最初に。
2つ前のブログで備忘録的に1号の受験の苦労話を書き出したらそれなりに長くなってしまったので、別途まとめてみました。(そうしたら、すごく長くなった
)
でも、受験には失敗してますし、1号の前提条件が酷すぎて世の受験生の参考になる内容ではないと思います。強いて言えば、小さい頃から学習習慣を身につけさせないとこんな風になってしまうんだな、勉強させないと後々苦労するんだな、ということを感じでいただき、反面教師としてもらえればと思います。
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1号の受験の苦労…
私は、「馬を水辺に連れて行くことはできても、水を飲ませることはできない」ということわざをよく使います。
文字通り、「馬が水を飲むかどうかは馬次第」なので、人は他人に対して機会を与えることはできるが、それを実行するかどうかは本人のやる気次第であるという意味です。
本人が、本当に喉が渇き、どうしても水が飲みたいんだ、という気にならない限り、場を提供しても水は飲みません。
子どもたちが小さい頃はよく、水辺に連れて行って「ほら飲め、飲め」とけしかけて水を飲ませようと、勉強やサッカーをさせようとしてましたが、結局与えられた環境では能動的に動かず、ずいぶん後になってそれは誤りだと気づきました。
それからは、こちらから働きかけることは減らし、水辺に連れて行って見守ることにしましたが、それはそれで、いつでも水が飲めると安心したり、飲みたくもないのに水を飲んだりして、これも結果的に良くはなかったのだと思います。
そして今は、親として水のある場所を把握しながら、手綱を緩めた状態で自由にさせ、水が飲みたければ自ら探して飲むように、水辺を探しているようなら多少手綱を締めて水辺に誘導するように意識しています。
もちろん、小さい頃にもっと能動的に動ける訓練ができているお子さんならこんな苦労はしないでしょうし、それをやって来なかった言い訳でもあるのですが、結局何が正解かはわかりません。でも、最終的には子どもたちが自らの意思で水を飲み、生きる糧を得ることができればいいと思っています。
長男である大学2年の息子1号は、勉強の点ではいわゆる落ちこぼれでした。公立中学で勉強はほぼ最下層、高校もそのまま偏差値的に最下層クラスの公立高校に。遊び半分になってしまったサッカーと、それすら奪ったコロナを言い訳に、高校の最初の2年間を遊んで過ごしました。
1号が通っていた高校は、今の時代にはそぐわない、それはそれはヤンチャな子たちの集まりで笑笑↓は昔書いたブログですが、まさに昭和の世界。
そんな学校に通い、一般動詞やbe動詞もわからないような1号が、大学受験をしたいと言い出したからびっくり。いくらなんでも受験を舐めすぎだろうと思いながらも、仮に1号がこのまま高卒で社会に出ても何もできないはず。本人が勉強したいというなら、水を飲みたいというなら、親としてふさわしい水場に連れて行こう。チャンスを与えよう。学ぶに遅いということはないのだから。
ということで、ここから1号の底辺からの戦いがはじまりました。あ、ちなみにそんなにかっこいいものではありません。ビリギャルみたいだったら良かったのですが、結局受験には失敗してますから。(でもま、ビリギャルは中高一貫私立の割と偏差値高い高校だったみたいなので、1号とはスタートが違いすぎて比較はできないか)
続く
