昨日の話なんですがね。
私の知り合いに、編集の仕事をしている人がいて、仮にA君としておきましょうか。
A君が、とある出版社のスタジオで、撮影をしていたんです。
ブランドムックの撮影で、洋服を100着くらい撮るんですが、一枚ずつシワを伸ばしたり、ピンで留めて形を整えたりするから、深夜までかかるだろうとふんでいた。
ところが、カメラマンの仕事がとても早くて、予定よりだいぶ前に終わってしまったそうなんです。
幸いパソコンを持ってきているし、じゃあ、ここで少し仕事をしていこう。
A君はそう考えた。
撮ったばかりの写真を整理して、デザイナーに送る準備をする。
どのページにどの写真を入れるとか、位置や大きさなんかもいちいち指定するので、それなりに大変だ。
夜、誰もいないスタジオで、黙々と作業をするA君。
クーラーがよく効いて、空気はひんやり冷たく、静まりかえった空間のなかに、キーボードを叩く音だけが響き渡る。
カタカタ、カタカタ。
非常に仕事が捗ったそうです。
ふと気がつくと、23時を過ぎていた。
さすがに少し疲れたので、一服しようと外に出た。
旧知の編集者と雑談をして、20分ばかりしてから、スタジオに戻ったそうです。
それで、仕事を始める前に用を足しておこうと、トイレのドアに手をかけたんですね。
ところが、ノブが回らない。
使用中を示す赤い印が出ている。
中に誰かがいる。
「見回りに来た守衛さんだろう」
そう考えたA君は、切羽詰まった状況ではないし、仕事をしながら待つことにした。
しかし、5分たっても、10分たっても出てこない。
そして、妙なことに気がついた。
さっきから、全く物音がしないんです。
だっておかしいじゃない。
スタジオといっても、雑居ビルの1フロアを改造したもので、トイレだって1人用の小さなもの。
体を動かしたり、咳払いしたりする音が、聞こえてこないはずがないんだ。
「よからぬ輩が侵入し、慌ててトイレに隠れたんじゃないだろうか」
「だとしたら、今まさに、息をひそめて自分の様子をうかがっているのかも・・・」
そう考えたとたん、背筋に冷たいものが走った。
ちょうど、トイレに背を向ける形で仕事をしているA君。
全神経を背中に集中させる。
やだなぁ、やだなぁ。
緊張で、肩がずっしりと重たくなってきた。
そのまま、10分ほども過ぎたあたりで、意を決して、ドアをノックしてみた。
中で、誰かが意識を失っている可能性も考えたという。
コンコンコン
返事はない。
恐る恐る、ドアノブに手をかける。
やはり、内側から鍵がかかっている。
いる!
誰かがこの中にいる!
恐ろしくなったA君は、守衛さんのもとへ急いだ。
そのビルには、何人かの守衛さんがいるそうなんです。
エレベーターを待つ間も、トイレのドアが開いたらどうしようと、気が気ではない。
武器になる物もない。
1階の受付にいき、状況を話すと、守衛さんの顔が、とたんにシリアスになった。
「わかりました。すぐに行きましょう」
スタジオに戻り、守衛さんがドアをノックするが、やはり返事はない。
ドアノブに手をかけ、グッと回しても、当然開かない。
さらにもう一度、力を込めて回すと、
ガチャッ
と音を立ててドアが開いた。
中には誰もいなかった。
つまり、鍵がバカになっていたんですね。
「たまにあるんですよ、こういうこと」と守衛さん。
A君は、自分の小心さにほとほと嫌気がさしたそうですよ。
そして、もうお気づきでしょうか、A君とは私のことなんです。
以上、怪談風にお届けしました。
夏がやってきましたね!
I dedicate this sentence to JUNJI.