昨年のヒストリーチャンネルで見た『ブルース・リー死の真相』

最近再放送でまた見たのですが、中々良いところを追求していると感じまして

記事にしたいと思います。

 

これをまとめるのに、結構時間が掛かりました。

分かり易くするために構成をどうするかで、何十回も修正しました。

 

時系列が分かり難かったので、ここもポイントと感じ

簡単にまとめますね。

 

1971年『危機一発』

1972年『怒りの鉄拳』『ドラゴンへの道』『死亡遊戯』

1973年『燃えよドラゴン』撮影中も格闘喧嘩が絶えない程怒りを出していた。 

5月10日倒れる。ほぼ死んだ状態から息を吹き返す。3日間入院 退院後アメリカで精密検査、問題なし、

7月10日ローウエイと大喧嘩、ナイフで脅し警察沙汰、

7月20日永眠

これでわかる様に、1972年から1年半で4本半の映画を作り直後に急死するという考えられない速さで世を去ってしまうのです。

また、分かり辛いですが危機一発と怒りの鉄拳の後、最後までローウエイ監督と関係があった事に疑問があります。最初の2作で縁が切れていたと思っていました。亡くなる10日前にナイフで脅して警察沙汰にしています。

 

 

 

では、始めましょう

ご存知の通りアメリカ国籍を持ちます。

 

 

喧嘩に明け暮れる10代、ついに警察に目を付けられ次は逮捕となってしまう。

逮捕を免れる目的でアメリカに行くことに

喧嘩が大好き、負けん気が強い、カッとなり易い事が十分に分かりますね。

 

まず死亡の原因が脳浮腫と言われています。

外傷・熱中症・アスピリン・毒物が引き金で脳浮腫が起こると言われています。

 

 

  1. ローウエイ監督の仕業
  2. 暴力団
  3. 喧嘩による外傷
  4. 熱中症
  5. 汗腺手術
  6. アスピリン
  7. 毒物
等、疑われる原因は多々ありました。
番組では、それを一つずつ追求します。

 

 

ブルース・リーは

香港に戻り主役の第一作『ドラゴン危機一発』の撮影でもローウエイ監督とぶつかります。

自己中心的な監督と 支配力の強いリーが幾度となくぶつかり、2作目の『怒りの鉄拳』では、さらに酷くなります。ただ気になったのは、『怒りの鉄拳』と『ドラゴンへの道』は1972年作 『死亡遊戯』も1972年秋で、リーがナイフを出して監督を脅し

警察沙汰になったのは1973年亡くなる10日前です。ロー監督は暴力団(三合会)とつながりがありリーに仕返しをしたのかも?
ローウエイは三合会と深いつながりがあり後にジャッキーチェンを恐喝しています
その為ジャッキーとは、1作のみの関係で終わっています。
また、サムハンキンポーの唇の傷は、ずっと三口で遺伝かと思っていましたが、これもヤクザに割れた瓶を押し当てられねじ切られた後だそうです。当時のやくざは暴力的で中途半端ではありませんでした。
 
そこで、当時のマフィア『三合会』幹部に聞きに行きます。
このチャンは、過去にロー監督ともブルースリーとも仕事をしています。
 
当時ローウエイ監督から直に三合会のチャンに連絡があり、ナイフで脅された話を聞いています。しかしローウエイ監督自身が、リーが本気で私を殺そうなんて思ってなんていないと聞いていました。
 
また愛人のベティティンペイは、三合会からの借金を返済できないでいた時 リーが肩代わりした事があり、その時に三合会のメンバーに馬鹿にされ激怒したリーは、コーラの缶に指をさして穴をあけ、その時に三合会のメンバーにコーラが掛かり その恨みから襲われたとも考えられます。
三合会から目を付けられたリーが、襲われた可能性は?
もし頭部を強打されていたら脳浮腫になる事も考えられます。
 
左は今回のリポータである元警察官  右が三合会のチャン
当時リーともロー監督とも仕事をした事がある三合会幹部は否定した。
 
そこで司法解剖のカルテと照らし合わせてみます。
これで、ロー監督 及び三合会からの暴力はなかったと裏が取れました。
 
次にリーの葬儀を請け負っていた葬儀屋が、リーの爪が黒く変色していたと証言。爪が黒くなるのは何か毒物で反応した可能性もあると・・・
 
詳細を画面を通じて事実として語りたいので長くなってしまいました。
次回へ続きます。