○さて、とうとう唐ですよ。

 

●とうとう唐!ウトウトしてたら!

 

○いや、ウトウトしてたんかーい!さて、唐の建国者は李淵(りえん)です。この人は隋の将軍で、煬帝とはいとこ同士でした。なので基本的に隋を継承しています!だから、土地制度は均田制だし、税制は租庸調制だし、軍制は府兵制。都も長安!

 

●隋の時代に大興城と呼ばれていた“new”長安が、正式に長安となったわけですね!

 

○そういうこと!高祖(李淵)については建国者だと覚えれば十分です!大事なのは2代の太宗!本名は李世民(りせいみん)と言って中国史上でもかなり上位の名君です。太宗の治世は、その元号から「貞観の治(じょうがんのち)」と呼ばれる!

 

●プリントには、律令格式の整備とありますが、律令ってなんですか?

 

○律令の“律”は刑法のこと、律令の“令”は民法や行政法のことを指します!さて、中央政府は、三省六部+御史台と覚えてください!三省ってのは、中書省(ちゅうしょしょう)、門下省(もんかしょう)、尚書省(しょうしょしょう)のことで、中書省は法令を起案する所。門下省は中書省から下りてきた法令を審査する所。もし門下省がNOと言えば、中書省に差し戻しです。門下省の審査を通った案は、尚書省によって実行部隊に移されます。御史台ってのは官吏の監視をする所ね。

 

●なるほど。それで尚書省の下に付いている実行部隊が六部ってわけか!

 

○その通り!

 

・吏部は官僚の人事

・戸部は戸籍や租税

・礼部は科挙や外交

・兵部は軍事

・刑部は司法

・工部は土木

 

を、それぞれ担当しています!ってわけで、三省の中では門下省が一番大きな力を持っているし、六部の中では吏部が最も力を持っている。唐でも科挙を実施しますが、科挙に合格してもここの官僚にはなれません!なれるのは名門貴族なんです。

 

●ふーん。言うて唐は貴族社会ってことなんですね!あ、もしかして、日本で“財務省”とか言うのもこの影響ですか?

 

○もちろん!当時の日本は遣唐使を派遣して、唐の律令国家体制を学んでいたんです。

 

●なるほどねー。

 

○はい!さて、地方はどうやって統治するかと言うと、毎度お馴染みの郡県制…なんですが、唐から呼び方がかわっています!“州県制”です!

 

●先生。『五経正義』とは何ですか?五経博士とは違うんですか?

 

○孔穎達の編纂した『五経正義』とは、五経の解説書のこと。五経は大丈夫?儒教において尊重される『易経』『書経』『詩経』『礼記』『春秋』のことね。

 

●つまりは、訓詁学の集大成ってっことですよね?

 

○そういうこと!あとは、東突厥を征服したことと…『大唐西域記』を著した玄奘がインド旅行をしたのも、この2代太宗の時代です。はい、じゃあ次!

 

●3代の高宗(こうそう)ですね!

 

○この高宗の時に、唐は最大領域になるんですが、唐の周辺諸民族に対する政策に「羈縻(きび)政策」というものがあります。羈縻というのは馬とか牛をつないでおくための紐のこと。つまり、自治は与えているけれど、独立はダメ。監督しているよ~ってことです。そして、監督している役所を都護府という。“厳しくないのが羈縻政策”なんです!

 

●自治は与えられているんですもんね!

 

○そう。さて、高宗ですが、660年に当時日本と協力関係にあった百済を滅ぼします。この後、663年に倭軍が百済を復活させるべく、援軍を送り込むも大敗を喫する。これを「白村江の戦い」と言う。そして668年には新羅と手を結んで高句麗も滅ぼします!なかなか倒せなかった高句麗を、高宗はようやく倒したのです!

 

●煬帝が3回も失敗した高句麗遠征を成功させたんですね!

 

○すごいでしょ!他にも、吐蕃に対して文成公主を降嫁させたりしています。ただね、実はこの高宗の奥さん…つまり皇后の方がもっと有名になるんだ!それが則天武后(そくてんぶこう)という人物!高宗が死ぬと、この則天武后が実権を握るようになり、なんと63才の時に即位するんですよ!

 

●女性皇帝の誕生ってことですか!?

 

○そう!では、中国史上唯一の女帝で“神聖皇帝”と呼ばれる則天武后のお話です!690年に63才で即位した彼女は、国名を“周(武周)”とします。しかし、北周、隋、唐を支配してきた今までの官僚層は非協力的。彼女はあくまでも個人的な美貌と才能だけで成り上がった人物ですからね!

 

●でも、優秀で忠実な官僚が居ないと、国を保つの辛くなりませんか?

 

○もちろん!そこで彼女は、ある官吏登用試験を全国的に実施するんです!

 

●わかった!科挙だ!

 

○その通り!科挙で採用された官僚たちは、バックグラウンドが無いから、則天武后のもとで一生懸命働くしか出世の道はない!というわけで、彼女の時代には新たな官僚たちが政権中枢部に登場してきます。

 

●なるほど~。あ、則天武后の最晩年には、息子の中宗が再び即位して国名も唐に戻るんですね!

 

○うん!ただ…その中宗が、また奥さん選びを間違えてしまったんです。

 

●またですか!?

 

○中宗の奥さんを、韋后(いこう)というんだけど…彼女、則天武后に憧れていた。則天武后は夫の高宗が死んでから皇帝になったけど…韋后はそれまで待てない。そしてとうとう中宗の食事に毒を盛り始めます。

 

●ひぃ!

 

○で、中宗は毒殺されてしまいました。ただ、これはさすがにやりすぎだった!中宗の甥の李隆基(りりゅうき)が兵士を率いて宮中に乗り込んできて、韋后らの一派を排除してしまいました!さて、この則天武后から韋后までの唐のゴタゴタを「武韋の禍(ぶいのか)」と呼びます(禍は“わざわい”という意味)。唐の宮廷を正常化した李隆基はやがて第6代皇帝となります。これが唐中期の繁栄をもたらした、あの有名な玄宗皇帝[位712756]でした。

 

●聞いたことあります!

 

○玄宗時代の繁栄は「開元の治(かいげんのち)」と呼ばれます。2代太宗の「貞観の治」と間違えないように!

 

●土地制度や税制度などは隋と変わりない感じですか?

 

○そうだね。ただ、均田制で土地をもらえるのは成年男子に限定されました。

 

 

 

☆センターチャレンジ

下の文章中の空欄に入れる語の組合せとして正しいものを、次の①~④のうちから一つ選べ。[13 本試]

中国の歴代王朝は、統治のため法の整備を心掛けた。秦の始皇帝は、法家のを登用して、全国統一と支配確立を進めた。唐代には律令が整備されたが、そのうち律は、今日のに相当する内容を主とする。

① ア-李斯 イ-民法

② ア-李斯 イ-刑法

③ ア-荀子 イ-民法

④ ア-荀子 イ-刑法

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

正解は

 

 

○小野妹子が男だって♪僕は今気付く♪勘違いだってディスティニー♪

 

●なんすか、その曲。

 

○え?知らないの?レキシの『妹子なぅ』だよ。

 

●いや、知らないでしょ。…あ、でも、いい曲かも。

 

○じゃあ今日はこの曲を聴きながら、小野妹子が訪れた“隋”について勉強していこう!さて、北周の外戚だった楊堅(ようけん)が帝位を譲り受け、建国したのが隋[581年~]です!

 

●あれ?隋の都が大興城(旧、長安の郊外)となっていますが、これってどういう意味ですか?

 

○これまでの長安の近くに、新たに建てた都が大興城です!つまりはNEW長安です。それが隋の時代には大興城と呼ばれていたわけです。次の唐の時代には、長安と呼ばれますよ。

 

●なるほど!

 

○さて、隋の建国者楊堅は、諡号では文帝です。隋で登場する皇帝は、この文帝と次の煬帝の2人だけなので、それぞれの皇帝の業績を追う形で、確認していきましょう!

 

●はい!

 

○まず、楊堅(文帝)は、581年に禅譲で即位した後、突厥を討伐します。突厥はこれで東西分裂ね。その勢いのまま589年、南朝最後の陳を征服して南北朝を統一。長かった分裂時代を終わらせて、中国再統一を果たしました。内政としては、598年に科挙を始めたことを覚えておいてください!

 

●科挙!聞いたことあります!官僚を選ぶための儒学の試験ですよね!

 

○その通り!とりあえず今はその知識だけで十分!以上、楊堅の業績でした!次は2代の煬帝!この人は楊堅の息子さんです。

 

●…あれ??先生ちょっと待ってください。漢字間違ってませんか?

 

○良いところに気付いたね!実はこの煬帝、本名は楊広というんですが、父親を殺して即位した上、いろいろと民衆を虐げたたために、“煬”という縁起の悪い漢字を付けられてしまったんです。また、煬帝の読みは「ようてい」ではなく「ようだい」ね。

 

●どんな風にしくじったんですか!?

 

○何といっても3度にわたる高句麗遠征の失敗。これが痛かった!(ちなみに、高句麗を征服したのは唐の3代の高宗)。他にも大運河の開削工事で、たくさんの人員を徴発し…まぁ戦争やら土木工事やらで、人々はくったくったになったんですよ。

 

●それで、各地で反乱が起きて618年に隋滅亡…ということですね。

 

○その通り。ただ運河に関しては、それまで中国に無かった南北を繋ぐ経済の大動脈として以後の社会には欠かせないものとなります。この後の唐の繁栄は、この運河のおかげといっても過言じゃない!

 

●そうですよね。中国って東西には大河が流れてるけど、南北には無いですもんね!ちなみにこれ5本全部覚えた方が良いんですか…?

 

○覚えるにこしたことはないんだけど…強いて言うなら黄河~涿郡を結んだ永済渠が頻出かな。涿郡ってのは今の北京で、ここから高句麗を攻めるために、武器や食糧を運ぶ必要があったんだね。

 

●でも、そこまでしても結局、高句麗遠征は失敗しちゃうんですもんね…

 

○そう。さて、618年に隋の将軍だった李淵によって建国されたのが唐です。って…あっという間に隋が滅んじゃったけど、ちょっとだけ時間を巻き戻して遣隋使の話をしておこう!607年、小野妹子が遣隋使として中国に渡った時の皇帝が煬帝ね。実はこの時、煬帝は国書のある文章を読んで激おこしちゃうんだけど…国書になんて書いてあったか知ってる?

 

●中学で勉強しました!確か「日出処天子至書日没処天子…」ですよね!?それで、「日が没するところとは何事だー!」みたいな。

 

○おぉ!素晴らしい!でもそれじゃ中学生レベルだ。みんなは“世界史選択者”として、レベルアップを目指そう。煬帝が怒った理由として、当時中国皇帝にしか使用されていなかった「天子」という言葉を、日本も使ったことがある。中華思想からすれば、周辺民族は中国よりも下。あくまでも中国を慕ってやってくる存在でなければならないんです。同格扱いなんて有り得ない!

 

●…でも先生。そもそも、「日が沈む」とか「日が昇る」って、東西を意識しているわけですよね?それって、その中間に居る人間から見た視点ってことになりませんか?もしかしてこの文章、倭国と隋のあいだに居た人物が考えたんじゃないですか??例えば…高句麗が、倭国と隋の挟み撃ちを避けるため、とか!

 

○わずか数行の国書から、当時の国際関係が読みとれるなんて面白いよね!

 

●ですね!

 

○じゃ、最後に隋の制度を見ておしまいにしよう!北魏時代から徐々に整備されてきた国家制度が隋の時代に実を結んだと考えてね。

 

●はい!

 

○均田制によって国から土地を支給される農民を均田農民といいます。均田農民は土地を支給されるかわりに、国家に租庸調を納める。租は穀物、庸は労働力(一年のうち一定期間政府に労働奉仕)、調は特産物。さらに均田農民には兵役がある。均田農民によって編成される兵制を府兵制と言います!ただし、徴兵されれば租庸調は免除!というわけで、均田制と租庸調制・府兵制はセットで実施される制度です。これによって、王朝は豪族に頼ることなく、直接農民を把握し、軍事力を手に入れることができたわけです!

 

●なるほど!セットで覚えろってことですね!

 

○あ、そろそろ『妹子なぅ』が終わる!…踊ろう~妹子が男だって♪泣いたりはしない♪

 

●…あれ…そういえばこの曲…似ている曲があるような気がする…

 

○勘違いだって♪

 

 

Journey to the star(^^

 

 

●わかった!ゴダイゴの『銀河鉄道999』だ!

 

 

☆センターチャレンジ

隋・唐の王朝について述べた文として正しいものを、次の①~④のうちから一つ選べ。[05 本試]

 

① 隋は、南朝の宋を滅ぼし、中国を統一した。

② 隋・唐は、高句麗へ遠征軍を派遣した。

③ 隋・唐は、軍事機密を保持するために軍機処を設置した。

④ 唐は、新法党と旧法党の対立によって衰退した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

正解は

 

○さて、今日のテーマは朝鮮半島です。

 

●ちょっとだけ出てきてましたよね。衛氏朝鮮を前漢の武帝が前108年に征服して、そこに朝鮮4郡を置いたとか!…あれ、なんでしたっけ?新歯のレントゲン??

 

○「新歯のレントゲン撮るの楽だろう」ね!真番・臨屯・玄菟・楽浪の4つの郡。特に楽浪郡は位置まで覚えておきましょう!で、そのすぐ後の前1世紀には、朝鮮半島の北方に高句麗という国が生まれます。とりあえず先に高句麗だけ見ちゃいましょう。

 

●こうくり………こっくり…zzZ

 

◯いや、起きて!高句麗は、ツングース系の民族によって丸都を都に建国されました。313年にはさっき出てきた楽浪郡を征服し、拡大。そして4~5世紀にかけて、広開土王(=好太王)の時に全盛期を迎えます!

 

●あ、知ってるかも。百済と倭の連合軍を、2回も追い払ったんですよね!

 

◯その通り!そして、彼の業績が刻まれているのが広開土王の碑です。とりあえず高句麗はこのへんまで。

 

●話を戻しましょう。

 

◯後漢の時代、楽浪郡の南部に帯方郡というものができます。そして3世紀頃、朝鮮半島南部は“三韓”に分かれています。

 

●三韓??

 

◯馬韓と辰韓と弁韓です!これらは全て韓族ですが、方言によって分かれています。馬韓を統一したのが百済、都は漢城(現:ソウル)。辰韓を統一したのが新羅。そして弁韓には統一国家が現れなかったので、加耶諸国があったと覚えておきましょう。

 

●覚えるの大変…

 

◯いや、新羅はしんだろ?辰もしん。ほら覚えた。こっちは、百済だろ?で、馬だから…これはもうどうしようもないな。「ばかはくだらない」とでも覚えておこうか。

 

●ばかはくだらない…

 

◯ちなみに日本に仏教を伝えたのはこの百済ね!538年のこと!で、日本では高句麗・百済・新羅の三国を指して4~7世紀を朝鮮半島の三国時代と呼んでいる。加耶は入ってないから注意。さて、もともと日本は加耶と手を組んでいた。でも、その加耶が562年に新羅によって倒されたので、日本は百済と手を組んだ。しかし、その百済も新羅と唐の<高宗>の連合軍によって660年に倒されてしまう。日本は百済を再興すべく、水軍を送り込んで戦うんだけど…結局負けちゃうんだよね。

 

●あ!中学校で習いました!663年、白村江の戦いだ!

 

◯それです。で、ここでちょっと予習。中国は隋の時代に高句麗を攻めていた。隋の煬帝は3回せめて全部失敗。唐の太宗も2回攻めている。計5回攻めているけど勝てない。挟み撃ちにしないと勝てないんだよ。そこで高宗は、新羅を結んで668年、ようやく高句麗を征服します。と…何を思ったか、ここで新羅が唐を裏切っちゃうんですよ。突然唐の安東都護府を攻めて、もともと平壌にあった都護府を遼東まで押し出すんだ。これにより、676年、朝鮮半島は新羅が統一したことになる。

 

●どうして新羅は唐を裏切ったんですか?

 

◯だって、このまま手を組んでいても国力の差からいって唐に半島を取られるのは目に見えてるもん。それなら先に唐を不意打ちして、朝鮮半島を確保しとこうってわけ。

 

●いやでも、そんなことしたら唐は怒って攻めてくるでしょ。

 

◯だから新羅の国王は、この一件の後、すぐ謝りに行くんです。突然うちの若い連中が攻めたてて申し訳なかった。これ、お詫びの品です(お詫びの品ズラーッ)。今後は、あなたの家臣として、言うことを何でも聞きます。朝貢いたします。だから、朝鮮半島は、任せてください!って。

 

●なんかうまいですね。家臣になるって言われたら、許すしかないですよ。

 

◯こういう関係のことを冊封体制といいます。詳しくはまた後で。さて、新羅の都は金城(慶州)。仏教国です。仏国寺とか石窟庵があります。骨品制というのは、苗字で身分が決まる制度。難しく言うと血縁的身分制度だね。以上!

 

☆チャレンジ問題

 

前漢の武帝が建てた楽浪郡を、4世紀に滅ぼして朝鮮半島北部を支配した国を何というか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

正解は

 

 

 

高句麗

 

○青春かぁ…

 

●いや!どうしたんすか、いきなり!

 

○…スキターーーーーイ!!!!!!!!!!(夕陽に向かって)

 

●え…?何!?博多弁!?え!?

 

○と、いうわけで今日は遊牧民のお話です。

 

●切りかえた!

 

○遊牧民が活躍するのは内陸アジア。東はモンゴル高原、西はカスピ海、南はヒンドゥークシュ山脈、北はシベリア南部に至る広大な乾燥地帯です。そこで遊牧生活を行っているのが遊牧民。馬に乗っていれば騎馬遊牧民。

 

●どんな生活をしてるんですか?

 

○家畜の飼育に適した環境を求めて、季節ごとに移動するのが特徴です。そのため、移動に便利なテント式の住居(ゲルとか、パオとか)に住んでいる。家畜と言えば羊、山羊、馬、牛、ラクダが主で、衣類、食料、住居のあらゆるものを家畜に依存している。

 

●なるほど。家畜こそが財産なんですね!

 

○そう。基本的には血縁的集団が重視されるけど、必要に応じて大きな集団を作ったり、解散したりする。そういう意味では、我々よりもドライに感じるかもしれない。

 

●確かに。僕は家畜をさばけませんし…ってまぁ、魚もさばけないけど。

 

○ちなみに彼らが移動する道を「草原の道」(=ステップ゠ルート)という。これは覚えておこう!で、最初に国を作った遊牧民がスキタイだ!

 

●出た!スキタイ!博多弁じゃなかったんですね!

 

○スキタイは、紀元前6世紀頃に南ロシアに国家を形成するんだけど、何といっても動物文様の武具や日用品の美しさには感動するよ!ここは、ギリシア植民市とも交易を行ってました。

 

●で、そんなスキタイの影響を受けたのが匈奴ですね!

 

○そうです!前200年には、白登山の戦いで匈奴の君主<冒頓単于>が、前漢の<高祖>を倒して、捕虜にしている。一方西では月氏を倒して、西走させちゃうし、もう最強!

 

●そんな匈奴を倒そうとしたのが<張騫>でしたよね!?

 

○そう!<武帝>の命令で大月氏のところに行くんだけど…って話は前漢のところでしたね。実は張騫ってこの後、烏孫にも派遣されるんだけど、こっちはきっちりと交渉を成立させました。

 

●遊牧民ってまったく穀物とか食べないんですか??

 

○そんなことはない!実は内陸アジアには、雪解け水とか地下水を利用できるオアシスも点在してるんだ。そういうところでは、灌漑農業を営むオアシス民が生活している!

 

●なるほど。じゃあ、遊牧民にとってオアシスの農耕民との交易による物資の調達は重要だったわけですね。

 

○ですね。時としてそれは略奪行為に及ぶこともありました。交易と略奪の境界はあいまいだね。ちなみに、ラクダを引き連れた隊商が往来するルートを「オアシスの道」といいます。ただしこのルート…よく見てみると…

 

●あれ?これってシルク゠ロードですよね!?

 

○その通り!19世紀にドイツの地理学者<リヒトホーフェン>が名付けた、あの「シルク゠ロード」なんです。

 

●世界にはいろいろな暮らしをしている人たちがいるんですね。

 

○でもなぜか、遊牧民は何かあると必ず西へ移動する。分裂しても、征服されても、西へ移動して復活する…どうして西へ移動するんだと思う?

 

●んー…なんででしょう?

 

○西へ沈んでいく太陽を、追いかけているからさ!

 

●青春や!!!

 

 

 

 

☆チャレンジ問題

前6世紀に台頭し、国家を築いた騎馬遊牧民として正しいものを、次のうちから一つ選べ。

① 突厥

② スキタイ

③ 匈奴

④ 月氏

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

正解は

 

●最近寒いですよね。

 

○ホント。日が暮れるのもあっという間だよね。

 

●先生、いつもYシャツですけど、寒くないんですか?

 

○寒いよ。

 

●え。じゃあ何で上着きないんですか?

 

○うーん。袖があるのが嫌なんだよね。

 

●変わってますね。風邪ひかないでください。

 

○ありがとう。というわけで、今日は魏晋南北朝時代の文化です!南朝と北朝に分けて勉強していきましょう。まずは、北朝の仏教から!西域の亀茲(クチャ)という場所から有名な僧が2人やってくる。一人は仏図澄(ぶっとちょう)。華北仏教の確立に貢献します!もう一人が鳩摩羅什(くまらじゅう)。この人は仏典を漢訳しました!

 

●インドからやってきた僧は居ないんですか?

 

○居ます!達磨(だるま)です!あのダルマのモデルになったと言われている人!業績としては、中国禅宗の祖とおさえておこう!

 

●じゃあ逆に、中国からインドへ渡った人は?

 

○東晋の時代、法顕という人が仏教を勉強しに行っている。ちなみにこの時のインドはグプタ朝ね。出会った王はチャンドラグプタ2世(=超日王)。ただ、法顕が訪れた時には、まだナーランダー僧院はできてませんよ!あと、仏教関係でもうひとつ!三大石窟寺院の名前と場所を覚えておこう!

 

●石窟寺院?アジャンター石窟みたいなのが中国にもできたんですか!

 

○そうです!莫高窟(ばっこうくつ)[敦煌]、雲崗石窟(うんこうせっくつ)[平城]、竜門石窟(りゅうもんせっくつ)[洛陽]の3つです。

 

●ちょっと待ってください…いきなり覚えろったって無理ですって…

 

○仕方ないなぁ…前に、武帝の時代にトン子が懲役になってたよね?そのトン子がいよいよ懲役から解放されます!解放されたトン子は嬉しくて、できたばかりの竜門石窟へ行きたい!と思う。さて、何で行こうか?よし、バスで行こう!バスは平常運行している!…はい!!!

 

“カムバックトン子、平常運行で、竜門行くの楽よ”

 

●すごい!…のか

 

○いいの!ゴロはリズム!!!

 

●はい…

 

○あと、北魏の実用学問として、『水経注』と『斉民要術』をおさえておこう。『水経注』は、河川を中心にした地理書!『斉民要術』は、賈思勰(かしきょう)が書いた現存する中国最古の農業技術書!はい、おしまい!

 

●名前が難しい人が多くて大変ですね…

 

○続いて南朝(六朝)!文化の担い手は中国人貴族です!北方から南方へ、戦乱を逃れてきた貴族たちです。彼らのキーワードは“逸民”

 

●いつみん?何かから逃れてるってことですか?

 

○その通り!どろどろした政治の世界から一歩身をひいて、道徳にとらわれず精神的な自由を守ろう!というのが逸民です。悪く言えば、現実逃避です。で、儒家の代わりに人気が出てきたのが道家の老荘思想!その老荘思想に基づく議論を「清談」といいます。とくに清談で有名になった貴族が七人いて、「竹林の七賢(ちくりんのしちけん)」という。阮籍(げきせき)と嵆康(けいこう)だけ覚えればじゅうぶんですが!

 

●そして北魏の時代に儒教に代わって道教が国教化されるんですね!

 

○そうです!道教の大成者は北魏の寇謙之(こうけんし)!道観という道教の寺院をつくって教団を確立しました!ちょうど太武帝の時です!

 

●なるほど。寇謙之は、道教に“貢献し”たというわけですね!

 

○うまい!はい、じゃ次は代表的な文化人と作品を見ていこう!まずは本当に良く出る“東晋三大文化人”

 

詩…陶潜(とうせん)[東晋]

 「帰去来辞(ききょらいのじ)」という詩が有名。「帰りなん、いざ」という一文ではじまる詩で、役人を辞めて田舎に帰るときに作った詩。当時の貴族の逸民的な雰囲気が伝わってくる。

 

絵画…顧愷之(こがいし)[東晋]

 この人も貴族。“画聖”と呼ばれる。代表作は「女史箴図(じょししんず)」。

 

書道…王羲之(おうぎし)[東晋]

 この人も貴族。“書聖”と呼ばれる。代表作は「蘭亭序(らんていじょ)」。

 

●みんな名前が難しいですね…けど、王羲之は知ってます!書道をやってた時によく目にしました!

 

○そうそう。今でもお手本になるのが王羲之の書なんですよね。さて、じゃあ東晋以外の文化人も見ていこう!

 

詩…謝霊運(しゃれいうん)[宋]

 政府の官僚だったが、左遷され、田舎に飛ばされます。そこで美しい自然に心を癒され、山水詩を残しました。

 

詩文集…昭明太子(しょうめいたいし)[梁]

梁の王子です。この人が編集した本が「文選(もんぜん)」。古今の名文を集めたもので、貴族たちが文章を書く時の参考となりました。

 

歴史…陳寿(ちんじゅ)[西晋]

  「三国志」

 

歴史…范曄(はんよう)[宋]

「後漢書」

 

以上!

 

 

 

☆センターチャレンジ

次の地図は魏晋南北朝時代の思想・宗教・文化の中心であった都市を示している。これらの都市について述べた文として正しいものを、下の①~④のうちから一つ選べ。[01 追試]

 

魏晋南北朝時代の文化

 

① aの都市は仏教伝来の窓口になり、ここに竜門の石窟が造られた。

② 北魏の孝文帝は、中国文化を取り入れるために、bの都市に遷都した。

③ cの都市では、書家として有名な王羲之が盛んに活動した。

④ dの都市を都とした梁の時代に、『文選』が編纂された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

正解は