キャプテンホワイトタイガー君とスペースバトルシップユーフラテスW杯フィリピン大会その25
心と体の関係については、古来より言われてきたようですが、特に20世紀の後半から医療やスポーツの分野から「心と体はつながっている。」と広く知られるようになったと思います。
特にスポーツ界のボディビルとフィットネス関係で活躍していたジョー、ウイダーは、70年代から積極的にこういった発言をしていたのではないのかな。と思います。
(それは、私がウイダーの著作をよく読んでいたから、そう思っているだけかも知れませんが。)
そういった考えが、現在になって広く認知されているのは喜ばしい事なのでしょう。
心と体の関連性という事に関しては、ギリシャ哲学もそうですが、長い歴史において論じられてきました。
19世紀のアラン先生もまさにそうであるようで、「幸福論」第四編の「神経症」では、その事について書かれてあります。
キキちゃんとララちゃんではですね、、、「神経衰弱」と題してあるようですな。
「体調が心に与える影響は、意外に大きいかも〜。」「気分が悪い時はともかく、塞ぐ時は意識して体を動かすと効果的かも〜。」
なるほど、かも鍋を食べると効果的カモ〜。
いや、間違えました。面白くない冗談でした。
と、とりあえず、この編で哲学者スピノザが出てきますね。
「心と体の関係」という事について、それから「情念」パトスについて、アラン先生は、この哲学者スピノザと哲学者デカルトの影響を受けているようです。
共に17世紀の方々だそうです。
それぞれ意見の違いはあったようですが、(デカルトは体力と精神力は同調?相互作用?しないという考えだったようである。)
いずれにせよ、心と体は関係しているという点では一致していたようです。
とりあえず、私はスピノザもデカルトもアラン先生の事も、まだ詳しく知らないので、現時点ではこのくらいでとどめておいて、これからまた詳しくなっていくと思うのですが、とりあえずスピノザは哲学研究書「エロチカ」を記したそうです。
、、、あわわ、ま、間違えた。「エロチカ」ではなくて「エチカ」でした。
大変失礼しました。
と、とりあえず、「自分が心から欲するものを、実際に望むには、それなりの技術が必要となるのである。」という締めの言葉は、意味深で確かにそうかも知れないと思ったりするな。
例えば、ストア哲学の「自分の力で及ばないものについて、思い悩んではならない。」という事について実践しょうとしても、実際の生活では、自分には関係のない所まで関わっていかないといけない事も多々あったりします。
そういう時に、「俺には関係ないから。」といって関わりのない事を無視し続けていると、「彼は社会性のない世紀末の異常人間だ。」みたいな評価がついてしまって、かえってストア哲学実践どころか普通の自分の生活まで上手くいかなくなってしまったりする事があります。
いや、実は、俺も昔にそういう時があったんよ。
今になって反省してみれば、頭の中で意識していれば、ちょっと遠回りのようでも、意外と実践と協力が両立する結果になるような事も結構あったりしたのかな。
ここで、アラン先生の言っている技術とは、そういったちょっとした気遣いの事も含まれているのかなと思ったりします。
ただ、そういう事ができるためには、自身の健康を含めてある程度余裕がある状態でないと難しいでしょうな。
とも、思ったりしますが、、、どうでしょうか?