こんにちは。
Wakabaです。
今日は私が看護師を辞めるまで① シリーズの②です。
前回の①で、仕事がもういっぱいいっぱいで
本当に限界だった私。
もう、これは本当に辞めよう。
看護師を続けるにしても、お給料が下がっても
もっとのんびり働けるところにいこうと
決意を固めました。
(この頃から実は企業で働きたい、
OLになりたいという
思いはあったものの叶わないと
思い込んでいたので控えめな設定でした 笑)
実は退職したいことは、
既に1年前も前から師長に話していました。
でも、ちょうど退職の4か月くらい前に
師長が異動になり
新しい師長に変わり、
私の退職交渉はなぜか事実上また0からに
なってしまいました。
「前の師長から申し送られてるけど、
本当に辞めたいの?考え直さない?」と
新しい師長にも何度も説得され
最終的には看護副部長との面談。
「何が欲しいの?休みなの?休みが欲しいなら休んでいいから」
「あなたのいるべき場所はここよ。自分でもわかってるでしょう?ほかに何ができるの?」
と言われ。
段々と、辞めたいっていう思いは
自分勝手なのかな。
やっぱり辞めない方がいいのかなって
何度もクヨクヨ悩んで迷っていました。
そんなとき相談したのが、
その時に継続講座を受けていた
恋愛心理カウンセラーのりささんでした。
りささんから
「組織はわかばさんの人生の責任をとってくれるんですか?」
と言われハッとしました。
そうだ。
病院はここで私を引き止めても、
私の人生に責任は取ってくれない。
私の人生は私が決める。
と辞める覚悟をようやく決めました。
そして、ようやく退職が受理されました。
結構ギリギリまで有休についても
交渉していましたが、
最後の最後まで有休を全部
使わせてもらえなくて、結構揉めました。
(反抗しない私がこんなに自分の意見主張したのは初だったかも)
この交渉には負けてしまい40日程度あった
有給休暇が、使えたのは5日くらいでした。
(これは今も結構悔やまれる。)
よく、東京タワーを見に散歩に行ったなぁ。
そして退職日(夜勤明けの朝)→次の日引っ越し(家を引き払いトランクルームへ預ける)
→その次の日にオランダ・アムステルダムへ旅立ち。
という怒涛のスケジュールをこなし
ここから住所不定無職へ。
引っ越しが終わった後に家もない、仕事もない。
どこにも居場所がないような気がして、
上京してから3年8か月住んだ空っぽになった
マンションの部屋を出るときに
すごく心細くなったことを
今でも覚えています。
そして、ヨーロッパ1人旅行&マルタ留学へ
旅立ちました。
本当に退職から、旅立ちまで目が回るような
忙しさでした。
この後は看護師からOLになるまで~ヨーロッパひとり旅からマルタ留学編~
に続きます。お楽しみに。
長い記事をお読みいただきありがとうございます
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