徒然日記 | コージの徒然日誌

コージの徒然日誌

白髪が増え始めた初老紳士風味なコージの徒然日誌です。読んでほしいから書くではなく、書きたいから書くが主体にあるので、不快な方はどうぞ見逃(スルー)してください。

 

1.どうでもいいことを考える

 

昔、出島で日本人料理人のことを「くずねり」と呼んだ

当時使われていた外語はオランダ語とラテン語なのだが

いずれも料理人はコックだ

 

じゃぁクズネリとはどこからきたのか?

なんとなくフランス語のキュイジン・キュイジーヌが語源に近い気がする

 

いつ勘違いが生まれたんだろう?

そもそも女人禁制の出島でキュイジーヌ(女性料理人)が語源だとするなら

そんな不思議な勘違いがどうやって生まれたのか?

そんなことを妄想するのもまた一つ頭の隙間を楽しくさせてくれる

 

 

2.選ばないと納得できない

 

与えられた選択肢から選ぶのは好きではない

自分でイチから選ぶ

 

こうでないと自分のものだと思えない

自分のものではないから大切に出来ない

 

自分が選んで自分で得たものは大切にする

与えられたもの以上に

 

だからだろうね

あと少しで与えられたものの一つを放棄するのだが

何の思い入れもない

むしろ清々している気すらする

 

 

3.寂しい珈琲

 

最近の流行、珈琲豆をふんだんに使った珈琲

飲むといつも少しだけ寂しい気持ちになる

 

イニシャル・ボトム・アフターバック

全て味で塗りつぶされる液体

 

嫌いじゃないが

昔純喫茶で飲んだ薫り立つ珈琲

 

あの味を知らぬ人がいることが寂しく思う

それを出せる人が減ったことを悲しく思う

そしてそれを理解できる人が減ったことが

何より寂しい

 

 

4.珈琲ネタでもう一本

 

本当に美味しい珈琲の定義は沢山あると思う

 

でもとある珈琲は氷から煎れる

水で煎れる珈琲もある

今日の熱々のやけどしそうな珈琲

 

あれは本当に正しい煎れ方なのか?

誰も疑問に思っていないことを疑問に感じる

 

沸騰したお湯を

温めていないサーバーへ落とし

温めていないグラスへそそぐ

その丁度良いを見極めることの困難さを

ただただ放棄してるだけなのでは?

 

そんなことを考えると

自然と・・・

人は考えない生き物なのかもしれないと

感じる様になって少し寂しい