◯750年。ウマイヤ朝はクーデタによって倒されて、アッバース朝が誕生します。クーデタを起こしたのは、シーア派や、マワーリーと呼ばれる“非アラブ人改宗者”でした。

 

●ん?シーア派の人たちがウマイヤ朝に不満を持っていたのは前回の話で分かるんですけど、どうしてマワーリーが不満なん?

 

◯よしっ!じゃあその説明からしよう。ポイントは税制度だ。イスラームの税制はジズヤ(=人頭税)とハラージュ(=地税)があった。ウマイヤ朝の時代は、“アラブ人であれば”これらは両方免除されて、非アラブ人であればどちらも課された。

 

●え!?イスラーム教に改宗しても!?

 

◯そう!だから非アラブ人改宗者は不満だったわけ。さて、一方のアッバース朝はというと、ムスリムであればジズヤが免除されることになった。ハラージュは、土地所有者であれば誰もが納めることになった。

 

●なるほど。アラブ人かどうかではなく、ムスリムかどうかが課税のポイントになったわけですね。

 

◯その通り!正統カリフ時代やウマイヤ朝をアラブ帝国と呼ぶのに対し、アッバース朝はムスリムの平等を実現したからイスラーム帝国と呼ばれるんだ。

 

●そんなアッバース朝について、今日は勉強していくんですね!

 

◯そうです。まず建国者は<アブー=アルアッバース>。いい?750年に建国で…翌751年に何か大きな戦いがあったこと…覚えているかな?中国史でやったよね?

 

●え!?えっと…751年だと中国は…唐ですよね?えーと…分かった!タラス河畔の戦いだ!製紙法がイスラーム世界に伝播したやつ!

 

◯それ!唐の将軍<高仙芝>が破れた戦いね。東西交流という点で重要だから覚えておこう!で、2代の<マンスール>の時代に、バグダードが造営されるんだ。今のイラクの首都だね。

 

●全部濁点なんですね!ボボボーボ・ボーボボみたい。

 

◯<マンスール>がバグダード造営…「マンホールで爆弾ドーン!」と覚えよう!

 

●あ、別に大丈夫です。

 

◯…そっか。で、アッバース朝全盛期と言えば何といってもこの人!5代<ハールーン゠アッラシード>[位786~809年]

 

●あ!知ってます!『千夜一夜物語』に出てきますよね!

 

◯よく知ってるね!でも、この人が亡くなると各地の総督(=アミール)が自立してくる。さぁ、イスラームが難しくなるのはこっからだよ!

 

●ところで、アッバース朝に倒されたウマイヤ朝ってどうなってるんですか?

 

◯実は、生き残った一族がイベリア半島まで6年がかりで逃げてきて、そこに後ウマイヤ朝[756~1031年]を建てたんだ。建国者は<アブド゠アッラフマーン1世>で、都はコルドバ。

 

●簡単に言ってますけど、1万2千キロくらい歩いてますよね。やば。

 

◯後ウマイヤ朝の全盛期は<アブド゠アッラフマーン3世>[位912~961年]です。彼は、ある理由から西カリフを自称するようになるんです。

 

●ある理由?

 

◯909年、シーア派急進のイスマーイール派の王朝であるファーティマ朝がチュニジアに誕生した。このファーティマ朝の君主は“アリーの子孫”と称し、建国当初から中カリフを自称して、アッバース朝のカリフ(東カリフ)の権威を否定したんです。当時チュニジアにあったアグラブ朝を倒し、モロッコのイドリース朝も倒し、エジプトにあったイフシード朝も倒すと、ファーティマ朝は969年に、ある都をエジプトにつくりました。

 

●カイロですね。

 

◯その通り。さて、同じく10世紀、西アジア(イラン・イラク)には、イラン系シーア派のブワイフ朝が誕生した。都はイスファハーン。このブワイフ朝は、946年にアッバース朝の都だったバグダードに入城すると、大アミールとして権力を掌握するようになる。

 

●ってことは、アッバース朝は今、西にはカイロを都としたファーティマ朝、東にはイスファハーンを都としたブワイフ朝に挟まれているってことですね。しかもどっちもシーア派や!

 

◯そういうこと!あと、ブワイフ朝で覚えておきたいのは、イクター制を始めたこと。従来は、軍人や官僚に対しては俸給(=アター)が支払われていたんだけど、中央集権が弱まると、その俸給の代わりに一定地区の徴税権(=イクター)を分与するようになった。つまり、自分の給料は自分で集めろ、と。

 

●でも、悪いことして住民が居なくなっちゃったら収入が無くなっちゃうわけですから、なかなかおもしろい制度ですね。

 

◯だね。さ、ラストですよ。ブワイフ朝とほぼ同時期、10世紀の中央アジアにはイラン系スンナ派のサーマーン朝がありました。首都はブハラです。そのさらに東にはカラハン朝という王朝があった。これが、なんとトルコ系なんです。トルコ系初のイスラーム王朝は?と聞かれたら「カラハン朝」と答えられるようにしましょう。今日はここまで!

 

 

☆センターチャレンジ

ファーティマ朝について述べた文として正しいものを、次の①~④のうちから一つ選べ。

① スンナ派の王朝であった。  

② ニザーミーヤ学院を建設した。

③ 宰相にトゥグリル゠ベクがいた。

④ 君主はカリフを称した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

正解は

 

 

◯632年、ムハンマドが亡くなると、正統カリフ時代[632~661年]が始まります。これは、「ムスリムの合意で選ばれた神の使徒の代理人」の時代ということ。あくまでカリフは、預言者の“代理人”ですよ。

 

●ムハンマドが“最後にして最高の預言者”ですもんね!

 

◯正統カリフの4人は覚えてください!

 

1)<アブー゠バクル>

 …初代。

2)<ウマル>

 …エジプトやシリアをビザンツ帝国から奪取し、642年にはササン朝ペルシアをニハーヴァンドの戦いで破った

3)<ウスマーン>

 …この人の時、『コーラン』が現在の形にまとめられた。

4)<アリー>

 …最後の正統カリフ。旧部下に暗殺される。

 

●ウマル強いっすね。こういう戦いのことを“聖戦”(=ジハード)っていうんでしたよね。で、征服した各地には軍営都市(=ミスル)を設置して、新たなジハードの拠点にする、と。

 

◯そうそう。ササン朝はこの後651年に滅亡していることも覚えておこう!で、問題は最後のアリーなんです。この人、何者かによって暗殺された。さて、ここで家系図を見てみよう!クライシュ族には大きくウマイヤ家とハーシム家という二つの家系があって、ケンカばかりしていた。実はウマイヤ家のウスマーンは、ハーシム家の人間によって殺されている。そして、アリーはムハンマドと同じハーシム家の血筋…というかアリーはムハンマドのいとこね。しかも、ムハンマドの娘、ファーティマの旦那さんでもある。

 

●ふむふむ。いとこでありながら娘婿か。

 

◯で、このアリーアはものすごく良い人で、ハーシム家とウマイヤ家を仲直りさせたいと思っていた。そして、何者かによって暗殺された。

 

●ははーん…犯人はウマイヤ家の人間ですね!

 

◯ところがどっこい、どうもウマイヤ家の人間では無さそうだった。

 

●え!?まさかアリーは、同じハーシム家の人間によって暗殺された!?

 

◯世界史ではよくあることなんだよ。敵対する勢力に歩み寄ろうとした結果、裏切者というレッテルを貼られ、味方に殺されてしまう…。ガンディーを暗殺したのがヒンドゥー教徒だったようにね。

 

●なんだか悲しい…。

 

◯アリーを殺したのはハワーリジュ派と呼ばれる急進勢力でした。これでアラブ世界は混乱。そこで、とりあえずカリフにはシリア総督のムアーウィヤが就いた。社会が混乱した時、軍人がトップに立つのも世界史ではよくあること。

 

●なるほど。だからウマイヤ朝の都は今のシリアの首都のダマスクスってわけか…って、あれ!?ウマイヤ朝!?王朝になってる!

 

◯その通り。王朝ということは、ムアーウィヤは次のカリフを世襲によって息子に継がせたわけだね。これはハーシム家の人間は不満だよ。特に、アリーとその子孫を正統なカリフと認めて支持する党派は、のちに(シーア派)と呼ばれ、多数派のスンナ派と対立するようになった。

 

●シーア派というのはアリーを支持する党派という意味なんですね!

 

◯さて、ウマイヤ朝は5代のアブド゠アルマリクの時にアラビア語を公用化したり、ディナール金貨やディルハム銀貨を鋳造した。そして何といっても、聖地イェルサレムに、岩のドームを造営したことを忘れてはならない!

 

●出た!岩のドーム!資料集で見たことあります!ムハンマドが昇天した岩を覆ってるんですよね!?

 

◯それです。昇天ってのは、死んじゃったってことじゃなくて、天使に導かれて神と出会ったところってことね。さて、ウマイヤ朝は6代のワリード1世[位705~715]で最大版図を実現します。東は、ソグディアナ地方・シンド地方までいってるし、西は、711年にイベリア半島の西ゴート王国を征服しています。でも…

 

●でも?

 

◯その後、さらにピレネー山脈を超えヨーロッパへ進出しようとしたところで負けてしまうんだ。それが732年のトゥール・ポワティエ間の戦い。相手はフランク王国の宮宰<カール゠マルテル>。歴史にもしもは無いけれど、もしもこの戦いでウマイヤ朝が勝っていたら…

 

●先生に彼女ができていたかも。

 

◯うるせっ!

 

 

☆センターチャレンジ

5世紀から11世紀に起こった出来事について述べた次の文acが、年代の古いものから順に正しく配列されているものを、下の①~⑥のうちから一つ選べ。[11 追試]

a カール゠マルテルの軍が、トゥール・ポワティエ間の戦いでイスラーム勢力を破った。

b ササン朝ペルシアが滅亡した。

c ブワイフ朝がバグダートに入城した。

 

① abc   ② acb   ③ bac   ④ bca   ⑤ cab   ⑥ cba

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

正解は

 

 

◯さて、今回はイスラームの特色をみていこう!

 

●先生!そもそも“イスラーム”ってどういう意味?

 

◯イスラームは、アラビア語で“神への絶対的服従”って意味だよ。

 

●なるほどねー。そしたらまず、神について教えて!

 

◯イスラーム教の特徴は、まず、一神教であること。しかも、その神は人格神で、太陽の神とか、そういう自然神とは違う。ちなみに、こういう一神教の宗教は世界で3つだけね。成立した順に、ユダヤ教・キリスト教・イスラーム教の3つ。

 

●つまり、イスラーム教はユダヤ教やキリスト教の兄弟宗教で、一神教三兄弟の末っ子ってことね!

 

◯そういうこと!さて、イスラーム教の唯一神を「アッラー」というけれど、これは神様の名前じゃない。じゃあ、神様の名前は何かというと…あえて言えば「ヤハウェ」ね。

 

●ってことは、ユダヤ教もキリスト教もイスラーム教も、それぞれ同じ神様を見ている…ということだね。

 

◯そう。ただ、その視点が違ったり、見え方が違ったりするんだよね。ほら、イスラーム教でのムハンマドの位置づけって「最後にして最高の預言者」でしょ?ノアとかモーセとかイエスも預言者なんだけど、その最後の一人がムハンマド!ってわけ。

 

●おいしいところに目を付けた!って感じだね!

 

◯さて、そんな神がかり状態のムハンマドの言葉を集めたイスラーム教の啓典が『コーラン』です。最近はアラビア語で『クルアーン』と言うことも多い。これは、神の言葉をそのまんま!解釈抜きで!直接書き留めたもの!ムハンマドが喋ったんだけど、それはムハンマドの言葉ではないってところがポイントね!ちなみに、ムハンマドの言行録や伝承は“ハディース”というので、こっちもあわせて覚えておこう!

 

●…ってことは、日本語に訳されちゃった『コーラン』は、厳密には神の言葉じゃない…ってことか。

 

◯そういうこと!よし、じゃあ後半は、イスラーム教徒の「六信五行(ろくしんごぎょう)」について見ていこう!「六信」とはムスリムが信じなければならない六つのことで、具体的には…

 

「神」

「天使」

「啓典」

「預言者」

「来世」

「予定」

 

この六つ。

 

●「来世」とか「天使」とか、やっぱりユダヤ・キリストの影響を受けているのが分かる。

 

◯「五行」はムスリムが行わなければならない(行うことが望まれる)五つのことで、具体的には…

 

「信仰告白」

「礼拝」

「喜捨」

「断食」

「巡礼」

 

の五つ。

 

●聞いたことある!「アラーの他に神なし。ムハンマドはその使徒なり。」って唱えるのが「信仰告白」だよね!「礼拝」は、テレビで見たことあります。1日5回、メッカの方向に向かってやるって言ってた!

 

◯じゃあ問題、そのメッカには何がある?

 

●カーバ聖殿!

 

◯正解。ただね、毎日礼拝を行うというのは、イスラーム教の国ならまだしも、日本だととっても大変だよね。例えば、クラスにムスリムの生徒がいて、授業中に礼拝を行うのはなかなか困難。だから、住んでいる地域によっては、省略しても構わないとか、けっこう柔軟にやっているみたい。

 

●ふーん。あ、「断食」ってきつそう。

 

◯1年に一ヶ月間、ラマダーンと呼ばれる断食月があるんだけど、食べたり飲んだりしちゃいけないのは、日の出から日没までの太陽の出ている時間帯!だから日が沈んだら、食べてOK。

 

●太りそう…。でも、水も飲めないってのはかなり、しんどそう。ってか子どもとかお年寄りとか病人は大丈夫なん?

 

◯でしょ?特に暑い地域に暮らす人にとっては命にかかわるよね。でも、そういう時には飲んでもいいの。そのへんは柔軟に。

 

●自分だけがダイエットしてて、好きなものが食べられないのは辛いけど、周りもみんなで同じで我慢していると、仲間意識というか…連帯感が芽生えてきそう。

 

◯そうそう。日が沈む頃には、「くるぞくるぞ!」ってみんな思うわけよ。この時の開放感がたまらないらしい。みんなで食べ物を持ち寄って、夜はパーティだってさ。

 

●お祭りみたい。あ、「喜捨」ってなーに?

 

◯豊かな人が貧しい人に財産を分け与えることだよ。街中に寝転がっている人が居たら、手に持っていたその日のスーパーでの買い物袋を、そのままぜーんぶ渡しちゃうのがイスラーム教徒なんです。最後の「巡礼」だけど、これは、メッカに巡礼すること。ちなみにメッカは現在のサウジアラビアにあります。

 

●他にも、イスラーム教の特徴って何かある?

 

◯おさえておいて欲しいのは、聖職者とか教会組織が無いことかな?信者はすべて、神の前に平等なんです。だから、コーランに基づくイスラーム法(=シャリーア)を解釈する知識人(=ウラマー)が重要になってくる。あとは、アルコールは飲んじゃいけないとか、豚肉は食べちゃいけないとか、利子を取るのは禁止とか、男は4人まで妻帯可能とか…

 

●あ!出た!それは女性蔑視や!

 

◯うーん…そう言われることもあるんだけど、もともとは女性を保護するための決まりだったらしいんだ。むしろイスラーム教が生まれる以前のアラブ社会って、男は何人でも妻を持つことができたんだよ。それをムハンマドは4人までに制限した。しかも、「すべての妻を平等に愛せるならば」という条件も付けている。聖戦(=ジハード)をする中で、ムスリムの男性が多く戦死すると、結果として、未亡人がたくさん生まれてしまう。残った男たちに、彼女たちの生活の面倒を見させるために一夫多妻を認めた、というのが4人の妻を認めた理由みたいです。あと、公共の場では男女を一緒にしないのがイスラーム世界では一般的。小学校でも男子と女子の登校時間が違ったりする。

 

●文化の違いって、おもしろいね、先生。

 

○いや、なんでずっとタメ口なん!

 

●ばれてた。

 

☆センターチャレンジ

 

イスラーム教について述べた次の文abの正誤の組合せとして正しいものを、下の①~④のうちから一つ選べ。[13 本試]

 

a 『コーラン(クルアーン)』は、イスラーム教の聖典である。

b ムハンマドは、メッカにヒジュラ(聖遷)を行った。

 

a―正  b―正    ②a―正  b―誤    ③a―誤  b―正    ④a―誤  b―誤

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

正解は

 

 

○「インシャーアッラー。」

 

●ん?どういう意味ですか?

 

◯“神のみぞ知る”ってこと!例えばこんな時に使うよ

 

「それじゃ、明日は10時に駅前集合ねー!絶対に遅れないでねー!インシャーアッラー!」

 

●…すると、どうなるんです?

 

◯10時に来るかは“神のみぞ知る”…つまり、あぁ多少遅れても仕方ないよね!ってこと。

 

●はっ!遅刻が正当化されてる!

 

◯ね!覚えておいて損はないでしょ!?というわけで、今日からイスラームです!まずは、6世紀から7世紀にかけてのシルクロードの衰退から追っていくことにしよう!

 

●どうしてシルクロードが衰退?

 

◯それは、ちょうどこの頃ビザンツ帝国とササン朝ペルシアがシルクロード上でケンカをしていたから!道の真ん中でケンカしているのに、そこにわざわざ割って入って通ろうとする人なんていないよね?

 

●ですね!迂回します!

 

◯その迂回ルートが、まさにアラビア半島のヒジャーズ地方だったわけ!隊商貿易はどんどん活性化して、メッカやメディナというオアシス都市が繁栄するんだ!

 

●いいですね!

 

◯ただね、繁栄するということは、一方で貧富の差が生まれるということでもある。その貧富の差をどうにかしたい!みんなで協力して、平等な社会を実現したい!そういった発想を持って登場してきたのが、名門のクライシュ族ハーシム家出身のムハンマドなんです!

 

●聞いたことあります!予言者ですよね!

 

◯おーっと!漢字が違う!予言者じゃなくて預言者。神の言葉を預かる人だ。神というのはアラビア語でアッラー。これは神様の名前では無く、神そのもの。ムハンマドはもともと商人で、隊商活動を行っていたから、キリスト教徒やユダヤ教徒と触れる機会が多かったんだ。そのたびに「あー…一神教の団結力って素晴らしいなー。」なんて思ってたりしてたわけ。

 

●ってことは、ムハンマドにとってキリスト教徒やユダヤ教徒というのは、尊敬すべき人たちなんですね!

 

◯もちろん!だから、彼らのことを“啓典の民”と呼び、庇護者(=ジンミー)と言ったんだよ。

 

●なるほど!

 

◯そしてムハンマドは、啓典の民と同じように一神教を創り出した。それまでは、みんなが好き勝手に自分の思う神々を崇拝して、偶像をつくり、黒い立方体(=カーバ)の建物に投げ入れて拝んでいた。でも、それを辞めさせたんだ。

 

●やりたいことは分かるんですが、イスラーム教も、生まれた当初は新興宗教なわけで、すぐには受け入れられないと思います…

 

◯その通り。いきなり「俺は神の声をきいたぞ!」と言っても、信じてもらうには時間がかかる。ムハンマドは当初、信頼のおける部下たちを連れ、メッカからメディナへ“聖なる遷都”をすることになる。これを聖遷(=ヒジュラ)と言い、この年がイスラーム暦の元年になっている!西暦だと622年だね!

 

●“聖遷”と言うと聞こえがいいですけど、つまりは迫害を逃れた…ということなんですね。

 

◯これによって、イスラームの共同体(=ウンマ)が形成されることになった。そして満を持しての630年。彼はメッカに戻ってくると、カーバ聖殿をイスラーム教の聖殿にするんです。

 

●ムハンマドってどんな顔してるんだろ。ちょっと資料集で見てみよーっと………ん?

 

◯気付いたかな?ムハンマドは、偶像崇拝の対象となってしまわぬよう、描かれる際には顔に白い布がかけられるんだ。

 

●なるほど!偶像崇拝禁止…っと。

 

◯さ、今日はとりあえずここまで!次回はイスラーム教の特色についてみていきましょう!

 

☆センターチャレンジ

預言者ムハンマドに関連して、次の地図中に記されたadのうち、迫害を逃れたムハンマドがイスラーム教徒(ムスリム)の共同体(ウンマ)を建設した都市の位置として正しいものを、下の①~④のうちから一つ選べ。[14 本試]

 

① a   ② b   ③ c   ④ d

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

正解は

 

 

YouTubeもご覧ください

 

 

 

 

○唐の文化の続きです!

 

●一気にいっちゃいましょう!

 

○まず仏教!仏教は朝廷や貴族の保護で繁栄します。天台宗、真言宗、律宗、禅宗、浄土宗といった中国独特の特色ある宗派が形成されたのもこの時代!天台宗を日本へ持って帰ってきたのが最澄で、真言宗は空海。あの鑑真さんが伝えてくださったのは律宗。ただ、特に入試で問われるのは渡印僧の方だ!

 

●中国からインドへ仏教を学びにいった人ですね!

 

○そう!まず<玄奘>(げんじょう)[602~664]。三蔵法師の名で、日本でもお馴染み。2代<太宗>の時代の人です。インドはヴァルダナ朝だったね。<ハルシャ=ヴァルダナ>王に招かれてます。そして、王にすっかり気に入られて、たくさんのお経を持って帰って645年に帰国。現在、長安の観光名所に大雁塔(だいがんとう)という所があるんだけど、これは玄奘が持ち帰った経典を保存するために建設されたもの!

 

●その玄奘が書いた旅行記が『大唐西域記』ですよね!

 

○その通り!さて、二人目は<義浄>(ぎじょう)[635~715]です。彼は行きも帰りも海路で、大乗仏教が盛んに信仰されていたシュリーヴィジャヤ王国に立ち寄ったことも忘れてはいけません!!この頃インドは分裂期でしたね。旅行記は『南海寄帰内法伝』。

 

●あれ?唐って国際色豊かな時代でしたよね?ってことは宗教に関しても、新たに入ってきたものがあったりしたんですか?

 

○鋭い!実は「唐代三夷教」と言って、唐の時代には西方からいくつかの宗教が伝播してくるんだ!

 

●後半のテーマですね!

 

○まずゾロアスター教。イラン人の宗教だったね。これは祆教(けんきょう)といわれました。拝火教と言うこともあるけど、これは火を拝む宗教全般の呼び方だから注意しよう!

 

●ゾロアスター教=祆教…拝火教の一種。ということですね!

 

○そういうこと!続いて、ネストリウス派キリスト教。これは景教(けいきょう)と呼ばれた。図表なんかを見ると「大秦景教流行中国碑」という有名な碑が載っています。造られたのは781年。長安で景教が流行したのを記念して建てられたものです!

 

●おぉ!大秦っていうのはローマのことでしたよね!

 

○そうだね。じゃあネストリウス派のキリスト教が異端とされた公会議は!?

 

●えっと…431年のエフェソス公会議!!!

 

○おみごと!

 

●…キリスト教の歴史がちょっと不安になってきたから復習しておこっと…。

 

○さて、唐代には摩尼(マニ)教という、これもイラン生まれの宗教が伝わってきました!これは仏教・キリスト教・ゾロアスター教を融合させたもので、イスラーム以前の西アジアで多くの信者を集めてた。

 

●今言った、ゾロアスター教・ネストリウス派のキリスト教・マニ教が「唐代三夷教」というわけですね。

 

○そうです!で、イスラーム教が伝わって来たのもこの頃。のちに回教(かいきょう)と言われるんだけど、これはウイグル人に信奉者が多かったからって話は前にしたよね。

 

●あれ?どうしてウイグル人に信者が多いと回教になるんでしたっけ?

 

○ウイグル人のことを回紇と表記したから!

 

●あ、そっか!

 

◯あと、唐の歴代皇帝は道教を推してる。そのため、三武一宗の法難の一つで、会昌の廃仏という名前がついた廃仏が起きたのも、この唐の武宗の時代。はい!というわけで唐代の文化おしまい!

 

 

 

☆センターチャレンジ

唐代の国際交流について述べた文として正しいものを、次の①~④のうちから一つ選べ。[06 本試]

① 西域から訪れた僧仏図澄によって、禅宗が中国に伝えられた。

② ミラノ勅令で異端とされたアリウス派キリスト教が、中国に伝えられた。

③ 律令制などの制度や文化が、朝鮮半島や日本に伝えられた。

④ パルティア王国の使節が、「大秦王安敦」の使者と称して長安を訪問した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

正解は