ラムールの一言  新たな | ラムール yukikoのブログ

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私の実体験や思いついたことを綴っています。ご縁のある方だけ読んで下さればいいと思っています。フォローバックを求めての方でしたら、ご期待に添えない故、フォローはしないで下さい。

昨日、

仕事に復帰し、長年、国民健康保険だったものが、

新しい健康保険証がようやく発行されたので、

その切り替えの申請など諸々の用事も兼ねて出かけました。

 

走っている途中、四十九日も明けたし、一度お祓いを受けたいな、と、

思って考えていました。

大体の神社は鳥居の中に社務所がありますよね?

ですから、鳥居をくぐる前にお祓いを受けたいな~と思いながら、

いつも参拝させていただいている神社に向かって、車を走らせて

おりました。

駐車場に着いてから電話でもしよう、と思い、駐車場に着きましたら、

そこに、いつもは中にいる社務所の方がお二人、外をお掃除して下さって

おりました。

うわ~、私の心を見抜き見通しだわ、これはもう神様だわ、嬉しい~♪

と、思わず、駆け寄って、

「すみませんが、四十九日が明けたのでお祓いを受けたいのですが、

社務所が鳥居の中にあるので、鳥居をくぐるのが忍びなく、鳥居の外で、

お祓いを受けることはできますか?」と、お伺いしました。

そしたら、

「大丈夫ですよ。着替えて参りますので、少しお待ちください。」と、

おっしゃって下さり、中に入って行かれました。

鳥居の所で待っておりますと、もう一人の方が来て下さって、

「あの方は神主さんです。準備をしてここまで来て下さいますので、

よければ車の中でお待ちになっていて下さい。」と、

伝えに来て下さいました。

おお~、私、神主さん(女性)にお声をかけさせていただいていたのね~♪と、

益々嬉しくなり、車の中で待たせていただいていました。

 

車のフロントに一枚の新緑の葉っぱが、踊るように舞い、お稲荷さんの紙垂は、

一つだけ揺れていて、もう神様の歓迎を受けているような気持ちになりました。

耳鳴りが一層強くなったな、と思った時、

先程の神主さんが、白衣袴ではなしに、ご祈祷される時の正式な服装で、

鳥居の外に出て来て下さって、大麻(おおぬさ)のお祓いをして下さいました。

「ありがとうございます。」と、お伝えすると、

「いつも参拝して下さいまして、ありがとうございます。」と、おっしゃって

下さいました。

 

手水をして、拝殿の前に行きますと、先程の社務所の方が、神主さんが持って

おられた大麻(おおぬさ)を拝殿の中へ片付けに行かれて、出て来られるところ

でした。

「お礼の真心をお賽銭箱に入れさせていただきます。」とお伝えしました。

 

そして、お礼の真心をお賽銭箱に入れて、手を合わせました。

 母の四十九日が明け、久しぶりに参拝させていただきました。

 仕事の方もようやく決まり、行かせていただいております。

 ありがとうございます。

などとお伝えしました。

 

参拝が終わるとカラスが啼き、白い蝶が飛んでおり、いつもここの神様には

歓迎されているな~、と、感じさせていただいています。

自己満足かも知れませんが。。。(笑)

 

外のお稲荷様にも手を合わせて、風を頂戴しました。

 

とてもすっきりした気持ちになりました。

 

いつものように、おみくじを引かせていただくと、小吉でした。

 

 長閑(のどか)なる 春の野中を家人と 心安けく行く心地かな

 

 小下りの道に車を進めるように楽々と事の運ぶ運勢なり

 心を誠にし身を慎んで勉強すれば草木が天の恵の雨露を得て栄える如く

 次第に幸福が増して嬉しい事があります

 

と、書かれてありました。

 

長い長い時間苦しみました。

一つのきっかけが、人との出会いが、良き方向にも悪しき方向にも

行くのだということも身を持って知りました。

縁を結ぶ、縁を切る、そういうこともだんだんわかって来たように

思います。

いろいろな教えを身を持って体験することができました。

これでまた、私の経験の宝が増えたと思っています。

誰かに何かを伝えるのなら、それを自分が体験していないと

相手には通じないし伝わらない、と、私は思っていますし、

私自身、経験値のない人の話は入って来ないからです。

 

人それぞれに学びがあり、学びがあるからこそ、そこに縁があり、

また、その人のために縁を切ることも必要な時はある。

誰かに依存していれば、その人の思考はそこで止まってしまい、

自分で学ぼうとする心を失う。

 

縁を切るにもちゃんとした理由を伝えるべきだと私は思いました。

何も言わずに訳もわからずに去られてしまうとそこに念が残る。

人は納得することで、反省することもあれば、よかったなと思えることも

ある。

私は自分自身がそうされて来ただけに、自分の中で納得をするまでに、

相当な時間もかかり、恨みの念を持つことさえあった。

恨みの念とはこういうことなのか、と、いうことも知りました。

 

生きているうちに、こういう念はやっぱり消化して行って欲しい、

そう思います。

お互いに納得すること、話し合いができるならそうすること、謝罪すること、

等々、いろいろ方法はありますが、一度距離を空けて、お互い自分の心の思いを

感じてみる時間も必要。

その時間は思いの外かかるということを知りました。

人は恨んだら恨んだ分だけ、自分に不幸がふりかかる。

また、恨まれたら恨まれた分だけ、お互いに不幸になる。

でも、そういう試練も一つの心の浄化の方法なのかも知れないと私は思う。

自分の何が悪いのか、悪かったのかの反省もできない人には、きっとこの言葉の

意味もずっとわからないと思いますが。。。

 

 

今、新しい職場で新しい環境で、新たな方々と今までしたこともない仕事を

させていただいておりますが、私はどこへ行っても変わらないな(笑)、って、

思います。

どこへ行っても中立で、争っている人の間に立ち、なだめ、心を和ませようと

してしまう。

雰囲気が悪くならないように、って、気を遣っている私がいます。

全く携わったことのない分野なので、戸惑うこともありますが、これも一つの

経験として日々頑張っています。

この年齢ですので、正社員にはなれませんが、私には今の働き方がちょうどいいかも

知れません。

 

苦しんで来た分、久しぶりの仕事とあって、ちょっとワクワクしているところでも

ありますが、毎年の契約更新で、何年働かせていただけるかもわかりませんが、

それでも、自分のできることを人様のためにと働かせていただこうと思っています。

 

誰でも、苦しむ時期はあります。

たぶんみんなそうです。

早かれ遅かれ、誰にでも来るものだと思います。

どれだけ耐えるか、耐えられるか、それをどう耐えるか、乗り越えるかだと思います。

 

それが心の強さとなる。

 

それが優しさの元となる。

 

私はそう思います。

 

 

今は、自分の勉強で精一杯です。

相談の方はしばらく休みます。

今後どうするかは今は考えておりません。