としていたものの数値程度、または極めてそれに近い数値の農水産物のみを摂取するように心がけるべきではないか。その方策を採るのが市民を守る立場の行政のすることではないだろうか。
 生産者としても、制限ギリギリの生産物を消費者に提供して喜んでいられるのだろうか。売ったあとのことは知りません、という考えが多数であったならそれは構わない。(私は何も言わずにただ応援しないという立場をとるだけである。)比較的低線量の放射線による健康への影響に関する研究は、日本では非常に限られた少数の研究者しかいないのが実態であるといえよう。原子力に頼りたい国のやり方に沿った御用聞き研究がまかり通っているのではないか。過去には、「絶対にそんな事故は起きません」、と断言していた専門家も複数存在していたが、事故以来姿を見ることはない。そうした研究過程で作り出されたともいえる現在の暫定的な基準値を妄信するわけにはいかない。前提となるはずの「起きない事故」が、実際には起きてしまったのであるから。

 農水産業の生産物に対しては、各県で一元化してその放射線量を測定し、新たに策定した基準に基づいて、それらを明示した上で流通させるべきである。もちろん摂取制限年齢も併記する必要がある。
 考えるべきことは、従前の考え方を通してしまえば、今後5年から数十年を経過して晩発性障害が発生した場合に、国はその面倒をみてくれない、という可能性である。少なくともそこまでの面倒を見てくれるという保障はどこにもない。チェルノブイルで約20年を過ぎて発症している脳への影響や遺伝的な奇形などの存在も、国としてはロシアもベラルーシも日本も研究結果として公式には認めていない。公式記録から削除されている被害者が存在する可能性を、地域行政として考えフォローしていかなければならない。そのためには莫大な費用もかかり、しかも将来にわたっていつ終息するとの見通しすらたたない被害になるであろうことも考慮しなければならない。
 それを防ぐには、いかに被曝を小さく抑え込むかの1点にかかっており、現在の暫定的な基準値では被害の拡大に貢献することはあっても、被曝を小さくする役には不足であると考えるべきである。さらに農水産物に関して、あらゆる品目での検査が行われている形跡は見られず、特に水産物については野放しになっているようにも見受けられる。また、基準値以下の数値であった場合でも、全てを公表しているわけではない。

 原子力安全委員会の委員長は、原発事故後に「チェルノブイルとは規模が違う(より小さい)。死者もまだ一人も出していない」旨の発言をしている。これはどう考えるべきなのか頭を抱えてしまった。死者が出ていないのは、放射能の危険を充分に理解した作業員が、あえて大量被曝の危険に飛び込むことをしなかったためであり、水素爆発(あるいは核爆発)の前後に建屋内から格納容器、圧力容器等に接近していれば、死者や重篤な被曝者が複数出ていたであろうことは疑う余地もない。チェルノブイルではその危険に気付かずに近接して被曝したことが急性症状として現れ、死亡に至った作業員等が存在していたのである。ゾウの足を撮影したカメラマンも被曝で亡くなっている(危険を承知で接近した例もあったようであるが)。その危険を承知していたがため、線量率を測定しながらフクシマの作業員等は少しずつ接近して冷却等の作業にあたったのである。従って、死者が一人も出ていない云々を発言したこと自体、見識、常識を疑うしかない。
 フクシマは、チェルノブイルとも違うし、ヒロシマナガサキとも違う。それは確かだが今までに経験したことのない問題が目の前に山と積まれているという点においてである。いたずらに安全安心を叫ぶことの弊害を憂うばかりである。
 チェルノブイルの事故に関しては当該国が認めていない被曝と疾病との因果関係を、第三者の立場の国がそれを認めるということは、外交問題にも関わるため極めて政治的に決定されている性質のものと考えるべきである。


 最後に風評被害についても言及しておく。

 放射線量が、事故以前よりも高ければ、それは実際の被害であって、風評という言葉で誤魔化すべきものではない。
 官房長官が、風量被害についても保障の対象とする旨の発言をしたことで、一気に風評被害という単語が流行した。

日本国内に存在する原発複数機が事故を起こした。
今現在で約80万テラベクレル(推定)という量の放射性物質を撒き散らした。
空間のみならず、海洋に投棄、流出している。
国内で東京よりも西側の農産物からも(暫定基準値以上の)放射性物質が検出された。
アメリカ、ヨーロッパでも今回の事故にかかる放射性物質が検出された。
東電から出てきたデータは、何故か時間を置いて次々に悪い方向へ修正されている。
政府は被害状況の把握と避難措置、対策等について、迅速な対応をとらなかった。

これらの事実から、日本国内の農水産物から工業製品にいたるまで、放射能汚染を受けている、と推測されてもその蓋然性は誰の目から見ても一目瞭然であり訂正するのは難しい。なぜならば、全ての生産物に対する放射線量の測定を行っているわけではないのだから。
 これらによって日本の製品が売れなくなること、これは風評による被害ではない。放射能汚染が国内では事実として存在しており、当該製品等にも推測され得る。安全であるという政府の言葉には信用性がない。この2点だけを取ってみても、実際の被害というべきであって、決して風評被害という言葉で解決して良い問題ではない。今回の事故で、オーストラリア産の生産物、ほうれん草などがフクシマを理由に売れなくなったとするならば、これは風評被害の範疇になるであろうけれども。
 風評被害という言葉は、被害の実態を不明確にし、被曝を全国に拡散させるという副次効果を併せ持つことをしっかり考えるべきであろう。訴訟によらない被害算定機関の設置が検討されているところからも、風評被害に関してはより慎重に扱わなければならない問題となるのではないかと考える。
終
南相馬市 再生構想 その4
なぜ復興計画を急がなければならないのか

無位無官 wildfire
2011.6.23

1.国でさえここまで動いている

 動きが遅いと国民から非難轟々の国でさえ、6月25日、復興構想会議の提言が発表される予定になっている。福島県でも復興ビジョン検討委員会がもたれて基本理念が公表されている。他市町村をみれば、既に検討を始めているところもあり、比して南相馬市の取り組みは遅れているというのが一般的な認識である。
 福島県内の固有と思われる問題は、放射能に関してであるが、一部では先進がん治療センターを設置、という方向を視野に入れているところも出てきているようである。
 津波被害地域でみると、コミュニティの創設と防災、財政的な面ではカジノ構想などの案も出てきている。
 復旧活動としては、住居の問題、瓦礫の処理、沈下地盤に対する施策、海岸線の防災、河川の防災等が喫緊の課題として挙げられよう。他には道路鉄道などの交通網の再整備、港湾の修繕、地域経済産業の復活、一部ではライフラインの回復も挙げられる。


2.遅い南相馬市の動き

 なぜ南相馬市の復興構想策定が遅れているのか。主な原因は2点であると考える。
 第1点目は、国の方針が未だ定まっておらず、財政的措置も未定な状態であること。第2点目は、放射能の問題について、市としては単独では手の施しようがないと考えているであろうこと。すなわち、1点目とも重なるが国の方向が全く見えてこないこと、財政的に行き詰ってしまうこと、であろうと推測する。
 また、万が一東電原発に重大事象が発生した場合には、即時避難の可能性も残されたままであるという点もあるだろう。
 余裕がない、等という消極的な理由の存在は、想像の世界だけに留めておきたい。


3.南相馬市の反省点

 南相馬市の不備と思われる点を指摘しておく。
相馬市は早くから「篭城」を宣言し、南相馬市は早々に「兵糧攻め」にあった。篭城と兵糧攻めは本来表裏一体の策であるところ、備えのあった相馬市は余裕を持ちながら篭城を決め込み、南相馬市は兵糧攻めに落城寸前にまで追い込まれていた。国による20km、30kmという一方的な線引きが行われた不利を差し引いても、3市町が合併してからの年月の浅さを割り引いても、市行政の大失策であるといわざるを得ない。少なくとも外部から見ている限りにおいては、はっきりとそう見える。市としては相当の言い分があることも承知しているが、今後の施策を大規模に行わなければならないことから考えても、外部の目の存在は軽視するべきではない。まして国の予算、国民の税金、国債等を用いて再生しなければならないことを考えたとき、国民の目線を忘れるようなことがあってはならない。
もう1点指摘しておく。原発近接町村等は城を追われ、流浪を強いられた。翻って南相馬市に目を転ずれば、小高区の砦を追われたが、原町区の本城、鹿島区の砦は残されている。つまり、土地を追われる無念さ、辛さ、土地に残る苦しさ、この両方を同時に肌で感じ取れる唯一といっていい行政単位なのである。ところが、今回の被災に際して、そのどちらの側に対してもリーダーシップを発揮して放射能被災地の連帯や連携を築き上げようとはしてこなかった。この点は今後の復興再生に際して、プラスに働くことはないと断じることが出来よう。


4.急がれる計画策定と役割

 なぜ復興構想策定を急がなければならないか。それには理由がある。
 南相馬市には、放射能問題に関しての今後の復興再生において、中心となって動いてもらわなければならないからである。津波被害に対しては、各市町村でそれぞれとる必要がある対策について、ある程度個別の事情を考慮しながら行わなければならない。しかし、放射能問題に関しては、その濃淡の差はあれど、同一の問題の範疇として取り扱われる懸念が否定できない。そうすると発言力の大小、影響力の大小が、今後の市町村行政に大きく響いてくることになりかねない。残念ながら、南相馬市は、タイム誌の「世界の100人」に桜井市長が選出されはしたが、一瞬のインパクトを残したにすぎない。それのみでは、今後も影響力を持つ程度までには至っていない。それはさて置いても、市町村の発言力や影響力の大小で未来が左右されるような状況は、住民が望むものではないはずである。

 南相馬市の役割は、単に南相馬市として復興再生するのみならず、同じ放射能問題を抱える市町村のオピニオンリーダーとなることにあると考えている。これまでの行政システムの枠内で動いて将来が明るくなる、とは到底思われない。国からの指示待ち、財政措置待ち、県からの指示待ちという、待ちの姿勢では、いつまで経っても「風評被害」を叫び続けなければならない地域になってしまうのではないだろうか。いつまでも弱者の立場を堅持しなければならない理由は全くない。
 原発事故被害市町村の中心となって、現状把握、短期的施策、中長期的施策を国と対等に議論し進めていくためには、率先して復興構想を策定する必要があり、当該他市町村への働きかけができる立場と発言力、構想力が求められる。原発の立地をもたない南相馬市だからこそ、この役割を担えるのではないだろうか。近い将来、苦し紛れに「20kmボーダー地点」の標識と石碑を建てて満足してしまうようでは、地域に生きる人たちの活力を奪っていくことにしかならない。
 せっかく国から有能な人材を迎えているのであるから、そのために存分に活用し、役に立たなければお帰り願えばよろしい。それだけの非常に重大な覚悟と気概、それに構想力とを持って陣頭指揮を執ってもらわなければ明るい南相馬を再生することは難しい、そう考えている。


5.使えるものは何でも使う

 今までの行政システムは今回の震災、放射能問題に対して機能不全を起こしているのが現状であると考える。既存の枠に囚われることなく、南相馬市が浜通りを結束し先頭に立って将来の構図を描き、中通りなどの他市町村を巻き込んでいく、他市町村が追随してくる、そのような将来をしっかりと見据えた積極的な姿勢が求められる。そのために活用するに不足のない優秀な議員が存在し、有能な市職員が存在している。浜通りの中心地となって将来を築いていくためには、必要なものは全て使いこなさなければならない。受身の姿勢は捨て去る必要がある。
 南相馬市にはやる気と未来図を見せてほしいのだ。
終
南相馬市 (多少は)現実的な提案
3.11大震災、東電原発事故を受けて

無位無官 wildfire
2011.6.21

1.現状の把握
 1-1.放射能汚染に対する地域環境の管理
 1-2.住環境の確保 安全性と安定性

2.大枠での提案
 2-1.積算放射線量に基づく現実的な地域対応
   現在の避難指示範囲等の段階的撤廃と、新たな区域分け
 2-2.被曝に関する調査、追跡調査、被曝管理
 2-3.一次産業生産物に対する、新たな指針の策定

3.住民の保護
 3-1.放射能汚染に関する問題
線量の把握
健康調査の継続的実施~放射線の影響、ストレスの影響、栄養状態の影響等
放射能含有瓦礫の処分場所
 3-2.医療介護に関する問題
   地域医療の復活と介護環境の充実
   ヴェテランズシティの構築
 3-3.地震、津波被害に関する問題
   沿岸部の堤防強化
   沈下地盤の対策
   塩害に対する土地改良

4.一次産業の保護
 4-1.生産物全般に対する放射線量調査
 4-2.フクシマ・アグリ・レギュレーションの設定(F.A.R指定)

5.損害に対する保障、見舞金に関して補足

6.鎮魂への取り組み

7.行政組織の改編

8.むすび



1.現状の把握
 南相馬市内は既に鹿島区、原町区への住民の帰還が行われつつあり、避難者を含めると震災以前の人口の約半数(約34,900人)が鹿島区、原町区内に居住している(6.18現在)。住人の帰還に伴い、域内での経済活動も徐々に行われており、目に見えない放射線との同居という難しい問題を抱えている。

1-1.放射能汚染に対する地域環境の管理
 文科省発表の積算線量推定マップおよび南相馬市の環境放射線モニタリングの結果によれば、市内の広い範囲で5mSv/yearを超える空間線量を推測することができる。そこで、具体的詳細な空間線量の測定マップを、市独自に作成する必要を提言する。国の定めた20km、30kmといった線は、現実の放射線環境管理にはあまり意味をなさない。モニタリング地点のメッシュ化および詳細化を早急に行い、今後の施策に必要となる長期的な環境情報をいち早く得られるようにしていくことが求められる。

 1-2.住環境の確保 安全性と安定性
 今現在、仮設住宅が鹿島区内に設置されつつあるが、あくまでこれらは短期居住を目的とした措置であることを前提として、長期的な居住環境を確保していく必要がある。
 放射線量値および津波被害、地盤沈下等の影響を考慮しながら、居住適地を画定することも必要ではないかと提言する。


2.大枠での提案
 やはり放射能に関する問題を第一に考える必要があるという前提で提案する。

 2-1.積算放射線量に基づく現実的な地域対応
 先の構想私案プランAでは、「2.放射能汚染地域の組み分け」として年間1mSv未満を一般居住区域と設定するよう提案したが、現実は甘くはなかった。5mSv/year(0.570μSv/h以下)の環境放射線量をクリアするモニタリング地点でさえ、市独自の観測点で38地点中11ヶ所というのが現実であった(6.17測定結果による)。もちろん小高区は観測地点に含まれていない。
 この数値は、屋外の環境下に24時間いた場合の年間積算推定量ではあるものの、被曝は積算される性質のものである以上、少なければ少ないほど健康に与える影響は小さくなると考えられる。とはいえ、24時間屋外で生活するという前提も現実的ではなく、1日の半分以上は屋内で生活していることが一般的であろう。従って、現実に南相馬市に住まうことを前提にすれば、環境放射線量5mSv/yearを一般住居区域の基準値とするほかに手立てはない。この数値は、僅かながら法令の定める放射線管理区域の設定基準を下回る。
 また、現在20kmの線で区切られた内部にもこの数値を下回る地域が存在していることは、文科省の積算線量推定マップから推測できる。今後新たな爆発的事象が東電原発で発生しない限りにおいて、放射性ヨウソなどの緊急的な危険性を考慮する蓋然性は低く、このことから段階的にであっても現在の避難指示区域等の撤廃を行っていくべきで、実際の数値に基づいた新たな区域分けをしていくことが求められる。先のプランAの組み分けを元に、現実に即し、かつ安全を考慮した区域分けをしていくことを早急に行うべきである。区域分けの例

環境放射線量年間推定値    区域
    5mSv以下         一般居住区域
    5mSv超 20mSv以下 制限居住区域
    20mSv超          立ち入り制限区域



2-2.被曝に関する調査、追跡調査、被曝管理
 6月18日に、福島県として県民健康管理調査を積算被曝量を推定する目的で行うことを発表したが、南相馬市は先行調査対象に含まれていない。県の調査に先行する形であっても、南相馬市としてこれを行うべきである。また、県との情報共有を図り、市民の健康管理の基本データとして活用していくことが求められる。
 放射線への感受性が強いとされる乳幼児、小児等若年者に対しては、特に綿密な経過観察等が求められる。
 当然のことながら、被曝管理は一過性のものとして終わらせるのではなく、今後何十年もの間継続して行われなければならない。

 2-3.一次産業生産物に対する、新たな指針の策定
 南相馬市の基幹産業でもあった一次産業は、可能な限り守っていくことが地域を守る上でも必要となる。特に農作物に関しては、早期に作付けを行えるよう手立てを講じなければならない。
 ただし、放射性物質を取り込んだ農作物が生産される可能性が高いことは、覚悟しておくべきであろう。その前提で、一次産業をどのように守っていくのかという非常に高いハードルを越える覚悟を持つことが出発点となろう。
 放射線への耐性、あるいは感受性という点から考えると、年齢が高くなるにつれて影響を受けにくくなる、ということが言われている。この点を考慮して、農作物を生産、流通させていくことを考える。
 厚労省の暫定基準値としては、作物1kgあたり牛乳・乳製品では200Bq、野菜類等では500Bqを設定している(放射性セシウム)。この基準値は、原子力安全委員会が策定した「原子力施設等の防災対策について(2010改定)」の中で、2000年に「飲食物摂取制限に関する指標について」として示された指標である。国が今後この数値を変更することがなければ、出荷制限等はこの基準値で行われ続けることになろう。
 1986年に発生したチェルノブイル原発事故を契機に、輸入食品に対しては370Bq/kgを暫定基準値として用いている。基準値を超えた食品は輸入差し戻しの措置がとられてきた。この基準との整合性を考慮して、あらたなフクシマ基準となる飲食物の基準値を設定して、それを明示した上で農作物を流通させていく方策が考えられる。

放射性セシウムに関して、次の基準を適用する(案)。
「フクシマ・アグリ・レギュレーション」(単位 Bq/kg)
            F.A.R.0 F.A.R.6   F.A.R.20 F.A.R.50
飲料水        20未満   40 未満    150 未満    150 以上
牛乳・乳製品     20未満   40未満     150 未満    150 以上
野菜類       50未満  100未満    370 未満   370 以上
穀類         50未満   100未満     370 未満    370 以上
肉・卵・魚・その他 50未満  100未満    370 未満    370 以上

F.A.R. 0 : 0歳以上 6歳未満
F.A.R. 6 : 6歳以上 20歳未満
F.A.R. 20 : 20歳以上 50歳未満
F.A.R. 50 : 50歳以上

 暫定基準値は、「実効線量5mSv/yearを各食品カテゴリーに均等に1/5ずつ割り当て、更に我が国におけるこれら食品の摂取量及び放射性セシウム及びストロンチウムの寄与を考慮して、各食品カテゴリー毎にCs134及びCs137についての摂取制限指標を算出」していることから、年代毎に減じて基準とした。
 乳幼児は暫定基準値の1/10
 未成年者は暫定基準値の1/5
 成年者は暫定基準値の約75%(輸入食品の基準値割合を採用)
 高年齢者はそれ以上

 上記のように詳細な分類を行うことは、生産物にかかるコストを押し上げる可能性もあるが、単に「風評被害」と嘆いて保障(金銭)を求めるよりことは、消費者と向き合った生産姿勢ではないかと考える。
 地域の一次産業の再生を望むのであれば、生産物への責任と自信を持って消費者へ届けるという覚悟が必要ではないかと考えるのである。これらの検査は毎日または毎週実施し、検査結果の公表と生産物への明示をもって成果とする。検査機関は南相馬市内に設置しなければこの制度が機能しないため、早急に検査機関を設置する。



3.住民の保護
 現実に住まい、将来もここで暮らしていく人々を守るために必要な事項を提案する。

 3-1.放射能汚染に関する問題
 線量の把握
 市内全域を網羅的に線量測定を行い、汚染実態を常に把握していくことが必要である。
 文科省の線量マップ等も参考に、更に小さな範囲で線量値を測定し南相馬市線量マップを作成、公表する。具体的には500mメッシュで測定を行い、環境放射線量1mSv/year毎に線引きをした独自の線量マップを作成する。測定は毎日または毎週行い、一ヵ月単位でマップを更新することとする。一ヵ月毎の更新であれば、広報誌が発行できる状況になり次第それに掲載できるため、インターネットを使えない人たちへも情報を提供しうると考える。

 健康調査の継続的実施~放射線の影響、ストレスの影響、栄養状態の影響等
 全市民に対して健康診断を義務付け、その際には内部被曝量を測定できるホールボディカウンターによる検診など、細やかな健康調査を継続的に実施していくことが求められる。また、市民一人ひとりの被曝総量の算出も行い、放射線に対しての関心が薄れることのないようにしていく。
 避難所での生活を強いられてきた人たちも、今後は当面仮設住宅等での生活へと移行していく。また、自宅で生活できる人も身近な環境が存在しているだけで、食生活など避難者との相違はさほど大きいとはいえない。従って、避難者、自宅退避者の別なく、震災によるストレスの管理、栄養状態の管理を行っていく必要がある。その意味でも健康診断は有効な手段であり、全市として取り組むべき事項である。

 放射能含有瓦礫の処分方法
 津波によって発生した瓦礫の多くは、放射性物質を含んだ状態となっていることが想定される。処分方法については、市単独で処理するには困難な問題であるといえる。
 国や県との連絡を継続的にとりながら、これら瓦礫の最終処分方法について検討していくこととする。
 6月19日に環境省の検討会により、8000Bq/kg以下の瓦礫については一般廃棄物として埋め立て処分ができることとする方針を出した。しかし市内の処理場に単純に埋め立て処分ができるかどうか、この点については市民の合意も必要となろう。


 3-2.医療介護に関する問題
 地域医療の復活と介護環境の充実
 上記2-1.で示した、避難指示区域等の解除等により南相馬市内における病院機能の完全な復活を目指す。
 現在この地域の医療は、入院措置が行えないなど医療機能が低減したままになっている。それがために市外へ避難入院を強いられている患者も少なくない。一日も早く医療環境を復活させていくためには、障害となっている環境放射線量の管理を適切に現状に見合った形で行うことが必須である。
 同様に、介護に関する状況も全く不完全でその役割を果たせないでいる。適切な線量管理と安全区域分けとを行い、要介護者に不要なストレスを与えないよう手立てを講ずる必要がある。

 ヴェテランズシティの構築
 高年齢者は放射線に対する感受性が低いこと、このことは南相馬市を再生するための重要な鍵になるかもしれない。
 特区として高齢者福祉介護地区を市内に設け、全国各地から入居者を集める。当初の構想で「姥捨て山特区」として提案したが、高齢者介護施設、高齢者医療施設の集中的な建設によって超高齢化社会をその地域に誕生させるのである。
 日本の高齢者医療介護の先進地域としての機能を果たし、その知見を全国にフィードバックさせるような体制を築き上げることを提案する。


 3-3.地震、津波被害に関する問題
 沿岸部の堤防強化
 今回の震災では、沿岸部に甚大な津波被害をもたらし今なお復旧の見通しさえ立っていない。沿岸部をどうするのか、災害対策の見地からの国の方針は全く出てきていないが、少なくとも防波堤の役割は不可欠であるといえよう。ずたずたにされた沿岸部の防波堤を早期に復旧させるべく、県や国との協議を欠かすことのないようにしていく。もちろん他市町村との連携も必要となる。

 沈下地盤の対策
 地震によって数十cmから1m弱程度、沿岸部では地盤沈下が発生している。場所によっては海抜0m以下の地域も発生していることから、高潮、豪雨対策等が早期に求められる。
 この点も、県や国との継続的な協議が必要であり、同様の問題を抱えている沿岸部被害市町村との連携も必要となろう。



4.一次産業の保護
 市内の一次産業を守りぬくことが明日への希望につながるなら、それは注力して進めていかなければならない。もちろん、塩害を蒙った農地の早期回復も考慮する必要があるが、塩抜きだけでも3~4年は要するであろうとの見解もあり、それのみでも土壌改良の大事業を意味する。ここでは、それを除いて現在耕作可能な農地を前提に提案することとする。

 4-1.生産物全般に対する放射線量調査
 何といっても放射線による障害が最も懸念されるところである。私は「風評被害」というキーワードを安易には使用したいと思わない。ポストハーヴェスト農薬問題を思い起こしても明らかなように、消費者は「より安全な」食品を購買対象として選択する権利を持っている。微量であっても、震災以前よりも高濃度の放射性物質が検出された生産物が売れない、とするならば、それは実被害というべきであって、風評被害という便利な言葉を用いるべきではない。消費者が「風評」によって選択的な購買行動をとったのではなく、実際の検出数値をみて選択的に買わないことを選んだだけである、と理解したい。
 消費者に農業生産物という食品を提供する以上、生産者は今回の放射能事故が起きてしまったことによる影響を公表してから流通させるべきであろう。そのためにも、生産物に対する放射線量調査を徹底的に行い、暫定基準値以内であっても数値を明記して流通させることが、当地の農業に対する信頼を僅かずつであっても上げていくことにつながるのではないかと考える。南相馬の農家は嘘つかない、このイメージを消費者に持ってもらうことこそが、この地の一次産業を蘇らせることになるだろうと考える。

 4-2.フクシマ・アグリ・レギュレーションの設定(F.A.R.指定)
 上述2-2.で示した、F.A.R.指定を新たな流通指標として設定し、商品として陳列する場合に測定数値を明示する。今までこのような指標は存在したことがなく、冒険的な方法といえるかもしれない。うやむやにして出荷した後で基準値ギリギリだった等と他から発表される、というような隠蔽的な姿勢よりも、正直に数値を明かして買っていただく、という消極的ではあるけれども、消費者に対して誠実に向き合う農家というクリーンなイメージを作り出したい。
 消費者は被災地を応援したい気持ちを持ってくれている。これに応えるには、正直者の道をとるしかないのではないだろうか。



5.損害に対する保障、見舞金等に関して補足
 政府が引いた2つ(3つ)の同心円は、否応もなく直接お金と結びつくという副次的効果を持ってしまった。線引きは行われなければならないし、どこかで目の前に線を引かれる人が出てくることは仕方がないとはいえる。しかし合理性という観点から必ずしも妥当とはいえなかった面もあるようにも受け取られているため、南相馬市で顕著にその影響が出てしまったといえる。
 住民票の有無、によって当落が分かれてしまったようであるが、一点だけ提言がある。
 住民票を30km圏外に置いたままで、実質的に30km圏内、20km圏内で生活をしていた人は存在している。長期入院患者はその主な例といえるだろう。今回の震災、事故により、市内の入院患者は強制的に転退院を余儀なくされた。退院できる状況にあった人も中にはいたであろうが、長期的な入院患者については転院先を探すことに死力を尽くさなければならなかったのではないか。健常者が避難所を探すことに比べると、精神的にも資金的にも遥かに困難な状況を強いられたといえよう。その意味からも、実質的な圏内生活状況にあった被災転院者については、住民票の場所に関わらず保護する必要があるのではないかと考える。



6.鎮魂への取り組み
 神社仏閣への被害も少なからぬものがあったが、南相馬市としてこれらの復旧に直接力を貸すことはできない。政教分離の原則によるものであるが、無宗教的な鎮魂慰霊への取り組みは実施すべきであろうと思われる。7月3日に市主催の慰霊祭が行われるが、その後も今回の震災に対する犠牲者を偲ぶ何らかの手立ては必要であろう。
 市ができることとして、まず震災の記録を詳細にとることが挙げられる。これは単に市内の被害状況の記録という意味ではなく、被災から復興再生にかけての長期間の記録が求められるであろう。被災者という立場に加えて、支援者の存在という視点も忘れてはならないし、未来への橋渡しという意味でも様々な角度から記録を残していく必要がある。
 福島県との、あるいは岩手宮城各県との調整も含めて、今回の震災に関する膨大かつ詳細な記録を後世に残すこと、これは震災を生き延びた人たちに課せられた一つの使命なのかもしれない。震災アーカイブセンターの設立という構想も、復興構想会議等で提言されているが、まずは市としてできることを可能な限りにおいて実施していくことは必要である。この体験を未来へ引き継いでいくことが、犠牲となった人たちへの手向けにもなるであろう。



7.行政組織の改編
 既存の行政組織は「平時」を想定して作られているので「この非常時」に役割を求められても機能できない、そういう言葉が各所で聞かれたことと思う。ならば非常時に対応した行政組織、行政のあり方を即座に検討しなければならない。検討するだけではなく実施していかなければならない。
市町村、南相馬市も例外ではないが、組織が広範囲に拡散し、分断され、本部機能も現場機能もその場その場の対応で手一杯という状態に陥っている。そのような中で精一杯の行政活動を行っている職員の姿には頭が下がる。しかし問題は目の前だけにあるのではないことも事実である。
 柔軟に臨時職員を増員する、県職員を利用する、他自治体からの応援職員を利用する、民間で対応できる部分は民間に委任する、といった即応的な非常時体制をとることも必要であろう。
市議会議員をより有効に機能させる方策も、議会を通じて見つけていかなければならないだろう。市議会議員は単独でボランティアを行うためにいるのではなく、市としての舵取りを担う人材であるから、県や国との調整役など非常時なりの動き方を求めてしかるべきであろうし、その自覚を持って動いてもらわなければ市民が困る。



8.むすび
 埼玉県川口市が6月20日、独自に市内の子どもの年間被曝限度に関する数値を発表した。人工被曝量1mSv、大地からの国内平均被曝量0.34mSv、宇宙からの放射線量0.30mSvを加算して、1.64mSv/yearとしたのである。仮に、8時間屋外にいた場合の環境線量限度は0.31mSv/hとした。毎週測定する値が0.31mSv/hを超えた場合には、屋外活動を3時間に制限するという。
 震災、事故後100日以上が経過しても、国が明確な基準、方針を示さない以上、地域は地域で身を守っていくほかに手立てはない。財政の裏づけがなければ行えない施策も多々あるだろうが、絞れる知恵は全て絞って何とか対応していくしかないのである。幸いにも全国各地からの支援の連鎖は現在も継続している。その力が細っていく前に、市としての力を取り戻していかなければならない。地域住民も市内に戻りつつある。これだけの災害と事故に遭ったにも関わらず、およそ半数の市民がこの地に根付いている。その市民を全力で守り、他市町村からの避難者をも守り、少しずつでも力を蓄えて将来に展望を開けるような南相馬市であって欲しい。
 現実的ではないであろうことも、列挙してきたが、少しでも何かの役に立ちたいという思いで描いてみた私なりの構図である。
 提起していることに対しては、たくさん非難して欲しい、こき下ろして欲しい。でもこの中にほんの僅かでも何かのヒントになるようなことがあるならば、それだけで嬉しく思う。勝手に第二の故郷と思う一個人の希望である。
終