『対岸の家事』のテレビドラマを見終えた。
全話秀逸で、ここまでタブーなところに切り込んだ
盛りだくさんな問題を、よく優しくきれいにまとめ
切ったな!!と舌を巻く作品だった。
たまたま娘が寝る前に「このドラマ面白そう…」
と第一話を見つけたのがキッカケで、
TVerで一緒に見ることになったのだ。
最終話で、母親の虐待がトラウマの主夫が、
謝りに来た母親に、
『私を尊重してくれるのなら、私が会いたいと
思う時がくるまで待っていてほしい。一年いや三年…
もっと…十年以上かかるかもしれないけど。』
と言ったのがスカッとした。
平身低頭に謝られてもモヤモヤするなら、
まだ許せていないということなので、
とても便利な返答だなと思った。
許したいとは思っていても、どうしてもまだ無理!
なこともあるのだ。
主人公は母親を亡くし、父親の面倒を見ていたが、
学業と主婦代理があまりにも大変すぎて、家出して、
新しく自分の家庭を築いている。
思いやりのなかった無神経な父親とは絶交している。
私と境遇が似ているので、父親との関係にどう
オチをつけるのか気になって、見続けた。
主人公の父は、きちんと自立し、主婦業の苦労を知り、
反省して感謝して、謝れる人だった。
自分のためだけの家事は手を抜けるが、誰かのための
家事は手を抜けなくて大変だとちゃんと気付けた人
だったのだ。
それは、作者の理想像なんだろうなと思ったが、
多少何かが浄化されるような気持ちになった。
ただ、私の父親が謝りに来ることはないだろう。
仮に謝りに来たとしても、『許せる時が来るまで
待ってほしい』と言えばいいんだと参考になった。
謝ることで、見返りを得ようとするようでは、
きっと許してもらえない。
主人公の父は娘の世話になろうとか、孫に存在を
認めてもらいたいという見返りは求めていない。
そういう所が理想なのだ。
主夫の毒母は自分の寂しさを埋めるためなのか、
世間体なのか、資金援助なのか、利己的な理由で
謝りに来たのが透けて見えるので、
主夫はまだ許せなかったのだろうと思う。