タイトルは、ツインレイの彼と初めて二人きりで会った時に、話した会話の一部です。
わたしとツインレイの彼は、現実世界で出会う前に、2015年の10月末に、ほぼ同じ神秘体験をしておりました。
詳しい内容は伏せますが、二人とも、キリストとマリアのビジョンを包有する神秘体験でした。
(わたしはかなりおぞましいビジョンも同時に見ましたが、説明はややこしいので省略いたします。)
キリストやマリアというのは、前世とかそういう意味ではなく、おそらく地球上にあるキリストやマリアの意識体です。
わたしがみたビジョンでは、真っ白で広々とした宇宙船の中で、棺に入ったキリストの亡骸を前にして、キリストの掌をマリアが頬にあてて泣いているビジョンでした。
(彼は彼のビジョンがみえていると思いますので、彼側のビジョンは省略いたします)
「与えたくて仕方がなかったのに死んでしまってごめん」というような言葉のエネルギーをキリストの亡骸から感じました。
クリスマスということで、この「わたしたちツインレイの二人が共有して見たキリストとマリアの話」について、記憶を手繰り寄せながら記事を書いてみようとしたのですが、
やはりこのビジョンの話は、わたし一人では記すことが難しそうでしたので、この辺りでやめておきます。
上記のような体験をしていたり、現在もキリストやマリアのエネルギー体に纏わるワークをしているせいか、わたしはキリスト教徒のように勘違いされがちですが
わたしは仏教校出身で、元々は、子供の頃から仏閣や仏像が大好きな人間です。
「仏陀の養母は?」と問われたら「マハーパジャーパティー!」と脊髄反射的に答えられましたし
(仏教校でしたので「仏教」という授業があったのですが、試験ではいつもほぼ満点を取っておりました)
重誓偈をそらでうたえるぐらいには仏教マニアでした。
(仏教信者ではなく仏教オタクという感じです。みうらじゅん氏には深い共感を抱いておりました。ちなみに今は全くこのような感覚はございません。美しい仏閣や仏像を見ると創り手の愛を感じて敬意を抱きますが、仏教自体における知識欲や興味はまったく無くなりました)
母は中高ミッション系の女子校卒でしたが、わたし自身はキリスト教に全くなじみがない人生でした。
※ ちなみに、わたしも、わたしの家系も無宗教です。清浄な環境で教育を受けたい(受けさせたい)という願望が母に強くあったため、自然とわたしは仏教の進学校・母はミッション系を選びましたが(そのように宗教的な施設を構える女子校は結界のような雰囲気が保たれているという理由からです) 基本的に仏教でもミッション系でも清浄であればどちらでも構わないというスタンスでした。
そのようにキリスト教には興味の無い人間でしたので、
現実世界でツインレイの彼に出会う一年前ぐらいから、マリアやキリストに纏わるエネルギーワークを受ける事が自然と増えたことや、マリアやキリストのビジョンをみるようになったことに、最初は違和感が強くございました。
当時のわたしは、地球上における「キリスト教」の概念に纏わるコントロールのエネルギーに若干気持ち悪さを感じていたからですね。
ツインレイと出逢い、
「キリスト」や「マリア」を
「波動の高い愛をもつ抽象的な高次意識」というようにエネルギー体としてみるようになってからは、違和感はなくなりました。