消費が震災前水準に戻った、と朝の日経新聞。
ハレと日常の二極化が進み、わりと高級商品が売れているせいらしい。
で、気になるのが『絆消費』とかいうやつ。
友人、家族との絆を確認し合うために、何かわりと高額なプレゼントを贈るらしい。
震災以来、マスコミを中心に、『絆』の合唱で、3・11後、日本社会のパラダイムが変化したとまで言う人もいる。
僕自身が震災、その後の原発問題に直接触れたわけではないので、断定的な物言いはできないのだけど、やたらと絆を強調する論調には違和感を覚えるし、絆消費なるものが本当に存在して、友人や家族に突然何か物品を贈り始めたなどということが実際あるのなら、それはそれで逆にけっこう異常なことなんじゃないかと思う。
それだけ、というか、震災というインパクトを以ってしてようやく人との絆や社会との結びつきに目覚めるほど、日本人の対人関係意識が希薄化していたということなのだろうか?
その一方で、つまりは、絆だ助け合いだ友愛だと言う中で、震災ガレキの受入れを拒む、放射能汚染とはなんら関係ないのに、『このガレキが危険性が無いなどと誰が言い切れるでしょうか?科学者が後になって実は、、、なんてことは良くある話です』とかいかにも正論ぽく意見を述べたりしている人を見ると、一体この国はどーなってるのだろう?と何か質の悪いSF映画を見ているような気分になる。
絆だなんだと言いながら、とても自分に都合の良い、実は他人のことなんか考えていない、要は自分のためになる関係だけを築こうとしているんじゃないかこの人たちは、と思ってしまう。
なにかが違うのではないか?という漠然とした心持ちで日本社会を眺めてます。
まあ、あまり多くを語ると問題ありそうだし、多くを語るほどの見識を僕は持ち合わせていないので語りませんが。
しかし、日本を代表する新聞が、本当に何の疑問も持たずに『家族や親しい人との絆を確認する贈り物消費』などと書いているとは、これまた悪夢に襲われた気分です。
絆の貨幣価値への転換、、、というほど大げさなものじゃなければいいけど。
おみずのおねいさんだって、最初はブランド品買えなどと、絆とブランド品の交換を要求するけどさ、そのうち情が通じれば、『もうお金とかバッグとかいらないし』ということだって、わりと起こり得るのにさ。
まあ、何を買っても、いくら注ぎ込んでも、絆が生まれないところには生まれないけどなあ。