○今日から2回は、ローマ゠カトリック教会のお話です。ローマ゠カトリック教会には、教皇を頂点とした聖職者の階級制度があります。これをヒエラルキーといって、確立するのは12世紀頃。国王や貴族から荘園が寄進され、農奴からも十分の一税が集まってくるので、教会には富と権力が集中してきます。

 

●タテ社会なんですね!

 

○また、キリスト教徒の修業の場というか、共同生活の場というか学校というか…修道院というものがあります。ここで信徒は祈り、働き、そして布教活動を行うのです。初の修道院ができたのは529年。ベネディクトゥスという人が中部イタリアのモンテ゠カシノに設立しました。ここのモットーは、「祈り、働け」

 

●シンプル!

 

○有名な三会則も覚えよう。「清貧」「服従」「貞潔」です。言葉の意味はそれぞれ難しいですが、とにかく「祈り、働け」なんです。

 

●大変そうですね…

 

○ではここからはヒエラルキーの頂点に立つ、ローマ教皇の話をしていこう!レオ1世は、451年のカルケドン公会議で神性単性論を異端とし、アタナシウス派を正統として再確認した人。そして、フン人の王アッティラに説教をして、撃退した教皇ですね。

 

●レオ1世が、史上初の教皇ですか?

 

○正式な初のローマ教皇はレオ1世[位440~461]と言われるけど、初代ローマ教皇は、イエスの十二使徒の1人、ペテロだって言われることもある。このへんは問題文から判断してください!

 

●わかりました!

 

○続いて、グレゴリウス1世[位590~604]は、6世紀末にイングランドへ、アタナシウス派を布教し、ヨーロッパでも指折りの大司教となるカンタベリ教会の設置に貢献した人物。マグニフィセントな業績を残した、あのカール大帝は、アタナシウス派を広めるために、わざわざカンタベリから神学者のアルクインを招いていましたよね。そして、800年、政治的なバックアップを必要としていた教皇レオ3世[位795~816]は、フランク国王のカール大帝にローマ皇帝の帝冠を授けて、「西ローマ帝国」の復活を宣言しました。このあたりから教皇の力はどんどん強くなっていきます。さらに、962年には、ヨハネス12世[位955~964]によるオットー戴冠で、教皇は新たに神聖ローマ帝国を政治的な後ろ盾としました。

 

●全部、フランク王国の流れの中で勉強した範囲ですね!復習復習。

 

○そうそう!そして1054年、キリスト教世界はローマ゠カトリック教会と、ギリシア正教会に完全に分裂します。これを東西教会の分裂と言います。で、ここからは新しい範囲!1077年、ローマ教皇と神聖ローマ皇帝が叙任権を巡って衝突します(=叙任権闘争)。教会の聖職者の長を任命する権利である叙任権は、ローマ教皇が持っていましたが、神聖ローマ帝国領内では皇帝ハインリヒ4世が保持していた。そこで、ハインリヒ4世から叙任権を取り返そうとしたのが教皇グレゴリウス7世[位1073~1085]。彼は、聖職売買や、妻帯など、戒律を破る聖職者が増える中、戒律厳守を掲げて修道院運動の中心となったフランスのクリュニー修道院[910年設立]出身の厳格な人物。しかし、ハインリヒ4世は叙任権をなかなか返そうとしない。そこでグレゴリウス7世は必殺「破門ビーム」を繰り出します!

 

●はっ…破門ビーム…!?

 

○当時、キリスト教を破門されるということは、「人間以下の家畜」とみなされるくらい致命的なものでした。英語にすると、excommunicationです。関わらないということです。ハインリヒ4世は、諸侯をコントロールできなくなってしまうので、もう謝るしかありません。皇帝が教皇に謝罪するんです。これが有名なカノッサの屈辱[1077年]。

 

●ハインリヒ4世にとって、屈辱だったというわけですね。

 

○結局、この叙任権闘争は1122年のヴォルムス協約で聖職叙任権はローマ教皇が保有し、俗権(=土地所有権)は神聖ローマ皇帝が持つという形で決着します。さて、11世紀後半になると、セルジューク朝の圧迫でビザンツ帝国が窮地に立たされる。ビザンツ皇帝アレクシオス1世は、教皇に助けを求めた。さて、キョーコは以前あずま君にスタバでフラれた過去がありますから、そう簡単に協力しません。ある条件を提示します。キョーコが出した条件とは、ギリシア正教会がローマ゠カトリック教会の支配下に入ること。あずま君はこの条件を飲みます(結局、十字軍の失敗で東西教会の統一は実現しなかったが)。こうして、1095年のクレルモン宗教会議で、ウルバヌス2世が国王や諸侯へ呼びかけ、十字軍がスタートします!十字軍の話は、また別のところで…。また、11世紀末にはフランスにシトー修道会という修道会も創立されています!

 

☆センターチャレンジ

叙任権闘争について述べた文として正しいものを、次の①~④のうちから一つ選べ。[06 本試]

① ビザンツ皇帝レオン3世が、聖像禁止令を出した。

② 教皇グレゴリウス7世が、神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世を破門した。

③ 教皇インノケンティウス3世が、カール大帝(シャルルマーニュ)に皇帝の冠を授けた。

④ フランス王シャルル7世が、十字軍をイェルサレムに派遣した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

正解は

 

 

○さて、西ヨーロッパは大混乱です!ノルマン人による略奪や、フランク王国の分裂…。そこで、外的の侵入をうける各地においては、防衛体制を整える必要があった。防衛体制の中心となったのは、国王や皇帝から土地を与えられた諸侯や騎士と呼ばれる人たち。

 

●なるほど!そうして生まれたのが封建社会と!

 

○そういうこと!さて、封建社会は「封建制」と「荘園制」の二つの制度から成り立つ社会のことです。まずは封建制から見ていきましょう。

 

●先生、封建制ならもう中国史で勉強しましたよ?一緒ですよね?

 

○中国の封建制と西欧の封建制は全っ然違う!まず、大前提として、西欧の封建制は血縁関係によらない双務的契約関係なんです。

 

●契約!?なんだかドライですね!

 

○主君は家臣に封土を与えて保護し、家臣は主君に忠誠を誓って軍役奉仕する。これが基本です。ただし、家臣から契約を解除することもできるし、複数の主君に仕えてもいい。

 

●複数でもいいんですか!?日本の封建制とも違うんですね!

 

○そうなの。例えば、●さんは諸侯Aに忠誠を誓っているけど、それだけだと不安なら諸侯Bの家臣になったって構わない。AもBも●さんを裏切り者とは考えない。あくまでもドライな契約関係なんです。

 

●でも先生!もし、AとBが戦争をしたら、両方に仕えている●さんはどうするんですか?

 

○契約の内容に従うのみです。●さんが年間15日間軍役奉仕する契約を結んでいるなら、まずAの指揮下でBと15日間戦って、決着がついてもつかなくても、今度はBのもとへいってAと15日間戦う。契約の軍役が終わったら、戦争の決着がついてなくても自分の家に帰ってOK。もちろん、どちらかとの契約を戦争の途中で切ってしまってもいいわけです。土地は失うけどね。

 

●とことんドライですね。

 

○あと、諸侯は国王の役人による荘園への立ち入りや、課税に対する拒否権を持っていた。これを不輸不入権(=インムニテート)と呼ぶ。これは王権の弱体化を促した。と、ここまでが封建制の話。国王(皇帝)・諸侯・騎士といった領主層の話です。領主のもとには農民たちが集まってくる。領主は農民を保護するかわりに農民は領主に隷属するようになる。これが農奴のはじまりです。というわけで、ここから先は荘園制のお話。

 

●荘園が一つの農村コミュニティなんですね!

 

○そうだね。荘園は、大きく分けると「領主直営地」、「農民保有地」、「共同利用地」になる。農奴は、領主直営地で週2~3日程度耕作をする。これが賦役。労働地代のことね。ここで採れた作物は、すべて領主のものになります。

 

●と、いうことは農民保有地で採れた作物が、農民のものになるということですか?

 

○そう。ただし、全てではない。何割かは生産物地代という形で領主におさめないといけない。これを貢納と呼ぶ。まぁ、頑張れば頑張っただけ手元に残るものが多くなることは確かだけどね。

 

●でも、全て領主に取られちゃうんだったら、領主直営地でまじめに働きますかね?僕だったら、怒鳴りつけられない程度にさぼっちゃうなー。

 

○そうなんだよ!今、説明した荘園は古典荘園って言い、8世紀頃に始まったスタイルなんだけど、これが12世紀頃になると領主直営地はどんどん解体されて、純粋(地代)荘園と呼ばれるようになるんだ。

 

●その方がいいですよね。

 

○あと、この頃、三圃制というシステムが普及して生産力が向上したこともおさえておきたい。これは耕作地を春耕地・休耕地・秋耕地に分けて、3年で一巡させる制度のこと。耕作の際は鉄製の有輪犂を牛が引いたよ。

 

●あ!だから、耕地がどれもストライプ状になってるんですね!牛はくねくね曲がらないから!

 

○そう!ちなみにその細長い土地を地条って呼んでいます。さて、農奴ですが、彼らに移転や職業選択の自由はありません!土地に縛られているのです!そして領主は農奴に対して、いろいろな特権をもっていました。

 

●賦役と貢納以外にもですか!?

 

○あります!たとえば結婚税。結婚する農奴の新郎から領主が受け取っていた。なぜ、こんな税金があるかというとね…、もともと領主は初夜権というのをもっていて農奴同士が結婚するとき新婚初夜の新婦を自分の館に連れ込んでそれから新郎に渡したんだ。新郎としてはこんなの嫌ですよね、屈辱です。そこでこの初夜権をお金で買い取った。これが結婚税のはじまりと言われています。ほかにも、死亡税や施設使用料、あとは教会に納める十分の一税などがあって、これが農奴にとっては大きな負担だったのです。さらに領主は、領主裁判権を持っていました。これは領主が荘園内の問題を裁定する裁判を行う権利のこと。

 

●重い…農奴辛すぎる…

 

 

 

 

☆センターチャレンジ

下の文章中の空欄 ア  イ に入れる語の組合せとして正しいものを、次の①~⑥のうちから一つ選べ。[02 本試]

 

中世のヨーロッパでは、法も裁判の多様であった。国王裁判所とは別に、世俗の封建領主が主宰する独自の法廷が存在した。これは領主が国王から ア 権を得ていたからにほかならず、彼らはこの特権に基づく裁判権によって村落民や都市民を支配した。やがて都市のなかには、領主から イ 権を獲得し、独自の法と裁判権を持つものも出てきた。

 

①ア-不輸不入 イ-叙任

②ア-不輸不入 イ-自治

③ア-自治    イ-不輸不入

④ア-叙任    イ-自治

⑤ア-叙任    イ-不輸不入

⑥ア-自治    イ-叙任

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

正解は

 

 

○今日勉強するのはノルマン人です!彼らは北方ゲルマン人。ゲルマン人と言えば375年、フン人に圧迫された西ゴート人が、ドナウ川を越えたのをきっかけに、大移動してローマ領内に侵入してきた民族だったよね。で、今日勉強するノルマン人は、8世紀~11世紀にかけて大移動をする。つまり彼らは“のろまなゲルマン人”!

 

●のろまなゲルマン…のろまん…そっかだからノルマンっ!

 

○いや違うよ!そんなノルマン人の原住地は、デンマークのあるユトランド半島や、ノルウェーやスウェーデンのあるスカンディナヴィア半島。ここはしっかり地図で確認しておこうね。

 

●いわゆる、北欧ですね。

 

○そ。彼らの暮らしは交易が中心。時に、海賊行為をはたらいて生活を維持していた。ちなみに、ヴァイキングって知ってる?

 

●なんて日だ!それたぶんiPhoneじゃないねぇ!

 

○言うと思ったー。じゃなくて、ヴァイキングってのは、ノルマン人の別名なんだ。

 

●日本語に訳すと“食べ放題”ですか?

 

○違うよ!もともとヴァイキングの意味は“入り江の人”。彼らの船は吃水が浅く、浅瀬に入りやすい。そこで彼らは川を上ってきて食べ物を奪い、穀物の種を奪い、船に持ち帰っていった。だから、日本ではヴァイキング=海賊ってイメージが強いのかもね。

 

●そうだったんですねー。

 

○では、そんなヴァイキングたちの移動をみていこう!まず、原住地に、デンマーク・ノルウェー・スウェーデンを建国する。これがだいたい8~10世紀。そして、862年にはリューリク率いるルーシ人(ルス人)が南下して、ノヴゴロド国を建国する。ちなみにルーシというのは、ノルマン人に対するスラヴ人からみた呼称で、これが現在の「ロシア」の語源にもなっている。そんなノヴゴロド国が、さらに南下して882年にキエフ公国が建国される。

 

●ばっちりです!

 

○で!次からがとっても大事だからしっかり地図を見ながら確認していこう!まず911年、ノルマン人の首長ロロが北フランスに侵入した。これに対して西フランク王は、諸侯としてこれを認めることで封じ込めようとした。これがノルマンディー公国になるんだ。

 

●今も北フランスにノルマンディーって地名ありますよね。

 

○よく知ってるね!この後、このノルマンディー公国から有名な人物が出てくるよ!…っとその前に、ブリテン島の様子を見ておこう。ここは、ゲルマン人のうち、なんという部族がやってきていた?

 

●はい!アングロ゠サクソン人ですよね!?で、七王国(ヘプターキー)があった!

 

○そうだね。七つの王国があったわけだけど、そのうちのウェセックスという国の王、エグバートによって、これが統一され、イングランド王国になるんだ。829年のこと。ただ、たびたびノルマン人の侵入に悩まされる。9世紀末にはデーン人がやってくるんだけど、これはアルフレッド大王が撃退!でも、1016年にデーン人の王子クヌートがやってきて、いよいよイングランドを征服する。これがデーン朝!そしてクヌートはデンマーク王となり、ノルウェーも支配し、「北海帝国」を築き上げるんだ。ほら、北海を三角形に囲んでいるでしょ?

 

●だから、「北海帝国」なんですね!

 

○そういうこと。ただ、デーン朝も長くは続かず、一時アングロ゠サクソン人の王朝が復活する。そして1066年、さっき北フランスにできたノルマンディー公国から、ノルマンディー公ウィリアムがイングランドに侵入してくるんだ。この戦いのことをヘースティングズの戦いと言う。

 

●結果どうなったんですか?

 

○ウィリアムが勝利し、ウィリアム1世としてノルマン朝を創始するんだ。これをノルマン゠コンクェストと言う!つまりこの時点で、フランスの諸侯がイングランド王をやってることになる。なんか不思議な感じだよね。

 

●ですね。

 

○そして最後に、おまけの両シチリア王国。これは、イスラーム勢力と戦ってローマ教皇からの支持を得たノルマンディー公国の騎士、ルッジェーロ2世が、ナポリとシチリア島を領有する形で1130年に建国しました。

 

●ん?ルッジェーロ2世ってもしかして、イスラーム文化で勉強した、イドリーシーに世界地図を書くように依頼したっていう、あのルッジェーロ2世?

 

○そうです!

 

 

☆センターチャレンジ

イギリス諸島に関連して、イングランドやスコットランドの歴史について述べた文として正しいものを、次の①~④のうちから一つ選べ。[02 本試]

① アングロ゠サクソン族が、七王国を建てた。

② フランク族のクヌート(カヌート)王が、イングランドを征服した。

③ ノルマンディー公ウィリアムが、スコットランドにノルマン朝を開いた。

④ アルフレッド大王が、デーン人の王国をイングランドに建てた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

正解は

 

 

○偉大なカール大帝の息子、それがルートヴィヒ1世。そのルートヴィヒ1世には子どもが3人いた。カール大帝の孫ですね。長男がロタール1世、三男がルートヴィヒ2世、四男がシャルル2世。それぞれきちんとフランク王国の土地を相続しました。これが843年のヴェルダン条約です。では、分割相続が行われた後のカロリング朝を見ていくことにしましょう!

 

●はい!まず長男からお願いします!

 

○長男が継いだのが中部フランク。ここが一番重要な土地だ。ただ、ロタール1世の死後、メルセン条約で東フランクと西フランクに圧迫されるような形で領土が縮小してしまう。カロリング朝も、最も早く875年に途絶えてしまいます。その後も、たびたび東フランクが支配を試みようとちょっかいを出してきます。以上。

 

●あっさり!次は次男!

 

○次男が継いだのが東フランクね。こちらも911年にカロリング朝が途絶える。すると、新たにザクセン朝がハインリヒ1世によって創始されます。その2人目の王であるオットー1世がすごかった。レヒフェルトの戦いでアジア系のマジャール人を撃退し、イタリア遠征ではスラヴ人を倒している。これはローマ教皇としては頼もしいですよね。そこで、このオットー1世にあの“例の冠”をかぶせるのです。

 

●かつての西ローマ皇帝位ですね!

 

○その通り!それが962年のこと。かぶせた教皇はヨハネス12世。ここに神聖ローマ帝国の誕生です!

 

●あれ?神聖ローマ帝国が解体されるのって、確か1806年のナポレオンのライン同盟結成の時でしたよね?

 

○素晴らしい。まさにそれです。

 

●予習しておきましたよ!はい、じゃあ最後に四男をお願いします!

 

○四男が継いだのが西フランク王国。ここが最もカロリング朝が長生きして987年まで。断絶後はパリ伯のユーグ゠カペーが即位してカペー朝を始めます。ただし、この王朝の弱いところは、選挙王政だというところ。みんなで王様を決めているから、王様は威張れないんです。以上!

 

☆センターチャレンジ

フランク王国がいち早くローマ教会と結び付いたことに関連して、フランク王国やその後の東フランク王国の王について述べた次の文acが、年代の古いものから順に正しく配列されているものを、下の①~⑥のうちから一つ選べ。[07 本試]

 

a オットー1世が、ローマ皇帝位を授けられた。

b クローヴィスが、アタナシウス派(カトリック)に改宗した。

c ピピンが、王位についた。

 

abc  ② acb  ③ bac

bca  ⑤ cab  ⑥ cba

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

正解は

 

 

 

 

○ヴァンダル、移動し過ぎだろ。そりゃバラバラになるよ。西ゴートも、イベリア半島まで移動してる。じゃあフランクは?これ、川を渡っただけ!ライン川を東から西へ跨いだだけ!よいしょっ

 

●そういえば、ゲルマン人ってだいたい何人くらい入ってきたんです?

 

○だいたい15万~20万人ですね。ローマ帝国はだいたい300~400万人。20倍だよ?イメージは、風呂に入ってて、よだれがぴゃーってたれちゃった感じ。え?だからローマに大した影響はないってこと!

 

●ってことは??

 

○「郷に入っては郷に従え」だろ?そこで、メロヴィング朝フランク王国の建国者であるクローヴィスは、アタナシウス派に改宗したんだ!アリウス派ってローマでは異端だったでしょ?つまりこれは、ローマ人との親密化を図っているんです。ちなみにこのランス大聖堂は北フランスにあるんですが、歴代フランス王が戴冠式をする場所となります。ナポレオン1世以外はね。さて、ゲルマン人は生き残るためにローマ教皇に近づく。ここからは別紙のプリントも参考にしながら、しっかり聞いていてください!

 

●…録音させてください!

 

○まず、西ローマ帝国で一番偉い人は西ローマ皇帝!政治上のトップ。西ローマで宗教上一番偉い人はローマ教皇。お互いは干渉しません。それに比べて、東ローマで一番偉い人は皇帝。宗教上偉い人はコンスタンティノープル総主教と言う。さてそこに、375年以降、一斉にゲルマン人が入ってきます。ただし、そのほとんどが西ローマへはいってくる。そして476年、西ローマ帝国は滅亡する。これ、ローマ教皇は殺されていないですよ。それはなぜか?ゲルマン人もキリスト教徒だからね。それで今、西ローマというマンションは、ローマ教皇だけが住んでいて、あとの部屋はGGGGGGGGGGGです。この状況わかります?

 

●GってGermanのGですか?

 

○そうですよ。ローマ教皇はか弱い。だから…女の子にしても良いですかね?キョウコでいい?さぁ、今キョウコは寂しい。キョウコには付き合っていた彼氏が居た。西くんだ。だけど、西くんは死んじゃった。Gにやられた。キョウコは今、守ってくれる人が居ないんです。政治的孤立状態だね。そういう時、西くんと血を分けた兄弟が居たことを思い出す。東くんだ。そこで、キョウコは言ったよ。「東くん、私を守ってくれない?」って。…きたよ!すぐこうやって女は寂しがるんだよ。で、男はこういうのに簡単にだまされる。でも騙されるのも楽しいものかもしれな

 

●ちょっ、なんの話ですか

 

〇さてここで東くんの家の中を見ておこう。東くんの家では、政治が宗教をつかさどっています。残ってるんですよ。ローマ帝国の伝統が。これを“皇帝教皇主義”と言う。ただ、キリスト教徒は嫌がってますよ。だって宗教が政治に支配されてるんですから。だから抵抗している人たちが居た。修道院です。これは全寮制の学校みたいなもの。これが東くんに対抗しようとしているんだ。そんな中、敵がやってきた。イスラームだ。東くんは厳しいぞ。仲間割れしてるところに敵が来ちゃったんだから、まずは修道院を抑え込まないといけない。そして、これを考えるんだ。

 

●これ、とは?

 

○昔、小学校の前に立ってたんだよ。みんなは知らないかな??絵本みたいなの持ってて、キリスト教のことを話してくれるんです。ひらがなで書いてある。「いえすはふっかつしました」とか。しかもその本、もらえた。難しいものを教える時には、絵や像などを使った方が分かりやすいんです。でも聖書に書いてあるよ?神様を像や絵にしちゃだめだって。そんなとき、東くんはイスラーム教と触れた。イスラーム教はもちろん偶像崇拝禁止。見つけたよ、東くん。ここを指摘してやれば、もうこれ以上修道院勢力は広まらない。そこで726年、聖像禁止令の発布だ。こうして修道院勢力は落ち込んだ。

 

●うまいこと考えましたね!

 

○でもね…修道院は後から言ってきたよ。今回は俺たちの完敗だ…。でも、お前の彼女も聖像使ってないか?って。お前、彼女には使わせておくのか?それでいいのか?って。それで、東くんはキョウコを呼び出すんだよ。

 

※イメージ

 

東「お前、まさか…聖像なんて…使ってないよな?」

 

キョウコ「」

 

東「あれ?お前、それ…なに?」

 

キョウコ「いや、え、これタンブラー。タンブラー。」

 

東「なんだよこれ…聖像じゃん。」

 

キョウコは使ってたんだよ!ゲルマンにキリスト教を広めるために使ってた!キョウコは迷ったよ。彼氏を取るか、友だちを取るか。キョウコは怒って帰っちゃう。「もう東くんなんて知らない!」って。鍵ガガガってかけます。スマホを枕元に置いて。もう、東くんなんて最低!

 

●でも、なんでスマホを枕元に?

 

○…待ってるんだよ。東くんからのLINEを。

 

そしたら突然外から声がする。

 

「アッラーアクバル!…アッラーアクバル!」って。

 

真っ白い服を着たイスラーム教徒がそこまで来てるんですよ。

 

あーあ、もう終わり…。

 

誰も守ってくれる人はいない…。

 

●キョウコ、絶体絶命…

 

○そしたら、突然声がやむんだよ!あかない!あれ!?あかない!ドアがあかない!…鍵かけたからだね。ガチャ。ん?と思って廊下に出たら…イスラーム教徒が倒れてるんだ。

 

●なんと!

 

○「きっと東くんが助けてくれたんだ!」と思っていたらLINEがきた…。東くん…じゃないんだよ。カール゠マルテルだ!まさかGが自分を守ってくれるなんて思って無かった!もしかして…フランクって良い人かも。みたいな。これが732年、トゥール・ポワティエ間の戦いです。

 

●西ローマ世界を守ったんですね!

 

〇さぁ、726年に聖像禁止令を出した東くんですが、本当の名前はレオン3世ですよ。ここから進展します!カール゠マルテルは王ではない。宮宰だ。宮宰ってのは、もともと家政の長という役職で、国のNO.2です。マンションの管理人のおじさんみたいなね。ただ、カール゠マルテルは王になる前に死んじゃう。そこでその子ども、ピピンちゃんが国民に推される形で王になるんです。キリスト教世界では革命は絶対禁止ですよ。下剋上なんてありえない。だからこれ、本当はダメなんじゃないの?でも、ローマ教皇は支援するんですよ。これは、お父さんがやってくれたこと、すなわちトゥール・ポワティエ間の戦いの勝利への恩返しなんです。

 

●キリスト教世界を守ったヒーローですもんね!

 

○でも、ピピンからすれば、その業績はお父さんのものですから、キョウコになにかお返ししてあげなくちゃなーって思うんです。当時、キョウコにはストーカーが居た。ランゴバルドです。危ないから討伐します。そしてその土地を奪って“恩返しの恩返し”をします。ここ、ラヴェンナ地方と言って、のちのローマ教皇領の起源となります。756年、ピピンの寄進です。土地をもらったら?結婚するしかないだろ。でもピピンは死んじゃう。その子どもがカール大帝。シャルルマーニュ(フランス語)とも言う。こんな名言があるよ。「マホメットなくしてシャルルマーニュなし」。ベルギーの歴史家ピレンヌという人の言葉。イスラーム教徒がもし攻めて来なかったら?シャルルマーニュがこういう形で登場してくることは無かったってわけ。では、いきましょう。カールの戴冠です。場所はサン゠ピエトロ大聖堂。西暦800年、クリスマスの朝。キョウコは帽子を持って待っている。昔付き合っていた西くんがかぶっていた帽子だ。その帽子を、フランクにあげるんです。これであの西ローマ帝国が…復活したんです!!!

 

●なるほど!政治と宗教が再び結びついたわけですね!

 

〇そういうこと!じゃあ内政を見ていこう。カール大帝は、各州に伯を設置して、それを巡察使で監視する中央集権体制をとった。ルネサンスというのは古いものを復興することです。ローマ文化の復興をします。これはローマ人との親密化のため。まだ周りのゲルマンの多くはアリウス派なんですよ。そこでアルクインという宣教師をイギリスのカンタベリから呼んできてアタナシウス派を布教させる。あとは、アインハルトに『カール大帝伝』を書かせている。

 

●ふむふむ。

 

○続いて外征。774年、ピピンが懲らしめたランゴバルド王国を完全に征服し、北イタリアを統一。ちなみに、北イタリアにロンバルディアってあるよね?ランゴバルドランゴバルドランゴバルド…ロンバルディア。そういうことです。さらにモンゴル系のアヴァール人を撃退している。アヴァール人はその後、ハンガリーへ定着する。さらにザクセン人を討って、エルベ川下流域を併合。ただ、後ウマイヤ朝との戦いには負けるんです。そのあと、甥を戦死させてしまう…。その甥の名前がローランと言って『ローランの歌』という物語になっています。以上ここまで!

 

☆センターチャレンジ

カール大帝の父王について述べた文として正しいものを、次の①~④のうちから一つ選べ。[00 追試]

① ローマ教会が正統とする教説を初めて受け入れ、フランク王国とローマ教皇とを結び付けた。

② 東方から移動してきたマジャール人を撃退し、国内への侵入を防いだ。

③ トゥール・ポワティエ間の戦いでイスラーム教徒の軍勢を退けた。

④ 後の教皇領の起源となる領地をローマ教皇に寄進した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

正解は