【伊達天文記】第45回 終戦に向けた策謀 | 奥州太平記

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宮城を舞台にした歴史物語を描きます。
独眼竜こと伊達政宗を生み出すまでに
多くの群像が花開き、散っていた移り行く時間を
うまく表現できるように努めます。

とりあえずは、暖かい目で見守ってください。

情勢は、晴宗方有利に展開していた。

相馬顕胤あきたねの帰国によって、晴宗方は攻勢を強め、

稙宗方の陣営は崩壊の一途をたどっていた。

 

稙宗方の亘理綱宗わたり つねむねの元には、

味方の国人衆より手配していた兵糧が届かず、

将兵が四散する状況に陥っていた。

 

稙宗は、晴宗方に鞍替えしようとする国人衆を

味方へ引き止めるために褒賞を約束した書状を

乱発するも、その効力はなかった。

 

そして天文16年末、晴宗方は西山城は攻撃し、

稙宗は相馬家を頼って落ちていったのである。

西山城の主は、1年半ぶりに晴宗となった。

 

晴宗はさっそく、西山城において軍議を開いた。

四囲の状況を確認するとともに、

この乱をどのように終わらせるか、具体案を求めたのである。

 

この軍議を取り仕切る中野宗時が状況を報告する。

「置賜郡において、北条、鮎貝、青斗以外は、

 みな我が方に与しております。」

するとある者が

「鮎貝殿も律儀な方よ。この期に及んでもなお、

 宗時殿との約束を守り、中立をたもっておる。」

と言えば、皆がどっと笑うほど晴宗方の雰囲気は明るい。

 

「とは言え、北条は懸田殿の(飛び)領地だけあって、

 なかなかにしぶとい。」

と、東部戦線同様に置賜郡においても懸田家に苦戦を

強いられていることから、苦々しげにつぶやく者もいた。

 

さらに宗時の状況報告は続く。

「北(宮城県南部)もまた、和を請う者が相ついでおります。

 この者らについては殿の指図通り、

 罪をとがめず許しております。」

晴宗はうなずき、続きを促す。

 

「問題となりますのは、大殿(稙宗)を支持するうつろ衆です。」

洞とは、婚姻・養子縁組などで伊達傘下に加わった国人衆を指す。

稙宗の南奥州制覇は、この洞によって成されており、

蘆名盛氏あしな もりうじを除く洞衆皆が稙宗方についていた。

 

「最上、田村、畠山(二本松)からは和議の使者が来ております。

 最上には、置賜郡から一切手を引くことを条件に

 和睦交渉を進めております。

 ですが田村、畠山とは条件の一つにあげております本宮城を

 本宮宗頼に返還することを拒否してるため、難航しています。」

 

これに晴宗は渋面を作りながら、

「宗頼には申し訳ないが、泣いてもらうしかあるまい。」

と和議を優先するように指示したのであった。

 

さらに大崎、葛西家の内乱については、

伊達家は今後一切、干渉しない方針を確認した。

大崎義宣よしのぶは、晴宗にとって母を同じくする弟であったが、

この方針によって彼の命運はほぼ尽きた。

 

残すのは稙宗、そして稙宗の娘婿の

相馬顕胤、懸田かけた俊宗についてであった。

 

「大殿(稙宗)と相馬は、決して我らとの和議には応じますまい。」

と誰ともなくつぶやくと皆押し黙ってしまうのであった。

 

「懸田俊宗が頼りだな。

 なんとしても父上との仲介に入ってもらう。」

と晴宗が自分に言い聞かせるかのように話す。

 

懸田家、亘理家はこの乱において晴宗方の敵となったが、

それでもなお伊達家における家格は最上位に位置していた。

そこで懸田家には、待遇を乱前と同じにすることを条件に

和睦交渉を水面下で進めていたのである。

 

ここで中野宗時が、

「殿、ここは幕府に仲立ちをお願いされてはいかがでしょうか?

 将軍家より御教書みきょうしょが下されば、大殿も無視することはできますまい。」

と提言するのであった。

 

その案を取り上げた晴宗は、さっそく京に使者を送った。

相手は、伊達家と幕府のパイプ役となっている商人・坂東屋富松ばんどうや とみまつであった。