明治30年(1897)に行われた金色堂修理の際、屋根裏の(むな)()墨書(ぼくしょ)が発見されました。そこには天治元年(1124)8月20日、奥州藤原氏初代・清衡(きよひら)公によって金色堂が(じょう)(とう)されたことが記されていたのです。その年を金色堂建立の年と考えると、来る令和6年(2024)はちょうど建立900年に当たります。

 

 

 これを記念して東京国立博物館において特別展「中尊寺金色堂」が令和6年(2024)1月23日(火)より開催されることになりました。金色堂(ちゅう)(おう)(だん)の壇上諸仏11体がそろって出展されるのは昭和43年(1968)の金色堂大修理竣工によって金色堂が現状に復して以後はじめてとなります。

 

 ここで金色堂諸仏の()(がい)(ちょう)の歴史をひもとけば、およそ320年前の宝永元年(1704)、上野(りん)(のう)(じの)(みや)(こう)(べん)(ほっ)(しん)(のう)のお取り次ぎにより、江戸において金色堂本尊等の出開帳を行い、同年7月5日には(けい)(しょう)(いん)(三代家光の側室で5代綱吉の生母)より「(金色堂壇上の)六地蔵御修覆料」として(きん)()50両を拝領したことが記録に残されています。(注1)

 

 その後、近年では平成20年(2008)から21年(2009)、「平泉」の世界文化遺産登録を祈念して行われた特別展「平泉 みちのくの浄土」(NHK等主催:仙台市博物館・福岡市博物館・世田谷美術館)において金色堂西北壇(せいほくだん)の壇上諸仏11体が出展されています。

 

(次回『金色堂諸仏の出開帳(中)』に続く。)

 

 

 

1.「中尊寺古仏開帳願写」(『平泉町史・史料編一』299号)、「神田橋護持院日記」(『史料纂集・古記録編155』)、佐々木邦世「一山支院沿革」(『中尊寺史稿』)