やっと
スマホ機種変、決定。(予約済み)

SONY Xperia Z1 / Purple
au の型番は SOL23
この画像は先んじて発売されたグローバル版だな。
au版は、裏面の SONYロゴが Xperiaに。
同じく下の Xperiaロゴが au SOL23に。
Z1はdocomoとほぼ同時の10/25発売。(docomoの方が1日早いらしい)
何はともあれ、
SONYが初めてXperiaのフラッグシップモデルをぶつけてきた訳だよ。
いままではdocomoのお下がりみたいなカス仕様のヤツしか発売されなかったからな。
今回は最高峰モデルがdocomoと同じタイミングで手に入る。
ずっと忸怩たる想いだったが、これでやっと溜飲が下がる。
。。。というか、やっとまともに動くスマホを手にできそうで
単純に嬉しい(´∀`)
今のスマホが夏にぶっ壊れ、修理に出すか機種変に踏み切るか迷ったが
結果論として冬モデルを待って正解だったな☆
ストレスのないケータイライフにわくわく。
カメラが図抜けた性能なので、初めてノーマルカメラを利用しそう。
カメラアプリはほとんど使わないだろうな。
大きいとか、重いとか言われてるが気にしない。
リングストラップ使いなので片手操作もどうにかなるだろう。
嗚呼、楽しみ。
他者に対して何が出来るか
他者に対して何が出来るか
なんてことは、どーでもいい。
要は、
己に対して何が出来るか、だ。
そこさえ押さえとけば、
他者にしてやれる何か
なんてものは
「余禄」で付いてくるさ。
余所見ばっかしてるから
大事なモノを取りこぼすんだ。
うん。
なんてことは、どーでもいい。
要は、
己に対して何が出来るか、だ。
そこさえ押さえとけば、
他者にしてやれる何か
なんてものは
「余禄」で付いてくるさ。
余所見ばっかしてるから
大事なモノを取りこぼすんだ。
うん。
個性
「個性」と「個体差」を混同するな、と常々思う。
人間ってのは単細胞生物じゃないんだから、同じ個体なんてのは存在しない。
地球上に「瞬間的に」であったとしても、全く同じ個体が存在するなんてことは0%と言っていい。
暫く前から個性偏重主義が唱えられているが、その方法論から鑑みても、偏重しているのは個性では無く個体差である。
そもそも「個性というものが何であるか」ということが明確にされていない。
それが唱えられた背景には、均一的な器の中で均一な負荷をかけると、脱落者(個体差)が生じ、またその過程を通り抜けた者も「均一化し、個性を発揮出来ない」という低能極まりない論調があった。
たとえば、個性ってものを生物進化論的に考えてみて欲しい。
特定の種の集団に同条件の環境で同条件のストレスを与えた時、種のほとんどが緩やかな順応を示し、ストレスに対する手段を獲得してゆく。
もちろん順応に失敗し脱落する個体もあるが、集団のほとんどは緩やかに順応しストレスに対応出来るようになる。
それらの、ストレスに打ち勝つ方法を憶えた「鍛えられた集団」が種を存続させる。
そんな中、同環境同条件のストレスに対して、より優れた対応法を発揮する個体が現れる場合がある。
これこそが「個性」と呼べるものだと思う。
ストレスにさらされてこそ最低限の抵抗力を獲得出来るのだ。
集団はギリギリの線でストレスに抵抗する。
そんな中、ゆるやかな集団をぶっちぎって劇的な抵抗力を発揮するのが、個性というものだ。
種の中で、個性を発揮した個体は進化し、脱落はしないまでも緩やかな順応に留まる集団は緩やかに淘汰される。
この話の肝は、突然変異的な個性を発揮したスター「以前」に、
集団に均一な負荷をかけない限り「最低限の適応力も、個性も生じ得ない」という事実だ。
それぞれの個体差に対応して初めから負荷のかからない環境を与えることは、最低限の体力をも獲得させず、いざストレスを与えれば、個性どころではなくあっという間に死滅の道を辿るだろうさ。
閑話休題。
子供が成長する過程で個性を獲得する機会を与えたいならば、均一的な器の中で均一的な負荷をかけてやることだ。
均一的な負荷の中で最低限の知識と体力をつけさせた上で、手持ちの札だけで輝くような勝ちの一手を導き出す者を生み出すべきだ。
そして、そこで初めて「そんな個性」を認め保護し育て上げるべきなのだ。
「個体差」偏重主義は、脱落者しか生まんよ。
そこには、個性のカケラも無いんだよ。
恥ずかしいことにね。
分析のための分析ってやつには興味が無い
分析のための分析ってやつには興味が無い。
何故に分析するのか、
分析してどのような結果を導き出すのか、
には興味があるが。
言葉は好きだが、
取説や学術書が好きなわけではない。
単語の分量に満足を覚える訳ではないので。
動機、方向性、意志。
それらが介在する言葉に惹かれる。
ボリュームやテクニックはどーでもいい。
日常の羅列や紀行文的な「情報」は好意的に受け取るが、
分析データ「のみ」を見せられてもさ。
「説明されなくても見てるだけで解るわい」的な。
だからこそ、
たまに「言葉」を目の当たりにすると、笑みが浮かんでしまうな。
うん(´∀`)
何故に分析するのか、
分析してどのような結果を導き出すのか、
には興味があるが。
言葉は好きだが、
取説や学術書が好きなわけではない。
単語の分量に満足を覚える訳ではないので。
動機、方向性、意志。
それらが介在する言葉に惹かれる。
ボリュームやテクニックはどーでもいい。
日常の羅列や紀行文的な「情報」は好意的に受け取るが、
分析データ「のみ」を見せられてもさ。
「説明されなくても見てるだけで解るわい」的な。
だからこそ、
たまに「言葉」を目の当たりにすると、笑みが浮かんでしまうな。
うん(´∀`)



