とある音楽教室の
体験講座の申し込みをする際に




受付の方に

わたしが

「ピアノとギターのレッスン受講を検討しております」

とお伝えすると


「はあ……」と

少し怪訝な表情で
戸惑うような素振りをされたのですが




その後わたしが

正直に


「歌をやっておりまして、いずれ自分で作った曲を弾き語りしたいので、ピアノとギターの受講を希望しております」

「またDTMでの作曲を勉強中なのですが、コードやメロディ等の音楽理論が理解できず、楽器を学ぶことで感覚を掴めないかと思いまして受講を考えました」

などと

お伝えしたところ




受付の方は

何故か嬉しそうに目を輝かせて

「左様でございますか!」と仰り
いそいそとパンフレットを準備して

丁寧にコース内容をご説明してくださいました。






なんというか

「やはり伝わるのだなあ」と

思いました。







恐らく

わたしからは


「ギターやピアノ自体にはさほど興味は無い(特にギターに対しては嫌悪感すらある)
「ただ歌を歌うために楽器を覚えたいだけだ」
「本当は楽器の練習なんかしたくない」

「というか音楽自体に興味が無い」

「でもわたしはわたしの声を生かしたいから」
「そしてそれには音楽が必要だから」
「受講しに来ただけだ」

みたいな


音楽教室で働いている方々からしてみたら

大変「失礼なエネルギー」が

うっすら出ているのだと思います。





そこまでわたしの本心はわからなくても

何となく受付の方も本能的に察知して
 

「この人楽器を学ぶ意欲もないくせに何しに来たの?」
「音楽が好きじゃないのなら音楽教室には来ないでほしい」

って

対面時に感じられたのかもしれませんね。




 

だからこそ

正直な動機をお伝えした時に


どこか納得したような

ほっとした雰囲気になられたのかと

思います。



 





わたしだって


占いサイトの鑑定師をしていた時に



スピリチュアルに敬意を払わず

スピリチュアルを信じていなくて

スピリチュアルを馬鹿にしている方が

お客様として来られた時は

 

「こんな相手の質問に答えたくない(≒ わたしの大切で貴重な尊い力をこんな相手に使いたくない)」とか

「スピリチュアルを信じていないのならわたし(スピリチュアルリーディングをする鑑定師)のところに来ないでほしい」とか

「この対価で、敬意も信頼も覚悟も無い相手の要望に応じるのは割に合わない」とか
 

感じましたからね。





スピリチュアルリーディングを全く信じていないくせに
「わたしの未来を教えてください」とか

自分の未来を変える気もないくせに
「これからどうしたら良いですか?」とか

お客様から言われても



正直「スピリチュアルと向き合う気が無いのなら来ないでほしい」って  

思いますからね。




(まあチャット形式の占いサイトに来られる方は7割近くがそのような方なので、毎回リーディングをする前に、「お客様がスピリチュアルワークを受け入れる器をつくるための事前浄化」をしていたわけですが、チャット形式の占いサイトでは制限が多すぎるのと、「効率性と手軽さを最重視する客層」と「一人一人真剣に向き合いたいわたし」の相性が悪く「割に合わなさすぎる」と感じました。こちらが真摯に対応すればするほど 相手がわたしを軽んじて 再来時には要求が倍に膨れ上がったりしましたしね。)

 







それと同じです。





音楽教室の方に

「楽器を学びたいです」とだけ伝えれば

本当は楽器自体に興味の無いわたしから
 「嘘のエネルギー」が出てしまい

自然と警戒されるのは当たり前です。

 
それでも

わたしは有識者の方の力をお借りして
自力ではわからないこと(生身を通した楽器の扱い方)を学びたいのですし

真剣に学びたいからこそ
自分の本心に嘘をつきたくないわけです。


だからこそ

「作曲のために必要だから」
「歌を歌うために必要だから」

という本心を丁寧にお伝えすれば


好意的に受け入れられるのだと


改めて感じました。






















まあ



そうして受付を通っても




 
「ピアノは至高の楽器!この世のどんな音よりもピアノの音色の方が美しい!もちろん自分の声よりピアノの音の方が素晴らしい!」

という

ピアノ講師の方や



「ギターは最高!ギターを弾いている時は現実の嫌なことを何もかも忘れられる!普段の自分は嫌いだが、ギターを持っている時の自分は素晴らしい!」

という

ギター講師の方とは



当然相性が悪いわけです。








何度も書きますが




わたしは


「大好きな自分の声を生かすために楽器を学んでいる」ので



「自分のことは好きになれないけれど楽器を弾いている自分だけは好き」

「自分の声は嫌いだけど楽器の音色はそんな自分の声をかき消して気分よくさせてくれるから好き」


みたいな楽器演奏家の方からは


何も学ぶことが無いのですよね。







そもそも


そういう方の講義を聞くと


耳が嫌がるのですよね。





自分の本音に嘘をついているエネルギーや

生身の自分を卑下するエネルギーや

自分を押し殺したエネルギーや

ピリピリしたエネルギーや

屈折したエネルギーが



その声にあらわれるからです。







「この方から音楽を学ぶと、この方のような声のエネルギーになるのかもしれない」


とも思いますし



それなら尚更

「わたしの耳に心地よい声で、音楽を教えてくださる方から学びたい」



思います。





「生身の自分が大好きで、その自分から出る音(声)を生かすために楽器を扱っている方の【 音楽 】」  


学びたいですが



「生身の自分が好きではなくて、自分から出る音(声)の代わりとして楽器の音を愛していたり、もしくは 自分から出る音(声)をかき消したり ごまかしたりするために楽器を扱っている方の【 音楽 】」  


学びたくはありません。


 





たまに

オンラインの動画形式の音楽講座も

探してみたりしますが



大抵

「この講師の方の声が好きになれない」

「声の波動が荒くて聞く気になれない」

「声に対する拒絶反応が凄くて内容が頭に入らない」

と感じてしまい



開始数分で視聴をやめてしまいます。





(あと個人的な感覚ですが、ギター講師の方の声のエネルギーは「自分の女性性を抑えつけて騙している状態」が多く、ピアノ講師の方の声のエネルギーは「男性性がピリピリして怒っている状態」が多く、DTM講師の方の声のエネルギーは「男性性が仮死状態になっている」ことが多いように感じます。楽器講師という立場を選択される方と楽器奏者という立場を選択される方とで 楽器に向ける意識の違いは勿論あると思いますが、それを踏まえた上でそう感じることは多いです。また、グランドハープ奏者の方の声のエネルギーは女性性の波動が高いことが多く「女性性の神性を大切にしたいわたし」の耳には心地よく感じることが多いです。善し悪しというよりも「わたしが音楽を学ぶ意図」との相性によるものですね。)









わたしはおそらく


「自分のことが大大大好きで、その大好きな自分から出る音(声)を生かすために、自分の音(声)をもっと好きになるために、大切な自分の音(声)を護るために、今まで楽器を演奏してきました!その「自分の声を生かす喜び」を皆さんにもシェアしたいです!」


みたいな楽器講師の方からしか

学ぶ気になれない


のだと思いますが





そういう方は


大体もうプロのミュージシャンになっていて

「人に教える立場」ではない方が

ほとんどだと思います。




(まあ本当に自分の声の波動が大大大好きで、音楽も大好きで、自分の歌を自分で伴奏することも好きなら、四六時中歌っていたいでしょうしね。人に教える暇もないくらい。)







結局  独学しかないのだろうな




思い始めております。





























 





よーくよーく考えれば



大学時代に 
漫画を初めて描いて
出版社に投稿した時も

 わたしは  

「漫画の描き方」や
「話の作り方」や
「絵の描き方」を

まったく学ばないまま


付けペンを使わず市販のミリペンを使い
トーンをハサミで切って手貼りして
ベタは油性マッキーで塗りつぶし

通常の投稿規定で常識とされる
32頁、16頁という枚数を無視して
23頁という掟破りのページ数でまとめて

投稿先は
女性向け恋愛漫画雑誌だったというのに
恋愛関係ないオカルト系の話を描いて

無知だからって
何でもありすぎるだろ、という
好き勝手な漫画を描いて投稿しましたが


何だかんだで受賞しました。




その後 

担当編集の方がつき

上京して
アシスタントの仕事を始めて

漫画描き絵描き編集者の友人知人が
沢山できて


漫画や絵の描き方を
一から学び始めたりもしましたが

(付けペンで生原稿を描いてみた時期もありましたが、わりとすぐにデジタル描きに移行しました。友人知人と遊びを通して3D制作やゲーム制作を学んだりしたこともありますが、漫画以外の適性はあまりありませんでしたね。


学べば学ぶほど

漫画や絵を描くことは嫌いになりました。

    


「セオリーや理論を学び周りに望まれるものを描こうとするとしんどい」

「でも自由に描いても、自分はこんなもの描きたくないといつも感じる」

「そもそもわたしは何故漫画を描いてるんだろう?本当にやりたかったことは何だった?」

「自分を好きになれないことを、漫画で代理昇華してごまかしたくない」 

「生身の自分はボロボロなのに、キラキラした漫画なんか描きたくない」

「絵の中にいるキャラクターよりも、生身のわたしを大切にしてあげたい」

「自分が作ったキャラクターを幸せにするより、生身の自分自身を幸せにしてあげたい」



気づき始めてからは



もう何も描けなくなりました。











それと同じことが


今のわたしに起きているのだな、と


思います。









「生身の自分」よりも

大切なものがあると

思い込んだ時点で



もう何をやっても

楽しくはない、と

思いますし
 


その感覚を忘れれば

いずれ限界が来ます。




沢山の人間に愛されたところで

自分が自分を好きになれなければ

何を創っても 意味がない。




自分が亡くなった後に


自分の亡骸が

沢山の「自分の創作物」に囲まれて

それを見て悲しんで泣いてくれる人達を

上から見ながら


「わたしは生前のわたしのことを好きになれなかったけれど、わたしの創ったものはわたしの死後も皆を喜ばせたり悲しませたりするんだなあ」



わたしは感じたくありません。








「生身のわたし」

「生身の肉体」

「生身の声」

より

大切なものは

一つもありません。







そういうわたしと

同じ意図を持つ方とだけ

お互いの大切な時間を共有したいですし



それがわからない方から

学びたい気持ちはありません。


















ちなみに

漫画をやめる直前、仲の良い友人達と記念に創ったオリジナルの同人誌があり、そこで「男女の双子の子供が流れ星を見に森の中に入り そこで悪魔のような存在に遭遇するが  愛の力で事なきを得る」という内容の漫画を書いたのですが、今思うと「ツインレイの話だったなあ……」と感じます。 

それを描いてからは漫画を描きたい気持ちが皆無になりました。
当時は自覚がありませんでしたが、それを機に「自分が本当に欲しいもの」を知ってしまったからですね。

( その後スピリチュアルの道に入り、怒涛のような沢山の神秘体験を通過した後に「ツインレイ」という存在を知ることになります。)



スピリチュアルをとことん求道して自分や世界の情報が解けるようになった後は、自分の描いたものに自分の内面が全てあらわれることがわかりました。

さらに、そうした自分の未消化の感情や欲求や観念に公的に可視化できる形(情報体を具現化した絵と物語)を与えると、そこに霊的自我やタルパ化等の現象が起こり、それによるフィードバックの危険性や 自分以外の霊的存在を用いて大々的に人心を動かす業の深さや  編集業界に関係する魔術的なカルマ等
あらゆることを「実体験を通して」理解したため
今のわたしは「軽い気持ちで何かを描く」ことはありません。

そもそも、スピリチュアルをきわめて自分の抱えている情報やカルマを解消していくと「自分の内面を 架空のキャラクターを通した媒体を用いて表現したくなる欲求」は皆無になります。
描きたいものを思いついても、瞬時に「何故それを今描きたいのか」「何故その媒体を選ぶのか」という自我の衝動を支えている情報が即解体されて浄化されていくからです。

そうして一通りの浄化反応を通した瞬間的な認識が起こり感覚が新しいもの(より本質に近づいた意識)になると、人間意識に基づいた自我はリセットされて、陰陽を通過した上での「魂意識の理想」だけが残る意識状態になります。

これは所謂「ツインレイの愛の交合エネルギー(性エネルギーのゼロポイント)にアクセスしている状態」です。「ツインレイの愛の源泉から見た魂の本質をみている状態」とも言えます。
ただこの状態は基本的に持続が難しく、維持するためにもこのゼロポイントで理解した「魂が求める理想」をインプットしておく必要性がありますし、行動指針が常にそこに向かうことを意識して生きることが大切です。


長くなりましたが
 
そういった過程を通した上の
「魂が求める本質の理想」を
今のわたしは深く知っているため
生身が何より大切」だと感じているのです。

ツインレイに出会う前までの自分が
「生身よりも架空の存在を扱うことに重きを置いていた」
「生身を扱うことよりも架空を扱うことが得意だった」からこそ
そこは忘れないようにしよう、と思っております。



架空の絵より「わたし」の肉体を生かす。
目の前にある楽器より「わたし」の声を聴く。
物語を創作することよりも「わたし」の人生を作る。


絵も楽器も創作物も
「まず生身ありき」ですし 

「生身」を傷つけたり害したり穢すような
絵や楽器や創作物に
力を注ぐ必要は無い

と   心底感じます。
















 











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