失敗から学ぶ
「失敗から学ぶ」
と云う姿勢は誠に尊い。
まぁ
失敗から【何を】学ぶのか、ってのを
ちゃんと考えてみるべきだとは思うがね。
失敗した際の「対処法」を学ぶのか、
「失敗を避ける方法」を学ぶのか。
俺の見立てでは
「失敗なんてして当たり前」と考える人は一様に前者だ。
失敗した後の対処法なんてのは、またもや失敗するまで役に立たんからな。
その対処法には「謝罪」も含まれるだろう。
だが、「失敗を是認する姿勢」でいるにも関わらず、
その対処法が「謝罪」なんてのは、矛盾もいいところ。
お里が知れるってモンだ。
せいぜい、饒舌な言い訳や、弱者の論理を、大いに学ぶのだろうな。
後者の
「二度と同じ失敗に至らない方法を模索する」ことは
正しく反省に繋がる姿勢だろう。
失敗は是認しない。
二度と迷惑はかけない。
一度目の失敗で見せたであろう「謝罪」は、誠意となる。
「罪を重ねないこと」が「謝罪の前提」であるのだから、
二度と失敗をしない方法の模索は、謝罪の理にかなっている。
さて、貴方は、失敗から何を学ぶ?(´∀`)
尊厳
「心神喪失による無罪裁定」ってのが全く理解できない。
責任能力が無いから?
罰則を与えても改善の見込みが無いから?
人を襲ったとしても
責任能力が無いから、
憶えてないから、
責任を問うても改善する余地が無いから無罪?
ふむ。
別に無罪でも構わないけどさ。
だがな、責任というものを持ち合わせていないのならば
人間としての尊厳も無いのだろうから、
人権なんてモンは適用外だよな。
もし人権の適用されない「ケダモノ」が人を襲ったら
// 有罪無罪なんて観念を差し挟む必要なんぞ皆無 //で殺処分だろ?
まぁ人を襲うクマは裁判さえかけてもらえないけども。
有罪無罪なんて観念はこの際度外視して、ただ撃ち殺してもいいと云う訳だよな。
違うのか?(´∀`)
人を襲うケダモノと、人を襲う心神喪失者の違いは一体何なのだ?
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バルス
ラピュタ、見てません。
つーか、見たことないです(´∀`)
あー、でもね
俺にとっても
バルスに相当する呪文はある。
『勝手にするがいい』
俺は
この呪文を唱えさえすれば
どんなものからでもコネクトを切断することが出来る。
視界から消去し
ベクトルを正反対に向け
次元さえ
違うものにすることが出来る。
まぁ自慢にならない能力ではあるが
無駄にダラダラと
効力の無い呪詛を唱えて無駄な時間を過ごすよりは
いくらかマシだとは思う。
イヒ
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つーか、見たことないです(´∀`)
あー、でもね
俺にとっても
バルスに相当する呪文はある。
『勝手にするがいい』
俺は
この呪文を唱えさえすれば
どんなものからでもコネクトを切断することが出来る。
視界から消去し
ベクトルを正反対に向け
次元さえ
違うものにすることが出来る。
まぁ自慢にならない能力ではあるが
無駄にダラダラと
効力の無い呪詛を唱えて無駄な時間を過ごすよりは
いくらかマシだとは思う。
イヒ
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憶えていたくなくても憶えている
ん。
もうすぐ、飛べる。
もうすぐ羽撃ける。
あとは右の翼を残すのみ。
あー、
今日はあいつの誕生日。
黙っていたが、心の中で勝手に「731部隊の日」って憶えてた。
もちろん単なる記憶でしか無いが(´∀`)
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