1967年生まれのラグナロク -23ページ目

1967年生まれのラグナロク

…ような気がする。世の中そんな簡単に楽させてくれないけど。

BSで86年W杯最終予選日韓戦(国立)をやっている。


僕らの世代には涙なしには見れない。


今見返すと、サッカーはモダンではないけれど、それなりに戦術的にも面白い。


昔も印象に残っていたけど、前半コーナーからの加藤のチャンスが入っていればな、、という感じ。


失点のシーンは2点とも石神の中途半端なプレーによるもので、仕方ないけどあれがなかったらとも思う。


この後、2点目を取られた後、木村のフリーキックが決まるのだけど、


後にも先にも、あれほど魂を揺さぶったゴールは無い、僕にとっては。


86年と言えば僕は大学1年生で体育会でサッカーをしていた。


この後、しばらく日本のサッカーは低迷期に入る。


88年ソウル五輪最終予選で引き分けでも出場だったのに中国に負けたり。


もちろん、90年イタリア大会予選は惨敗。。。


92年にオフトが監督に就任して、Jリーグ開幕前夜の日本サッカーは初めて国際大会(ダイナスティカップ)で優勝する。


93年にはあのドーハの悲劇が起きるのだけど、さかのぼること半年の、一次予選ホーム(神戸ユニバ)のタイ戦の異様な緊張感は未だに忘れられない。


僕は彼女と行く予定だったのだけど、彼女とうまくいかない時期で一人で見に行った。


タイなんて今でこそ絶対負けない相手だけど、あの頃は二度やったら一度は負ける相手だったのだ。


…なんてことを振り返ると、もちろんメキシコ五輪世代のオールドファンにはかなわないけど、僕だって40年のサッカー歴と40年の観戦歴を持っているわけで、そろそろ生き字引の域に入ってきているような。


86年。


日本が一番ワールドカップに近づいた日。


そして、日本であれだけの日の丸を初めて見た日。


戦後の諸派の対立が残り、未だ日の丸や君が代を堂々と掲げることが何か憚られたあの時代、あの日がある意味、日本愛が解禁された歴史的転換点であったような気もする。


ちょっとオーバーか。


アマだった先達がいて、今の日本サッカーの隆盛がある。


そういう歴史の積み重ねを感じながら、今の若い人にはサッカーをやってほしいなと思う。



ゴルフはスウィング改造がまずまず順調だけど、問題は、練習場の思い切りの良いスウィングがラウンドでもできるかどうか。


まあ、年間100回とか50回ラウンドする友人と、月一ゴルファーの僕が対抗しようとするのが土台無理なんだけど。


とはいえ、そこはセンスと能力で距離を縮める努力をしないとね。


この冬はしばらくぶりに体調不良の予兆ありなので、自愛します。



なんかそろそろ、ギューンとパラダイムシフトしないといかんなあと思いつつ、秋は更け冬が近づく。


















Mさんて大阪の人ですよね?と関東では言われ、


Mさんて東京の人ですよね?と関西で言われることが多い。


東京・大阪というくくり方も如何なものかと思うけれど、ステレオタイプな分け方としてそういう言われ方をする。


僕の年表を紐解くと、生まれは茅ケ崎、育ちは大阪北部、この十数年は横浜に住んでいる。


年数を数えてみたら、神奈川県に20年、大阪に17年、兵庫県に6年、上海に1年半住んでいた。


まあつまりは、横浜と北摂にちょうど半分づつすんでいたような感じ。


両親が東京人なので、大阪で育った子供時代も家庭内共通語は東京弁で、いわゆるコテコテな大阪弁というのを僕はしゃべれない。


かといって、純粋な江戸弁とか横浜弁をしゃべるかというと、そうでもない。


どっちが楽か?と聞かれると、まあ相手と場所により、中途半端に気分で使い分けるのが一番楽である。


よく東京なんかで出会った見目麗しいイケてる女子と、ふとした拍子にお互いの関西弁、まあいわゆるお互いの地というものか、を出して、一気に距離が縮まるなんてことがあるけれど、実は関西弁、特に大阪弁のキツイ女の子は僕は苦手なので、内心うれしくもなかったりする。(京都弁と神戸弁は好きなので、それはOKなんだけど)


お水のおねいさんにしても、隣でベタな関西弁でしゃべられたりすると、なんだかテンション下がっちゃうし。


何が言いたいのかと言うと、僕は言葉による故郷意識というか、そういう地元意識というものを持ちにくく、実家に帰ってきて同級生と関西弁でしゃべるとほっとするとか、そーゆーことがない。


そういう意味では、完全な関西関東のハイブリッド種で、自分のルーツというか地域的アイデンティティをどちらに求めたら良いのかいまいち判然とせず、常にどちらの地域にいてもSTRANGERである寂しさがある。


グローバル化の進むこの時代に、東でも西でもどっちでも良いような気がするけど。


僕が子供の頃からつい20年くらい前までは、東京と大阪というのは今よりもっと文化的な隔絶があって、言葉も違えばファッションも違うし、もっと言えば、歩いている人の顔まで違っていた。


子供の頃に山手線で弟と関西弁でしゃべってたら、周りの東京人に笑われたなんてこともあったし。



東京と大阪のどっちが便利ですか?とよく聞かれるのだけど、そりゃあ生活の便利さで言えば圧倒的に東京、、というか、僕の住んでいる横浜周辺だと思う。


だけど、大阪京都神戸奈良という異なる文化圏を包含する近畿圏の方が文化的には豊かだし、寺社仏閣など見るところなんかは圧倒的に関西の方がたくさんある。


ゴルフ環境だって関西の方が断然近くて便利だし。


まあ、何を軸にものを考えるかですけど。



こういう狭い了見での小ネタはやめて、日本人として上海で暮らすってのもいいんですが。



あーっと、柏が同点に追いつきました。


今節負けてくれればまだガンバにも優勝のチャンスがあるのにね。



ハイブリッドな僕は、野球は巨人ファン、サッカーはガンバを応援してます。


関西人はみんな阪神ファンというのは大きな認識違いです。


まあ、その話はまたの機会に。




無事に決算説明会第一回(全二回)が金曜に終わりほっと一息。


軽い打ち上げにリーガロイヤルの寿司屋に行ったのだけど、正直、値段ほどの価値なし。


どうしたリーガロイヤル、という感じですね。


ロビーも老朽化してるし部屋も古いし料飲もレベル低い。



今日は雨の中、いそいそとゴルフ練習に。


先日の鳴尾撃沈劇で思うところあり、スウィング改造に乗り出した。


キーワードは、『手でクラブをさばく』こと。


流行のボディターンスウィングとは逆行するようだけど、実際にローハンデのトップアマを見ていると、クラブさばきが本当にうまい。


スウィングの形ではなくて、インパクトゾーンでのさばきがうまいから、傾斜とかライに大きく影響されない。


…ということで、これまで体幹で打つことばかりやってきたけど、手を振る感覚を身に着ける練習だ。


手を使うと球筋はフックになるのが当然で、それはフェード打ちの僕には逆ダマなので難しいけど、ゴルフ上手くなりたいならフックを打てと言われたので、しばらくフックを打ちます。


まあ、ゴルフに興味ない人にはどうでもいい話ですが。。。



今日、久しぶりにJリーグの試合を見ていて思ったこと。


この寒い季節に、いい年こいたおっさんが、上半身裸で、そのなま白くてぶよぶよな腹を見せながら、本人、ちょい悪のつもりでバックスタンドでジャンプを続ける輩が何十人もいるのだけど、そう、某埼玉県の某都市の試合で、あいつら何か勘違いしてんじゃないかと思う。


イングランドのフーリガンのマネなのかと推察するけれど、フーリガンてのはまともなサポーターじゃないんだから、そんなものの表面だけマネしてどうするつもりなのか。


サッカー歴40年に達した僕は、スタジアムに行けば基本的には騒がずじっと試合を見る。


もちろんチャンスやピンチでは声をあげるけど、それはあたりまえだけど、試合をきちんと見ていないと即座に反応できない。


裸でバックスタンドで飛び跳ねて、時に、後ろを向いて群衆を煽ったりして、ちゃんと試合見てるのか?


まあ、見方は人それぞれなのでそりゃ勝手だけど、せめて品は保ってほしい。



夜、ONEPIECEの映画をやっていたので初めて見たけど、正直、この漫画のどこが面白いのかよくわからなかった。


話が単純すぎて、何の捻りもないし、かといってヤマトほどの単純なヒロイズムもなく、ルパンのような大人の色気もなければ、そもそもアニメとしての映像のクオリティが低すぎる。


まあ子供のものだからかな。。。



気が付いたのだけど、大阪って土曜午前に王様のブランチやってないぞ。


う~ん、とりたてて見たいわけじゃないけどさ、休みの朝に大阪ローカル見るとテンション下がるんだよなあ。



このところ、仕事で心に引っ掛かることが多くてストレスためてるので、世の中の見方が斜めになってるのかもしれません。



週末のゴルフは、久しぶりに気合いを入れたく思ったものの、週半ばから引いた風邪とわりと忙しかった仕事の影響で体調は劇的に悪く、体を動かすだけで精一杯。


なんとか3Hまでボギーペースでしのいだものの、4Hから3連続で1mのショートパットが入らず、パーとれず、頭にキタ7H、ちなみにここは苦手なホールなのだけど、ドライバー振り回して罠にはまり、9叩いてジ・エンド。。。


やはりゴルフはメンタルですね。


おのれ、鳴尾の高麗グリーン。


とはいえ、ハンデ2とか3の同伴競技者のゴルフは完全なレベル違いで、まだまだ精進しないとダメです。


とはいえ、ハンデ2とか3のゴルフって、振らない、飛ばさない、乗せない、寄せて入れるの我慢のゴルフで、それが面白いのかというと、ある意味、違うスポーツのようなところもあり、また違ったメンタルセットが必要な気がする。


とはいえ、彼らに共通するのは、球捌きの上手さ、で、スウィングが美しいとかそういうことより、うまくボールをとらえてコントロールするのを見ていたら、やはりそういう技術を身に着けなければならないと反省。


とはいえ、ゴルフにかける時間も彼らに遠く及ばない中で、どーすべ?と悩むけれど、まあ僕なりに適当にやるしかないなあ。


あー、ゴルフも足で蹴るんだったらいいのに。



このところはとりたててなんの進捗もなく、現在の仕事にわりに忙殺される日々。


おねいさん遊びも、なんだか日本じゃめんどくさいのでごぶさただし、ある意味真面目に日々送ってます。



12月、、、と、先の話しても詮無きことながら、まあ月が替われば何かあるでしょう。



このひと月くらい、昔の部下とかわりといろんな人から連絡があったりして、みんな会いたいとか言うのだけど、僕も暇なようでわりとやることがあって忙しく、実現できていないので、みんなごめんなさいね。



面倒なので、身の振り方決まったら、祝賀会かねてみんなまとめて召集します。



熱海あたりで昼ゴルフ、夜温泉→宴会→場末のキャバクラ、、、ツアーにでも行こう。








オリンパス問題だとか大王製紙問題だとか、


証券会社の格下げだとか、


上場規定だとか証取法だとか商法だとか、


そーゆーものに近いところで仕事をしていて思うのは、


今僕がやっていることが、本当に世の中の役に立っているのだろうかという疑問。



世の中にはさまざまな仕事があって、とても分かりやすい形で社会に役立つ仕事もあれば、まあこの仕事(会社とかサービスとか)無くなってもさほど問題ないよな、という仕事もある。


銀行なんて本来公共性が高い仕事なんだけど、どーも社会的意義は感じにくかったり。


不動産デベロッパーとかホテルとか、無いと困るけど、「国民の皆様に高水準の住宅を提供します!」というほどのミッションを帯びていなかったり。


広告プロダクションなんて、正直なところ、あってもなくても構わない文化的なしわみたいなものだし。


まして、卸問屋なんて業界独特の商流のハザマで生きているだけで、世の中の価値創造にはなんら寄与していないし。


などと、考えていると、同じ仕事するなら社会的貢献度が高くてパブリックな仕事がいいのかとは思うけれど、これもまあ価値観をどこに置くのかの問題であって、複雑にソフィスティケイトされた現代の資本主義経済システムにおいては、経済活動を行い生産をすること自体に意義があるのであり、そういう側面から見れば、職に貴賤無し、好きなことすりゃいいじゃんとも思える。


読売新聞が企業として高尚かつ価値が高くて、DeNAや楽天は企業としての格が落ちる、、、みたいな、オールドエコノミーのおっさんみたいなことにもなってしまうし。


だって、例えば、ヤクルトだって、立派な企業とは思うけど、人類に乳酸菌を提供する!みたいなことが本当に必要なのか?とか考えると、まあ特段ヤクルトに頼ってまで乳酸菌増やさなくてもいいかとか思うし。


ハム会社の存在意義は?お菓子なんてなくても良くない?リースとか要らないし。。。新聞だって読まないし、既存メディアこそが諸悪の根源だ!


…みたいなことになってしまうな。


企業理念を高く掲げることはとても重要だし、そういうものをキチンと掲げられる企業が成長するのだろうけど、実際にそういう趣味と実益ならぬ、理念と実利を兼ねた仕事って難しいですね。


まあ、たまにはそーゆー根本的なことも考えてみないとね。


なんでも稼げればいいってもんじゃないんだし。


かといって、好きでもないことを我慢してやるのもつまんないし。



明治の知識階級は自分の存在価値に幻滅して自死を選んだりしたけれど、今の日本にそーゆー対立軸でモノを考えるような人はもういないんだろうなあ。



たまに、僕自身、世の中の役に立ってないんじゃないかと思い至り、とても焦り、かつ、とても絶望します。


少なくとも家族を食わせるくらいは、、、なんて、矮小化するんだよな、ほとんどは。



なんの話だっけ?



今週は、意味があるのか無いのかと言えば、ほとんど意味ないことに忙殺され、そのストレス解消が週末のゴルフと撮り貯めたテレビ番組鑑賞という、はなはだイケテナイ無限ループのような生活してます。



滝に打たれたりすべきだな、そろそろ。