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私的 3.11 考

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被災地と呼ばれる地域に住みついて、1年と10か月

「何ができるんだろう?」、という自問の段階は過ぎ去りました

 

とにかく、この地で生きています

でもこの地は生きているんだろうか

 

この街、震災以降放置されてしまっている空き家がまだまだたくさんあります

取り壊しを待っている家が大半でしょう

隣町の浪江町に行って感じたことも同じ

仮死状態なのか、生き返っていないのか、ゴーストタウンと呼んでもオーバーじゃない街並みがそこにあります

双葉町に行くと、国道の両脇は存在していないことになっています

すべての脇道にゲートが設置されて入れません

大熊町も富岡町も・・・

 

そんな街で、とにかく生きています

先日、この町の成功者の一人がしゃべっているのを、聞くともなしに聞いていた。

「この町の人たちはものすごくシビア。何か始めた人がいたら、3年は黙って見てる。本物なんだろうか?って」

実は違う。
単に楽して「勝ち馬」に乗りたい人が多いだけ。

だから多くの逸材がこの町から外へ行った。
そして外に出て成功している人がいたら、それを精いっぱいやっかむ。
引っ張れるものなら今からでも足を引っ張ってやれ。どうせそこの「勝ち馬」に乗るチャンスは逃したのだから。

そういう町をどうやって変えていけるのか、そこがこれから先の何年かの肝になる。
震災以降大きく変わってしまったこの町の再生のカギは、そこにあるのだと思う。
2010年以来久しぶりに東京へ行くことになってワクワクしていました
二人で出掛けるので、まずは宿探し

中央線沿線は、ほとんど満室!?
(羽田に着いて判ったのですが、東京国体の開会式の日だったのですね)

考え方を変えて、滞在中の行き先のほぼ中間点に宿を求めてみました
そうして決めたのが大井町でした
結果としてラッキーでもあった大井町3泊

千歳空港を出発して、好天のなか飛行機は想像以上に海岸線に近い航路をとっていました

wildfire says...-空から松川浦を望む
相馬市の松川浦
左側の港湾地区、建物がほとんど見えません
あの年の3月11日、少なからぬ方たちが津波の犠牲になりました


wildfire says...-請戸漁港とフクイチ
海岸線中央に見えている小さな漁港は、浪江町の請戸
画面右端の防波堤・・・大事故を起こしている東京電力の原発です
空からみえてしまったことで、ちょっぴり体調を崩してしまった連れを気遣いながらも、私自身複雑な思いで窓の外を眺めていました


さて、早めにチェックインしようとしたときに思わぬ事態
宿の隣のビルの前、歩道の端に2列に並んだ50人ほどの喪服姿の男性
次々に高級車から降り立つ、数珠を手にした喪服を着た一部の隙も無い男性たち
ご苦労様です、お疲れ様です、の50人分の声が道路にこだましています
そこを通らなければホテルに行けない・・・

数分間立ち止まっていましたが、通行人は誰一人その前を通っていきません
歩道の両端に少しずつ人が固まっていきます
仕方がない
端に並んでいたちょっぴりこわもてのお兄さんに、
「通っても構いませんか?」
と尋ねて許しをもらって通りました

このちょっとした事件(?)のためか、いくつかのことをすっかり忘れてしまったのは反省点でした

初日は神奈川県へ

wildfire says...-江ノ島
相方の兄上に案内されて、江ノ島へ行きました
良い所です
再度ゆっくりしたいですね

二日目は法事と西多摩地区の親戚宅へ

三日目は千葉県へ行った後、友人と天王洲アイルへ

最終日、中央線沿線の親戚宅へ

宿を基点に、西へ東へと移動していました


ハードスケジュールではありましたが、楽しい4日間でした
温かく迎えてくれた皆さんに感謝です


<エピローグ>
ついつい楽しくて長居してしまったため、帰りの飛行機には、なんと締め切りギリギリに手荷物検査場を抜け、定刻の10分前に搭乗という綱渡りをしてしまいました
事前に乗り換えルートを調べていなかったら、危ういところだったかも(汗)
千歳空港は17度と、今時期にしては暖かな夜でした
何が変わったのか分からなくなるくらいたくさんの事柄が変わったのだと思う

そんな中、札幌での集まりに出かけてみた

3月10日は主に北海道に来た避難生活者を対象としたイベント
「ようこそ あったかい道」
献鶴台に掲げられた文字は「想」
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3月11日は、南相馬市から現地の生の声を聞く集い
「みつめなおす福島 それぞれの選択」

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無事にこの日を迎え、新たな日へと時をつないでいけたことに感謝



実際に身内に起きた事例です

内臓のある部分にガンが発生し、外科的治療が困難であるとの診断がされました
動脈から細い管を挿入して、直接患部に抗がん剤を打ち込む治療をするしか手は無いとのこと

患者の衰弱具合、カテーテル治療に対する経験上の強いストレス(恐怖心)
事前に医師には書面でも伝えていたのですが。。。
医者はそこには目をふさぎ、病変部にのみ意識を注ぎ込みました


術後、患部への抗がん剤投与が成功したと、自信満々に説明しながら断層写真を見せてくれた医師


患者はその後、急激に衰弱の速度を速め、退院することなく生涯を閉じました


医療行為の目的を、どこに置くのか
それによって医師の行動が決まってくるのでしょう
患部を治療することが目的になってしまったのがこの医師ではなかったか


この地域では『名医』とさえ呼ばれることのあるこの医師でした
患者にとっては、患者の家族にとっては、単なる藪医者の一人に過ぎません
致命的な医療行為を、患者ではなく、患部を見て行なう医師

どこか、昨今の原発事故に関わる問題と似た構造があるのではないかと感じています
問題のすり替えや成り代わりなど、それらを意識的に行なって判断や行為を正当化する手立ては、テクニックとしていくらでもあります
ただしそれらは、小手先のごまかしにも通じます


「本質はどこにあるのか」
この問い無くして、納得のできる結果は生まれてこないのかもしれません