「少し泣く」 | 日々是しろくま

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今抱えている大きな仕事の入稿を終え、久々にゆっくりできた週末。
こんな時に限って夏風邪を治りかけのまま長引かせて、遊びにも行けない。
録り溜めていたアニメのピンポンを観る。
最初の数話を観たときに傑作を予感したまま、ずっと放置していたのだ。

原作はいわずもがなだが、松本大洋の卓球コミック。
自分と同世代にファンが多く、映画もまた傑作だったのだが。
アニメ版は、その原作も映画も軽く凌駕してしまっていた。


自分が一番好きなキャラクターは、ペコでもスマイルでもなく、風間。
名門海王学園高校の主将にして、日本の卓球界を背負う男だ。
とりわけアスリートの世界では、頂点に立つ者には「勝ち続けなければならない」という宿命がつきまとい、それは「いつかは必ず負ける」という宿命とも表裏だ。
風間もまた、その宿命を背負ってしまった男だった。

原作での風間は、ただ強すぎるがゆえに常勝を余儀なくされた男として描かれていた。
しかしアニメ版では、そこに別の要素が付け加えられることになる。

幼いときに父を無くし、母とともに厳格な祖父の元で育てられた風間。
学園の理事でもある祖父は風間の卓球の才能をいち早く見抜き、英才教育を施すことになる。
風間はその期待に応え、インターハイで個人優勝し、高校最強と呼ばれるまでに成長する。
祖父が経営する企業の商品キャラクターを務め、それと同時に彼と母親の立場も向上していくことになる。
つまり風間は、ただ強いがためではなく、学園や企業を背負い、彼自身と母親のためにも負ける事が許されないのだ。

この設定が風間の抱える闇と孤独を一層深いものとし、原作ではどこか人間離れしていた風間の弱さを浮き彫りにし、複雑な魅力を与えることに成功している。
だからこそあの名シーンが、風間が試合前にトイレに一人閉じこもり、部を去ったアクマ(佐久間)と語り合うシーンが生きてくる。
「私を恨むか?」という風間の問いに、「同情しますよ」と答えた佐久間の言葉が幾重もの意味を帯びてくるのだ。


このシーンの後、アクマの「少し泣く」は最高の名台詞


そして、準決勝でペコと対戦する風間。
不甲斐ないプレイを繰り返すペコに、「ヒーローなのだろうが!」と風間が叫んだのはなぜか。
風間は、どこかで負けることを願うようになっていたのだ。
常勝が宿命となり、敗北を恐れるがゆえにストイックなまでの練習を繰り返し、そしてまた勝ち続ける。
その連鎖から自分を解き放ってくれとペコに叫んだのだ。
風間もまた、ヒーローを待ちわびている男だった。
スマイルと同様に。
原作や映画では素通りしてしまっていたけれど、アニメ版で始めて理解できた。
この叫びにこそ、風間の更に深い闇と苦悩が忍んでいたのだと。

やがて向かえたペコのマッチポイントで、風間は大きく球を打ち上げてしまう。
自分の敗北を決定づけるその白球を見上げる風間の目には、大空を飛ぶ鳥が映っていた。
そのシーンは、アニメ史に残る美しさだった。



と、風間のことばかり書いたけれど、ペコ、スマイル、オババ、小泉、アクマ、その他すべての人物が原作以上に掘り下げられていた。
アニメ版オリジナルのユリエさんの存在もいい。
恋愛要素を付加しながらベタつかない描写が鮮やかだ。

卓球シーンの迫力は圧巻。
コマ割りやモノクロ、描き文字風のテロップを多用した演出で松本大洋のイラストチックな世界観を生かし、それでいてセンスに走っていない。
BGMもいい。

もはや、すべてを絶賛するしかないアニメ版ピンポン。
たまにこういう作品に出会えるから、深夜アニメはやめられないのだ。


さあ、7月クールも傑作を求めて、玉石すべて録画しよう。