(回想録) 1号の受験の苦労話② | ツナイデルの「だって高1の息子が昼メシは弁当がいいって言うから」

ツナイデルの「だって高1の息子が昼メシは弁当がいいって言うから」

サッカーバカ1号&2号についての徒然日記。改め、元サッカーバカ1号&そこそこサッカーバカ2号を見守る父の徒然日記。
1号は大学生となりサッカーは観戦するスポーツに、2号は高校部活で細々とサッカー続けてます。

大学受験をしたいと言い出し、私文を目指し高3から勉強を始めるも、知識の蓄積も学習習慣もないため集団指導塾なんて無理。本人もそれは十分わかっていたので、まずは1号の実力に付き合ってくれる個別塾を選択することに。基礎の繰り返しを見越し、演習の時間が多く取れるであろう1対3のところに入会することにしました。


高校の親しい友達で大学進学希望者はゼロ。コロナ禍、しかも個別指導塾ということもあり、本当に孤独な受験生活でしたが、中学校時代の地元の友だちを中心に応援してくれたのが救いだったようです。


本人のこれまでにない努力と室長の指導により基礎固めはできたものの、受験のレベルには程遠く、本人の希望もあり、翌年は浪人生活に突入。今振り返れば、学習の礎を築いてくれたという点で、この時の個別指導塾の室長には本当に感謝です。


浪人生活、スタートは塾選びから、ということで、受験にはスキルやテクニック、周囲との競争が必要と考え、大手予備校の私文コースの下の方のクラスに入塾し、浪人一年目が始まりました。


もちろん、親として、1号が喉の渇きを覚えるように、大学に行きたいと思うように仕向けたのは事実です。でも、誰かに強制されて乗り切れるほど受験勉強は楽ではありません。その意味で、ようやく能動的に学習に取り組めるようになった、学習の持久力がついたといえます。


予備校で一年間、それこそ人が変わったように勉強を続けましたが、ようやく周りのレベルに追いついたくらいで、結局志望校のランクをあげてしまったこともあり、この時の春も1号が納得行く結果に至りませんでした。


自分の努力が報われなかったのがよほど悔しかったのか、どうかもう一年勉強させてほしい、と懇願されたので、経済的負担は大きかったのですが、浪人2年目に突入することになりました。


続く