○胡麻、胡椒、胡桃、胡瓜…はい、これ全部読めますか!?

 

●楽勝です。ごま、こしょう、くるみ、きゅうりですね。あれ、全部“胡”っていう漢字が使われているー。

 

○その通り!もともと“胡”は、漢民族が中国の北部や西部の異民族を呼ぶ時に使った字なんだ!

 

●なるほど!だから五胡十六国時代[304~439年]なんですね!…え!?もしかして十六国全部暗記ですか!?

 

○さすがにそれはないから大丈夫!五胡の異民族は全部暗記だったけど、覚える国は2つだけ!ちなみに、十六国の中にはちゃっかり漢民族の国も3つ混ざってます。

 

●えっと、五胡は…北から匈奴、羯、鮮卑で、西から氐、羌でしたよね!?

 

○そう!そのうち匈奴が建てたのが漢という国。漢は、316年、劉聡の時に西晋を滅ぼします!(その後、前趙と名前を変える)。そして氐が建てた前秦。これは3代皇帝の苻堅の時に一時華北を統一します!だけど、南下の途中、淝水の戦いで東晋の謝玄に敗北してまたバラバラになってしまいました…。

 

●やはり、中国全土の統一は難しいのですね。

 

○さて、いつになったら華北の再統一かというと…439年!これは鮮卑族によってです!“北魏”という国ができます!ってわけでここから中国の南北朝時代がスタートです!

 

●えっと…北と南で、それぞれ王朝が交代していく時代…ってことですよね!?頭がごちゃごちゃになりそう…

 

○よしっ!じゃあまず北からいこう!北は今言ったように、鮮卑族によって北魏が建国される!建国者は拓跋珪さん。いかにも鮮卑族って感じの名前だね!皇帝としての名は道武帝です。都は平城。次に出てくるのが3代の太武帝!この人の時に華北の五胡十六国を統一しました[439年]。あと、道教を国教化し、廃仏を行いました。いわゆる“三武一宗の法難”ってやつです!

 

●あれれ?次の6代皇帝の孝文帝、都を平城から洛陽に遷していますね!?なんでですか!?

 

○郷に入っては郷に従え。だよ。

 

●え?どういうことです?

 

○いくら鮮卑族が華北を統一した!って言っても、支配される側の漢民族の方が圧倒的に数が多い。例えるなら、お風呂の湯船の中によだれをだらー…っと一滴垂らしてしまったくらいのもん。じゃあ、どうやって大多数の漢民族を支配するか…そう。郷に入っては…?

 

●郷ひろみ。

 

○ジャパーーーン!

 

●すいません。

 

○本当だよ!まぁいいや。で、孝文帝は“漢化政策”を実行します。例えば、土地を均等に配分する均田制!そして村落制度である三長制!他にも胡語や胡服を禁止して、鮮卑風を無くそうとするんです。でも、これによって鮮卑は弱体化が進むことになります。

 

●そりゃそうですよね。らしさが無くなっちゃうんですもんね。

 

○というわけで534年!北魏は内紛によって西魏と東魏に分裂しちゃいます!さらに、西魏は北周に、そして東魏は北斉へと変わります!その後は北周と北斉が戦って…最終的に北周が勝ちます。そんな矢先、北周の外戚が下剋上で即位します。そして生まれたのがみんなご存知隋[581年~]なのです!この隋が589年に南北統一を果たすのです!

 

●おぉ!なるほど!遣隋使の隋ですね!

 

○そうそう!じゃ次は南の話!南朝[420~589年]です。南は、都を同じ健康に置いた4つの国のバトンリレーです!順番に宋➡斉➡梁➡陳です。で、さっきも言ったけど、陳が589年に北魏によって統一されて南北朝時代終了です。ちなみに、江南地方の新田が開発されて、門閥貴族による大土地所有が始まったのはちょうどこの頃です!はい!おしまい!

 

●あれ?先生…プリントに”六朝”って書いてあるんですけど、これってなんですか?宋➡斉➡梁➡陳だと4つしか無いんですけど…。

 

○六朝(りくちょう)ってのは、建康(建業)に都をおいた、三国時代の呉、さらに東晋、そして南朝の宋・斉・梁・陳の総称なんだ。文化の話もすると、有名な人が3人出てくる。これ、みんな東晋の人です。陶淵明は詩。王羲之は書道。顧愷之は画です。詳しくは文化のところでおさらいしましょう!

 

 

☆センターチャレンジ

北魏について述べた文として正しいものを、次の①~④のうちから一つ選べ。[02 追試]

 

① 匈奴によって建てられ、五胡十六国時代の先駆となった。

② 女真によって建てられ、華北を統一した。

③ 占田・課田法を施行して、大土地所有を制限した。

④ 内部の争いによって、東魏と西魏とに分裂した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

正解は

 

 

○さて、今日はまず三国時代[220~280年]です!中国が魏・蜀・呉の三国で分割されているから三国時代ね!

 

●なるほど!よく聞く三国志!

 

○まずは、それぞれの都と建国者を確認!

 

魏…都)洛陽 建国者)曹丕

蜀…都)成都 建国者)劉備

呉…都)建業 建国者)孫権

 

でね、三国時代ってのは主に魏と蜀の戦いなんです。例えば234年の五丈原の戦い。これ、魏の宰相である司馬仲達vs蜀の宰相である諸葛孔明のバトルです!で、この諸葛孔明が天才なんですよー。うかつに攻められないんです。ってことで兵糧攻めにしていたら、いつの間にか城壁の中に田んぼつくっちゃったりもするんです。ね、変態でしょ?

 

●いや天才でしょ!でも、ちょっとだけ聞いたことあります!「死せる孔明、生ける仲達を走らす。」って言葉ありますよね?

 

○よく知ってるね!結局孔明は病気で死んじゃうんだけど、それでライバルの仲達は「よし!これで心置きなく攻められる!」って思ったら、いつの間にか死んだはずの孔明が後ろに立ってるんです!「しまったぁぁぁ罠だったのかぁ!!!」みたいなね。それで仲達は引き返すんです。まぁ結局マネキン立ててあるだけだったんですけど。でもまぁ結局263年、魏が蜀に勝ちます。このまま魏が呉を滅ぼすだろうな~…って思っていた矢先、なんと魏で下剋上が起きます!No.2だった司馬炎がトップにたって晋(西晋)建国です!265年のこと。王朝が入れ替わっただけだから、都はそのまま洛陽だし、制度も魏のままです。ただ勢いはあります!よって、280年に晋(西晋)が呉を征服して、これにて三国時代終了です!

 

●流れは意外とさっぱりしてるんですね!

 

○そう!あとは、魏の文化や制度がよく出題されるから、そこを確認しておこう!まず、魏では清談が流行します!清談というのは、老荘思想に基づく会話のこと。つまり、相手のことを敬わず、あるがままに会話をするってこと。…よくわかんないよね。これをできる人が中国には7人居て、それを“竹林の七賢”と言う。ただ、入試に出てくるのは阮籍と嵆康の2人くらい!

 

●屯田制ってのはなんですか?

 

○後漢末の戦乱で荒廃した土地に、流民を募って入植させて、普段は耕作をさせて、戦時には軍隊として編成する制度のこと!魏で本格化しています!

 

●じゃあ九品中正ってのは?プリントには官吏登用制度って書いてありますけど…

 

○そうそう。優秀な人材を田舎から発掘してきましょう!ってやつです。中正官と呼ばれる地方役人が通信簿を付けて、中央に推薦するんですよ。…ただこれって結局地方の有力豪族が中央官職を独占するってことなるんですけどね。いくらでもワイロができちゃうから…。

 

●ですよね。裕福な家柄に生まれれば自ずと評価は高くなるし、貧しい家に生まれれば、低くなっちゃいます。

 

○それを「上品に寒門なく、下品に勢族なし」と言います!西晋の時代の言葉です。ぜひ覚えておこう!

 

●あ、それでこれから西晋はどうなっていくんですか??

 

○話を戻そう。西晋の都は魏から変わらず洛陽。建国者は司馬炎。税制は、戸調式+占田・課田法。これは良いんだけど、地方の統治に関してね、西晋はやらかしちゃうんです。なんと、封建制をとったんです!

 

●え!?封建制をやったら地方で諸侯が反乱を起こしますよね!?周の戦国時代もそうだし、前漢の呉楚七国の乱もそうだったし…。歴史の勉強不足じゃないっすか!

 

○そうなんだよ。で、まさにそうなる!290年、八王の乱の勃発です。この八王ってのがまさに諸侯なんです。しかも厄介なことに、この時諸侯は遊牧民族にお願いをして、この戦闘に協力してもらうんですね。これがきっかけとなって、中国内に異民族がぞくぞくと侵入してくることになる…

 

●なんと!

 

○北方系から匈奴、羯、鮮卑。そしてチベット系の氐と羌です。全部合わせて5つの異民族が侵入してきたので、これを五胡と言います。そして五胡が各地に総計16個の国を建てたので、この時代を五胡十六国時代[304~439年]と言います!

 

●と言うことは、311年~起きた永嘉の乱というのは異民族による反乱ってことですか?

 

○そういうこと!匈奴が西晋の都である洛陽を攻撃し、316年に西晋を滅ぼした戦いを永嘉の乱というわけです!

 

●西晋の人たちはどうなっちゃうんです!?

 

○とりあえず、逃げます。約100万人が1年かけて南へ逃げた。そして新たに建康を都として、317年に東晋を建国!ただ、誰がどこへやって来たのかはっきりわからない。わからないと税がとれない!さぁどうするか…戸籍を作ります。それを土断法と言う!以降、南側はずーっと漢民族の王朝です。

 

●なるほど~。北が五胡十六時代[304年~]で、南は東晋[317年~]というわけですね!

 

○そういうこと!次回に続くよ!

 

☆センターチャレンジ

 

2世紀後半から3世紀に起こった出来事について述べた次の文acが、年代の古いものから順に正しく配列されているものを、下の①~⑥のうちから一つ選べ。[12 追試]

a 晋が呉を滅ぼした。

b 党錮の禁が起こった。

c 九品中正(九品官人法)の制度が創始された。

abc

acb

bac

bca

cab

cba

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

正解は

 

 

○武帝の死後、前漢の政治は乱れ、宮廷では権力闘争が盛んになります。その主役は外戚でした。そしてとうとう外戚の王莽(大じゃなく犬ね)さんが皇帝になるんです。それが新[8~23年]!

 

●また新かよ!あ、でも漢字が違う!

 

○都は前漢と変わらず長安です。ただ、この新。“新しい”って書くくせに、理想としたのは西周の時代。

 

●え!?西周!?もう1000年も前じゃないっすか!

 

○そうなんだよ。今の日本で言ったら「はい、じゃあ明日から平安時代のような暮らしをしましょーね!」って言ってるようなもの。明らかに現実離れしてるんです。しかも、ここの家とここの家は相性が悪いから引っ越しなさいとか言われる。で、結局農民の反乱が起こり、たった15年で幕を閉じます。

 

●18年~27年の赤眉の乱ですね!でもなんでまた眉毛を赤く染めたんです?

 

○赤ってのは漢王朝のカラーなんです!つまり、もう一度漢の復興を!ってこと。先導したのは農民でした。

 

●なるほど。それで再び漢になったから後漢[25~220年]というわけですね!建国者は劉秀さんか。あ、やっぱり劉さんですね!

 

○そうそう。ただ、この後漢っていうのは、豪族をリーダーとした豪族たちの協力で成り立つ豪族連合政権だから皇帝の力は強くない。さぁ、後漢の歴史を見ていこう!

 

●あ、この金ぴかの印鑑みたいなの中学校の時に資料集で見たことあります!金印…でしたっけ?

 

○そう金印!これは57年に光武帝が「漢委奴国王」に授けたものだという記録が『後漢書』に残されているよ。さて、西に目を向けると91年、和帝という皇帝の時に班超という人物が西域都護に任命されている。西域都護っていうのは読んで字のごとく西域の運営を任されている人のこと。で、この班超は大秦へ向けて、甘英という人物を派遣するんだ。97年のこと!でも、結局甘英はパルティアの人に「今ローマは荒れているから行かない方がいいよー航海も危険だしね!」みたいなことを言われてUターンしてきちゃう。これ、明らかにおかしいよね?

 

●え?…あ!97年って言ったら五賢帝の時代[96~180年]が始まったばかりじゃないですか!?ってことはローマは平和だったはず!パルティアの使者は嘘ついてますよ!

 

○そうなんだ!嘘をついた理由は、後漢とローマが、マリン゠ルートを使って直接交易するのを避けるためだったとか、まぁいろいろ言われています!あ、ちなみに班超のお兄さんは班固って言うんだけど、『漢書』という前漢の歴史書を書き残した人。

 

●はい先生!ローマから中国へやって来た人は居ないんですか?

 

○居るよ!166年、大秦王安敦の使者が最南端の日南郡へやってきたという記録が残されているんだ!しっかり覚えておこう!さて!そんな矢先“党錮の禁”が起きる!166年と169年の2回ね!

 

●党錮の禁ってなんですか?

 

○宦官が、儒学者官僚を政界から追放した事件のこと!宦官ってのは、去勢された男性のこと。で、追放された官僚はどこへ行くかって言うと…もともと彼らは地方の豪族出身だから、当然地方へ帰っていく。で、地方で土地を独占するんですよ。そうすると地方の農民は、小作人や奴隷になって生活が苦しくなっていく。で、反乱が起こる。それが184年に起きた黄巾の乱!張角という人が指導する太平道という秘密結社が起こした反乱だよ!

 

●なるほど。漢を打倒するから今度は黄色なんですね!

 

○その通り!で、結局この乱は地方の豪族たちによって鎮圧されるんだけど、このことで地方の豪族がますます台頭してくるようになる!

 

●おっ!いよいよ三国時代の幕開けですね!

 

○ですね!とりあえず今日は208年の赤壁の戦いだけ覚えてください!曹操vs劉備・孫権連合軍の戦いです!華北を支配していた曹操が勝ってそのまま天下統一かと思われていたんだけど、この赤壁の戦いで劉備と孫権の連合軍が奇跡的に勝利するんです。そして天下は完全に3分!

 

●で、曹操の子の曹丕が220年に魏を建国して、とりあえずここで後漢は滅亡…ってことですね!

 

 

☆センターチャレンジ

 

後漢の衰退・滅亡について述べた文として誤っているものを、次の①~④のうちから一つ選べ。

① 党錮の禁が起こり、内政が混乱した。

② 曹操が、後漢王朝の実権を握った。

③ 諸侯が、呉楚七国の乱を起こした。

④ 宗教結社の太平道が、黄巾の乱を起こした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

正解は

 

 

 

 

◯さてさて、項羽と劉邦によって秦が滅んだのが前206年。前漢が建国されたのが前202年。つまり、4年間は項羽と劉邦のどっちが新たな皇帝になるか争っていたというわけです。その最終決戦を“垓下の戦い”と言う。勝ったのは農民出身の劉邦。ちなみに項羽の最期は“四面楚歌”という故事で有名です!

 

●で、劉邦が建てたのが前漢[前202年~後8年]ですね!都は長安!

 

○さて、高祖(=劉邦)は、それまでの西周と秦の地方行政制度をMIXします!それが郡国制!「近くは厳しい郡県制。遠くはおまかせ封建制。」と覚えてください!さて、高祖ですが、白登山の戦いで匈奴の冒頓単于という人に負けています。しかも捕虜になって身代金で解放…。

 

●次に覚えなきゃいけないのは6代景帝ですか?

 

○そうだね!景帝は諸侯の領土を削減しようとした!そしたら諸侯が怒って反乱を起こした。これを呉楚七国の乱[前154年]と言います!

 

●やっぱり「地方はおまかせ~」なんてやってると諸侯が自立してくるんですね。西周の時と同じや!

 

○その通り!で、いよいよ7代武帝[前141~前87年]の登場です!いよいよ前漢の華ひらく~。この人の業績は入試頻出だよ!

 

●内政と外征に分けておさえた方が良さそうですね!

 

○そうだね。じゃあさっそく内政から。まず、郡国制をやめて、全土を郡県制にします!これは呉楚七国の乱がきっかけだね!こうして武帝による中央集権化が始まるわけ。ただ、じゃあ中央に有能な人材が集中しているかっていうとそんなこともなくて、地方にも泥をかぶったジャガイモみたいに、才能があるけど埋もれてる人材がたくさんいるんです!そんな有能な人材を登用するための制度として「郷挙里選」という制度を始めます!

 

●選挙…って字が入ってますね!投票して、地方で有能な人材を決めるってことですか?

 

○違うんだ!選挙という言葉に惑わされないように!郷挙里選は、地方長官が一押しする人物を、中央へ推薦する制度のこと。だからのちのちワイロが横行してくるんだな…。

 

●はい先生!プリントにある「儒学の官学化」ってのも、中央集権化の一つですか?ほら、儒学って「目上の人を敬いましょう」って考え方があるから、それって皇帝として都合が良いですよね?

 

○するどいね!まさにその通り!ただし、いきなり「儒学を国の学問にします!」なんて言っても、それを教える人が居ないと広まらないよね。というわけで、董仲舒という人の献策によって儒学を教えるための役職が設けられます。それが“五経博士”!

 

●なるほど。ここまで完璧です!残りの内政をお願いします!

 

○内政は、外征による財政難を克服するために行われたものが多い!具体的には、塩・鉄・酒などの生活必需品の政府による専売制。半両銭に代わる五銖銭の鋳造。均輸法・平準法の制定。

 

●ん?均輸法と平準法ってなんですか??

 

○理屈は簡単!中国は広いから、場所によって作物も豊作だったり不作だったりする。そんな時に政府がたくさんあるところへ行き、安い値段で買い付けて、それを無いところへ運んでいって買った値段より高く売る。そうすると政府にお金が入るでしょ??

 

●つまり、あるところから無いところへ…ってことですね!じゃあ平準法は??

 

○それを時間軸に換えるだけ!たくさんある時に政府が買っておいて、無い時に売るんです。ね。簡単でしょ?

 

●はい。理屈は簡単ですけど、やるには情報収集が必要ですよね。それだけ中央へ色んな情報が集まっていたってことだろうなぁ…。

 

○その通り。ってわけで内政おしまい!次は外征!まず、前139年に張騫を遊牧民族である大月氏のもとへ派遣します!なんでか分かる??ヒントは地図!

 

●地図…あ!わかった!匈奴を挟み撃ちにするために「一緒に闘おうよ!」って交渉しに行ったんじゃないですか!?

 

○正解!で、張騫は意気揚々と大月氏のもとへ向かう…んだけど………途中で匈奴に見つかって捕まっちゃう。

 

●え!?バカなの!?

 

○結局張騫は10年以上匈奴の中で生活するんだ。奥さんももらうし、子どももできる。でも張騫が偉かったのは、10年経ったにも関わらず、

 

「そうだ。大月氏のとこ行かなきゃ。」

 

という任務を忘れなかったこと。だいぶ遅れたけど大月氏のもとへ向かいます。で、交渉の結果、断られます。

 

●そりゃそうっすよ!10年前のお願いですもん!武帝が生きているかも分からんし!

 

○仕方ないから張騫は武帝のもとへ帰っていく…で、その途中、匈奴に見つかって捕まっちゃう(2度目。)

 

●いや、ほんとにバカなの!?…あれ?じゃあ、結局匈奴は討伐できなかったんですか??

 

○いや!匈奴は討伐したよ!張騫がなかなか戻ってこないから、武帝は新たに前129年に衛青と霍去病という人物を派遣しているんだ!その2人によって匈奴討伐です!

 

●…張騫の行った意味…

 

○いや!意味はあったんだよ!張騫は長安へ戻ってくると、西域事情を武帝にいろいろ話すんだ。なんせ10年も暮らしていたんだから、いろんな情報を得ている。その中に「大宛という場所に、足が速くて、血の汗を流す馬が居る。」という話があった。武帝はこの“汗血馬”を獲得するべく、に李公利という人物を派遣するんだ!そして見事に獲得!ちなみに、武帝の死後、西域支配の拠点として、西域都護府というものが設置されました。

 

●今のところ西ばっかりですけど、他の方面は?

 

○前111年には、趙佗という人物によって秦の支配から独立して建国されていた南越国(広州~ヴェトナム北部あたり)を征服しているし、前108年には衛満によって建国された衛氏朝鮮を征服している!あ、さっき言い忘れちゃったけど、武帝は征服した各地にそれぞれ「河西4郡」「南海9郡」「朝鮮4郡」という支配の拠点を置いているんだ。下にまとめておくね!

 

河西…武威(ぶい)・酒泉(しゅせん)・敦煌(とんこう)・張腋(ちょうえき)―“ボーイッシュ、トン子の懲役”

南海…南海郡・交趾(こうし)郡・日南郡

朝鮮…真番(しんばん)・臨屯(りんとん)・玄菟(げんと)・楽浪(らくろう)―“新歯のレントゲン撮るの楽だろう“

 

河西4郡は、敦煌はしっかり書けるようにしておこう。南海9郡は3つだけで大丈夫!ちなみに南海郡は今の広州で、日南郡が最南端。朝鮮4郡は圧倒的に楽浪郡が出る。漢字も場所も今の名前も覚えよう。

 

●北朝鮮の首都、ピョンヤンですよね!ってか、これだけ外征していれば財政難にもなりますわな。

 

○そうそう。さっき言った均輸・平準法以外にも、お金で罪を許してしまう金銭免罪や、役職を金で売っちゃう売位売官なんかが横行し始めるんだ。こうした政府の悪政に対し、新たな層が台頭してくる…例えば外戚ね!外戚ってのは、皇帝の母方の一族のこと。一方で地方でも、飢饉や重税で農民が苦しんでいる中、土地をもった豪族が台頭してくる。さぁ、前漢はどうなってしまうのか…続きは次回!

 

 

 

☆センターチャレンジ

 

☆漢の武帝の事績として正しいものを、次の①~④のうちから一つ選べ。[07 本試]

① 洛陽に遷都し、内政を重視した。

② 塩・鉄などを専売品とし、また物価の調整と安定に努めた。

③ 文字・度量衡・貨幣を統一した。

④ 郡県制を敷き、三省・六部を設けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

正解は

 

 

○さ!今日はあまりにも有名な秦の始皇帝のお話!生前の実名は政!“皇帝”という称号を“始めて”使ったから“始皇帝”です!

 

●あれ?秦って戦国の七雄の秦と同じですか?

 

○おんなじです!もともと秦は、戦国時代の孝公という王の時に、法家である商鞅の改革によって国力を増大させていました。これを“商鞅の変法”と言います。変法の内容は、「什伍(じゅうご)の制」。隣組って分かるかな?納税や防犯の連帯責任をとらせるために組を作らせたんです。どこかの家が犯罪者をかくまったりしたら隣組全体が罰せられる。税金を納めなくてもやっぱり連帯責任。それが什伍の制!

 

●で、紀元前221年に政が中国初統一を果たすんですね!

 

○そういうこと!

 

●あ、この間、万里の長城は始皇帝オリジナルじゃなくて、戦国時代に趙・燕・秦が建設したものを繋げただけだっていう話は聞きましたけど…始皇帝って他に何したんですか??

 

○いっぱいしてる!始皇帝の業績は、内政と外征に分けておさえよう!というわけで、まず内政だけど…統治方法は郡県制です。これ、重要!

 

●郡県制ってなんですのん?

 

○全国に郡、その下に県という行政組織を置いて、中央政府から官僚を派遣して直接支配を行うことです!地方はおまかせ~、じゃなくなったんです!中央集権的な国家体制の誕生ですね!

 

●プリントを見るといろいろ統一してますね。これもやっぱり中央集権化を推し進めるためですか?

 

○そうだね。単純に、バラバラだと不便だからってのもある。箇条書きで確認しましょう!

 

①車軌(しゃき)の統一➡車軌とは馬車の車輪と車輪の間の長さのこと。車軌が違うと、ぬかるんだ道なんかは走りにくくなる。不便ですね。

②度量衡(どりょうこう)の統一➡度は長さ、量は容積、衡は重さのこと。単位が地域ごとで異なってると混乱するよね。

③文字の統一➡小篆

④貨幣の統一➡半両銭

 

●戦国時代の円銭をもとにしてつくられたのが半両銭ですね!

 

○その通り!ついでに思想も統制している。

 

●マインドコントロールですか!?

 

○始皇帝の場合は、“焚書坑儒”(ふんしょこうじゅ)という。これ、丞相である李斯の献策によって行われました。簡単に言うと、始皇帝の政治に批判的な学問を消し去ってしまえ!ってこと。まず焚書だけど、これは書物を燃やすこと。入試では「燃やされなかったのは何か」って出題されるから、そこをおさえよう。ズバリ、医学、農業、占いです!

 

●ってことは、この焚書が無ければもっとたくさん学問の成果が残されてたと…。

 

○で、焚書坑儒の坑儒とは、儒者者を生き埋めにしてしまうこと。究極の思想統制ですね。

 

●おそろしや~…

 

○よしっ!じゃあ次は外征だ。秦は北方の遊牧国家である匈奴に討伐軍を派遣します。これを託されたのが蒙恬(もうてん)という人物!難しいけど、入試ではよく出題されます。まさに入試の“盲点”なんちゃって。

 

 

○なんか言えよ!

 

●あれ?先生、思想統制ですか?

 

○ぐぬ…。さて、ベトナム北部にも領土を拡大します。で、征服したところに南海郡、象郡、桂林郡の3郡を設置した!

 

●うわっ!なんじゃこりゃ!!!

 

○どうしたの!?

 

●図表を見たら同じ顔したマネキンがずらーーーっと並んでるんですよ!なんすかこれ!こわいっ!

 

○あー、兵馬俑ね!始皇帝のお墓を守っている軍隊だよ。こんなのが約三千体も発掘されてり!あと“同じ顔した”って言ったけど、これ、埴輪と同じで土や草木を混ぜて作っているからよく見るとぜーんぶ表情や髪型が少しずつ違うんだよ。

 

●へぇー!始皇帝の権力のすごさが伝わってきます!手に入らないものなんて無かったんだろうなぁ…

 

○それが、一つだけ、始皇帝がどうしても手に入れられなかったものがあるんだよ。

 

●え!?なんですか!?

 

○不老不死。彼は永遠の命を手に入れようとしたんだ。そんな始皇帝を見て、明らかに胡散臭い連中が近づいてくるんですよ。中には「水銀が長寿の薬だ!」なんて教える人も出てくる。で、始皇帝は水銀を毎日少しずつ飲んじゃうんですよ。まぁ、それが原因かはわからないけど、始皇帝は前210年に亡くなります。

 

●始皇帝が居なくなった秦は、滅亡へ向かってまっしぐらですか?

 

○その通り。秦が滅亡するきっかけとなったのが陳勝・呉公の乱。陳勝は、その日その日の雇われ仕事でなんとか生活をしていた貧しい農民。その陳勝のもとに、ある時政府から呼び出しがかかる。始皇帝が死んだ翌年の前209年のことです。ところが、大雨が降って川が氾濫、先に進めない。決められた日までに着かないと処刑。だから急がなくちゃいけない。でも、水が引かない。かといって故郷に帰っても秦の役人に追われて処刑。逃亡しても、のたれ死ぬのは時間の問題…。

 

●どの選択をしても、待っているのは死じゃないですか!

 

○そうなんだよ。だから陳勝は、「どうせ処刑されるくらいなら、いっそ秦に反乱だ!」と考えた。ただ、1人じゃ勝てないよね。そこで農民たちに呼びかけるんだ。

 

  「王侯将相いずくんぞ種あらんや!」

 

●…どういう意味ですか?

 

○王、諸侯、将軍、丞相…生まれによって身分は決まるだろうか?………いや、決まらない!!!それはおかしい!そう、反語だ。反骨精神だ。こうして身分も何にもない、貧しい農民が歴史の舞台に登場してくるんです

!まさにチャイニーズドリーム!…とは言っても、彼らは戦争のプロじゃないから、都の咸陽から秦の部隊がやってくると鎮圧されてしまう。ただ、誰も逆らえなかった秦に対して初めて立ち向かったっていうところがすごいんです。この後、反乱は確実に全国に広がっていきます。

 

●いよいよ滅亡も近いですね!

 

○ほい!で、全国に拡大した反乱軍のリーダーになったのが項羽です。項羽は楚の国の名門貴族。しかも身長180以上。強いです。で、反乱軍のリーダーとしてもうひとり有名なのが劉邦。ただ、こっちはガラの悪い農民。このあと項羽と劉邦はライバルになるんだけど、とっても対照的なんです。項羽は自分に自信があって、ほとんど人を頼らない。劉邦はちがう。何も持ってないからこそ、仲間を大切にする。

 

●個人的には劉邦みたいなリーダーがいいなぁ…

 

○こうした反乱で秦の政府は大混乱です。三世皇帝は自分の首に縄を掛けて劉邦のもとに出向いてきました。すなわち、全面降伏です。こうして、秦は、前206年に滅亡してしまいました…たったの15年。

 

センターチャレンジ

 

☆始皇帝の行った政策について述べた文として正しいものを、次の①~④のうちから一つ選べ。[00 本試]

① 江南と華北を結ぶ大運河を建設した。

② 地方行政制度として、全国に郡国制を施行した。

③ 統一貨幣として、半両銭を鋳造した。

④ 商鞅を政策顧問として登用した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

正解は