先日、初めてVR体験なるものをしたのですが
頭に装着したゴーグルが重すぎるのと
手指の動きを感知するグローブの不自由さに感じる不快感がすごすぎて
まったく集中できませんでした。
視界も狭すぎて、どうしても「VR体験をしている現実世界の自分」の感覚から離れられず、没入感はいまいちでした。
うん、
スピリチュアルワークでみるビジョンの方が上だな
と正直感じました。
こんなので遊ぶ暇があるのなら
皆もっとスピリチュアルを学んだ方がいい
とすら思いました。
(本当にすみません)
(おそらく世の中に普及しているVR機器はまだ発展途上の段階で、これから進化していくのかなと思います)
といっても
わたしは元々スピリチュアルの道を志す前は漫画畑の人間で、さらにデジタル描きでしたので、デジタル機器で創り出すバーチャルな世界に心酔していたような時代も過去にございました。
(ちなみにその前は教育学畑の人間でした。本気で「日本の教育を変えたい」と宣っていた時代がございました)
B4の原稿用紙につけペンで漫画を描いた経験もございますが、わりと早々にデジタル作画に移行して(まだクリスタすら発売されていない時代でした)、BTOのタワーPCにCintiq21UXを繋ぎ、自分の頭より大きなデュアルモニターの画面を見つめてアーロンチェアに座り絵を描いておりました。
外出の際はヒューレットパッカードのペンタブ付きノートPCを持ち歩き、外でもデジタルで創作をしておりました。
漫画だけではなく3D制作に嵌った時代もありましたので、昔は「バーチャル世界(創作物)と3次元の融合」には大きな希望を抱いておりました。
スマホの操作すら面倒になってしまった
今のわたしからは想像もつきませんが
当時のわたしを知る人からしたら
「デジタルな世界にどっぷり浸かっているnon」に
全く違和感は無いと思います。
( 当時はSNSも沢山やってましたね。Twitterのアカウント番号はかなり若かったと思います)
ですが、
スピリチュアルの道に進んでからは、スピリチュアルな世界が感性を司る主体になり
ツインレイワークを受けてツインレイに出会った後は、ファンタジーな体験を日常的にするようになり
色々なスピリチュアルヒーラーの方のエネルギーワークを受けて、現実的な体感とリンクした本物と勘違いするほどの様々な壮大なビジョン(過去生や真我に沿った理想のビジョンや己の精神世界等)をみせていただき
「現実的な思考と体感覚を伴ったままでみるスピリチュアルビジョンの生々しさ(リアルさ)」に驚いて
「もうゲームや映画のような創作物に没入する時代ではないな」
と感じたことを覚えております。
元々昔からわたしは
漫画を描くのも読むのも
「大人女性の内面を描いた、現実的な世界観の作品」が好きで
いわゆるファンタジーとかSFの作品には
あまり興味がありませんでしたが
「アトランティスの崩壊」みたいに壮大で生々しい体感を伴う過去生のビジョン等をいくつも体験した後は
その後、霊性開化の旅を続けることによって
自身一人でも様々なビジョンを受け取れるようになったわけですが
だからこそ
「もうヴァーチャルな世界はいらないな。このスピリチュアルなビジョンを三次元で具現化していかなければだめだ」
と 今は感じております。
どうあがいても、紙の上やモニターの中で創造するものは、虚構です。
それはスピリチュアルな体験も同じかもしれませんが、
一度体験すると「これが真実だ」という実感を いやでも伴うのが「スピリチュアルワークでみるビジョン」です。
ただ、
nonは基本的に
「少女漫画で疑似恋愛をしている暇があるのなら現実で恋愛をしよう」
「少年漫画で戦いを見る暇があるのなら己の内なる二極と向き合おう」
「ゲームの中で冒険にいそしむ暇があるのなら現実世界で冒険をしよう」
と思っておりますし
同様に、スピリチュアルの世界に対しても
「前世の壮大なビジョンとかみてその世界に浸る暇があるのなら現世を壮大に生きよう」
と思っております。
創作物もスピリチュアルビジョンも同じ。
見て浸るだけで終わってしまっては意味がない。
そこでみたビジョンや感動を現実世界で活かしていこう!というのが
nonの望む世界です。