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○今日は唐代の文化です!唐と言えば国際性豊かな時代!都の長安には、世界中から商人や留学生が集まってきて、国際色豊かな都市となりました!今でいえば、ニューヨークみたいな。人口は100万人を超え、バグダードと並ぶ当時の世界最大規模の都市でした。もちろん、日本からは遣唐使。アラビア方面からはインド洋経由でムスリム(=イスラーム教徒)商人達がたくさんやってきている。唐は広州に(市舶司)という役所を設けて貿易を管理し、商業税をとっていました。あと、外国人が暮らす地区の、蕃坊ってのもできています!

 

 

【儒学】

○儒学が、科挙の試験科目として採用されています。試験科目だから、解釈が分かれたら問題が作れない!そこで2代<太宗>は<孔穎達>(くようだつ)に命じて『五経正義』という政府公認の儒学のテキストをつくらせました!

 

●でも先生!唐といえば、何といっても詩ですよね!学校で勉強する中国の詩って、唐の時代のものが多いような気がします!

 

○そうだね!唐代には有名な詩人が4人も出てくるから、名前と作品をセットで覚えよう!

 

【唐詩】

~盛唐(玄宗皇帝時代)~

 

<王維>[701~761]

自然を描く詩に優れ、画家としても有名。

 

<李白>[701~762]…『李太白全集』

“詩仙”。お酒が大好きな天才。李白について、親友の杜甫は「李白一斗、詩百編」と語る。これは、酒を一斗飲めば、詩が百でてくる、という意味。“白”➡“ヒゲ”➡“仙人”で、連想してみては?

 

<杜甫>[712~770]…「春望」「兵車行」

“詩聖”。李白と並び称される大詩人。地味で不器用。「国破れて山河あり、城春にして草木深し」の句で始まる「春望」の詩は、安史の乱の頃の混乱を、捕虜の立場からうたったもの。

 

~中唐(玄宗皇帝死後)~

<白居易>[772~846]…「長恨歌」「白氏文集」

<白楽天>とも。「長恨歌」は、玄宗と楊貴妃の悲劇的なラブストーリを詩にしたもの。

 

●<白居易>さんだけ、玄宗皇帝が亡くなった後の活躍なんですね!

 

 

【散文】

 ○唐と次の宋の時代に文の名人が八人。これを「唐宋八大家」という。唐にはそのうち二人がいて、<韓愈>[768~824]と<柳宗元>[773~819]という人。南北朝時代には“四六駢儷体”という華麗な文体が流行したけれど、これに対して漢代の力強い文体の復興を唱えたのがこの人たち!

 

【絵画】

<閻立本>[?~673]

人物画の「歴代帝王図巻」で有名。

 

<呉道玄>[8世紀]

山水画の名手。

 

【書道】

< 欧陽詢 >・< 虞世南 >・< 褚遂良 >…初唐の三大家は名前だけでじゅうぶん。

 

<顔真卿>[709~786?]

安史の乱の時、自衛軍を組織して反乱軍に抵抗を続けた男です。字も力強く、それまでの、<王羲之>の貴族的で優雅な書風を一変させました。

 

【工芸】

唐三彩

何色もの色つけがしてある置物のこと。ラクダの上に胡人(=イラン人などの西方の人々)が乗って、琵琶を弾いているところに、唐の国際性がよく現れているよ。

 

☆センターチャレンジ

中国で主に副葬品として墓中に納められた焼き物で、ラクダの上に西域人が乗っている次の写真の陶器の呼称として正しいものを、下の①~④のうちから一つ選べ。[12 本試]

 

① 彩陶

② 唐三彩

③ 染付(青花)

④ 黒陶

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

正解は

 

 

 

○さて、もうすぐ年末ですね。

 

●ですね!

 

○世界史の復習はばっちりかな?

 

●え…えっと…ほら、まだ受験まで1年以上あるし…

 

○何いってるの!むしろ1年しかないんだよ!

 

●…はっ!言われてみれば!!!

 

○ここからは、本気を出して勉強していこう。本気で授業と向き合って、本気で問題を解こう。問題との出会いは一期一会です。入試当日まで、もう同じ問題に出会わないかもしれないんですよ。また、出てきた時に覚えよう…ではもったいないです。今分からなかった問題は、今分かるようにしていこう。

 

●本気出します!

 

◯さぁ、ここはお茶漬けのようにさらっといっちゃいましょう。唐が滅んだ後、中国はまたバラバラです。北には五代の王朝交代、南には10の国…この時代を五代十国[907~979年]といいます。厳密に言うと北漢は北にあるけどね。

 

●五代は全部都が一緒なんですね。開封かー。(ただし後唐は除く)

 

◯そう。(ただし後唐は除く)。では後梁→後唐→後晋→後漢→後周とみていこう。

 

①(後梁) 建)<朱全忠> 武断政治の開始!

 

◯武断政治というのは、武力による実力支配ってこと。だから短命に終わりがち。

 

②(後唐) 都)洛陽(他は全て開封)

 

◯どうして洛陽かと言うと、建国者のお父さんの李克用って人が、黄巣の乱で朝廷を助けて洛陽の管理権をもらってるからなんですね。それで息子も洛陽を拠点にしたというわけ。

 

③(後晋) 建)< 石敬瑭 >

 

◯建国をする時、契丹(遼)に援助してもらったので、そのお礼に現在の北京を含む「燕雲十六州」という地域を割譲しました[936年]。これは万里の長城の内側だからね。

 

④(後漢) 特になし

 

⑤(後周) 960年:後周の武将<趙匡胤>が宋(北宋)を建国

 

○そして、979年:2代<太宗>が(北漢)を滅ぼして中国再統一。以上です。

 

●次は十国ですね!

 

◯十国は、ほとんど出ないですが、北漢が最後、呉越が最長くらい覚えておけばじゅうぶんかな。ちなみに最初にも言ったけど、北漢は華北にあるから、それは覚えておこう!

 

 

 

☆センターチャレンジ

下の文章中の空欄に入れる語の組合せとして正しいものを、次の①~④のうちから一つ選べ。[14 本試]

唐では、8世紀に入ると、国家の体制を支える諸制度が動揺し始めた。また、安史の乱をきっかけに、節度使が国内全域に配置されるようになると、なかには中央に租税を送らず、半独立状態を続けるものもあった。その結果、唐は財政危機に陥った。唐が政権を保ち得たのは、両税法と塩の専売制が定着して財政を持ち直し、中央の軍隊が強化拡充されたことによる。しかし、が起こると、唐の支配体制は根底から揺り動かされた。反乱軍から唐に降った節度使のにより、907年、唐に滅ぼされた。

 

① ア-呉楚七国の乱 イ-張角

② ア-呉楚七国の乱 イ-朱全忠

③ ア-黄巣の乱    イ-張角

④ ア-黄巣の乱    イ-朱全忠

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

正解は

 

 

○755年、安史の乱勃発。

 

●いきなり!?

 

○反乱軍のリーダーが安禄山(あんろくざん)と史思明(ししめい)だったから、2人の名前の頭文字をとって安史の乱。わかりやすいですね!

 

●安禄山ってなにものですか?

 

○彼は当時、河東節度使など北方の3つの節度使を兼任するほどの有力者でした!反乱をおこした理由は宰相として常に皇帝のそばにいる楊国忠。この楊国忠は楊貴妃のはとこです。玄宗皇帝の個人的な理由での人材登用のつけがまわってきた…そう思ってください。

 

●なるほど…で、玄宗と楊貴妃はどうなっちゃうんです!?

 

○玄宗は楊貴妃を連れて長安から逃げた!しかしその途中、彼らを護衛するはずの親衛隊が反抗し始めるのです。…「安禄山の反乱は、楊貴妃のせいだ」と。結局玄宗は、田舎のまちのお寺に楊貴妃を連れ込んで、部下に処刑させるのです。玄宗と楊貴妃の恋愛物語のクライマックスです。このあと玄宗は退位して、息子の肅宗(しゅくそう)が即位しました。

 

●愛する人を失った玄宗の悲しみは、想像もつきません…。

 

○ちなみにこの時の政府は、安史の乱を鎮圧するためにウイグル人に援助を要請しました。なんでウイグルかって?「安心しな?俺らは仲間さ、Weグル!!!」ってことです!

 

●よくわかんないですけど、唐の政府がぼろぼろなのはわかりました。

 

○国内が荒れている中、763年、長安は一時的に吐蕃によって占領されています。

 

●あれま。

 

○反乱の鎮圧後、都はすっかり荒れ野原…。唐の詩人の杜甫(とほ)の「春望(しゅんぼう)」という詩をここで紹介しておきましょう。

 

国破れて 山河あり

城春にして 草木深し

 

●戦乱で荒れ果てた長安の風景を嘆いている詩ですね。

 

○さて、安史の乱の後、唐の政治と社会は大きく変質する。政治は、中央政府の統制力が低下したことにより有力節度使が民政や財政を握って自立化を始める!これを“藩鎮”という。

 

●軍・民・財を牛耳っているのが藩鎮というわけですね!

 

○その通り!続いて社会だけど…土地は荒れ放題で、均田制を維持することができません。均田農民は没落し、小作農になっている。この小作農のことを佃戸(でんこ)という。で、均田制が崩壊すれば、セットで機能していた租庸調制も崩れる。かわりに実施された税制が両税法。これ重要!

 

●両税法とは!?

 

○現住地に対し、財産に応じて夏と秋の2回、銭納で集めます。一年2回だから両税法!780年、徳宗という皇帝の時代に楊炎(ようえん)という宰相の提案で始まりました!政府は、これ以外にも塩の専売制を強化して、国家財政の充実をはかっています!

 

●武帝みたいなことしてるんですね。でも、そろそろ唐の終わりも近そう…

 

○唐に最後の打撃を与えたのが黄巣の乱(こうそうのらん)[875~884]でした。ちなみに、乱を始めたのは王仙芝です。この人は塩の密売人。政府の売る価格より安く売って利益をあげていたんですが、取り締まりが強化されて反乱を起こしたわけです。さて、反乱軍は山東省から拡大し、次から次へと都市を占領して略奪していきます。が、のちに内部分裂を起こします。

 

●内部分裂…?

 

○黄巣の右腕であった朱温という人物が、「黄巣が居る間は、自分はNo.1にはなれない!」と考え、敵(=唐)に寝返っちゃうんです。右腕を失った黄巣は結局勝てない。そこで、黄巣が自殺してこの乱は終わります。さぁ、唐は大喜びですよ!寝返った朱温を褒め称えて、朱温に「唐に忠誠を尽くす人物!」という意味で、“全忠”という名前を授けるわけです。ということで朱温は“朱全忠”という名前に変わったのです。

 

●でも…なんか怪しくないですか!?一度裏切った人間は2回、3回と裏切るような…

 

○その通り。907年、朱全忠は唐を滅ぼし、皇帝に即位しました。都は開封。国名は後梁(こうりょう)です。

 

●おわった…。

 

○今日はここまで!テスト勉強頑張ってね!

 

☆センターチャレンジ

8世紀の唐の政策について述べた文として正しいものを、次の①~④のうちから一つ選べ。[00 追試]

① 府兵制が崩壊していくのに対応して、衛所制を施行した。

② 節度使を内地に置いたが、彼らは次第に独立性の強い地方勢力となった。

③ 儒教経典の解釈を統一するため、『五経大全』を編纂した。

④ 租庸調制が機能しなくなり、新たに均輸法によって税を徴収するようになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

正解は

 

 

 

 

○さて、“開元の治”と称される6代玄宗(李隆基)の治世を支えた有名な2つの政策を見てみよう!

 

1.募兵制の実施

それまでの府兵制は、均田制・租庸調制と三位一体になっていました。しかし「税金も納めて時には兵隊にも行く」というのは、負担が大きすぎた。中には土地を捨て山へ逃げ込んだり、裕福な家へ転がり込んだりするものが出てきました。そうすると税収入は減り農地も荒れ放題。もちろん兵士も居なくなる。そこで玄宗は、お金で兵隊を雇う募兵制を実施しました。

 

2.節度使の設置

辺境防備の軍、およびその指揮官のこと。最初は10か所に設置されました。

 

●良い感じですね!

 

○玄宗時代の751年、歴史上とても意味のある戦いがおこりました!タラス河畔の戦いです。アッバース朝との戦いです。唐は高仙芝が軍隊を率いましたが敗北、捕虜として連行されるものも居ました。

 

●どうしてそれが歴史上意味があるんですか??

 

○捕虜の中に紙すき職人が居たんですよ。それで、イスラーム世界にはじめて製紙法が伝播するんです!

 

●なるほど!751年タラス河畔の戦いで製紙法が伝播ですか!しっかり覚えておきます!

 

○さて、玄宗の話に戻すけど、皇帝の仕事はかなりしんどい。宮廷での政務は夜明け前に始まって、次から次へと官僚が持ってくる書類を決裁していく。皇帝は一番偉いから手を抜こうと思えばいくらでも抜けるけど、そうすると宦官や外戚などが勝手な振る舞いをするようになるから、一生懸命やるしか無い!

 

●大変ですね…。あ、そういえば皇帝って定年はないんですか?

 

○無い!玄宗はまじめに仕事をやり続け…いつの間にか即位30年を越えていた。するとだんたん政治に対する情熱も失われていく。かわりに彼は、ある女性へ情熱を向けるようになっていくのです…。

 

●また女性ですか!

 

○玄宗が惚れたのは、楊貴妃という人。もともとは玄宗の息子の恋人の一人でしたが、そんなのおかまいなしで、後宮に入れてしまいます。簡単にいえば息子から嫁候補を奪ったんです。まぁ、いずれにせよ玄宗と楊貴妃の世紀の愛のはじまりはじまり~です。

 

●ロマンチックです…かね…ってあれ?…でも、けっこう年離れてません?

 

○2人が出会った時、楊貴妃は27歳、玄宗は61歳でした。34歳差です。

 

●わおー!愛に年の差なんてなんとやらってやつですね!

 

○さてさて、玄宗は夜が明けても宮廷に出てこなくなります。お昼までずーっと楊貴妃とイチャイチャしてるんですよ!長安の近郊に華清池(かせいち)という温泉地があるんですが、2人はよくそこに遊びに行ったそうで、今でも有名な観光地になっている。ってわけで、出世したければ楊貴妃に取り入ればよい、そんなムードが漂ってきます。で、玄宗は楊貴妃のはとこである楊国忠を宰相に任命するんです。これには、他の有力者は納得いきません。そしてとうとう玄宗の晩年、唐を揺るがす大反乱が勃発してくるんだけど…長くなるので一回切ります!

 

 

 

☆センターチャレンジ

中国史上の女性をめぐる事柄について述べた文として正しいものを、次の①~④のうちから一つ選べ。[03 本試]

① 則天武后は、皇帝に即位し、国号を周と称した。

② 唐の玄宗は、楊貴妃を寵愛して黄巣の乱を招いた。

③ 東晋の王羲之は、宮廷女性への教訓を絵画化した「女史箴図」で知られている。

④ 太平天国は、女性に纏足を強制した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

正解は

 

 

◯さて、今日は唐とその隣接諸国について確認していこう!

 

●はい!確か、朝鮮半島を統一した新羅は、唐の言うことをなんでもきくと言ってましたよね!?ということは…冊封体制ですか??

 

◯その通り!渤海と新羅と南詔は、冊封関係の国です。これらは独立国ですが、唐との関係性で言えば君臣関係になる。じゃあまず、渤海から見ていこう!

 

●ちょうど朝鮮半島西北部の渤海湾あたりにできた国なんですね。

 

◯その通り。渤海[698年~926年]の建国者は大祚栄で、都は上京竜泉府。ここ、長安そっくりですよ。ちなみに民族は、ツングース系靺鞨人。高句麗と一緒のツングース系。ここから何が分かるかな?

 

●わかった!668年に滅ぼされた高句麗の遺民が逃げてきて、渤海を建国したんだ!

 

◯素晴らしい!その通りです。唐に倣って繁栄し“海東の盛国”と呼ばれていました。次は、雲南省にできた国、南詔[7世紀~902年]です。彼らはチベット=ビルマ系のロロ人。漢字を公用語にし、仏教を奨励するなどバリバリ唐文化を受容している。で、南詔が滅んだあと、ここに大理国[937~1254年]というのが登場するんだけど、これはタイ人の王朝なんだ。これがモンゴルの<フビライ>により滅亡させられると、南下してスコータイ朝をつくるから知っておこう。はい次!羈縻政策の国々ね!

 

●羈縻ってなんでしたっけ?

 

◯牛や馬をつなぎとめておくロープみたいなもの。つまり、ある程度の自由はあるけど管理されてるみたいな。自治が与えられているところってことね。これが、東突厥・西突厥とウイグルね。ウイグル[744年~840年]の宗教は、マニ教。この後起こる安史の乱では唐を援助したことも忘れちゃいけない。しかし、このウイグルも、キルギスの圧迫によって840年頃から四散していき、中央アジアでイスラーム化します。はい、じゃあ問題。この頃中央アジアで流行っていた宗教は??

 

●イスラーム教!

 

◯正解です。イスラーム教のことを回教と言うのは、ウイグル人のことを漢字で回紇と書くからなんですよ。以上!

 

●はい、先生!吐蕃とはどういう関係だったのですか?

 

◯吐蕃[7~9世紀]は、特別!ソンツェン゠ガンポにより、ラサを都に建てられた吐蕃は、全然唐の言うことを聞こうとしない。そこで2代太宗は、友好関係を築くべく、<文成公主>を降嫁させたんだったよね。

 

●文成公主ですね。

 

◯です。でも結局は、吐蕃との関係は一時的なもので、安史の乱の混乱に乗じて長安を占領したりしている。あとは、インド文字をもとにしたチベット文字や、大乗仏教に民間宗教のボン教を合わせたチベット仏教が誕生したことを覚えておけば、吐蕃はOK

 

●はい!

 

☆センターチャレンジ

次の文は、8世紀半ばの唐とその周辺諸国の状況を示している。正しいものを、下の①~④のうちから一つ選べ。

 

吐蕃は、唐と激しく対立したため、仏教の導入を拒否した。

南詔は、西方に進出してガズナ朝を滅ぼした。

ウイグルは、その後、キルギスに攻められて衰えた。

渤海は、骨品制と称される身分制度を施行した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

正解は