何度かツイートしていますが。1票の格差について。
裁判で違憲判決、選挙無効判決が出たことから、国政選挙の1票の格差の是正が政府にとって急務となっています。0増5減を与党は主張、一方、根本的な解決になっていないから、大胆に区割りを変えようと言っています。
しかし、いずれにせよ、人口比例のみの制度であることに変わりはありません。人口密集地域から多くの議員で出ることになり、過疎地域からはわずかな数の議員しか出ないことになります。
国会議決の時、何人の国民の意見が反映されたかということですから、1票の格差を解消するのは必然です。
しかし、それだけで良いのでしょうか。
国連は十数億人の人口をかかえる国も、数万人の国も同じように1票です。それで、人口の多い国の意見が反映されにくいという話は出ません。
もちろん、国連と日本の国会が違うのは当たり前ですから、例に挙げるのも変かもしれません。でも、今の人口だけが基準の区割りでは絶対に変なことになります。
47都道府県で一番人口が少ない鳥取県は2010年で58万8千人です。2012年の市区町村人口に当てはめると28位の八王子市58万1千人とほぼ同じです。東京23区なら世田谷区88万人(14位)、大田区69万人(23位)、足立区68万人(24位)、江戸川区67万人(25位)。鳥取県の人口はこの次ということです。
人口だけで議員の数を決めてしまうと、首都圏や大都市を選挙区に持つ議員ばかりになります。当然、都市部の意見ばかりが反映されます。日本全体を考えるのに、これで良いのでしょうか。
47都道府県に1票づつ持たせて国の重要事項を決定してほしいです。各都道府県の政党別得票で1位の政党か特定の議員にでも票を持たせて。知事にやらせると、県の利益に固執するかもしれないから、やはり国会議員か政党に。
人口中心のままだと、1票の格差が解消されても1県の格差が残されたままになります。
たとえ、人口が少なくても国として決めないといけないことが地方には存在します。それがなおざりになってしまう。
人口の数による矛盾は、北海道、東京都、大阪府、京都府、神奈川県、広島県、福岡県あたりに、国連常任理事国みたいに拒否権を付けたら良いかもしれない。世論にさらされるから、拒否権連発なんて、日本のような狭い島国ではやりにくいだろうし。
国会は多数決で決まるのだから、過疎地域の意見を反映させるためには、このような方法も良いのではないかと思います。
一見さんお断りに想う
京都の一見さんお断りの店では、紹介やなじみの客が連れてきた人について、初対面の時にさまざまな情報を聞き出す。別に尋問するわけではない。何気ない会話の中で巧みに質問を入れている。そこで、その客の好物は何か、食べられないものは何か、酒は飲むのか、たばこを吸うのか、早く帰るのか、座敷遊びは好きなのか、唄はどうかなどを把握する。
だから、その客が再び訪れた時、下戸の客に酒は絶対に出ないし、嫌いな食べ物も出ない。
一見さんお断りというのは、「知らない人は来なくて良い」という意地の悪い話ではなく、「客に完璧な満足をさせられないので、いきなり来られても困る」という意味である。
顧客満足という意味からすると、この「京都流」の配慮は再認識するべきかもしれない。
ところが、配慮のなさから顧客にとって不満足を感じさせる行われている恐れがある。
ホームセンターや量販店だ。これらは「量販店」である。つまり、量を売ることでコストを下げる。この場合、最も優先される価値観は「価格が安いこと」。目玉商品を掲載したチラシやEDLP(エブリ・デー・ロー・プライス=毎日安売り)で多くの顧客を引き付ける。そこに「リフォームもやります」と間口を広げれば、特に若い家族客は店に訪れるだろう。
しかし、量販店は個別対応、コンサルティング型の営業は不得意である。
扱う商品は「規格型」であり、サービスもマニュアル通り。最大公約数の客が「ある程度」満足できる商品が大量に並べられている。セルフサービスなので、客が勝手に買い物かごに入れてレジまで来てくれる。更に、通販などのコールセンターでは、客の言うことに合わせて、次に話す内容が細かく決まっている。
量販店や業態店では「その客だけ」の特別な商品は皆無だ。百貨店などの対面型販売との大きな違いとなっている。
こういう店で客の意図がちゃんと伝わっているのか、かゆいところに手が届くような仕事ができるのか、やってはいけないことをしていないか、少々、疑問に感じる。
一方、昔からの「町のお店」は地域独特の建て方、住まいの特長を熟知している。熱心に地域活動を行っている場合は、家族構成まで知り尽くしている。そういう店なら、注意する点をよく分かっているだろう。
顧客は細かいところに気を遣ってくれる業者に対して、感嘆、感動してくれる。逆に、小さな配慮ができずに、怒りのクレームにつながる場合もある。
自分が顧客にとって「一見さん」にならない限り、なじみとなり信頼されるのであろう。
レ・ミゼラブル
かつて、ジャン・ギャバンの映画も見た。コミカライズも読んだ。舞台は見たことがない。その上で今回の映画(ミュージカル)を見に行った。
いろいろ、原作からの変更部分はあったものの、やはり、偉大な作品は偉大な作品であり、ジャン・バルジャンの高潔な精神は高潔であった。
ビクトル・ユゴーの1862年の作品。これを書いている時のユゴーはナポレオン三世を批判し、国外追放されており、英国領ガーンジー島で亡命生活を送っていた。『レ・ミゼラブル』はベルギーで出版されている。
ユゴーは政治活動家としても知られ、もちろん、それが彼の作品に反映されている。しかし、レ・ミゼラブルに見られるのは永遠に変わらない、人間の魂の高潔さであり、その普遍性である。
ジャン・バルジャンはもちろんだが、それはジャベールも同様である。彼は信じていた価値観が逆転し、自問自答のあげく自らを死に至らしめるのだが、彼もまた、高潔な人物であったのだ。
一方、人間の持つ卑小で救われない暗い部分も描かれている。もちろん、ティナルディエである。彼の家族は人間味ある人物として描かれているが、ティナルディエのみ、「救われない」人物だ。息子も娘も、悪妻でさえ人間味を見せているというのに。これが、ユゴーの人間に絶望した部分だったのだろうか。
だが、そういう人物の登場があってこそ、より作品とジャン・バルジャンが輝くように見える。
この作品の精神は、この一節に集約されるであろう。
レ・ミゼラブルのテーマであり、作品の最後のメッセージなのだから。
海洋よりも壮大なる光景、それは天空である
天空よりも壮大なる光景、それは実に人間の魂の内奥である
今回のミュージカル映画はマリウスがジャン・バルジャンをコゼットから遠ざけようとするシーンはなかったし、ラストシーンは暖かいものを感じさせた。原作は悲劇性が強く、それが墓標の4行の詩をより感動的にさせているのだが。
みなもと太郎氏のコミカライズではジャン・バルジャンは晩年、マリウスやコゼットと暮らして静かに亡くなったことにしている。コミックスのあとがきには、彼には幸福な最期を迎えさせてあげたかったという旨が書かれていたと記憶している。今回の映画の製作者も、もしかしたら同様に考えたのだろうか。
ビクトル・ユゴーの作品では『九十三年』も名作だ。レ・ミゼラブルを上梓した12年後に書かれた作品だが、レ・ミゼラブルと同様のテーマが語られている。興味のある人は読んでいただきたい。
国を守ることと、家族を守ること。同じだと思うのだが。
「日本国憲法第九条を守れ」と言ってますね。僕も世界に誇れる平和憲法だと思っていますよ。条文は「1)日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2)前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」
われわれの身近な例にかえると、隣家などとの諍いごとを包丁を突きつけたり、銃を撃ったりするような暴力で解決してはいけないということです。
それじゃ、家に侵入してきた強盗に対してはどうでしょう。住や刃物をもって入ってきた強盗に家族が殺されようとしているとしたら。それでも、何もしないのでしょうか。仲の良い人が助けに来てくれて、でも、その人が殺されようとしても傍観者でいるのでしょうか。
国際紛争を武力で解決するのと、領土領海を一方的に侵すのとは違います。国際紛争、国と国のもめごとを解決するために戦争してはいけないですが、国に侵入してきたり、国民の財産・生命を奪おうと実力行使する相手とは戦わざるをえません。黙っていたら、やられる一方です。
中国が尖閣諸島を「領土問題が存在する」ことにしたいのは、日本の領土領海が確定していたら、日本は自分の身を守るための防衛行為が可能です。自衛隊でなくても海上保安庁が警察行為として鎮圧できます。(もっとも、今の法律では相手が中国政府の海監の場合「出て行け」というだけなのですが)
ところが、「領土問題が存在」になってしまったら、「国際紛争」になります。中国はその状態にしたいのです。
以前、こんな話を聞きました。ある小学校で低学年のクラスで平和のことを教師が話していたそうです。「絶対に戦争をしてはいけない」と。一人の男の子が「でも、僕は妹がいじめられたら相手と戦う」と言ったのです。しかし、その教師は「あなたは自分の妹のために相手を傷つけるの? 暴力を振るうの?」とひどく問い詰めたそうです。
私は、その男の子は素直な気持ちを言ったのだと思います。それに、家族が危害にあっていたら、守るのは当然です。その教師はいわゆる「戦後民主主義的な教育者」だったのでしょう。
戦争はやってはいけない。それは国民のほとんどが同意しているでしょう。でも、家族が襲われているのを黙って見ているアホな国民もいないと思います。
「戦争をしてはいけない」これは、世界中のほとんどの人が思っていることです。でも、強盗のように他国を襲う国があるのも事実です。威嚇して、領土を奪おうという国もあります。自分の家族や財産を守る、国を守る政府であってほしいです。
国境を有する自治体の長にも考えて欲しいです。国のとは言いませんが、自分が預かる自治体の安全保障まで考えてほしいですね。