wiggin's truth -206ページ目

衣替え

 
もうすぐ春がやってくる。

季節の変わり目ツナガリと云うか
まぁ全然カンケイナイと云えばカンケイナイんだが、
自宅の文字入力用キーボードを衣替えしたよ。

衣替えっつーか、新調だがね(´∀`)


「ここ」にある言葉のほとんど
(いや、ここに来る以前の別の場所でも、だな)
を産みだしてきたボロボロのキーボードは、
このたび大往生を迎えることとなりました。

実際のトコロもうずいぶん前から壊れかけてたのだが
なんか引導を渡す決心がつかないでいた。
引っかかってまともに打てないキーにストレスを感じながらも
騙し騙し使い続けてきた。

なんせ、「言葉」と云うイキモノを産み出すツールだからね。
何年もの間、「こいつ」で多くの生命を産み出してきた。

そう。
キーボードには名前はつけてないんだ。
道具ではあるんだが、身体の一部みたいなモンだからね。
自分の手足や内臓に名前をつけたりしないのと同じく、
キーボードには名前は無い。


あぁ、一応メカニカルキーだけれども、
あんまり良いタッチじゃなかったな。こいつはw

でもまぁ、よく働いてくれたよ。
長い間、お疲れさま☆



で、新しいキーボードは
Matias の FK302
http://www.pleiadesdesigns.co.jp/jp/catalog/matias/tactile_keyboard.htm

往年の appleキーボードのタッチを再現した!
として、去年、鳴り物入りで登場した Macintosh用のメカニカルキーボードだ。

パンタグラフやメンブレンタイプのキーはどうも身体に合わない。
打鍵音が、カシャカシャ とか バシャバシャ だと頭の中がとっ散らかる。
キーは カキカキ コキコキ と鳴って欲しいのだ。
しっかりしたクリック感があると、頭の中もカッチリまとまるからね(´∀`)


…打鍵音がスゲーうるさい
けれどもw
まぁ「音質」さえ良ければ「音量」は度外視できるモンなのさw


そんな訳で
この気持ち良いキーボードで、
また新しい生命を産み出してゆこうと思う。



…もう少し、馴染んでからね☆









































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それだけじゃないけど

 
寒さを愛おしく思う最も大きな理由は、
温もりのありがたみを教えてくれる
ってことだ。


スイカに塩をかけるようなもんね。




あぁ。
もう相当ぬるい感じになってきちゃったなぁ。





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信ずる

 
隠者:
「信じるものは救われる」ってのは、信じていれば何者かが救ってくれると云う意味ではないと俺は思う。信じる者は「信じた通りに自分で生き抜く」から救いがあるのだと俺は「信じてる」よ(´∀`)



信ずるということのリスクについて考えたことがあるか?

正しいとして疑わない、と云う姿勢は
大きな賭け金を支払っていることと同じなんだ。
投資と言い換えても良い。
至極当然のロジックとして、
信じられないものに投資をするなんてのは有り得ないだろう?
道楽であれば話は別だがね。

逆に云えば、投資をせずに儲けを得ようとしたってそれは叶わない。

信ずる、と云うリスクを負ってこそリターン(救い)があるということだ。

だから、賭け金を持ち合わせていないのなら
あるいはそれを出すつもりが無いのなら、
どうやっても賭けは成立しないのだ。

「念仏を唱えるだけで極楽に行ける。」
なんて都合の良いシステムは有り得ないのである。

「信ずるものに支払うべきものを支払い
ガッチリ儲けを出そう。」
と思う者が救われるのだ。

俺に言わせりゃ
「信じるものは救われる」ではなく
「信じきれた者のみが報われる」なのだ。

イカサマなんて通用しないし、
木箱にお金を投げ込んでみたところで、
小銭如きで救ってくれるほど神様も安くはないだろうさ。




って、また信念の話かよ。
お爺になると、同じことばかり繰り返すようになってアカンなぁ (゚∀゚)





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 一喜一憂 〜第二章〜

数歩先、いや、一歩先でも
未来を予測して生きる意志を持つ者は
一喜一憂なんぞしない。

予測をする者にとっては
喜びも、憂いも、
「点」ではなくて「ベクトル」だからだ。

あくまでも、
予測した「結果」が喜びなのであり、憂いなのである。
結果に達するプロセスには悲喜交々の「点」は存在するだろうが
それはあくまでも「誤差」や「付加要素」であって
結果に至る「ベクトル」を左右するものではない。

予測ってのは、信念と置き換えても良い。
人間関係であれば、信頼と置き換えても良い。

人と人が付き合う時に
信頼と云う前提(予測/結果)が
一喜一憂でコロコロと入れ替わるのは、やり切れまい?

その信頼(予測/結果)が本物であるならば、
プロセスに存在する悲喜交々の「点」は
あくまでも「誤差」や「付加要素」であり、
ベクトルがあさっての方向には向かうなんて事は無い筈なのだ。

一喜一憂と云うやつは
大事なものを見失ってるか、
大事なものについて考えようとしないからこそ
陥る現象だと思うよ。

「公園で見かけた小猫がスゴク可愛かったから、貴方が好き。」
とか
「お昼に食べたラーメンが不味かったから、貴方が嫌い。」
とか言われたら、
普通の人は「はぁ?」と思うだろうが、
それと「根っこはまったく変わらない」ことを
平気な顔してやってる人は意外に多いんだぜ?

一喜一憂はそこら中に蔓延しているからね。


あー、なんか言いたい事を詰め込もうとし過ぎて
支離滅裂になっちまったな。
まぁそーゆーこともあるよ。ひひひ(´∀`)


てな訳で、この辺でおしまい☆
バッハハーイ!






































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【一喜一憂 ~第二章~】

 110222

あんぎゃーーーっ!!
今日は不調。
真っ青な空を見ても、気持ち良くなれなかった。

まぁ頑張る。


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