貴方が居なくなって
光が怖くなって
姿を変えて
名前を失くして
そこに真っ白な海を見た時
私は もう一人の私に言ったの。
私にとって歌うことほど残酷なことはない、と。
月の道標が見えなくなって
貴方を失って
伝えられることは何も無くなって
バラバラになって
全部壊れて
そこに真っ白な朝を見た時
私は もう一人の私に言ったの。
私にとって歌うことほど残酷なことはない、と。
「人間のすることではない」と時々耳にするけど、私は思ってしまう。
「人間だからこそ、こんなことができてしまう。今までもそうだったのでは。」と。
とても悲しく、苦しくなる。
この頃、義務教育を熱心に受けていたら知識として身についていたであろう、近代100年程の出来事を勉強し直していた。
世界的に有名な独裁者のこと、奴隷制度や薬害や人体実験の歴史、香辛料や先住民のこと、大きな戦のこと、日本のこと。
侵略、虐殺について有名な本は図書室で読んだことはあるし、文系科目の成績は悪いほうではなかったのでそれなりに知っていたけど、白人が奴隷にされていた歴史も出てきて、驚いた。
私たちはずっと、何をやってるんだろう。
数百年、数千年で激しく変わっていったのは、文化や習慣だけで、大衆心理や悲劇の本質は何も変わってないと感じる。
歴史も未来予測も、今朝の報道も、そこにはそれぞれの解釈とそれぞれの都合があるだけなのかもとも思ったりする。
誰にも、分からない。
いつも誰にも分からないことのほうが遥かに多いんだ。
それなら私は、どう生きるか。
どう生きたいか。
この世の美しさは、何処に在るのか。
卑怯で醜く、傲慢で弱い姿の自覚の先に何を見て、どう足掻きながら、何を願い望むのか。
もう、それだけだ。
なんて愚かだ。
でも生きる。
いつか、愛に。
同じ言葉でも、響くものと、響かないものがある。
何がロックだ、何が世界平和だ、何がラブ&ピースだと、そう思うのは、何故だろう。
報道の内容に違和感を持ち、コメンテーターや政治家や日常の矛盾に苛立ちを感じるのは何故だろう。
今の私に出来ることは、その理由を真剣に考えることくらいだ。
捻くれ者なのは、昔から。
がっつりのマイノリティなのは、百も承知。
ごめんね。
想いも、願いも、祈りも、ずっとずっと、変わってないよ。
だからこそ、自分に嘘はつけない。
15歳のときから、沖縄のことを忘れた日は一日もない。
福島の発電所のことも、あの日から毎日、考えている。
だから辺野古にも国会前にも行った。
私は自分の苛立ちや怒りや空しさを肯定し、次に進む必要がある。
ごめんね。
嘘はつけない。
ファッションみたいに綺麗な言葉は選べない。
ごめんね。
自分の未熟さも、誰もが旅の途中だということも、解ってるつもりだよ。
ただ、もう、繰り返したくないんだ。