春秋時代末期から戦国時代にかけては、能力さえあれば、誰もが出世するチャンスがあり、活気に満ちた時代だった。その中で、新しい思想や学問が生まれ、独創的な思想家たちが活躍した。これを「諸子百家」と言う。「諸」・「百」はたくさん、「子」は先生で「家」は学派という意味。つまり、たくさんの先生が現れて様々な学説を立てた時代なのである。国を強くするために(倒置法)。
1.儒家
中でも重要なのが儒家(じゅか)だ。のちに儒学や儒教と言われ、20世紀に
至るまで中国の支配的な思想となった上、日本にも多大な影響を与えている。
そんな儒家の代表人物が孔子(こうし)[前551~前479年]である。出身地は魯。孔子は、春秋時代の社会混乱の中で、どうすれば平和な社会が訪れるかを考えていた。そこで、ひらめいたのが“家族内の道徳”だった。誰でも自分の父母や兄弟のことは素直な気持ちで敬うことができる。そうした、他者に対する思いやりやまごころを「仁」と名付けた。この「仁」こそ孔子の中心思想なのである。それを社会全体に広め、国家を治めたい…そう考えたのだ。
さて、いくら心の中に「仁」を抱えていても、それを表現しなければ意味がない。「仁」を目に見える形で表現したものが「礼」である。「礼」とは何か…。授業の始めと終わりに、「気を付け、礼」とやる。まさにあれ。みんなが心の中でどう思っているかは知らないが、号令がかかればとりあえずお辞儀をする。これが孔子のいう「礼」なのだ。「礼」をすることにより、敬愛の気持ち(=仁)を伝えている、という理屈なのである。ちなみに孔子の弟子たちが編纂した孔子の言行録を『論語』と言う。また、孔子には子思(しし)という孫が居て、彼が書いた本が『中庸』である。これも一緒に覚えておこう。
さぁ、そんな孔子の「仁」の思想を受け継いだ人物が孟子(もうし)[前372~前289年]だ。この人は「性善説」を覚えておきたい。人は生まれながらにして人を思いやる心…「仁」を持っている、と説いたのだ。例えば、強盗や殺人など悪の限りを尽くした極悪人がいる。そんな人が、どこかの庭先でボーッとしていると、ようやくハイハイができるようになったばかりの赤ん坊が来た。なぜか一人だ。その赤ちゃんが、ハイハイをしながら井戸へと近づいていく。そのまま進んで井戸に落っこちそうになる。すると、どんな極悪人でもその瞬間には「アッ!危ないっ!」と、思わず手を伸ばそうとする。こういう話を出してきて、人には皆本来「仁」の心が備わっている。すなわち生まれながらにして人は善なのだ!と説くわけである。
でも、それならなぜ犯罪や戦争が起き、民衆は苦しまなければならないのだろうか。孟子は下の者は上の者を見て育つと考えた。ならば、王の地位にあるものこそ「仁」と「礼」を身につけ、徳をもって人民を教化し統治しなければならない。これを徳治主義と呼ぶ。それができていないから下剋上が起き、国が乱れるのだ。もし、王がどうしようもない人物で、結果として人民を不幸にしている場合、そんな王は、取って代わられた方がいい!と、彼は考えた。そしてこの理論を「易姓革命」と名付けた。なお、王道政治に対し、武力中心の政治は覇道政治と呼ばれる。
儒家をもう一人。荀子(じゅんし)[前298~前235年]。この人は戦国時代末期の人。孟子とは反対の「性悪説」で覚えたい。みんな、誰しもが必ず悪いところを持っている…。いや、持ってるだろって!でも、隠しているから、それはわからない!他人にはわからない。でも、表に出てこないということは…?そう、その悪は取り締まれない。だから、その悪を矯正するために「礼」によって規律を維持することを荀子は強調した。しかし、足りない。気を付け、礼!と言ってもやらない人はやらない。じゃあどうするのか?「おい!◯◯!あとで職員室に来なさい!」となるよね?つまりは、悪を取り締まるルール、すなわち法律が必要だと考えるようになっていくんだ。そして、その思想が発展すると、刑罰によって秩序を守ろうとする法家が台頭してくる。
2.法家
次は法家(ほうか)。儒家が「礼」を秩序の柱にしたのに対して、法家は「法」を柱にする。法を細かく定めて人民に守らせる、守らなかったら厳しく罰する。これこそ法家の基本的手法。わかりやすい上、やりやすい!これを採用した国が、誰もが知る秦国だ。秦は法家を採用し、ぐんぐん国力を伸ばした。法家は3人!秦の孝公という王に仕え、什伍制や県の設置を実施したが、最終的には車裂きの刑に処された商鞅(しょうおう)。荀子に学んで、商鞅の法思想を継承・大成した韓非(かんぴ)(韓非の本が『韓非子』)。同じく荀子に学び、始皇帝に仕え、統一政策を実施したのが李斯(りし)である。
3.道家
続いて道家(どうか)。まず大前提として、この道家と次に出てくる墨家というのは、儒家の“ある考え方”を否定している。その点をおさえていきたい。
道家の思想家は老子(ろうし)と荘子(そうし)。この2人がまとめた思想なので、道家思想は“老荘思想”と呼ばれる。で、肝心の儒家のどこを否定したか…答えは「礼」。「礼」なんておかしい!不自然だ!と言った。でも、言われてみれば確かにそう。廊下の向こうから怖―い先輩が歩いてきたら、尊敬してなくても「礼」をしなきゃいけない。しかし、思ってもないのに礼をするなんて本来おかしいでしょ?ってこと。人為的なものは偽りなんだよ。感情のまま、思うがままに動いた方がいい。それが道家思想なんです!こんなのを今の日本でやったら“どうかしそう”ですよね。すいません。そんな道家の思想を「無為自然(むいしぜん)」という。簡単に言っちゃうと「自然に生きる」という意味です。これがのちに「道教」という宗教になって、国教にまでなるんですが…その話はまた今度。
4.墨家
次は墨家(ぼっか)。墨家は儒家の何を否定したか…答えは「仁」。「仁」を“差別愛”だと否定した。それはなぜか。“家族を大切にしましょう”…別に良くないですか?でも墨子(ぼくし)[前480~前390年]は言った。家族を愛するがあまり、家族同士となった時、自分の家族を守るため争いが起こってしまう。すなわち、「仁」が争いの原因というわけだ。
というわけで墨子の説は3つ。「兼愛説」「交利説」「非攻説」。どれも重要。「兼愛」というのは“すべての人を平等に愛する”という意味。儒家の「礼」に対抗する考え。ところで、“忌引き”って知ってる?親族に不幸があった場合、何日か学校を休んでも欠席扱いにならない。あれこそ、儒家の教えである。親族が亡くなる…これはものすごく悲しい。悲しくて悲しくてとてもじゃないけど仕事や勉強なんか手につかない。だから、仕事や学校を休むことが許される。これが忌引き。さて、ここから先が問題。生徒手帳を見れば分かるが、本人との関係性により、忌引きの日数は5日・3日・1日などと書いてある。では、親友や恋人が亡くなった場合の忌引きは何日間か?……答えはゼロ。これを墨家はおかしいと言ったわけ!血縁関係が無くても大切な人がいなくなったら何も手が付かなくなるほど悲しいじゃないですか!確かにそうです。そこで「兼愛」。すべての人を愛すれば、戦争で家族が死んで欲しくないように、他人が戦争で死ぬのも黙って見てはいられない。そこで、墨家は「非攻説」を唱えた。「非攻」は、侵略戦争を阻止する考えのこと。彼らがすごいのは、ただ「戦争反対!」と叫ぶだけでなく、戦争を止めるため全土を駆け回ったところ。どこかで侵略戦争が起きれば、攻められている国に駆けつけて自衛のための戦争を手伝う。困った時にはお互い様。互いに助け合う…「交利説」である。
5.縦横家、陰陽家、兵家
縦横家(じゅうおうか)とは、外交政策で有名になった人たちのことを指す。
合従策(がっしょうさく)の蘇秦(そしん)と、連衡策(れんこうさく)の張儀(ちょうぎ)。これだけ覚えれば十分。戦国末期になると、秦が大国として他の六国を明らかに圧迫する。これに対抗するために、六国が同盟を結ぶことを説いたのが燕王に仕えていた蘇秦。すなわち、対秦として協力するのが合従策である。これを破ったのが張儀の連衡策。秦王に仕えていた張儀は、六国に個別に秦と同盟を結ぶことを説いてまわり、合従策を崩壊させた。
陰陽家(いんようか)は、鄒衍(すうえん)のみ。自然と社会の動きの基本的な体系を説明する手段として、陰陽五行説を唱えた。当時の宇宙観を集大成したものである。
そして一番戦国時代らしいのが兵家(へいか)だ。覚えるのは、孫武と呉子の2人。戦争に勝つための技術を体系化したものだが、単なる戦術ではなく戦争論から政治論、さらには人生論についても説いているため、おもしろい。
孫子の言葉「百回戦って百回勝ったとしても、それは、最上の勝利ではない。戦わずして相手を屈服させることこそ最上の勝利である。」…実にクールだ。
6.名家、農家
名家(めいか)と言えば、公孫竜(こうそんりゅう)。名(概念)と実(実体)との関係を研究した人。有名なのは「白馬非馬論」。白は色に名付けられた概念であり、馬は形に名付けられた概念であるから、二つの概念が組み合わさってできた白馬と、馬は別物であるというトンデモ理論。強引に正当化しようとする彼の弁論から“詭弁の代表例”と言われている。
農家(のうか)は許行(きょこう)。万民平等に農耕すべき!と主張した。
春秋・戦国時代の漢詩
『詩経』
…西周~春秋時代の北方(黄河流域)の詩歌を集めた中国最古の詩集
『楚辞』
…楚の<屈原>ら、戦国時代の南方(長江流域)の歌謡を集めた作品集
センターチャレンジ
☆諸子百家について述べた次の文①~④のうちから、誤りを含むものを一つ選べ。[91 追試]
① 陰陽家は、天文暦数の知識をもとに、自然と社会の動きを説明した。
② 道家は、戦国諸侯を相手に外交策を論じた。
③ 墨家は、博愛主義(兼愛)を主張し、戦争の非人間性を批判した。
④ 法家は、法の厳格な運用によって天下を治めることを主張した。
正解は
②


