○さて、久しぶりの西洋史です!476年、西ローマ帝国は誰によって滅ぼされたか…覚えてる?

 

●もちろんです!ゲルマン人傭兵隊長オドアケル!

 

◯ピンポーン!西ローマはゲルマン人によって荒らされ、混乱し、滅ぼされてしまったわけです。今日はそんなゲルマン人のお話…なんだけど、「ゲルマン人」という言葉はあまり使いません。いろんな部族に分かれてるからです。これをキヴィタス(=部族国家)と言う。彼らの原住地はバルト海の沿岸。アルプス以北の先住民のケルト人を圧迫しながら勢力を拡大していきました。政治体制は王政です。ただし、ゲルマンの王にはあまり強い権限はなく、重要事項は成年男性自由人による民会で決定する。王が居て平民が居る。平民はもれなく戦士で、王は何があっても平民を保護しないといけない。戦士は王のために忠誠を誓って戦う。この仕組みを従士制と言う。宗教はキリスト教のアリウス派。で、こういうのが、<カエサル>の『ガリア戦記』とか<タキトゥス>の『ゲルマニア』に書かれていたわけよ。

 

●アリウス派かー。確かニケーア公会議で異端になった宗派でしたよねー。

 

◯それです。さて、ゲルマン人は375年にみんないっぺんにいちにのさーーーんで川を渡ってきた…わけじゃない。岩に苔が生すように、大移動前にローマにちょろちょろ入ってきてるんです。1つ、賢いゲルマン人は下級官吏。2つ、賢くはないけど力自慢なら傭兵。3つ、コロヌス。これは小作人。

 

●ふむふむ。

 

○移動の内的要因は人口の増加による耕地不足です。じゃあ外的な要因は…?これ、押されたからなんです。誰に押されたか…フン人です!つまりアジア系ですよね。いい?ライン川とドナウ川を繋いだ線より西に渡ってきちゃダメだってローマと約束してたんですよ。でも375年、フン人が東ゴートを服属し、押された西ゴートがドナウ川を渡ってきちゃった!おまけに410年には、西ゴート王アラリックがローマ市で略奪!ゲルマン人はめちゃくちゃ強いです!!!

 

●これって…どの部族がどこからどこへ移動したか覚えるんですか?ヴァンダルとか、北アフリカまで移動してるし…動きすぎ…

 

○覚えてください!加えて、東ゴート王国の建国者テオドリックと、ヴァンダルの建国者ガイセリックの名前を書き足しておいてください。

 

●テオドリックがオドアケルを倒したんですね!テオドリック強めー。

 

○実はね、ローマとゲルマン人ってケンカしているようだけど、完全な敵というわけではない。どちらにとっても強敵であるアッティラ率いるフン人に対しては連合軍をつくって戦っている。それは同じキリスト教徒だからです。

 

●451年、カタラウヌムの戦いのことですね!

 

〇負けたフン人は、ガリアを諦めて北イタリアに南下するんです…が、そこでローマ教皇に怒られちゃうんですよ。「ここは、お前の来るところじゃない!」って。レオ1世の説得です。で、結局実家に戻るんです。それがどこか。パンノニアという場所。ここにフン人は、憧れのガリアという名前の国をつくるんです。フン人のガリアですよ?フンガリア。そう…

 

●ハンガリー!

 

○その通り!さて、これだけたくさんの部族のゲルマンがいたわけだけど、生き残るのはたった1つです。それがどこか、分かるかな??

 

●ヒントください!

 

○それぞれの、移動距離に注目!

 

☆センターチャレンジ

ゲルマン人に属する部族の名とその部族が建国した地域の名の組合せとして正しいものを、次の①~④のうちから一つ選べ。[02 本試]

 

① フランク族―イベリア半島   ② ヴァンダル族―北アフリカ 

③ 東ゴート族―シチリア      ④ブルグンド族―北イタリア

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

正解は

  

 

◯さて、イスラームもいよいよ文化を残すのみとなりました。ラストスパートです。師走ですし、駆け抜けていきましょう。

 

●おねがいしわす…じゃないですよ先生!先生が更新さぼってる間にもう年明けましたよ!

 

○ほんまや。あけおめー。

 

●いや、軽っ!謝罪する気なしですか!

 

◯悪いとは思ってるよ。でも、別にお金貰ってるわけじゃないしさ。

 

●はっ!!!聞きたくない聞きたくない!!!

 

○でしょ?じゃ、芸術分野から見ていこう。まず建築ですが、モスクの建築様式において、ドーム(円屋根)とミナレット(光塔)が特徴的です。ドームの周囲に基本4本立っているのがミナレットです。建築物の壁を飾る文様はアラベスクと言って、つる草や文字を図案化した、クニャーっとした幾何学模様です。イスラームでは偶像崇拝が禁止されてるので発達したのです。ナスル朝の都、グラナダに建設されたアルハンブラ宮殿は、その代表的な宮殿建築ですね。絵画では、本の挿絵などとして描かれるミニアチュール(細密画)が有名です。中国絵画の影響を受けています。

 

●初っ端からめっちゃ喋りますね。

 

◯続いて文学では、『千夜一夜物語』が超有名。日本では『アラビアン゠ナイト』の呼び方が有名かな?この中に「アリババと40人の盗賊」とか「シンドバットの冒険」とか、いろいろな話が入ってる。イスラーム商人たちが活躍した地域の話が盛り込まれているので、中国やインドの話も出てくる。『千夜一夜物語』の全体はこんな感じ…。ある王様が女性不信に陥る。愛していた妃が浮気をしたんです。で、王様はすべての女性に対する復讐をはかる。国中の女性と、一晩を過ごした後で殺していく…。ある夜、命の危機を悟った女性は「王様、私が面白いお話をしましょう!」と言って話をはじめる。王様もどうせ暇だから、復讐するのは後回しにして話をさせてみる…と、これが面白い。熱中して聞いているうちに夜が明ける。女性は話をうーんと盛り上げておいて「この続きは、明日の夜にね。」と言う。王様は話の続きを聞きたいので、復讐を延期する。結局1001夜も話を続けて、話が終わった時には王様はすっかり心を入れ替えて、女性に復讐するのをやめ、女性と結婚しましたとさ。という結末です。

 

●いや、結婚!?

 

○理解に苦しみますね。あ、あと、アッバース朝の全盛期<ハールーン゠アッラシード>もこれに出てきますよ!詩では、<ウマル゠ハイヤーム>が重要。詩集は『ルバイヤート』です。この人、セルジューク朝に仕えていて、詩だけではなく天文学者としても有名。ジャラーリー暦という正確な暦を残しています。

 

●セルジューク朝ってことは、もしかしてニザーミーヤ学院の出身ですか?

 

◯御名答!あとは、ガズナ朝<フィルドゥシー>の『シャー゠ナーメ』と、イル゠ハン国の<サーディー>の『薔薇園』『果樹園』をおさえておけば文学はOK。続いて、学問ですが、まずそれが固有の学問なのか、外来の学問なのかを判断できるようにしてください。固有の学問は、『コーラン』とハディースの研究が基になってます。だから、神学と法学と歴史学です。というわけで神学ですが、セルジューク朝の<ガザーリー>が、イスラーム神秘主義、すなわちスーフィー信仰を理論化した。

 

●スーフィー信仰ってなんですか?

 

◯だいたい11世紀頃から流行した思想なんだけど、ムハンマドが最後にして最大の預言者ならば、もう二度と神が人間に話しかけてくれることはないわけですよね。ってことは残された人に出来ることは『コーラン』を解釈することだけ。だけど、「俺は神を実感したいんじゃ!」という修行者が現れてくる。こういう修行者をスーフィーと呼ぶ。スーフィーはいろいろな苦行をして自分の内面に神を感じようとする。例えばグルグル回って踊ったりしてね。

 

●なるほど。この修行者たちがイスラーム教をひろめたわけか。

 

○そういうこと。イスラーム世界では社会生活の全てが『コーラン』に書かれている。だけど、現実の社会と照らし合わせた時『コーラン』一冊では対応できない場面が出てくる。そういう時“『コーラン』をどう現実社会に当てはめるか”という理論が必要になる。そういう理論を「イスラーム法学」というわけね。イスラーム法学者のことをウラマーと言うけど、現在でもウラマーはイスラーム社会の指導者的存在です。

 

●『コーラン』に基づくシャリーアと、それを解釈するウラマーが大事…っと。

 

◯さて、歴史学でおさえておきたいのは2冊。イル゠ハン国全盛期の<ガザン゠ハン>の宰相<ラシード゠アッディーン>が書いた『集史』と、マムルーク朝の<イブン゠ハルドゥーン>が書いた『世界史序説』です。文明の進んだ都市の定住民と、遅れた砂漠の遊牧民との対立関係から、歴史を考察した本ですね。最後に外来の学問です。

 

●哲学・医学・数学・天文学・物理学・地理学…このへんが外来の学問ですね。ヘレニズム文化やペルシア文化、インドの学問などをふんだんに取り入れているのが分かります。

 

◯その通り。イスラーム世界では、これをアラビア語に翻訳して、独自に発展させていくのです。例えば哲学。これはアテネ発祥だよね。イスラーム教徒はアリストテレス哲学にどっぶりはまってこれを研究し、アラビア語にじゃんじゃか翻訳した。中世ヨーロッパの人々は、アラビア語に翻訳された古代ギリシアの文献を、今度はラテン語に翻訳して学んだ。こうして12世紀ルネサンスを開化させていくわけです。よく「イスラーム文明は、ギリシア文明のヨーロッパへの橋渡し」なんて言われるのはこういうことなんです。

 

●なるほど。だからラテン語の名前を持つ人たちがいるわけか。

 

◯そういうこと。<イブン゠ルシュド>(ラテン語名<アヴェロエス>)は、ほとんど全てのアリストテレスの本に注釈をつけたため、ヨーロッパに多大な影響を与えています。彼はまた、医学者でもありました。<イブン゠シーナー>(ラテン語名<アヴィケンナ>)は、医学書『医学典範』が重要です。イスラーム世界最高の医学書で、ヨーロッパでも17世紀頃まで医学の教科書に採用されていました。この人もまた、アリストテレス哲学者。

 

●2人とも、哲学者兼医学者だったんですね。

 

◯そういうこと。数学では、『代数学』を残した知恵の館出身の<フワーリズミー>。地理学では、なんといっても<イブン゠バットゥータ>(14世紀)の『三大陸周遊記』が頻出!モロッコ生まれのベルベル人であるバットゥータは、巡礼でメッカに行った後に、インドからスマトラ、そして中国まで旅をする。中国はちょうどモンゴル帝国の時代です。帰ってきたと思ったら今度はイベリア半島のグラナダに渡り、その次はサハラ砂漠を越えてニジェール川流域のマリ王国を探検している。そんな旅行記です。

 

●すごい旅だなー。憧れちゃいますね。

 

○他にも、両シチリア王国の<ルッジェーロ2世>に仕え、世界地図を描いた<イドリーシー>なんかも頻出だよ!

 

 

☆センターチャレンジ

下の文章中の空欄 ア  イ に入れる語の組合せとして正しいものを、次の①~④のうちから一つ選べ。[12 追試]

 

14世紀、 ア において成立したラシード゠アッディーン(ウッディーン)の歴史書 イ は、ペルシア語で著された「世界史」で、第1巻がモンゴル史、第2巻がヨーロッパ、インド、中国などの諸国史となっている。興味深いのは、この文献が『旧約聖書』に基づくアダムに始まる人類の系譜に、新たにモンゴル系民族を組み込んだことである。彼らは既にノアの息子ヤペテの子孫とされていたトルコ系民族の分枝と位置づけられている。こうしたモンゴル系民族の位置づけは、のちにオスマン帝国で著された史書の一部にも引き継がれることとなる。

 

① ア-イル゠ハン国      イ-『集史』

② ア-イル゠ハン国      イ-『歴史序説』(『世界史序説』)

③ ア-キプチャク゠ハン国  イ-『集史』

④ ア-キプチャク゠ハン国  イ-『歴史序説』(『世界史序説』)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

正解は

 

 

 

 

先日、とある生徒に

「先生、クリスマスの予定は?」

と聞かれました。

 

さて、ここでもしこの生徒の一言に

a先生、クリスマスの予定は?

と、下線aが引かれ、

問1 )下線aについて、この生徒の真意を的確に表現している文章を選びなさい。

という問題が出題されたら私は迷わず

「先生、今年のクリスマスは誰と一緒に過ごす予定なんですか?」

と書かれた選択肢を選ぶ。秒で選ぶ。

 

さらに、

問2 )この場合の「誰」とは、次のうちどれを指すか?最もふさわしいものを選びなさい。

①恋人  ②家族  ③友人  ④ペット

という問題が出たら、②以下の選択肢を見ずに①を選ぶ。見直しもしない。

 

しかし、この解答は正解のようで実は不正解である。

残念。きっと君は来ない一人きりのクリスマスイヴ。

震えているのは寒さのせいか、はたまた寂しさのせいなのか…おろろろろろろ(涙ぽろぽろ)

 

 

でもちょっといろいろ待ってほしい。

 

みんな、いったん冷静になって欲しい。

 

そもそもクリスマスを、ラブラブなカップルフリフリでチュー(訳:恋人同士で過ごすためのイベント)みたいに解釈しているのは日本だけですから~。残念。拙者クリスマス侍じゃ。

 

 

 

クリスマスの起源はケルト人の「冬至のお祭り」だと言われています。

キリスト教会がケルト人に布教をしようとした際に、ケルト人の冬至のお祭りを尊重して、光が戻ってくる(=日照時間が長くなる)冬至と、この世に“光をもたらした”イエスの誕生を

 

「えーい、似たようなもんだー。一緒にしちゃえー!ひゅーじょん!ピロリロリ~

 

と、くっつけたのが始まり(らしい)。

で、本場ヨーロッパでは、クリスマスという日は、離れて暮らす家族が年に一回集まり、家族の絆を確かめ合い、1年で一番信仰心が深くなる日でもあるわけです。

 

 

1914年の第一次世界大戦中、戦線で睨み合うイギリス・フランス軍とドイツ軍との間に、奇跡とも言える休戦が実現したのも、そんな特別なクリスマスイヴの夜のことでした

 

 

「クリスマスまでには帰れる!」はずだった…

 

 

1914年6月、第一次世界大戦勃発。

 

開戦直後は、誰もが

 

「この戦争は、クリスマスまでには終わる。」

 

そう思っていた。

 

相互の地理的な近接性や、鉄道・交通網の発展から考えれば当然のことである。

 

しかし、史上初の“総力戦”は、思いもよらぬ長期戦となった。

 

膠着する西部戦線では、双方の軍が塹壕(=トレンチ)の中で、対峙していた。

 

 

 

 

一体いつまでこの戦争は続くんだ…。塹壕で寒さに震える兵士たちは、みんなそう思っていた。

 

そんな時、どこからともなく1人の歌声が聴こえてきた

 

歌声は、ドイツ塹壕に慰問に訪れた世界的テノール歌手ヴァルダーキルヒホフによる「きよしこの夜」であった。その歌声がキルヒホフのものだと気付いたフランス兵の1人が

 

「オペラ座で貴方の歌を聞いた事がある!」

 

と、大声で賞賛を送った。これが、停戦の合図となった。

 

両軍の兵士たちは、武器も持たずに塹壕の外へ出ると、先ほどまで睨み合い、敵だった者と顔を見合わせ、まるで古くからの友人のように手と手を取り合った。

そこから彼らが打ちとけるまで、時間はいらなかった。兵士達はお互いにチョコレートやタバコを贈り合い、故郷の話や恋人の話をした。

また、若者たちはサッカーで競い合った。

 

彼らは、国籍こそ違うが、同じキリスト教徒である。


機関銃の音にも、空爆の爆音にも、うんざりしていたのだ。

先ほどまで殺しあっていた敵の前に、丸腰で握手をしに
いくというのは、ものすごく勇気のいることだったろう。

相手を疑う気持ちが少しでもあれば、また、自己保身の心が少しでも残っていたならば、とうていできることではない。

 

人間は、悪い方へはいくらでも簡単に流れていってしまう。落ちるのは簡単だ。

 

さぼりたい。怠けたい。負けたっていい。どうでもいい。あいつが悪い。

自分も含め、社会の多くが、「悪いことに慣れる」というのは、ものすごく簡単なことだ。

人を憎んだり、疑ったりすることに、これっぽっちの勇気もいらない。

しかし、良いことはめったに起こらないし、良いことはなかなか伝わらない。

良いことをするには、自分を信じる大きな勇気が必要だからだ。

クリスマスイヴに生まれた感動的な休戦の地には、次のような碑文が残されている。

 

Lest We Forget忘れないように)
 

しかし、この休戦は新年を迎える前に終わり、その後戦況はさらに悪化。大戦中に3度のクリスマスを迎えることになるが、このような奇跡が起こることは二度となかった…
 

 

 

 

というわけで、僕にとってのクリスマスイヴは「世界平和について真剣に考える日」なわけですが、カタチだけ真似ちゃった日本人は、ケルト人起源のツリーに電飾を巻き、キリストが生まれたことを称える賛美歌をBGMにして恋人を口説く…というなんともおそまつな行動をとりがちなわけです。

 

でもまぁね、それはそれでいいんじゃん、と思ったりもするわけですよ。

世界平和のその前に、まずは自分の周りに居る大好きな人を幸せにすることを考える。別に恋人に限らなくて、家族や友人、家で飼っているペットでも、人それぞれ自分の愛する者の大切さを感じて、そして一緒に居てくれることに感謝する。それで十分なんじゃないかなー、と思うんですよね。

 

世界平和はその先ですから。だから僕は今日こうしてあなたがブログを読んでくれるだけで幸せです。

 

と、言うわけで、今年の授業はおしまい!みなさん素敵なクリスマスをー!

 

 

 

 

 

 

 War is over, if you want it War is over now Happy Xmas

                      

                   John Lennon

こちらもご活用ください!そして、チャンネル登録よろしくお願いいたします。

 

※プリントは社会科教室の前に置いてあります。

 

 

●前回に引き続き、プリントが大きいですね。…いや、やっぱり俺が小さくなったのか!?

 

◯だから、なってないって!イスラーム王朝の変遷、第二弾です。YouTubeともリンクしているので、そちらもぜひ。

 

●これって、映ってるの先生ですか?

 

◯いや、先生のお友だちです。このブログを書いている僕はもっと痩せていてイケメンです。

 

●あれ?でも、動画の人もけっこうイケメンでしたよね?

 

◯え!?本当に!?

 

●嘘です。現実見てください。

 

◯見ません!!!はい、こっからが本編です。10世紀のイスラーム世界を見ていきましょう。10世紀は、E.西アジア(イラン・イラク)にはイラン系で、穏健シーア派である十二イマーム派のブワイフ朝が、F.中央アジアにはイラン系スンナ派のサーマーン朝と、トルコ系初のイスラーム王朝であるカラハン朝が隣り合ってる感じです。ブワイフ朝のバグダード入城や、イクター制の開始についてはNo.38をご覧あれ。さてさて、カラハン朝が東西トルキスタンをイスラーム化するんですけど、現在のG.アフガニスタン~インドに誕生したトルコ系イスラーム王朝がガズナ朝です。だいたい11世紀くらい。まだインドまでは入っていません。建国者は奴隷軍人の<アルプテギン>。全盛期の<マフムード>は、カラハン朝と戦って勝っています。で、その後北インドのパーラ朝を倒して北インドを統一したのがゴール朝。これは12世紀。ゴール朝はイラン系。その後は、デリーを都とする奴隷王朝が誕生します。建国者はやっぱりトルコ人奴隷の<アイバク>さん。戦勝記念塔のクトゥブ゠ミナールというものを建設しているから写真で見ておこう。この後インドにはハルジー朝→トゥグルク朝→サイイド朝→ロディー朝と、デリーを都とする王朝が続きます。奴隷王朝~ロディー朝までの5つの王朝をまとめてデリー゠スルタン朝と呼ぶのでおさえておきましょう。

 

●いや、一人でどんだけしゃべるんですか!漫画のデスノートですか!!!

 

◯仕方ないじゃん!さて、カラハン朝のあと、F.中央アジアには耶律大石によってカラキタイ(=西遼)が成立しますが、イスラーム王朝じゃないのでこれは省略。ただ、チンギス゠ハンが滅ぼしたことは覚えておいてください、よってこの後、息子のチャガタイ゠ハンが国をつくります。おしまい。では、最後にE.西アジアを見ていきましょう。

 

●ブワイフ朝の後ですね!

 

◯11世紀に入り、トルコ系スンナ派のセルジューク朝が、建国されました。建国者は<トゥグリル゠ベク>。この人、1055年にバグダードへ入城すると、ブワイフ朝に怯えていたアッバース朝のカリフを保護します。そして彼はカリフから“スルタン”の称号を授かるのです!

 

●宗教上の権威であるカリフに対し、スルタンというのは世俗君主という意味なのですね。

 

◯そういうこと。さて、セルジューク朝全盛期の<マリク゠シャー>の時、宰相の<ニザーム゠アルムルク>がつくったマドラサのニザーミーヤ学院は覚えておきましょう。スンナ派の学校です。あと、セルジューク朝と言えば、1071年にマンジケルトの戦いでビザンツ帝国を倒し、小アジアへ進出したことが十字軍のきっかけになったことも大事。ちなみに、小アジアに成立したセルジューク朝を、ルーム゠セルジューク朝と呼びます。

 

●セルジューク朝は覚えることいっぱいですね!

 

◯だね。さて、その後登場するホラズム朝は、<チンギス゠ハン>によって滅ぼされたことが重要。よって、この地にはその後、イル゠ハン国が成立します。建国者<フラグ>は、<チンギス゠ハン>の孫。このイル゠ハン国が、1258年に、とうとうアッバース朝を滅ぼします!なんとカリフは…殺されてしまいました…。

 

●イスラーム世界に大きな衝撃ですね!

 

◯だけど、イル゠ハン国最盛期の君主<ガザン゠ハン>は、イスラーム教を国教にするんです。怖い。ちなみにこの人の宰相<ラシード゠アッディーン>は『集史』という歴史書を書いた歴史家として著名です。おしまい!

 

●はい、先生!さっきちらっと出てきたマドラサってなんですか?

 

◯マドラサは、日本語にすると学問所。カイロに現存するアズハル学院は、世界最古の現存する大学とも言われます。ちなみにファーティマ朝の時代にできている。だから当初はシーア派だったけど、今はスンナ派ね。

 

●他にもマドラサはあるんですか?

 

◯もちろん!アッバース朝の時代にバグダードに建てられた知恵の館(バイト゠アルヒクマ)は、『代数学』で有名な数学者<フワーリズミー>などを輩出している。あとはさっき出てきたセルジューク朝のニザーミーヤ学院だね。

 

●わかりました!長かったイスラームも、これで残りは文化だけですね。まずは地域ごと、縦を覚えられるように頑張ります!!!

 

☆センターチャレンジ

A)スンナ派イスラームを受容したトルコ系王朝の名と、その王朝の11世紀後半におけるおおよその支配領域を示す次の地図中のaまたはbとの組合せとして最も適当なものを、下の①~④のうちから一つ選べ。[11 本試]

 

① ファーティマ朝―a

② セルジューク朝―a

③ ファーティマ朝―b

④ セルジューク朝―b

 

 

 

B)インドのイスラーム王朝の歴史について述べた次の文の空欄 a  c に入れる王朝の名の組合せとして正しいものを、下の①~④のうちから一つ選べ。[02 追試]

 

イスラーム化したトルコ人の建てた a と、それに続いて b が、アフガニスタンから相次いでインドに侵入した後、約3世紀にわたって続く c が成立した。

① a―ゴール朝         b―カラ゠ハン朝  c―デリー゠スルタン朝

② a―ガズナ朝         b―ゴール朝     c―デリー゠スルタン朝

③ a―デリー゠スルタン朝  b―カラ゠ハン朝  c―ガズナ朝

④ a―ゴール朝         b―ガズナ朝     c―カラ゠ハン朝

 

 

 

 

C)インドの地域の歴史について述べた文として正しいものを、次の①~④のうちから一つ選べ。[12 追試]

① アイバクが、デリーにイスラーム王朝を樹立した。

② マウリヤ朝は、ササン朝に敗れて衰退した。

③ マラーター王国(マラーター同盟)は、ムガル帝国を滅ぼした。

④ ヴァルダナ朝のハルシャ王が、南インドを統一した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

正解は

A)④

B)②

C)①

こちらもご活用ください!そして、チャンネル登録よろしくお願いいたします。

 

※プリントは社会科教室の前に置いてあります。

 

 

●え!?このプリント…いつもより大きい…いや、俺が小さくなったのか!?

 

◯プリントが大きくなったんです。さぁ、いよいよイスラーム王朝の変遷を追っていくわけだけど、基本は東南アジアと同じで縦の歴史ですから!とにかく地域毎の流れを掴むことです。

 

●分かりました!簡単なところからお願いしやす。

 

◯そしたらまずA.イベリア半島とマグリブ地方から見ていこう。イベリア半島には、もともと西ゴート王国があって、それを711年にウマイヤ朝が倒すんだけど、その後、ウマイヤ朝が750年にアッバース朝に倒されて756年に後ウマイヤ朝が誕生した。ここまではOK?

 

●はい!その後ウマイヤ朝が後に西カリフを自称するんでしたよね。

 

◯そう!で、そのあとイベリア半島には11世紀にムラービト朝、12世紀にムワッヒド朝がそれぞれ繁栄するんだ。都はどちらも現在のモロッコの、マラケシュ。民族はベルベル人。そしてイベリア半島南部にできた最後のイスラーム王朝がナスル朝。このナスル朝の都のグラナダが陥落した1492年は、レコンキスタ完了の年として絶対暗記です!あと、グラナダに建てられたアルハンブラ宮殿は、アラベスクがとてもきれいで、文化史でも登場してくるよ。

 

●北アフリカはどうなるんですか!?

 

◯ウマイヤ朝➡アッバース朝ときて、そこから自立してきたアグラブ朝…からさらに自立してきたファーティマ朝が、モロッコのイドリース朝とエジプトのイフシード朝を倒して、支配領域を広げました!ただ、ファーティマ朝の都は969年からカイロなので、969年以降はエジプトの王朝と考えてください。

 

●ファーティマ朝って、シーア派急進のイスマーイール派でしたよね!

 

◯そうです!というわけで、C.エジプトを見ていきましょう。ファーティマ朝を倒したのはアイユーブ朝です。このアイユーブ朝、建国者はシリアのザンギー朝から自立してきた<サラディン>(<サラーフ=アッディーン>)というクルド人なんだ。クルド人ね。<サラディン>は、イェルサレム王国を征服したことで第3回十字軍を招くんだけど、平和的に英王リチャード1世と和平した。その後、エジプトにはマムルーク朝が成立しますが、マムルークとは、白人軍人奴隷のこと。本によってはトルコ人軍人奴隷と書かれたりもする。というわけでトルコ系。建国者の<シャジャル=アッドゥッル>は女性。全盛期の<バイバルス>は、1260年のアイン゠ジャールートの戦いでモンゴル軍を撃退し、さらには第6・7回十字軍で仏王ルイ9世を撃退したものすごい強い人物。<バイバルス>って名前がいかにも強そうだよね!以上、エジプトでした。

 

●次はB.西サハラをお願いします。

 

◯まずここには、ニジェール川という川が流れている。その流域に栄えた国が3つあるよ。一つ目がガーナ王国。金がたくさん取れて、それをサハラ砂漠の岩塩と交換するサハラ縦断交易が盛んだった。ここにムラービト朝が侵入してきて黒人初のイスラーム化が起こった。次のマリ王国は、何といっても黄金の都トンブクトゥの繁栄。国王<マンサ゠ムーサ>がメッカに金を奉納した記録が残っている。あと、文化で話す<イブン=バットゥータ>もこのマリ王国を訪れている。そして次がソンガイ王国。首都ではないけど、トンブクトゥは引き続き繁栄。

 

●最後にD.エチオピア・東アフリカをお願いしやす。

 

◯大前提として、ここはイスラームの話ではありません。時代は遡って紀元前10世紀、最古の黒人王国とされるクシュ王国がナパタを都に誕生した。ナイル川の流域。アッシリアの侵入によってメロエに都を遷してからはメロエ王国とも呼ばれる。メロエでは製鉄業が盛んになったり、メロエ文字が使われたりしたけど、これは未解読。メロエ王国を征服した次のアクスム王国は、4世紀にキリスト教コプト派を受容したことをおさえておこう!

 

●どうやらこの東アフリカという地域は、ムスリム商人によるダウ船貿易の拠点にもなったみたいですね。

 

◯そうそう。スワヒリ語ってきいたことあるかな?ケニアとかタンザニアで話されている言語なんだけど、もともとスワヒリ語って、現地のバントゥー語と、商人が運んできたアラビア語が組み合わさって生まれた言語なんだ。マリンディとかモンバサとかサンジバルとかキルワとかモザンビークとか…アラビアだけじゃなくて、インドや東南アジアや中国との貿易で繁栄したんだ。ちなみにムスリム商人の乗るダウ船に対して、中国の船はジャンク船ね。資料集で確認しておこう。最後に、さらに南にいくとザンベジ川が流れてるんだけど、その流域のジンバブエを都に栄えたのがモノモタパ王国。大ジンバブエ遺跡は日本語だと石の家。11世紀以降の遺跡だから、そんなに古くはありません!以上。

 

☆センターチャレンジ

A)サラーフ゠アッディーンについて述べた文として正しいものを、次の①~④のうちから一つ選べ。[04 本試]

① 第1回十字軍の侵入を退けた。

② イェルサレム王国を建設した。

③ ラテン帝国から、コンスタンティノープルを奪回した。

④ スンナ派のアイユーブ朝を建てた。

 

B)イベリア半島の歴史について述べた文として誤っているものを、次の①~④のうちから一つ選べ。[04 本試]

① ウアイヤ朝の一族が、この半島に王朝を建てた。

② ベルベル人の建てたムラービト朝が、この半島にも進出した。

③ アルハンブラ宮殿が、この半島のコルドバに建てられた。

④ ナスル朝は、この半島における最後のイスラーム王朝となった。

 

C)次の地図は、アフリカにつくられた黒人国家を示したものである。地図中acに該当する国名の配列として正しいものを、次の①~④のうちから一つ選べ。[97 本試]

 

 

 

 

 

a―ガーナ王国    b―モノモタパ王国  c―クシュ王国

a―ガーナ王国    b―クシュ王国     c―モノモタパ王国

a―モノモタパ王国  b―クシュ王国     c―ガーナ王国

a―モノモタパ王国  b―ガーナ王国     c―クシュ王国

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

正解は

A)④

B)③

C)②