【伊達天文記】最終回 次代の奥州覇者 | 奥州太平記

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宮城を舞台にした歴史物語を描きます。
独眼竜こと伊達政宗を生み出すまでに
多くの群像が花開き、散っていた移り行く時間を
うまく表現できるように努めます。

とりあえずは、暖かい目で見守ってください。

稙宗が亡くなる3年ほど前に角田城城主・田手たで宗光が

相馬家と通じる事件が起きた。

この対応をめぐり伊達晴宗・輝宗父子が対立した。

 

輝宗は武力による討伐を主張したのに対し、

晴宗は強硬な態度で挑めば伊達家中全体に

不和を招くとして穏便な策を模索した。

 

この時、輝宗は17歳の若武者である。

父の対応に煮え切らないものを感じた輝宗は

独断で田手家を討つべく出陣した。

 

晴宗は輝宗を止めるべく、後を追うように出陣した。

輝宗は妨げる者はたとえ父と言えども容赦はせぬとし、

晴宗を捕らえようとした。

 

このため、やむなく晴宗は兵を引いたが、

父子の対立は、内乱勃発の一歩手前にまでなっていた。

“天分の乱”の再現を怖れた奥州の有力国人衆が

講和調停に乗り出したことで、内乱は回避することができた。

 

だが晴宗は、むこう気の強い輝宗といずれまた

対立するだろうことを予測し、

それを未然に防ぐため、自分が身を引く決断をした。

 

稙宗が亡くなった永禄8年(1565)、

晴宗は伊達家の家督を輝宗に譲った。

 

その翌年、相馬領の北に位置する亘理わたり元宗が

相馬家を誘って伊達領である伊具郡に進軍した。

 

元宗は稙宗の実子で、晴宗にとっても弟であるが、

懸田俊宗に対する仕打ちで伊達家に不信感を持ってしまったのである。

相馬盛胤もりたねはこの時、小斎・金山の2つの城を奪取した。

ここに伊達家と相馬家の長きにわたる戦いが始まった。

 

輝宗の統治方針は、半独立的な有力家臣団がもつ特権をなくし、

もって伊達本家の財力・武力を増加させることにあった。

その方針にそって輝宗は、討伐した田手宗光の命は助けたものの、

家格を“一家”から“一族”に降格させた。

 

輝宗にとって、有力な家臣団がもつ“守護不入”などの特権は

伊達家の財源を奪う“害悪”であった。

中でも中野宗時・牧野宗仲父子は、伊達家直轄領に

匹敵する所領だけでなく、米沢の城下町の税収をも掌握していた。

輝宗が中野父子の存在を憎むようになったのは当然であった。

 

元亀元年、伊達家に大きな事件が起きた。

後に“元亀の変”と呼ばれる中野宗時・牧野宗仲父子の謀反である。

ただ、これは輝宗によって仕掛けられた謀略の可能性が高い。

 

事実、謀反が露見した際、中野宗時は戦準備ができておらず、

牧野宗仲の居城・小松城で立てこもるも、用意周到だった輝宗方に

一方的に攻められ、ついには相馬家へ出奔せざるを得なかった。

 

さらに輝宗は、小松城から相馬領の途次にある

有力国人衆である小梁川こやながわ盛宗、白石宗利むねとし、遠藤宗忠に対し、

中野父子を意図的に取り逃がしたとして厳罰に処しようとしたが、

これは父・晴宗の取りなしもあってやめることとなった。

 

その一方で、晴宗の代に反伊達を鮮明にしていた亘理元宗は、

輝宗方に与し、相馬領へ向かう中野宗時と一戦を交えている。

 

後の話になるが、中野宗時は伊達家に再出仕したく大森城主・伊達実元を

通じて輝宗に願い出たが結局許されず、宗時は会津で野垂れ死にし、

牧野宗仲は歴史上から消えた。一説には岩城家へと逃れたという。

 

先代・晴宗の時代に権勢をふるった中野宗時・牧野宗仲を追い落とし、

白石・小梁川家といった大身の家臣へにらみを利かせた輝宗は、

遠藤基信もとのぶのような有能な人物を伊達家の執政に抜擢することで、

戦国大名・伊達家の新体制を構築していった。

 

相馬家に奪われた領土を取り戻すべく

輝宗は着々と準備を整えていった。

幼子を伴った伊達実元が米沢城を訪れたのはそんな折であった。

 

晴宗・輝宗父子は伊達実元を非常に信頼している。

稙宗の子である実元に晴宗の娘を娶わせたのも、その表れである。

その二人の間に生まれた和子を実元が輝宗へ

初お披露目するために米沢城へ連れてきたのである。

 

実元を謁見する輝宗の側にも幼子がいた。

輝宗はその子に向かい

「梵天丸、そちのいとこだ。挨拶せよ」

とやさしく声をかけたのである。

 

「梵天丸である。そちの名は何と申す。」

と元気よく実元の子へ挨拶すると、

「実元が一子、時宗丸にござりまする。」

と覚えたばかりであろう口上で

元気よく答えるのであった。

 

そのほほえましい光景を輝宗と実元は温かく見守る。

この幼子2人が、天下にその武名を轟かすことになるのは

もう少し先の話である。

 

― 伊達天文記 終わり ―