選択 | 1967年生まれのラグナロク

1967年生まれのラグナロク

…ような気がする。世の中そんな簡単に楽させてくれないけど。

スーパーボウルは、NEvsNYJとイマイチ興味わかない対戦の予想とおり、今ひとつ楽しめず。


近年だったら、09年のARZvsPTBの対戦が面白かったんだよな~。



さて。



スーパーボウルを夜の録画放送で見た後、なんとなく時間を持て余したので、録画しておいた『コロンビア白熱教室』を見る。


人生における、『運命・偶然・選択』がどのような影響を及ぼすのかという話で、荒っぽく言えば行動経済学なんだろうけど、経済行動よりもっと手前の、人間の生きる本能としての選択を語っているところが面白い。



簡単に言うと、


2012年の寒いある日に、僕が大阪ミナミのクラブに行き、A嬢が隣に座ったのは偶然。


人生偶然だらけなのだけど、僕が今大阪にいることは幾重にも重なった偶然と選択によって生み出された状況であるし、A嬢がその日出勤し、というか、そもそも嬢になったのも彼女の人生の幾重にも重なった偶然と選択によって生み出されたものなんですよね。


でもまあ、偶然は必然ではないので、あくまで偶然です。


で、僕がA嬢を気に入って、指名するというのが僕の選択。


もし指名せずに女の子が15分ごとに入れ替わったりすると、僕は状況をコントロールできていないとストレスを感じ、それが肉体的・精神的にも悪い影響を与えてしまう。



などという話なのだけど、つまりは選択する権利を与えた場合と与えない場合では、大げさに言えば寿命がだいぶ変わってしまうくらい、人生に及ぼす影響が大きいのだとか。



組織マネジメントにも使える話です。



そー考えると、相手(部下とか取引先)に選択権を与えないで、ただひたすら何事かを強要するとか、決められたことの執行のみを要求するというのは、上手な指揮官とは言えないんでしょうね。



…と、わりと良いテレビを見ているときにキャバ嬢から電話があったので、軽くイラっときてシカト。


どーせ、今週あたり友達と飲みがあるかもと先週言ったので、それがいつなのかの確認電話。


行くか行かないかの選択権はこちらにあるわけで、あちらに選択を狭められるいわれも無い。


たとえ、それが善意、例えば、自分の出勤スケジュールに合うかの確認とか、他のお客とバッティングしないかとか、そーゆーことから発するものであったとしても、僕の来店を固定化するようなことをされるとトテモイヤです。


そもそも、お互いの都合確認しあうような、近しい仲でもないしさ。


だから、昼間の仕事持ちで不定期出勤のアルバイト感覚嬢はイヤなんだよな。



などと言っているけど、自分がこないだ「来週飲みがあるから行くとしたら来週かなあ」などと、優しそうな、けど表面的にあわせただけの発言をしたことが事の発端なので、若干反省。



あ~、どーせ夜出歩くなら、自分できちんと選択したおねいさんのところへ行きたい。



話をグイーんと戻すと、



現在進行中案件もさることながら、先週日曜あたりからまたちょこちょこといろんな話が出始めたりして、世の中多少は動いてきたのか、僕になんらかの運命が降りかかりつつあるのか、はたまた単なる偶然なのか、選択する幅は増えつつあります。



そのほかにもいろいろ、いい言葉があったのだけど、まあまたの機会に。