…―in the rain―…

…―in the rain―…

My name is Mira. I sing for myself.

Words & Painting by Mira
Photograph by Mira & Magical Man
*転載・複製、禁止。

舞台が燃えて
貴方が居なくなって
光が怖くなって
姿を変えて
名前を失くして
そこに真っ白な海を見た時
私は もう一人の私に言ったの。

私にとって歌うことほど残酷なことはない、と。



月の道標が見えなくなって
貴方を失って
伝えられることは何も無くなって
バラバラになって
全部壊れて
そこに真っ白な朝を見た時
私は もう一人の私に言ったの。

私にとって歌うことほど残酷なことはない、と。










 

 

警戒心も違和感も 


痛みも呼吸も 


とても自然な 


生存本能。

 

 


失くさないで。 

 


 


2021.11.20

 

同じ言葉でも、響くものと、響かないものがある。


何がロックだ、何が世界平和だ、何がラブ&ピースだと、そう思うのは、何故だろう。


報道の内容に違和感を持ち、コメンテーターや政治家や日常の矛盾に苛立ちを感じるのは何故だろう。


今の私に出来ることは、その理由を真剣に考えることくらいだ。 

 


捻くれ者なのは、昔から。

がっつりのマイノリティなのは、百も承知。


ごめんね。


想いも、願いも、祈りも、ずっとずっと、変わってないよ。


だからこそ、自分に嘘はつけない。


15歳のときから、沖縄のことを忘れた日は一日もない。


福島の発電所のことも、あの日から毎日、考えている。

 


だから辺野古にも国会前にも行った。


私は自分の苛立ちや怒りや空しさを肯定し、次に進む必要がある。


ごめんね。

嘘はつけない。

ファッションみたいに綺麗な言葉は選べない。


ごめんね。


自分の未熟さも、誰もが旅の途中だということも、解ってるつもりだよ。


ただ、もう、繰り返したくないんだ。 

 

 

 

 

 

 

 



 

 

土地、空間、石、獣、虫、木々、風、水、物、人。

子どもの頃から、あらゆる「存在」の中心部からの、波動を感じるんだ。


悲しみ、恐怖、淋しさ、愛。


波動の色も、精霊も妖精も見える。


この話をするほどに孤独が強くなることは、百も承知。


でも、私は私。

届く人には届く。

それだけで、充分。 

 

 

 


 

 

 

 

 

 


 
 
本当は、あなたも私も、騙されている。

本当は、本当は、みんな、解っている。

本能は感じ取っている。

魂は憶えている。

見失ってしまっただけ。

忘れてしまっただけ。
 
世界は繋がっている。

宇宙は繋がっている。
 
 
 
 

 

 

 

念のため 気をつける


判らないから 様子を見る


おかしいものは おかしい


幾つもの矛盾について考えたい


強い違和感と向き合いたい


そんな それぞれの選択を


尊重し合える世の中で在ってほしい


世界は 


人間は


白か黒かではないんだよ

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

自分が人間の姿で生まれてきたことに

胸が苦しくて 

 

雨や木々や風や星や月や獣たちの

そのあまりの美しさに

胸が苦しくて 

 

降り注ぐ世界中の悲しみに

胸が苦しくて 


息も絶え絶えだった15歳の

夏の終わりに

貴方が 

この世界で生きていると知った。

 

それだけで 

私は生きていけると想ったよ。


あの夏の終わりに 

私は 人間のことを

好きになった。 

 

だからもう いいんだ。 

もう それだけで 

私の中に光がひとつ。


決して 消えはしない。

 

ああ、此処まで私は生きてきたよ。 

 

貴方が星になろうと

空になろうと 花になろうと 

石になろうと 土になろうと

私は 貴方を感じる。 

 


 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

あなたを守るのは砂の城

嘘が満ちて崩れ去る


影が移り広がり

絶えそうな星に立つ

楽園など何処に


あなたは私

私は あなた

孤独はマコトのリュウとなる


消えては現れる夢の中

絞り出された最期の声は最果てへ


願ったの

私が見た通りにならないようにと

願っているの

私が見た通りにならないようにと 


鎧を捨てて 鍵を探して 

きっとみつかるから

 

こんな場所から抜け出すの


細胞の音を聴いて

どうか 見抜いて 


生き延びて

 


 

 

 

 

 

 


 

 

 


 
 
私たちの尊く大切なものが、奪われていく。

人が人として生きる上で、一番大切なものが、失われていく。

それはもしかしたら、「ただ、命がそこに在る」ということよりも、大切なことかもしれない。


何を言ってるんだ、何を言ってるんだろう、私は。
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
自然と言葉や歌が浮かんでくれば、書き記す。

そんな風にして、私は自分の正体と、この世界を認知する。

いつも、そうしてる。

4月28日も、6月23日も、8月15日も、3月11日も、あえて何かを書こうとは考えない。

いつもしているように、誰も居ない場所を探して、そこで強く祈るだけ。

何か浮かんできたら、残す。

今年の8月15日は、とても心臓がドクドクした。
胸がザワザワした。

8月15日の正午に眼を閉じて祈る間は、毎年、変わらぬ日常の音が聴こえてくる。
すぐ目の前を自転車が通ることもあるし、少し遠くでは、大量の車が走りすぎていく音がする。
今年はすぐ近くで、釘を打ちつける日曜大工の騒がしい音が聴こえた。
もう、毎年のこと。
人々は、その手を止めない。
もちろん、皆が同じときに同じことをするのを望んでいるわけじゃない。

上手く言えないけど、過去と現在の交わる場所に佇むと、自分だけが取り残されたような、そんな気持ちになる。

できるだけ祈りに集中しようとしたけど、今年の私は、ちゃんと祈れなかった。
悲しさと虚しさと危機感と、それから今年は、苛立ちさえ感じていた。

終戦、と言うけれど、あの頃からずっと、今も、ずっと、続いている気がする。

私たちは、あの頃から、何を学べたんだろう。
一体、どんなことに気付けたんだろう。
私たちは今、テレビが見せてくるものを、どんな風に捉えているんだろう。
日常と直結している政治とやらに、どれだけ注意深く眼を向けているんだろう。
たとえ孤独でも、自分が感じた違和感や疑問に、どれだけ向き合えているんだろう。
人の心理と、事の真理について、どれだけ熟考できているんだろう。
他者から与えられたものを信じすぎてしまってはいないだろうか。

このままだと、繰り返す。

その実感は、年々強くなっていく。

無闇に誰かを不安にさせたいわけではない。

ただ、それぞれのひとつひとつの心情が、大きな流れに少しずつ呑み込まれていくのを感じている。

だからこそ、こうして言葉にしたい。
おかしいと感じたら、立ち止まって、よく見て、よく考えたい。
正義にも怒りにも恐怖にも数字にも、支配されたくない。

一度しかない自分の人生を、大切に生きるために、私は時に立ち止まるし、考えるし、抗う。

誰かに嘲笑われてもいい。
嘘に塗れた世界で、腐った悪意に引きずり込まれ、弄ばれたくなんかない。
それだけ。

そのために感性を開く。

全部を、力に変える。

この心と躰を大切にして、生きるため。

生き抜くため。

それだけ。

これほどまでに、何が嘘で何が本当か判らない世界で、自分にできることは、生き様を選ぶことだけ。

もしも私と同じ心境の人が居るなら、どうか、その感覚と躰を、自ら抱きしめて、護っていて。

たとえ今、出口が見えなくても、自分の感性だけは、開いていて。

 
 
 
 
 
 

 
 
 


民衆が釘付けの不気味なカーニバルの影に潜む

邪悪な眼の生きものを見てしまった子どもたちが

どうか この先

無事に 幸せに 生きていける未来でありますように