【 ※ 過去記事で「架空の二次元キャラクターと霊的自我」について書いた文章を抜粋し若干加筆した記事です 】


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センセーショナルな事柄について

個人的意見を発信すれば


多かれ少なかれ
「顔の見えない匿名の方々」に

攻撃されて血祭りにあげられやすい世の中ですが



「架空の二次元のキャラクター(※特に美少年や美少女)」をつかい

全く同じ意見を言わせると


殆どの人間は

攻撃しないどころか賞賛したり


あろうことか

「この台詞、感動して泣いた……!」とか
「さすが○○ちゃん(架空の二次元キャラの名前)、良いこと言うなあ……!」とか
 
反応したりしますよね。




まあだからこそ

「二次元の架空のキャラクター」を用いて
社会を動かそうとする方が

今の世の中に多いわけですが




不思議ですね。



そのキャラクターのその台詞を
描いている人間は


汚い部屋でボサボサの髪にジャージ姿で
光の無い瞳に曇った眼鏡をかけて
多方面へ恨み言を吐きながら

「どう描いたら読者はこのキャラに萌える?」
「どう描いたら担当編集者に気に入られる?」
「どう描いたら世の中の注目を集められる?」

と試行錯誤しながら

描いた台詞かもしれないのに




そこまで皆さんわかった上で


何故

「架空のキャラクター」の
「架空の台詞」に

心を動かされるのか

不思議ですね。





まあ本当は

「不思議」でも何でもなくて


自我を隠した状態で
物申したい方が多いから

とか
 

前世代の贖罪に基づいた感覚(※後述します)
肯定したい方が多いから

とか


大衆の意識を自我主導でコントロールすることに抵抗の無い方が
そもそも多いから

とか



今の時代の方々が
「二次元を賞賛したがる理由」も

わかりますし




「二次元(架空の霊的自我)が無くなると困る」方が多いからこそ

「二次元を過剰に評価して高い価値を与えようとする風潮」は強いですし


だからこそ
 
色々な企業が「勝ち馬に乗る」ように

架空の二次元キャラクターを起用したコラボとかもしたがるのでしょう。




生身の人間は
この先どう変化するのかわかりませんが
二次元のキャラクターは普遍ですし

「たとえばこの先、このキャラを作った作者が死んだり問題を起こしたりしても、代わりの人間がそのキャラクターを動かすことができる」ので

一般的な感性から見ると
「リスク」が少ないからでしょうね。



逆に言うと

「生身の人間の感性」
「リスク」と感じている人間ほど

生身を隠したままで
二次元のキャラクターを使いたがる

とも言えますね。




そういう人間ほど
 
「架空の物語」や
「架空のキャラクター」に

「泣いた……!」とか
「感動した……!」とか

軽々しく口にするわりに

現実の事件や人物には
冷酷な対応を見せたりしますし



何なら現代は

そういった人々が
「多数派」だったりもしますので


二次元(架空に宿る霊的自我)を用いた
大衆の支配やコントロールは

あらゆる場面で
難なく行われているのだなあ


思います。





子供時代に

「漫画やアニメやゲームなんかする暇があれば勉強しなさい」
といった感じに
親世代に怒られた方々が

一世代前の時代に大人になって

その「子供時代に怒られた体験」を基にして
現代社会を作ってきたりしましたからね。


そのまた一世代前の終戦時に
親世代から「貧しさや被支配による屈辱」を強いられた子供達が

大人になって社会を作り
他国を凌ぐ高度経済成長期を築いたのと同じように。


さらにその世代の方々が
後にバブル崩壊を体験して
その親世代を見て育った子供たちが

「目に見える利益を追い求めるよりも、いかにして人心を掴み共有意識を持ち情報を得られるのかが大事」という学びを経て
SNS文化や暗号資産等の文化を育てあげ
「架空の情報ネットワークを制することが重要」という世代特有の意識を持つようになるわけですが

その世代特有の意識に
アニメ、漫画、ゲームといった二次元メディアを基にして大衆意識を動かす媒体との相性が抜群に良かったため

前時代の親世代の方々は
経済と二次元メディアが結びつくことに
何の抵抗も無い方々が多いわけです。



何なら

それを通過した今の時代は


子供が親に「勉強を見てほしい」と言っても
親が「今ゲームしてるから無理」と子供に伝えたり

学校の教師が
個人的に好きなアニメや漫画やゲーム作品を
生徒達(子供達)に推奨する場面すらあることでしょう。



もはや

政治関係者達や
公的な宗教施設ですら

二次元を持ち上げて迎合し
二次元を利用して大衆に働きかける時代です。




そりゃ現代の子供達にとって  

「二次元(架空のキャラクター)」は
強い影響力と支配力を持つよなあ

と思います。




そういう社会の基盤を

前世代の大人達が築いてきますから。



(まあだからこそ、今の若い世代達が「生身と二次元が合体するVTuberやVOCALOID歌い手のような存在」を強く支持する現象も理解できます。公的な二次元キャラに宿る霊的自我にコントロールされるよりも自分が固有の二次元キャラをつくり息を吹きこむ立場になりたいという「二次元を用いた霊的自我による大衆支配からの脱却と改革」に、今の若い世代の共感が無意識に集まるのでしょう。しかしこの流れもまた40年後位に次世代の手による逆転現象が起きることでしょう。)






ただ


もしも 

わたしが

自分がこの先子供を産むとして

その子が「二次元」に興味を持ち始めたら




「絵に興味があるのなら、まず絵を描くことを学んでみようか。「見る側」ではなく「描く側」を体験してみてごらん。」


「何かキャラクターを描きたいのなら、まず「自分」を描いてごらん。架空の存在ではなくまずは「生身の自分」を絵にしてみようね。」


「「生身の自分」は描きたくない?じゃあ、「絵に描きたくなるほど素敵で大好きな自分」になりましょうか。それってどんな自分かな?どんな格好でどんなことをしている自分かな?まずその「理想の自分(絵に描きたくなるくらい大好きな自分)」になってみようね。そのためならいくらでも協力するから、「生身の自分にさせてあげられないことを架空の存在(二次元)に代わりにさせて満足する」ことだけは止めよう。どうしてそう思ったのか考えてみよう。」


「架空のキャラクターを描くのは、まず「生身の自分」を大好きになってから(肯定できるようになってから)にしようか。「生身より架空を大切にする感覚」「生身を諦めて架空に力を与えること」が当たり前にならないでね。この世にあるどんな架空のキャラクターよりも、「今ここに生身をもって実在するあなたの命」があなたにとって一番尊いことを忘れないでね。」


って


言うと思います。



 


※ 架空のキャラクターに宿る「霊的自我」を用いることについて書いた過去記事です。

 








ちなみに


「架空のキャラクター」に乗り移る
「霊的自我」とは

他者に視認された上で
目的(意図)を与えられて
動く意識を架された霊障の一種です。



つまり  

「魂という核をもたないまま」
大衆の作為的な意図により流動的に変わる擬似的自我を持つ存在になる

ということです。



キャラクターそのもの自体に
「自我」が与えられることはなく

それ自体は
単なる可視化した情報の集合体ですが

そこに「大衆意識」が通ることによって
流動的な自我が生まれる

ということです。



よく

「長く漫画連載をしていると、作者の意図を無視してキャラクターが勝手に動き出す」

という話がありますが


あれはキャラクターそのものに
自我があるわけではなくて

そのキャラを通して写された
大衆意識の干渉(霊的自我)が強くなりすぎて

作者のコントロールが効かなくなっている状態です。



「そのキャラクターに思い入れをしている多数の人間達の生霊に動かされている状態」

といえます。