春秋時代末期から戦国時代にかけては、能力さえあれば、誰もが出世するチャンスがあり、活気に満ちた時代だった。その中で、新しい思想や学問が生まれ、独創的な思想家たちが活躍した。これを「諸子百家」と言う。「諸」・「百」はたくさん、「子」は先生で「家」は学派という意味。つまり、たくさんの先生が現れて様々な学説を立てた時代なのである。国を強くするために(倒置法)。

1.儒家

中でも重要なのが儒家(じゅか)だ。のちに儒学や儒教と言われ、20世紀に

至るまで中国の支配的な思想となった上、日本にも多大な影響を与えている。

そんな儒家の代表人物が孔子(こうし)[前551~前479年]である。出身地は魯。孔子は、春秋時代の社会混乱の中で、どうすれば平和な社会が訪れるかを考えていた。そこで、ひらめいたのが“家族内の道徳”だった。誰でも自分の父母や兄弟のことは素直な気持ちで敬うことができる。そうした、他者に対する思いやりやまごころを「仁」と名付けた。この「仁」こそ孔子の中心思想なのである。それを社会全体に広め、国家を治めたい…そう考えたのだ。

 さて、いくら心の中に「仁」を抱えていても、それを表現しなければ意味がない。「仁」を目に見える形で表現したものが「礼」である。「礼」とは何か…。授業の始めと終わりに、「気を付け、礼」とやる。まさにあれ。みんなが心の中でどう思っているかは知らないが、号令がかかればとりあえずお辞儀をする。これが孔子のいう「礼」なのだ。「礼」をすることにより、敬愛の気持ち(=仁)を伝えている、という理屈なのである。ちなみに孔子の弟子たちが編纂した孔子の言行録を『論語』と言う。また、孔子には子思(しし)という孫が居て、彼が書いた本が『中庸』である。これも一緒に覚えておこう。

さぁ、そんな孔子の「仁」の思想を受け継いだ人物が孟子(もうし)[前372~前289年]だ。この人は「性善説」を覚えておきたい。人は生まれながらにして人を思いやる心…「仁」を持っている、と説いたのだ。例えば、強盗や殺人など悪の限りを尽くした極悪人がいる。そんな人が、どこかの庭先でボーッとしていると、ようやくハイハイができるようになったばかりの赤ん坊が来た。なぜか一人だ。その赤ちゃんが、ハイハイをしながら井戸へと近づいていく。そのまま進んで井戸に落っこちそうになる。すると、どんな極悪人でもその瞬間には「アッ!危ないっ!」と、思わず手を伸ばそうとする。こういう話を出してきて、人には皆本来「仁」の心が備わっている。すなわち生まれながらにして人は善なのだ!と説くわけである。

でも、それならなぜ犯罪や戦争が起き、民衆は苦しまなければならないのだろうか。孟子は下の者は上の者を見て育つと考えた。ならば、王の地位にあるものこそ「仁」と「礼」を身につけ、徳をもって人民を教化し統治しなければならない。これを徳治主義と呼ぶ。それができていないから下剋上が起き、国が乱れるのだ。もし、王がどうしようもない人物で、結果として人民を不幸にしている場合、そんな王は、取って代わられた方がいい!と、彼は考えた。そしてこの理論を「易姓革命」と名付けた。なお、王道政治に対し、武力中心の政治は覇道政治と呼ばれる。

儒家をもう一人。荀子(じゅんし)[前298~前235年]。この人は戦国時代末期の人。孟子とは反対の「性悪説」で覚えたい。みんな、誰しもが必ず悪いところを持っている…。いや、持ってるだろって!でも、隠しているから、それはわからない!他人にはわからない。でも、表に出てこないということは…?そう、その悪は取り締まれない。だから、その悪を矯正するために「礼」によって規律を維持することを荀子は強調した。しかし、足りない。気を付け、礼!と言ってもやらない人はやらない。じゃあどうするのか?「おい!◯◯!あとで職員室に来なさい!」となるよね?つまりは、悪を取り締まるルール、すなわち法律が必要だと考えるようになっていくんだ。そして、その思想が発展すると、刑罰によって秩序を守ろうとする法家が台頭してくる。

2.法家

次は法家(ほうか)。儒家が「礼」を秩序の柱にしたのに対して、法家は「法」を柱にする。法を細かく定めて人民に守らせる、守らなかったら厳しく罰する。これこそ法家の基本的手法。わかりやすい上、やりやすい!これを採用した国が、誰もが知る秦国だ。秦は法家を採用し、ぐんぐん国力を伸ばした。法家は3人!秦の孝公という王に仕え、什伍制や県の設置を実施したが、最終的には車裂きの刑に処された商鞅(しょうおう)。荀子に学んで、商鞅の法思想を継承・大成した韓非(かんぴ)(韓非の本が『韓非子』)。同じく荀子に学び、始皇帝に仕え、統一政策を実施したのが李斯(りし)である。

3.道家

続いて道家(どうか)。まず大前提として、この道家と次に出てくる墨家というのは、儒家の“ある考え方”を否定している。その点をおさえていきたい。

道家の思想家は老子(ろうし)と荘子(そうし)。この2人がまとめた思想なので、道家思想は“老荘思想”と呼ばれる。で、肝心の儒家のどこを否定したか…答えは「礼」。「礼」なんておかしい!不自然だ!と言った。でも、言われてみれば確かにそう。廊下の向こうから怖―い先輩が歩いてきたら、尊敬してなくても「礼」をしなきゃいけない。しかし、思ってもないのに礼をするなんて本来おかしいでしょ?ってこと。人為的なものは偽りなんだよ。感情のまま、思うがままに動いた方がいい。それが道家思想なんです!こんなのを今の日本でやったら“どうかしそう”ですよね。すいません。そんな道家の思想を「無為自然(むいしぜん)」という。簡単に言っちゃうと「自然に生きる」という意味です。これがのちに「道教」という宗教になって、国教にまでなるんですが…その話はまた今度。

4.墨家

次は墨家(ぼっか)。墨家は儒家の何を否定したか…答えは「仁」。「仁」を“差別愛”だと否定した。それはなぜか。“家族を大切にしましょう”…別に良くないですか?でも墨子(ぼくし)[前480~前390年]は言った。家族を愛するがあまり、家族同士となった時、自分の家族を守るため争いが起こってしまう。すなわち、「仁」が争いの原因というわけだ。

というわけで墨子の説は3つ。「兼愛説」「交利説」「非攻説」。どれも重要。「兼愛」というのは“すべての人を平等に愛する”という意味。儒家の「礼」に対抗する考え。ところで、“忌引き”って知ってる?親族に不幸があった場合、何日か学校を休んでも欠席扱いにならない。あれこそ、儒家の教えである。親族が亡くなる…これはものすごく悲しい。悲しくて悲しくてとてもじゃないけど仕事や勉強なんか手につかない。だから、仕事や学校を休むことが許される。これが忌引き。さて、ここから先が問題。生徒手帳を見れば分かるが、本人との関係性により、忌引きの日数は5日・3日・1日などと書いてある。では、親友や恋人が亡くなった場合の忌引きは何日間か?……答えはゼロ。これを墨家はおかしいと言ったわけ!血縁関係が無くても大切な人がいなくなったら何も手が付かなくなるほど悲しいじゃないですか!確かにそうです。そこで「兼愛」。すべての人を愛すれば、戦争で家族が死んで欲しくないように、他人が戦争で死ぬのも黙って見てはいられない。そこで、墨家は「非攻説」を唱えた。「非攻」は、侵略戦争を阻止する考えのこと。彼らがすごいのは、ただ「戦争反対!」と叫ぶだけでなく、戦争を止めるため全土を駆け回ったところ。どこかで侵略戦争が起きれば、攻められている国に駆けつけて自衛のための戦争を手伝う。困った時にはお互い様。互いに助け合う…「交利説」である。

5.縦横家、陰陽家、兵家

縦横家(じゅうおうか)とは、外交政策で有名になった人たちのことを指す。

合従策(がっしょうさく)の蘇秦(そしん)と、連衡策(れんこうさく)の張儀(ちょうぎ)。これだけ覚えれば十分。戦国末期になると、秦が大国として他の六国を明らかに圧迫する。これに対抗するために、六国が同盟を結ぶことを説いたのが燕王に仕えていた蘇秦。すなわち、対秦として協力するのが合従策である。これを破ったのが張儀の連衡策。秦王に仕えていた張儀は、六国に個別に秦と同盟を結ぶことを説いてまわり、合従策を崩壊させた。

 

 陰陽家(いんようか)は、鄒衍(すうえん)のみ。自然と社会の動きの基本的な体系を説明する手段として、陰陽五行説を唱えた。当時の宇宙観を集大成したものである。

 

 そして一番戦国時代らしいのが兵家(へいか)だ。覚えるのは、孫武と呉子の2人。戦争に勝つための技術を体系化したものだが、単なる戦術ではなく戦争論から政治論、さらには人生論についても説いているため、おもしろい。

孫子の言葉「百回戦って百回勝ったとしても、それは、最上の勝利ではない。戦わずして相手を屈服させることこそ最上の勝利である。」…実にクールだ。

6.名家、農家

 名家(めいか)と言えば、公孫竜(こうそんりゅう)。名(概念)と実(実体)との関係を研究した人。有名なのは「白馬非馬論」。白は色に名付けられた概念であり、馬は形に名付けられた概念であるから、二つの概念が組み合わさってできた白馬と、馬は別物であるというトンデモ理論。強引に正当化しようとする彼の弁論から“詭弁の代表例”と言われている。

 

農家(のうか)は許行(きょこう)。万民平等に農耕すべき!と主張した。

 

春秋・戦国時代の漢詩

『詩経』

…西周~春秋時代の北方(黄河流域)の詩歌を集めた中国最古の詩集

『楚辞』

…楚の<屈原>ら、戦国時代の南方(長江流域)の歌謡を集めた作品集

 

センターチャレンジ

 

☆諸子百家について述べた次の文①~④のうちから、誤りを含むものを一つ選べ。[91 追試]

① 陰陽家は、天文暦数の知識をもとに、自然と社会の動きを説明した。

② 道家は、戦国諸侯を相手に外交策を論じた。

③ 墨家は、博愛主義(兼愛)を主張し、戦争の非人間性を批判した。

④ 法家は、法の厳格な運用によって天下を治めることを主張した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

正解は

 

 

 

○さて犬戎が入ってきたということは、封建制度に基づいて諸侯のみんなは周王である俺を守らないといけない。中でも有力な諸侯が5人居て、“春秋の五覇”という。彼らは自ら王を守る“覇者”と名乗り、尊王攘夷を行うんだ!

 

●尊王攘夷って…王を尊び、夷狄を追い払う…ってことですよね!?

 

○そうそう!この春秋の五覇、もちろん全員覚える!

 

<春秋の五覇>

斉:桓公(かんこう)

晋:文公(ぶんこう)

楚:荘王(そうおう)

呉:闔閭(こうりょ)or夫差(ふさ)

越:勾践(こうせん)

 

○呉と越は常にケンカしてるんです。で、越王の勾践に敗れて亡くなった闔閭の息子である夫差は、親の仇を取るため毎夜薪の中に寝て仇討ちの心をかきたてている。そして三年後、ついに勾践を降伏させるんだけど、今度は勾践が、復讐の念を忘れないためにと苦い熊の胆をなめる!で、最終的に呉の夫差を打ち破る!

 

●あれ??なんか見たことある漢字がちょくちょく…

 

○「臥薪」とは、堅くて痛い薪の上に寝ること。「嘗胆」とは、苦い肝をなめること。そう、すなわち!“臥薪嘗胆”という故事成語は、この呉と越とのエピソードから来ているんですね!(そこまで覚えなくていいよ!)

 

●ん??もしかして“呉越同舟”もここから生まれた言葉?

 

○よく知ってるね!“呉越同舟”は、敵同士だった呉と越の人たちがたまたま同じ舟に乗り合わせて、暴風に襲われて舟が転覆しそうになった時、互いに助け合ったというエピソードから生まれた言葉なんだ!

 

●なんか、またまた賢くなった気分!

 

○よし!ここからは東周の後半期。戦国時代[前403年~前221年]の話だ!先にプリント見てください。“王と称して周王を無視”と書かれている。おぃおぃ…周王は守らなきゃいけない存在なのに、なんで無視してるんだ!?おかしいだろ!一体何が起きたんだ??

 

●えっと…これってつまり下剋上が起きているっていうことですよね?なんでだろ…周王が頼りなくなっちゃったとか?

 

○よし、説明しよう。ここは周な。俺は周王。みんなは諸侯だ。授業をやっていたら突然異民族が入ってきた。犬戎だな。さぁそこで、1・2・3・4・5人!はい、俺を守るために、立ち上がった!「先生、僕たちに任せてくださ~い!」それがさっき勉強した“春秋の五覇”だ。…俺は、そんな5人にすっかり甘えていたんだ…。特に、俺が一番信頼してたのは晋君だった。晋君のことが大好きだった。

 

周王「えっと、紀元前の771年に犬戎が侵入してきましたー。まぁ、ケンジュウと言ってもピストルは持ってないけどね!なんちゃって!!!」

 

シーン…

 

晋君「ははっ!先生!本当におもしろいですねぇぇぇ!」

 

周王「しんくーん♡!」

 

ってやってたんだよ!いつも晋君はおもしろそうに笑ってくれていたんだ。でも本当は…ただ、先生に気を遣ってくれていただけなんだ。そしてとうとう彼は疲れ切って…3つに分裂しちゃった。

 

●え!?急にサイコ。

 

○いや!本当は国だからね!まぁとにかく、一番信頼していた晋君が居なくなっちゃったんですよ。授業なんてやってられません…あーあ…悲しいなー…晋くーん…。はぁ…。って感じ。そしたら諸侯のみんなはどう思うよ!?

 

諸侯「先生!はやく授業やってくださいよ!」

 

周王「はぁ…かなしい…はぁ…」

 

諸侯「…もう…なんだよこいつ!こんなんだったらの俺が授業やった方がましだわ!」

 

そんなことを言いながら教壇に7人上がってきたよ!これが“戦国の七雄”だ!そして7人が俺を囲んだよ。最初にやられるのは?…俺だよ俺。周王が最初にやられてる!その後は、この7人による教卓争いだ。順番に倒れていくんだけど、これ、都が落ちた時か、王が死んだ年かで見解が変わる。ただ、最初の漢と、最後の斉➡秦の順番は間違いないから覚えておこう。

 

●戦国の七雄も全て暗記ですか?

 

○もちろん。そのうち3つは都とその特徴も覚えてね!

 

<戦国の七雄>

斉(せい)…都)臨淄(りんし)で、学問所があった。

楚(そ)

秦(しん)

漢(かん)

魏(ぎ)

趙(ちょう)…都)邯鄲(かんたん)で、北方交易が盛んだった。

燕(えん)…都)薊(あい)で、現在の北京にあたる。

 

●ふへー!漢字地獄…

 

○よっし!じゃあ最後に、春秋・戦国時代の特徴を確認しよう!この頃、鉄製農具が使用され、牛耕が行われるようになる。それと、ようやく貝殻じゃない貨幣が出てきます。青銅貨幣です!鉄じゃないよ!で、入試に出るのは4つ。これ、図表に写真が載っています。あと、諸子百家の活躍!これは明日やりましょう。

 

●あれ?趙・燕・秦で長城建築ってありますけど、これって万里の長城のことですよね?始皇帝の名前はどこですか?

 

○実は、あの有名な万里の長城は、始皇帝がオリジナルをつくったわけじゃないんだ!始皇帝はすでにあったものをくっつけただけ!ちなみにこれ、北方の異民族である匈奴の侵入に備えてつくられました!

 

●へぇ…知らなかった!あ、でも秦の始皇帝の秦は、この戦国の七雄の秦なんですね!

 

○そう!始皇帝が出てくる前、秦は孝公という王の時代に、商鞅と言う人が活躍するんだ。この商鞅の活躍によって秦が強大化する!さて商鞅がやった業績は2つ。郡県制と什伍の制の開始だ。二つ合わせて商鞅の変法と呼ぶよ!什伍の制は連帯責任制度。郡県制は…重要だから秦のところで勉強しよう!はい、春秋・戦国時代おしまい!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

センターチャレンジ

 

☆次の図は、古代中国の貨幣acと、それぞれの主な使用地域ア~ウとを示したものである。楚の蟻鼻銭に当てはまる組合せとして正しいものを、下の①~⑥のうちから一つ選べ。[03 追試]

 

① a-

② a-

③ b-

④ b-

⑤ c-

⑥ c-

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

正解は

 

 

○さて、これから勉強していく内容は、前漢の武帝の時代に司馬遷が書き残した『史記』という歴史書がもとになっているんだけど、『史記』の中では、神話伝説時代の8人を理想の君主として挙げていて、これを“三皇五帝”と呼ぶ。歴代の中国の君主は、この三皇五帝を理想とするんです。さて、中国史では君主のことをなんていう??

 

●えっと…“皇帝”…ですか?

 

○そう皇帝!“三皇五帝”から数字をとって“皇帝”です!三皇の方は出ないけど、後ろの五帝はたまーーーに出るから一応教えておくね!五帝の1人目が黄帝!4人目が暦づくりで有名な堯(ぎょう)、そして5人目が舜(しゅん)。おわり。

 

●いよいよ王朝の誕生ですね!

 

○最初は夏王朝です!時代は前2000年頃から前1600年頃。これ…実際にあったか分かっていません。都もどこかわからない。建国したのは禹(う)という人物。らしい。

 

●伝説じゃなくて、存在が証明されている最初の王朝はなんですか?

 

○殷王朝です!時代は前16世紀から前11世紀!都は商!建国者は湯王です。

 

●殷は“邑制国家”って書いてありますけど、邑制国家ってなんですか??

 

○もともと、黄河文明の後半くらいから“邑”という、都市国家ができ始めるんです。で、ちっちゃい邑(小邑)は、大きな邑(大邑)の支配を受けるようになる。こういうのを邑制国家と言う。最初の夏王朝は、大邑の商を中心に栄えたんです!殷は都が決まらないで、最初は中原を転々としていたらしい。そしてようやく落ち着いたのが殷墟。これ、殷の都の跡地ってことで、都の名前は商だからね。河南省安陽市にあります!

 

●殷墟の“墟”って漢字、難しいですね!

 

◯さて、殷では甲骨を焼いて神意を占い、それに基づいて政治を行っていました。神権政治ですね。亀の甲羅をあぶるんですよ。んで、その亀裂を見る。「ややっ!今年は川が氾濫する恐れがあるからダムをつくれだと!?」みたいな感じね。で、こういう占いの結果を記録するための文字が甲骨文字なんです。でも、これ、壊れやすいですよ。というわけでしっかり残したい文は青銅器に刻みます。これを金文と言う。鉄はまだありません。最後に…子安貝です。食べたことありますか!?

 

●えっと…味噌汁に入れてよく食べます!

 

○子安貝は食べれまてん。貨幣です。貝の貨幣で”貝貨”!ほら、今でも“購入”とか“賠償”とか、お金に関する漢字には貝が入ってるでしょ?で、この子安貝、ベトナムで取れる貝なんです。つまり、この当時から南海交易が盛んだったというわけ!よく試験で「殷は鎖国していた」なんて誤文が出されるけど、引っかからないように!

 

●かい!わかいました!

 

○さて、ここでクイズ。貨幣を使って物の取引をすること、貨幣を使って物の取引をする人…なんていう?

 

●えっと…商業に…商人………はっ!!!商って漢字が使われている!

 

○そう!“商”は交易を盛んに行っていた殷王朝の都。ここから名前がついてるんだよ。中国ってすごいだろ?

 

●はい!賢くなった気分です!

 

○気のせいですね。さ、殷の最後の王が紂王(ちゅうおう)なんだけど…こいつがひどい。自分の宮殿の池に水を入れないで、お酒入れちゃう。で、おなかが空いた時のために木に肉をぶらさげちゃう。お酒の池に肉の林。こういう贅沢三昧のことをなんていう?

 

●…酒池肉林だ!

 

○その通り!で、この紂王を倒したのが周という国の武王(ぶおう)だ。前の王がダメダメだったら天命に従って交代しちゃっていいんだったね?これが一昨日説明した“易姓革命”のうちの“放伐”パターン!

 

●王朝が交替したんですね!殷が終わって周のはじまり!

 

○周は紀元前770年に西から東に都を移します。移動前を西周、移動後を東周と言う。さらに東周も紀元前403年で前後に分かれていて、前半を春秋時代、後半を戦国時代と呼ぶ!ちなみに『春秋』っていうのは孔子の出身地である魯の歴史書で、戦国っていうのは『戦国策』という、この時代に活躍した縦横家の人たちの考えをまとめた本のこと!詳しくは諸子百家のところで!

 

●周の全体像は掴めました!さっそく中身を教えてください!

 

○よし!まずは西周[前11世紀~前771年]だ。都は鎬京。渭水盆地がよく氾濫してくれるから、ここには緑が広がっている。さて、ここで絶対おさえて欲しい制度がある!それが封建制度!

 

●中世ヨーロッパの契約に基づく封建制度とは違うんですか??

 

○違うんだ!よし、分かりやすく説明しよう!まずはこの教室を周だと思え!先生が周王だ。みんなは諸侯。諸侯は王からそれぞれの土地の支配を任されている。みんなはそれぞれ消しゴムやペンを持っていると思うけど、それは家臣だ。家臣は身分に応じて卿・大夫・士(けい・たいふ・し)と呼ばれる。そしてみんなが使っている机は、俺が貸してやったものだ。それを封土という。さらにみんなが消しゴムやペンに貸してる土地も封土だ。みんなは、土地を借りているんだから俺にちゃんと貢納しなきゃならない。そして、万が一先生が誰かに襲われたら、みんなは俺を助ける義務がある。これが軍役だ。

 

●えっと…王と諸侯、それと諸侯と家臣の間には、封土と引き換えに軍役と貢納の義務がある…ってことですか?

 

○そうそう!で、この王と諸侯っていうのは全部血が繋がってるんだよ。この血縁関係を宗族という。共通の祖先から枝分かれしたと信じている集団だ。で、宗族の中には決まり事があって、これを宗法と呼ぶ!

 

●なるほど。中世ヨーロッパと違って、中国の封建制度は血縁関係に基づいた世襲制なんですね!

 

○そういうこと!地方は諸侯に“おまかせ統治”なんです。これが中国の封建制度!

 

●封建制度は“おまかせ統治”なんですね!

 

○あともう1つ、井田(せいでん)法っていうおもしろい土地制度がある。これ、孟子先生が付けた名前です。土地があって、これをまず縦横に9等分する。そして外側8個の土地を8個の家族で使う。真ん中の土地は2日~3日交替で、それぞれの家族がやってきて耕す。じゃあ真ん中で収穫された作物は誰のものになるか…?答えは国のもの!

 

●なるほど!上から見ると9等分した土地が井の字に見えるから“井田法”なんですね!

 

○さて、いよいよ紀元前771年。異民族が入ってきます!犬を連れて入ってきたので犬戎と言う!ただし、ピストルは持ってないよ!…なんちゃって!

 

●シーン…

 

ははっ!先生おもしろいっ!(誰かの笑い声)

 

○犬戎という漢字を見れば東西南北どこから入ってきたかはわかるよね?そう、西だな!(西の異民族=西戎)よって、都を西の鎬京から東の洛邑へと移す。そして東周が始まるんだ!長くなってきたから今日はここまで!

 

センターチャレンジ

 

☆黄河流域の古代文化について述べた文として正しいものを、次の①~④のうちから一つ選べ。[07 追試]

 

① 仰韶文化では黒陶と呼ばれる土器が作られた。

② 黄河流域の主要作物は水稲であり、豚などが飼育されていた。

③ 殷王朝では甲骨文字が使用されていた。

④ 西周王朝下(前11世紀~前770年)の中国に仏教が伝わった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

正解は

 

 

 

 

 

 

 

○さて、しばらくは中国史です。しばらくね。さて、中国と言えばなんですか?

 

●中華料理です!餃子大好きです!

 

○先生も好きです!餃子○王将に週1で通うくらいには好きです!でも王将のオススメはホルモンの味噌炒めです。ホルモンの旨みがじゅわーっと溢れ出てきて最高。あ、ちなみに中華料理の中華ってどういう意味か知ってる?

 

●え??中華の中は、中国の中ですよね?…華ってなんだろ。“華やか”ってことかな??

 

○おぉ、するどい!まさに花が咲き誇っているように華やか、ってことなんですよ!よしっ、じゃあ今日はまず、漢民族の伝統的な思想について勉強していこう!

 

●はい、先生!あ、頑張ったらホルモンおごってくださいね!

 

○いいぜ。さて、漢民族の“中華思想”は、“華夷思想”とも言われる。教科書だと“華夷思想”になっているから今日は“華夷思想”で説明していきます!

 

●えっと“華夷思想”の“華”は、“中華”の“華”で良いんですよね?

 

○その通り!漢民族にとって、自国こそ政治・経済・文化の中心であり、世界で最も華やかであるという考え方、それが“中華”だ!

 

●じゃあ“華夷思想”の“夷”は??

 

○これは“蛮夷”とか“夷狄”の“夷”で、漢民族の中国から見た、文化の遅れた低劣な地を指す言葉なんだ。簡単に言っちゃうと中国の周りの異民族を指してるということ。是非覚えておいて欲しいんだけど、異民族には東西南北それぞれで呼び方が付いている。

 

●教えてください!

 

○東方の異民族が“東夷”(とうい)。南方の異民族が“南蛮”(なんばん)。日本史でも、安土桃山時代に南方から渡来したポルトガル人を指す言葉として使われた。そして、西方の異民族が“西戎”(せいじゅう)。北方の異民族が“北狄”(ほくてき)。以上!

 

●もしかして、日本史で勉強した蝦夷地の蝦夷も、東北地方だから“夷”っていう字が使われてるんですか?

 

○おぉ、よく気づいたね!じゃあ次に、中国と他国の関係性について詳しく見ていこう!キーワードは“朝貢”と“冊封”だ!

 

●“朝貢”は聞いたことあります!どんな意味があるんですか?

 

○朝貢…それは世界の中心である中華帝国に対し、異民族の諸王たちがその中華皇帝の徳をしたって集い、貢ぎ物を献じるという、メイドインチャイナの考え方です!

 

●なるほど。つまり対等な関係性では無いってことなんですね。

 

○そうです。で、中華皇帝は、徳をしたってやってきた異民族の諸王を、その土地の統治者として認めてあげるんです。それが“冊封”。するとそこには権威が生まれるわけです。この権威をもらうことが諸王にとっては大切で、たとえば、奴国は後漢から漢委奴国王印をもらい、倭の卑弥呼は魏から親魏倭王印をもらうんですよ。

 

●へー…なんかイメージがつかめてきました!

 

○では、“華夷思想”おしまい!次に中国における王朝交代の理論について勉強しておこう!

 

●中国ってたくさん王朝が代わってますもんね!

 

○まず、王朝は一体誰が始めるのかっていうと、それは天子です!(天使じゃないよ。)天子とは、優れた徳を持った人格者のことで、天帝から天命を受けて王朝を始めるわけです!

 

●天天天天言ってますが、なんとなくなるほど!

 

○ただ、もし天子が道理から外れた行いをすると、天帝は何かしらの災害を起こして警告をしてきます。「お前、このままじゃダメだぞ。やばいぞお前。」って。

 

●なんて親切!

 

○それでも天子の行いが変わらなければ「天帝は天命を革(あらた)めて、王朝の姓を易(か)える」のです。これぞまさに“易姓革命”!!!

 

●おぉ!なるほど!“革命”っていう言葉は、“天命が革まる”っていうところから来ているんですね!

 

○そういうこと!王朝の姓…つまり名字が易わるから“易姓革命”ってわけ!ちなみに、平和的に政権を譲り受ける王朝交代を“禅譲”と言い、武力によって政権を奪取する王朝交代を“放伐”と言う!孟子が理論付けました!はい、今日はこれでおしまい!

 

●先生、頑張ったんで約束通りホルモンの味噌炒めおごってください。

 

○いつも頑張ってるから別に良いんだけどさ…君、先生の徳をしたってくれてるの??

 

●当たり前じゃないですか先生!!!先生と居ると、とってもお得です!

 

○いや、そのとくかーーーい!

 

 

 

 

センターチャレンジ(今日の内容の問題が無かったため、東南アジアからの出題です)

 

☆アンコール゠ワットの建立された時期と、その場所を示す次の地図中の位置abの組合せとして正しいものを、次の①~④のうちから一つ選べ。[05 追試]

 

① 8世紀-a

② 8世紀-b

③ 12世紀-a

④ 12世紀-b

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

正解は

 

 

 

 

 

 

○そういえば、君はお米派?それともパン派?

 

●そりゃもちろん白飯っす!稲作文化バンザーイ!

 

○なるほど!でさ、今日から中国の文明について勉強していくんだけど、中国の文明ってなんていうんだっけ?

 

●黄河文明です!

 

○そうだね!黄河文明!じゃあ、あと1つは?

 

●え!?他にも文明があったんですか?

 

○あったんだよ…その名も長江文明!だいたい起源前5000年頃からの文明で、黄河文明の発生と同時期なんだ。

 

●その長江文明ってどんな文明なんです?

 

○長江流域で発生した文明で、代表的な遺跡は浙江省の河姆渡(かぼと)遺跡や良渚遺跡。覚えておいて欲しいのは、これが稲作を中心とした文明だったってこと。メソポタミア、エジプト、インダス…そしてこれから勉強する黄河の文明はどれも雑穀とか小麦なんだけど、この長江文明だけは稲作!この長江文明は他の文明よりも巨大な文明だったんじゃないかー…って言ってる研究者も居るくらい!

 

●へぇー!知らなかったです!

 

○まだ研究途中の文明だしね、分からないこともたくさんあるのです。

 

●ってことは、入試のメインはやっぱり黄河文明?

 

○そうだね!黄河文明は、その名の通り、黄河の中・下流域の「黄土地帯」に発生した農耕文明のこと!黄河文明は前半と後半に分けてポイントをおさえよう!

 

●わかりました!

 

○まず、前半は前5000年頃から前2000年頃まで、黄河の中流域で栄えます。河南省仰韶村が中心地だったことから仰韶文化と呼ばれる!読み方は“ぎょうしょう”でも、“ヤンシャオ”でもOK!使用されていた土器は彩文土器で“彩陶”(さいとう)と呼ばれます!発掘したのはスウェーデンの考古学者のアンダーソン。アンダーソンは、北京郊外の周口店で、北京原人を発見したことでも有名な人ね!

 

●へぇ!優秀ですね!

 

○仰韶文化で付け足すとすれば、雑穀(アワやキビ)の栽培をしていたことくらいかな??はい!続いて後半!後半は前2500年頃から前1500年頃まで、黄河の下流域で栄えます!山東省の竜山という遺跡から竜山文化と呼ばれます!読み方は“りゅうざん”でも“ロンシャン”でもどっちで可!今度の土器は黒色研磨土器で、黒陶や灰陶があります!

 

●黒陶と灰陶の違いってなんですか??

 

○んー…黒陶は、彩陶についで出現した新石器時代の土器で、薄手で良質。もちろん黒色。灰陶は、日常の煮炊きに用いられた少し厚手の土器ですね。どちらとも三足になっているものが多いです。

 

●なるほど、煮炊きをする時に、火を炊くスペースがあると便利ですもんね!よく考えたなぁ。

 

○竜山文化で付け足すとすれば、牛馬が飼育されていたことくらいかな。以上!あ、もちろんだけど仰韶と竜山の場所は地図でしっかり確認しておくこと!

 

●中国は大きな川の名前も覚えなくちゃですね…。黄河・淮河・長江…。

 

○あのさ、全然関係ないけど土器っていいよね。土器を見てるとドキドキしてくる。

 

●あ、それちょっと分かります。個人的には縄文土器が好きです。火焔土器とかたまらなくないですか?なんですかあの形。燃えさかる炎の前でスウィンギンしたくなってきます。

 

○いや、弥生土器もいいよー。なんていうか、やっぱり使ってこそ土器だと思うわけ。そう考えると圧倒的に使いやすそうなのは弥生土器だね。

 

●いやいや、やっぱり土器はデザイン性ですよ。縄文土器のまだらな黒斑が良いんです。それに比べて弥生土器の黒斑は、丸くてでかくてダサイですね。

 

○いやいやいやいや、弥生土器の丸い黒斑は地面について空気がうまく回らなかったところで、ほかはきれいに焼けているんだよ。均質に火が通っているから薄手なのに丈夫。弥生土器の品質こそ最高。

 

●いや、縄文土器

 

○いや、弥生土器

 

●◯どっちが好き?

 

●◯どっちも土器!

 

 

と、いうわけで、レキシが歌う『狩りから稲作へ』是非一度聴いてみてください!ただの土器ソングだと思ったら大間違いです。

 

 

センターチャレンジ(今日の内容の問題が無かったため、東南アジアからの出題です)

 

☆扶南の都(港市)の名称と、その位置を示す次の地図中のaまたはbとの組合せとして正しいものを、次の①~④のうちから一つ選べ。[13 本試]

 

 

 

① アチェ-a

② アチェ-b

③ オケオ-a

④ オケオ-b

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

正解は